これは、栃木県氏家町の中心部に所在する真言宗光明寺さんにある「尼港殉難供養紀念碑」です。意外と小ぶりな碑で、墓地への入り口に建立されていて、銘文は裏面に記されています。この太平の世に「尼港事件」といってもわかる方は少ないと思いますが、大正九年に中国と朝鮮人を含んだロシア赤軍パルチザンによって、当地に居留していた一般人や軍人等が殆ど全員が虐殺された事件です。その犠牲者の霊を弔うために独りの僧が各地の遺族を訪ね歩いた紀念碑です。詳細は、別HPの方をご覧下さい。
これは、氏家町の石碑巡りで余ってしまった時間を隣りの矢板市まで足を伸ばして偶然に近い状態で出会った壽宴碑です。失礼ながら、これほど素晴らしい碑と矢板市で出会うとは、当に青天の霹靂です。問題は、この碑文の撰者である「秋与」という人物と揮毫者の「山朝易」という人物が判りません。どなたか、御存知の方はぜひ御教示下さい。特に揮毫者は、出身地の喜連川町とは隣りとなる小山霞外(小山朝孺)かと想像はしていますが、「山朝」の次の「易」が付いた号名は今までに見ていないので、どうも自信がなくて‥。念のため、古河市博物館にも問い合わせましたが、今までに見たことがないとのことです。
これも、別HPの方でその詳細を掲載しています。
ところで、6月も今日で終わりです。毎週末が雨にたたられ、6月に石碑巡りに出かけられたのは14日のたった一日のみという有様でした。尤も、そのために溜まっていた石碑調査済みの資料はその殆どを片付けることが出来ましたが‥。明日から7月。益々暑くなる季節に突入です。手拓がどこまで出来るかわからぬが、まあせいぜい熱中症に罹らぬ程度の外出に心がけることにします。何しろ、歳ですからネ!