上記「東京都23区の庚申塔2」は、今月初めに著者のお一人である犬養康祐氏より頂戴したものである。これは、昨年5月に発行した同著・鈴木敏夫著(足立区・荒川区・板橋区)の続編で、今回は江戸川区・大田区・葛飾区・北区・江東区編である。ページ数は同著1の最終ページ280からの続きで、181頁から556頁迄となっている分厚さ。サイズはB5判。内容は、これまでに鈴木敏夫大先輩が綿密に現地調査した庚申塔の報告書で、もちろん全部に写真もついている完璧な東京都庚申塔調査書である。おそらく、これ以後はこの著書を超える調査報告書は生まれないだろう。その意味でも、今後の東京の庚申塔を調査したい人にとってはバイブル的な著書となるだろう。それを、犬飼康祐氏の編集から製本までの工程を経てこの世に生まれ出たものであり、それは犬飼氏の豊富な石造物知識がそこに加味されてのものとなっている。惜しむらくは私家本につき、お便りによると全部で33部しか発行していないとのこと。それでも私にとっては、この分厚さの著書を33部も手造りで作成したことを知り、その情熱と努力に感嘆するばかりである。今後ともお二人のご健康を祈念しながら、更なる続編が最後の区まで達成されますことを願っている。最終ページがいったい何ページになるか大いなる興味を持っていますのも一因ですが…。
さて、東京都の庚申塔に興味があり、どうしてもご覧になりたい方は、そんな事情でほんの僅かな仲間と公的機関にしか納められていないので、まずは犬飼氏の住まう八王子市立図書館あたりに収蔵されているかご確認ください。なくても、責任は持ちませんが…。
先週とは打って変わって、今回は宇都宮市街地の石碑手拓の一日でした。もちろんそれらは全て調査済みなのですが、今のうちに拓本として後世に残しておきたいと考えてのことです。最初は、宇都宮市西原町の報恩寺墓域内にある「田中君改葬碑」です。普通の自然石の表面に碑文が記されているので、近い将来には必ず読めなくなること請け合いの碑。それだけに、何としても手拓しなければならないとの責任感から手拓させてもらいました。その碑文内容は、別HPに掲載してあります。午前中は、ここだけで終わり。その後は宇都宮中心地にある、生福寺へ行きました。お昼近くになってしまったが、住職さんに無理をお願いして手拓許可を願い出て快諾の言葉を戴く。法事真っ最中にも関わらず、本当にありがたく思いました。その碑は墓碑で、碑陰と右側に大橋淡雅(知良)が撰文し、それを息子である菊地教中(菊池教中)(この時はまだ菊地姓を使用していた)が揮毫した吉田丹兵衛の墓誌である。この菊地親子による合作碑は貴重で、多分これだけだろうと思っている。こちらの手拓は簡単だったが、それでも欲しくて仕方のなかった碑文だけに、時間をかけての作業で終わったのは午後1時を過ぎていた。お礼のご挨拶に伺うと、副住職さんが対応に出られて、我が事のように拓本を見て喜んでくれる。重ね重ね、厚く御礼を申し上げて辞する。
その時、何となく目をやった先に稲荷小社があり、そこには狐さんとは別の狛犬が祀られていた。それが、下の画像である。もっとも、適当に撮影したので狛犬さんがボケているが…。
まあそれは許していただいて、私の目的は佐野市の山口氏にこのお寺さんにも調査対象とすべき狛犬一組があることをご連絡することです。住所は、宇都宮市仲町の真言宗生福寺さん境内の一角です。ただし、駐車場はありませんのでご注意ください。
以上、今回はこれまでとして次回はいよいよ大型連休になります。どこへ行くかはただ今思案中です。
桜が満開に咲いている中、田舎道を快適に運転して宇都宮市内から約1時間10分。今回は、佐野市在住の山口氏から碑塔所在地をご教示賜っていた茂木町の石仏めぐりである。それだけに今回は、石仏巡りに専念して石碑やお寺さん巡りはしないことにし、教えていただいていた道路沿いの碑塔群から始まる。しかし、石仏巡り途上でご教示いただいた碑塔以外も目に入ってしまい、以前に調査していないものに出会うと見逃す訳にはいかずついつい寄り道してしまう。そうこうして、上記に掲載した写真の場所である、河井地区に入ったのはお昼を過ぎていた。
この場所が、今回山口氏よりご教示賜っていた本日最大のポイント。そこには、この写真にも写っている、一猿庚申塔があり、しかもその猿は滅多に見られない合掌している猿の姿だった。予定では、この場所で昼食のつもりだったが、直接にこの庚申塔と向かいあえば昼食などどうでも良くなり、早速に調査開始。この笠付四角柱庚申塔の主銘文は、「バン ウン タラーク アク カン ダ」の種子。これだけでもはるばる茂木町までやってきた甲斐があるというのだ。しかも山口氏が「確かに一猿だった」というように、そこには間違いなく合掌している一猿がいた。そして紀年銘も元禄九年という、当地の庚申塔としては古い方に入るもの。また、両側面には蓮の葉がデザインされていた。つくづくと、山口氏のご教示に感謝しつつ時間をかけて眺め、調査する。
さて、眺めつくしてからその裏に重なるようにして置いてあるのは、そこにも山口氏のご教示通りの青面金剛像だった。それは、いわゆるバンザイ型の青面金剛像。しかも、普通は日月だけを捧げ持っているのに、ここでは瑞運までも一緒に捧げ持っている優れもの。更にその下部を見てまた驚く。それが下記の画像である。
そう、ここにも合掌した猿がいた!。しかも両脇にいる猿は、いわゆる塞ぎ猿ではなく明らかに拝侍姿である。この拝侍猿に合掌猿が一緒になっての三猿は、今までの記憶の中に見た覚えがないもの。しかもその上部にいる雌雄の鶏はまるで鬼さんを蹴飛ばしているような姿であった。とにかく驚きの連続である。本当に今日は素晴らしい庚申塔を拝見できたと、時計を見ればまもなく三時。ここに、優に2時間半以上は居たことになる。もちろん、空腹感などどこかへ飛んでしまって全く感じなかった。
それからもまた、石仏を求めての場所移動となったが太陽の光線が逆光となって写真どころか、銘文を読むにも一苦労する有様。しかも二十三夜塔王国らしい茂木町のこととあって、それらのほとんどが自然石に文字が刻まれて二十三夜塔だった。先程までの興奮が冷め遣らぬ中にあっては今ひとつ面白くなく、調査せずに碑塔所在地をメモしたままでその場を去り帰路についてしまった。
夜は、その写真を眺めながらまたしてもその素晴らしさに酔っている。本当に、山口様には感謝申し上げます。山口さん、ありがとう!と。さて次回は、多分宇都宮市街地へ出向いての手拓採りとなるでしょう。季節も良くなったことだし…。
これは、先週に見つけた宇都宮唯一の女性頌徳碑(名前は「鈴木なべ」)です。しかもご覧のように、昭和5年の建立とはいえ肖像画つきです。彼女は天保四年に生まれて大正13年に亡くなるまでの92年間に産婦として活躍し、その取り上げた赤子の数は数千人という恐ろしい人数になるそうです。そんなすばらしい女性の石碑を今まで見逃していたとは、何とも恥ずかしい限りです。そんな訳で、その手拓が欲しくて前回は風が強くて無理だったので今日は朝からその目的だけで出かけました。しかし、低い踏み台しか持って行かなかったために碑の上部に刻まれている手拓作業には手こずりました。また、石工の技量が今ひとつで線彫りが細く、浅い部分もあり顔の表情の墨入れにも手こずりました。何しろ踏み台の上に乗り背伸びしやっと手の届く高さ。加えて石碑本体はぐらつくので寄りかかることもできず、いやあ苦労しました。これだけで午前中は終わり、もっともこの家の人に見せたいものがあると家の中へ招かれたのを断り切れず、長話をして昔の写真などを見せてもらったからでもありますが…。そんな訳で、午後から行く予定だったもう一箇所の手拓採りは、南からの強風が吹き出したので中止としてそのまま帰宅してしまいました。
さて、午後は仕方なく部屋に閉じ籠もっての製本作業を行いました。それは、印刷したまま放置していた「宇都宮市の近世寶篋印塔」の最終製本です。その調査した基数は62基と多いので、総ページ数が141ページという厚さになってしまいました。これが出来上がったのでやれやれ、これで暫くは近世寶篋印塔の纏め製本はなくなったと、ほっと一安心やら寂しいやらです。以下がその表紙画像です。
やっと、今年の春の寒さも遠のいたので次回こそ必ず佐野市在住の山口氏から教わっていた栃木県茂木町へ石仏巡りに行こうと今から張り切っています。多分、優に60基を超える石仏調査になると思っているので、今からその覚悟をしています。何卒、今度の週末こそ張るらしい快晴と無風でありますよう願っているところです。
毎週末になると、なぜか天候は不順。今回にしても土曜日は大荒れの天候で端から石仏巡りを断念。そして翌日曜日は4月1日となってしまったが、風は強い。心から春の陽気を楽しめる石仏巡りにはならないので、今回は自宅周辺の今までに見ていても未調査の石仏巡りとした。本来なら、散歩気分で歩けばよいのだろうがそれも面倒となって相変わらずの自転車での石仏巡りとなった。そんな中でも、今回始めてその存在に築いた碑等や、道路拡張工事にてどこかへ言ってしまった男体山碑等との再会もあり、まあそれなりに楽しい一日を過ごすことができた。
上記に掲載した写真は、そんな自宅からそれほど遠くない宇都宮市下荒針町での石仏風景である。二基の如意輪観音様の間の奥にある自然石は庚申塔。そして左端の奥に石ころが見えるのは、横倒しになっている二十三夜塔です。ここへは過去にも来ているのだが、そのときと全く同じ風景。したがって昨年の地震にる転倒ではありません。前回もそうしたように、今回も何とか持ち上げて立て直してあげようと試みましたが、とてもとても重くてビクともしませんでした。
嗚呼、早く春本番とならないかな~と、小学校跡地にあるサクラの蕾が膨らんでいるのを眺めながら思いました。この日の石仏巡り案内記は別HPの方へ掲載済みですので、興味のある方はそちらもご笑覧ください。