朝から雨なのを好日?にして、滞っていました3月10日と3月17日の石仏巡り記を只今更新しました。残るは、昨日の足利分だけです。これから、調査原簿の清書と画像整理を行います。従ってHPへの掲載はそれからになります。多分、今日には更新できないだろうと思っていますが、ガンバリましょう!。お暇な方は、御笑覧下さい。
今日3月24日は、高橋氏と一緒に足利市内の石仏巡りです。鑁阿寺へ行ってきました!。しかし、境内には余りにも多くの碑塔があったために、庚申塔を中心に見てあるきました。もう一度、行かなければと思っています。また、近くの井草町にある閻魔堂で、思わぬ単制石幢六地蔵と出会いました。古式石幢ですので、年代が知りたかったところですが、余りにも多くの氏名が刻まれているのと、幢身の一部が逆さまになっていたり、別の場所に置かれていたりして断念しました。そして今日は3基もの宝篋印陀羅尼経塔に出会いまして、その銘文書き写しに、半ば疲れてしまいました。加えて、今日に限って該当調査用紙を持ってくるのが忘れたというドジなことをしてしまいました。午後は、本城1丁目にある雷電神社へ行きまして、庚申塔の他に「霊符神」石塔に出会いました。確か、足利市では2基目の出会いです。その信仰内容が知りたいところですが、分からず仕舞になりそうです。その他、帰路には田沼町の庚申塔群へ行き、二人であるはずの「千庚申塔」を探しましたが見つからず、これは私のDBから削除することにしました。その代わりに、「百庚申」塔をゲットしましたので、それなりに満足しました。
本当に、今日一日の貴重な時間を私のために同道してくれた高橋氏に感謝あるのみです。
明日の予定は、3月10日、3月17日の石仏巡り記をHPへ掲載予定です。もちろん、出きれば今日の分も、と考えています。
本当に、今日一日の貴重な時間を私のために同道してくれた高橋氏に感謝あるのみです。
明日の予定は、3月10日、3月17日の石仏巡り記をHPへ掲載予定です。もちろん、出きれば今日の分も、と考えています。
今日23日の午後4時頃に、ここの所の忙しかった仕事が一段落しました。早速、HPの方の更新が遅れていた分を掲載しようと思うのですが、明日の土曜日は足利市へ行きたいので、もう少しお待ち下さい。何しろ、栃木県に住んでから何十年も経っていながら未だに鑁阿寺へ行ったことがない私なので、明日は何が何でも鑁阿寺へ行きたいのです。今夜は、その下準備に入ります。
雨が降らなければ、佐野市在住の高橋氏も「太平記舘」の駐車場で9持に待ち合わせです。そこの駐車場に車を置いて、明日は周辺の神社仏閣を回るつもりです。だからお願い、明日だけは雨にならないで!
と言うわけで、HPの更新は日曜日以降になります。
雨が降らなければ、佐野市在住の高橋氏も「太平記舘」の駐車場で9持に待ち合わせです。そこの駐車場に車を置いて、明日は周辺の神社仏閣を回るつもりです。だからお願い、明日だけは雨にならないで!
と言うわけで、HPの更新は日曜日以降になります。
今日17日は、足利市へ石仏巡りに行きました。
朝、慌ただしく出かけたので、メジャーを忘れたことに途中で気づくも、時既に遅し。仕方なく、10時に足利市内のホームセンターが開くまでは採寸は目見当で行い、それから購入に行きました。何となく気勢がそがれので、今日は足利市内の神社訪問を変更して、まだ見ぬ庚申塔やら調査済みの庚申塔を訪ねることにして市内の利保町へ入る。文字塔ばかりで面白くないが、こういう調査も時には必要と、それでも熱心に記録を取る。お昼は、御岳神社へ行って食べることにしよう。そしてついでに、またしても同じ青面金剛像容塔を写真に撮って喜んでいる。
昼食を終える頃から、風が強くなる。そこで、山の中へ入れば風の強さも感じないだろうと、樺崎町から田沼町へ抜ける山王峠道へ入る。もちろんその途中では、これまた過去に来たところへ立ち寄っては写真だけを撮る。それにしても、やはり初めての山道へは良いものだとつくづく思う。と言うのも、その山道途中には沢山の庚申塔が祀られているのを見つけたからである。崖を登って、無風状態の山の中で、またしても熱心に調査開始。と思いきや、今度は碑塔を磨くタワシを御岳神社へ置き忘れてきた!。初めは、杉の葉でこすって石文を読み始めたが、どうにも調子が悪い。そこで思い切って、元に戻ってタワシを回収してくることにして山を下り、御岳神社まで取りに行く。さて、山王峠への道を再び登ると、先ほどは見逃していたもう一個所の庚申塔群が目に入る。そこも全て調査して峠まで来てみると、そこにも合計八基の庚申塔がある。しかも嬉しいことにその中の1基は「千庚申」塔である。ルンルン気分で調査し、今日はここまでとして帰路につく。そんな山の中の庚申塔調査、車に戻ってみれば、車は折からの”きな粉”にまみれていました。花粉症でないのがなにより!。
ところで、先週の画像がまだHPの方へ掲載されていません。そして今日の分も当分掲載されないでしょう。あと、1週間ばかりは仕事に没頭しなければならず、無理して出かけた今日もここまでとして、これから今夜は仕事に取りかかります。勿論、明日もです。
ホント、困ったものですが、貧乏人は仕事が優先しなければなりませんので、これも致し方なしといった所です。
朝、慌ただしく出かけたので、メジャーを忘れたことに途中で気づくも、時既に遅し。仕方なく、10時に足利市内のホームセンターが開くまでは採寸は目見当で行い、それから購入に行きました。何となく気勢がそがれので、今日は足利市内の神社訪問を変更して、まだ見ぬ庚申塔やら調査済みの庚申塔を訪ねることにして市内の利保町へ入る。文字塔ばかりで面白くないが、こういう調査も時には必要と、それでも熱心に記録を取る。お昼は、御岳神社へ行って食べることにしよう。そしてついでに、またしても同じ青面金剛像容塔を写真に撮って喜んでいる。
昼食を終える頃から、風が強くなる。そこで、山の中へ入れば風の強さも感じないだろうと、樺崎町から田沼町へ抜ける山王峠道へ入る。もちろんその途中では、これまた過去に来たところへ立ち寄っては写真だけを撮る。それにしても、やはり初めての山道へは良いものだとつくづく思う。と言うのも、その山道途中には沢山の庚申塔が祀られているのを見つけたからである。崖を登って、無風状態の山の中で、またしても熱心に調査開始。と思いきや、今度は碑塔を磨くタワシを御岳神社へ置き忘れてきた!。初めは、杉の葉でこすって石文を読み始めたが、どうにも調子が悪い。そこで思い切って、元に戻ってタワシを回収してくることにして山を下り、御岳神社まで取りに行く。さて、山王峠への道を再び登ると、先ほどは見逃していたもう一個所の庚申塔群が目に入る。そこも全て調査して峠まで来てみると、そこにも合計八基の庚申塔がある。しかも嬉しいことにその中の1基は「千庚申」塔である。ルンルン気分で調査し、今日はここまでとして帰路につく。そんな山の中の庚申塔調査、車に戻ってみれば、車は折からの”きな粉”にまみれていました。花粉症でないのがなにより!。
ところで、先週の画像がまだHPの方へ掲載されていません。そして今日の分も当分掲載されないでしょう。あと、1週間ばかりは仕事に没頭しなければならず、無理して出かけた今日もここまでとして、これから今夜は仕事に取りかかります。勿論、明日もです。
ホント、困ったものですが、貧乏人は仕事が優先しなければなりませんので、これも致し方なしといった所です。
今週は仕事が忙しく、土曜日にも関わらず出張出勤です。栃木県石橋町(現・下野市)まで出かけましたので、仕事を終えてから少しばかり南河内町の石仏巡りを行いました。主たる目的は、龍興寺さんの弘安板碑ですが、生憎と見られませんでした。仕方なく境内をうろついて宝篋印陀羅尼経・梵字真言塔を平成14年建立という新しさですが、興味があって写真に撮ってきました。それから、少し郊外へ行って写真が抜けていた青面金剛像を訪ねたりしました。途中で、一猿二鶏の青面金剛像に出会ったりと、少しだけ成果が上がりました。
いずれにしましても、HPの方へ掲載するのは少しばかり遅れそうです。なにしろ、仕事よりも遊びの方が大好きな私が、昨日の日曜日も一日仕事をしていたくらいですから…。
いずれにしましても、HPの方へ掲載するのは少しばかり遅れそうです。なにしろ、仕事よりも遊びの方が大好きな私が、昨日の日曜日も一日仕事をしていたくらいですから…。
3月3日土曜日、暫くぶりに足利市の石仏巡りに戻ってきました。そしてこの方面の石仏巡り相棒は、いつものように佐野市在住の高橋氏です。金物専門の高橋氏に、石造物調査に同行していただくのは申し訳ないと思いつつ、ついつい高橋氏の”一緒に行くよ”というありがたい言葉に調子づいてしまいます。
そして何と、今回の調査でもって、私の栃木県石造物データ総数が、22,000基を超えました。20,000基を過ぎた頃からその速度は遅々として進みませんでしたが、それもこれも新しい地区の石造物調査に入らなかったからです。その意味でも、まだ未調査地区の多い足利市へ早く入りたかったのですが、いろいろと事情があって延びてしまっていました。いや〜あ、それだけに今回の石造物調査は楽しかったです。加えて、とんでもない寶篋印塔に出会うなど、いつも高橋氏が同道してくれた時には面白い物が見つかる。これも、不思議なことです。
いよいよこれからが春本番、石仏調査以上に田舎の春を感じながら、のんびりした石仏巡りをしていきたいと思っています。
HPの方も、先ほど掲載しましたのでお暇な方は御笑覧下さい。もっとも、相変わらず調査した内のほんの一部ですが…。
そして何と、今回の調査でもって、私の栃木県石造物データ総数が、22,000基を超えました。20,000基を過ぎた頃からその速度は遅々として進みませんでしたが、それもこれも新しい地区の石造物調査に入らなかったからです。その意味でも、まだ未調査地区の多い足利市へ早く入りたかったのですが、いろいろと事情があって延びてしまっていました。いや〜あ、それだけに今回の石造物調査は楽しかったです。加えて、とんでもない寶篋印塔に出会うなど、いつも高橋氏が同道してくれた時には面白い物が見つかる。これも、不思議なことです。
いよいよこれからが春本番、石仏調査以上に田舎の春を感じながら、のんびりした石仏巡りをしていきたいと思っています。
HPの方も、先ほど掲載しましたのでお暇な方は御笑覧下さい。もっとも、相変わらず調査した内のほんの一部ですが…。