石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年1月26日も足利市の石仏巡りでした

2008年01月26日 | Weblog
 今年1月最後の石仏巡りは、佐野市の高橋氏と一緒に足利市へ行きました。私にとっては、これが足利市内に於ける最後の寺院巡りとなりました。生憎と寒風が吹き荒む一日でしたが、足利市内で最後まで残った四ヶ寺を無事に巡り終えることが出来ました。特に、最後となった大久保町の龍雲寺さんでは、先週に時間切れで未読のまま残してきた宝篋印陀羅尼經塔の偈文解読に、高橋氏の協力を得て為すことが出来、心おきなく足利の寺院巡りを終えることが出来ました。2003年以来の調査でしたから、心から満願成就にバンバンザイ!。しかもその最後が高橋氏と一緒に行うことが出来たのも、私としては嬉しい限りでした。
 手が凍えるような中での、高橋氏にとっては馴染みの少ない宝篋印等陀羅尼経の銘文筆写、申し訳ないと思いつつも今日ばかりは本当に助かりました。今夜は、その偈文清書を行うことにしていますが、最後の最後になっての長文の文字。そしてこれが足利市内での46基目の宝篋印塔となりました。
 こんな日に石仏調査を行っていたからか、普段なら未公開としている「将軍地蔵像」の木彫を、特別に見せていただけることになり、眼福の思いを心から味わうことが出来ました。これはHPの方へ掲載しようと思っています。
 さて、そんな訳で足利市へ行くことは今後は数が少なくなると思います。その分、これからは栃木市と小山市方面の石仏巡りに入ろうと思っています。2市ともこれから新たに5〜600基も見ればおおよその姿が見えてくるんではないかと思っています。
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2008年1月19日・成果の無かった足利市の寺院巡り

2008年01月20日 | Weblog
 昨日、2008年1月19日は足利市の寺院巡りに行ってきました。その目的は、宝篋印陀羅尼経塔の探索です。佐野市の高橋氏を誘おうかとも思いましたが、余りにもくだらない?寺院巡り故に迷惑を掛けることになると思って、一人で行きました。何しろ、どこにも当該石造物は「ない!」と思っているだけに、その「無いこと」を自分の目で確認するだけの寺院巡りなので、空しい一日を過ごすことになるからです。事実、朝からまずは助戸二丁目の龍泉寺から始まった寺院巡り、遠くは西部地区の大前町まで走ってまた市内へ戻り、午後も3時過ぎに10番目の華厳寺まで来ても一つも出会えませんでした。流石の私も途中で嫌になり、未見の庚申塔等を探しては、何とか20余基の石造物を調査しましたが、それが無かったらマッタク惨めな一日になったことでしょう。
 今日は、始めから無駄な一日になるとは覚悟していた物の、やはり意気消沈して帰路につく道すがら、それでもこれで足利市の未調査寺院は残り4ヶ寺になったと気持ちを持ち直す。そしてその帰路途中で、残る1ヶ寺の一つである大久保町の龍雲寺に立ち寄ってみることにする。駐車場へ車を止めて、最初に目に入ったのは大型の宝篋印塔。ここは曹洞宗なので、当然ながら期待などまったくしていなかっただけに急いで庫裡に行き、調査の了解を得る。だが、その宝篋印塔の軸部に刻まれている偈頌文は文字数が多く、加えて浅い彫りなので見た目では完読は不可能である。手拓しなければと、今日初めて勇んでみたものの、既に時計は午後3時半を過ぎている。それでなくても冷たい風が吹いているので、これからその宝篋印塔の4面を水洗いして手拓するには余りにも時間が足りない。最後の最後になって見つかった宝篋印陀羅尼経塔。これは、日を改めて出直しなさいという事かと理解し、次回への調査として龍雲寺を離れた。これで、次回の足利市訪問が楽しくなってきた。寺岡町の元三大師には未調査の宝篋印塔があることを以前に確認しているので、これで間違いなく次回は足利市の新たな当該碑が入手できるのだから、と…。
 それにしても、今のこの時期は手拓するには最も不適な時期。朝だと霧吹きが凍ってしまうし、晴れれば赤城下ろしの寒風が吹きすさぶ、何とも困った時期だが、もう少しで足利市の宝篋印陀羅尼経塔が纏まるかと思うと、そんな悪条件も気にせず、何とか来月中には終了させたいと思っている。
 もし、高橋氏がこれを見ていましたら、是非とも次回はご迷惑でしょうがおつき合い下さい。何しろ残るは、その龍雲寺と駒場町東陽院と寺岡町の正慶寺に元三大師の四ヶ寺のみですので、午前中には終了させてその後は佐野市の私の未見碑塔調査に入りたいと思っていますので…。
 それにしても昨日は寒かった!。私にしては珍しく、一日中ジャンパーのお世話になりました。お陰で、肩が凝ってしまいました。そして今は、あの龍雲寺さんの浅い彫りの石文をどうしたら全文読むことが出来るか、そのことで頭が一杯です。
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2008年1月15日は栃木市の石仏巡りです

2008年01月14日 | Weblog
 今日、1月14日は暫くぶりの栃木市訪問です。しかも、かつて訪れた場所を中心とした碑塔巡りですから気が楽なもので、一日を楽しく過ごしてきました。それでも、昔とは道が違っていて、特に惣社町内匠地区の五猿庚申塔の場所には参りました。昔は、狭く曲がりくねった道沿いの墓地入口にあったのを記憶として行きましたので道が判らなくなり、途中で諦めました。しかし、それでは沽券に関わると午後の最後の時間に再度トライしてようやく辿り着くことが出来ました。その入口には立派な星風荘のケアセンターが出来ていましたので、判らなくなってしまったのです。
 ところで今日は、一日で47基もの碑塔を記録することが出来ました。これも、そのほとんどが場所を知っていたからです。それでも、過去に来たときは宝篋印塔に興味がなかった頃ですので、最初に訪れた栃木市仲仕上町の薬師堂で宝暦年間の宝篋印陀羅尼経塔に出会えました。ここで面白かったのは、その薬師堂の正しい名前が「薬師瑠璃光如来豊山派」とある事です。つまり、この場所には元々真言宗豊山派の寺院があったことを自ら証明しているようなもので、思わず笑ってしまいました。また同薬師堂には鰐口があって、そこには安政五戊午年二月初吉日とありました。これは、佐野市の高橋氏の調査対象物ですが、当然高橋氏のことだから調べていることだろうと、その高橋氏が撮影したであろう位置から遊びで私も写真を撮りました。
 その後も、あちこちと巡り歩きまして今回は実に沢山の十九夜塔を見ることが出来ました。途中で、この近くへ来たときには必ずと言って良いほどに立ち寄る観音堂へ又しても寄り道し、今回も同じ写真を撮って一人で喜んでしまいました。今回のHPには、またしてもこの地の碑塔風景を掲載する予定です。
 
 次回は、また足利市の寺院巡りに行こうと思っています。何しろ未訪問の足利市寺院はあと15ヶ寺位になりましたので、そろそろ最終段階に近づいて来たからです。足利市内の宝篋印陀羅尼經塔は、どうやら50基までにはならないようです。そのだめ押し調査です。願わくば、あと1基はそんな宝篋印塔に出会いたいと願っています。それにしても今日は、一日中冬晴れとなり日光の山々は言うに及ばず、日光白根山まではっきりと見ることが出来ました。寒いけど、それなりに楽しい季節です。それでは、また次回まで
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新年最初の石仏巡りは6日の足利市

2008年01月06日 | Weblog
 2008新年も、毎年が一日の如くに過ぎてしまい早くも今日は六日です。皆様は、この新年をいかがお過ごしでしたか?。そして今年の目標は…
 さて、私の今年の夢は何を置いてもまずは「足利市の宝篋印陀羅尼経塔」の纏めにあります。残っている未訪問寺院も数が少なくなってきましたので、春までにはそれらを片付け、同時進行で共同墓地や廃寺跡と思われる集落センターを訪ねることに集中していこうと思っています。もちろんその間には息抜きも必要ですから、栃木市や小山市等へも気分転換で出かけることもあるでしょうが、いずれにせよ今年の春までには足利市の宝篋印陀羅尼経塔を終了させたいと思っている新年です。

 そんな今年最初の1月6日の石仏巡り、出発した時点での予定では栃木市へでもふらりと行くつもりだったのですが、車を運転していて気が付けば、いつもの293号線を足利へ向かっていました。昨年暮れの30日と同じく、全く車の往来が少なくいつもなら1時間半は掛かる道のりも約1時間で中心部へ着いてしまいました。そして今回は車の中にザックがあることを幸いと、今日は足利市内の寺院仏閣巡りとして足利市文化会館へ駐車して歩き出したのが午前8時50分。まずは、本城地区の心通院を訪ねて庚申塔の銘文を手拓しようと庫裡に挨拶へ行き、了解を頂いたまでは良かったのですが、水貼りを終えて墨入れしようとしたら、肝心の墨がない。そして、車の中に墨を置き忘れたことに気づいたのです。新年早々、第一歩からの失敗に苦笑しつつ、「ア〜ア、今年もこれでは先が思いやられる」と相成り、手写しに切り替えましたが、所詮は拓本が必要だから準備しただけに文字の一部が読めない。
 諦めて、心通院を辞してからは→善徳寺→明石弁天→各宗共同墓地→樹覚寺→法楽寺→徳正寺(虚空蔵尊を含む)をのんびり巡りました。この寺社巡りでの収穫は、徳正寺での宝塔型宝篋印塔に陀羅尼経の一節を見つけたこと。浄土宗にも宝篋印陀羅尼経塔があることに、今日の最大の収穫として境内で大休止してから駐車した文化会館まで戻りました。
 予想もしなかった宝篋印陀羅尼経塔に出会ったので、これで今日の成果は大満足とし、昼食を食べるのに相応しい田舎へ移動することにした。
 その目的地は、大沼田町。萬福寺の広い駐車場でのんびり昼食を取ってから少しばかりの碑塔調査を行い、同地内の地蔵寺跡へ行き、以前に来て未調査の十六日念仏塔等を記録しながら、折からの真っ青な冬晴れ景色を堪能してここでものんびりしてしまう。何しろ今日は、家を出るときには予想もしていなかった足利市へ来て、それも宝篋印陀羅尼経塔を一基見つけたのだからお腹ならぬ心は大満足。まだ、時計は午後二時だがこのまま帰宅しても良いかと考えつつも、どうせならこの大沼田地区の昔からの生活道路を一回りしてからにしようと、車一台だけがかろうじて通れる東山側の道を選べば、その道途中には幾つもの碑塔が建立されていた。もちろんその中には庚申塔も含まれていたが、私が最も喜んだのは「二十二夜」塔にみた血盆経の銘文であった。ここで、本日二回目のバン、バンザイを叫ぶ。そんなこんなで、狭い地区で一時間ばかりを過ごしてから、鼻歌気分で三時には足利市を後にした。
 当然ながら、今回の碑塔調査数は少なく総数で31基である。それでも、その中身は新年最初の石仏巡りとしては内容豊富で嬉しい限り。これも午前中の寺社初詣の効用と、今年1年の幸先良い一日となった。
 さて来週12日は、東京での友人令嬢の結婚式に出席。自分の娘のように親しくしているお嬢さんだけに、その晴れ姿を祝福に行こう!。というわけで、石仏巡りは延期です。
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