一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

小島美羽『時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』

2021年08月17日 | 読書


私の場合、TVの番組は、
番組表を見て興味を持ったタイトルの番組を片っ端から録画しておき、
後から(時間があるときに)随時観るようにしている。
民放の番組はCMを飛ばしながら短時間で観ることができるし、
それほど面白くなければ2倍速で見て、
まったく面白くなければ途中で観るのを止め、すぐに消去する。
逆に、感動した番組はBlu-rayディスクにダビングして保存しておく。

新型コロナウイルス第5波の襲撃により、
佐賀県でも感染者数が増えてきており、映画を見に行くのも憚られ、
大雨の日が続いているので山へも行けず、
最近は、家で読書するか、
録り溜めしていたTVドラマやドキュメンタリーを観て過ごすことが多くなっている。

先日、まだ観ていない番組をチェックしているとき、
2ヶ月以上前に録画したのに、まだ観ていない番組があり、
〈せっかく録画したのだから……〉
と、観始めた。
それは、今年(2021年)の6月11日、23:00に放送された、
NHKのETV特集「孤独死をこえて」であったのだが、
この番組がすこぶる良かった。
〈なぜもっと早く観なかったのか……〉
と後悔したほどであった。


その番組「孤独死をこえて」は、
孤独死などで亡くなった故人の部屋を片付ける遺品整理人のドキュメンタリーであった。
孤独死は、70代、80代の身寄りのない老人のことと思われがちだが、
子供の独立を機に互いの自由を求めた熟年離婚の末の孤独死、
定年まで勤め上げた女性一人の悠々自適の生活を襲った突然の死、
ごみ屋敷と化したマンションの一室で亡くなった40代女性の孤独死など、
孤独死が決して老人だけのものではないことをこの番組で知った。


この番組を視聴中、初めて知ることだらけで、驚きの連続であったのだが、
私を最も驚かせたのは、このドキュメンタリーの主人公が、
小島美羽という、まだ20代の若い女性であったことだった。


【小島美羽】(こじま・みゆ)
1992年、埼玉県出身。郵便局勤務を経て、2014年より遺品整理クリーンサービス(株式会社ToDo-Company)に所属し、遺品整理やごみ屋敷の清掃、孤独死の特殊清掃に従事する。2016年より業務の一環として、孤独死の現場を再現したミニチュアの制作を独学で開始。それらの模型は国内外のメディアやSNSで話題となった。2019年には『時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』を出版。



防護服、防護マスク、保護メガネを装着し、
遺体の残存体液などで床がヌルヌルする部屋に入って淡々と作業をする。


孤独死した故人を悼み、遺族の気持ちに寄り添い、
丁寧に仕事をしている姿に感動させられた。
しかも、仕事のかたわら、孤独死の現場の詳細をミニチュアに制作し、
孤独死の現実を訴えている……という彼女の生き方や人生観にも興味を持った。


そこで、2年前(2019年8月31日刊)に出版されている小島美羽さんの著書
『時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』(原書房)
を購入し、読んでみることにした。



写真多めの140頁ほどの薄めの本だったので、
〈内容まで薄かったら……〉
と心配しながら読み始めたのだったが、杞憂であった。
小島美羽さんの遺品整理人としての考えがギュッと詰まった、
すこぶる内容の濃い本であった。

孤独死とは、
誰にも看取られずに自宅で亡くなり、
死後、発見されるまでに日数が経過した状況を指し、
日本では年間で約3万人が孤独死していると言われている。
小島美羽さんが訪れる依頼現場は、年間で約370件以上。
そのうち遺品整理のみの案件が6割で、孤独死の特殊清掃は4割ほど。
これまで経験した孤独死の現場で、発見されるまでに一番期間が長かったケースは2年。
中には二世帯住宅にもかかわらず、発見まで一週間を要したケースもあったという。
友人や近隣住民だけではなく、家族とも会話が失われている日本の現実が浮き彫りにされる。
海外では孤独死というものが稀で、
日本の状況が驚きとともに報道されているとか。
現に、本書はすでに、
台湾や、




韓国などで翻訳され、出版されているそうだ。




そもそも、小島美羽さんはなぜ遺品整理人になろうと思ったのか?

なぜこの仕事を選んだのか。
はじめて会う人に必ずと言っていいほどそう訊かれる。特殊清掃の仕事は、遺体の腐敗による臭いや汚れ、場合によっては感染症のリスクもともなうため、肉体的にも精神的にも負担が大きい。実際に、ほとんどの同僚はすぐに辞めていく。それも百人中、九十九人くらいの割合で。だから、わたしがこの仕事を続けていることを不思議に思われても、当然かもしれない。
(133頁)

きっかけは、高校生の頃の父親の突然死にあったという。
当時は両親が(離婚を前提に)別居したばかりで、
たまたま必要があって母親が自宅を訪れたときに、
廊下で倒れている夫を偶然発見し、
まだ息があったのですぐに救急車を呼んだのだが、病院で息を引き取ったという。
父親は、まだ54歳だった。
危うく、孤独死になるところだったそうだ。

わたしたちの呼びかけに、意識のない父の目からツーと涙が流れ落ちる。それからしばらくして心肺が停止した。この先も変わらずわが道を歩んで生きていくのだと思っていた父の、突然の死だった。わたしはずっと父のことを嫌っていた。父との最後の思い出も、殴り合いの喧嘩だった。母を守るためだった。にもかかわらず、このときはじめて、自分のなかに尊敬の気持ち、愛情があったことに気づかされた。生前にもっと父と話をしていたなら、避けていなければ、何か違っただろうか。後悔だけが残った。(134頁)

小島美羽さんが高校を卒業し、郵便局に就職した頃、
遺品整理・特殊清掃という仕事があることを知人から教えてもらったことで興味を持ち、
ネットで調べてみたところ、遺品整理で嫌な思いをしたという依頼人の書き込みを多く見かけたという。
〈肉親を亡くしているわたしなら、遺族の気持ちに寄り添えるのではないか……〉
と考え、
それでも一時的な気持ちの高ぶりかもしれないと、
2年かけて自分の意思に揺るぎがないことを確かめ、
この仕事に就くことを選択したそうだ。


小島美羽さんがミニチュアを作る理由は、
孤独死の現実を知ってほしいのに、
伝えられない、伝えてもらえないと、悩んでいた時期があり、
そのときに思いついたのが、ミニチュアだったという。
実際に孤独死が起きた現場の写真では、
見る人にショックを与えてしまうし、
故人を晒(さら)し者にしてしまう恐れがある。
遺族にも悲しい記憶を思い起こさせてしまうのではないかという心配がある。
〈だが、模型であれば、生々しくなりすぎず、見てもらいやすいのではないか……〉
そう考えた小島美羽さんは、
ミニチュアなどこれまで作ったこともないのに、
自腹で道具や材料を買い、
仕事の空き時間などを利用して試行錯誤で制作を始めたそうだ。


小島美羽さんが制作したミニチュアに、
ごみ屋敷と化した孤独死した人の部屋があった。
このミニチュアを見た人は誰もが一様に、
「わたしはきれい好きだから、そうはならないわ」
と言うそうだ。
だが、誰しも、ちょっとしたきっかけで、ごみを溜め込んでしまうことがあるとのこと。


仕事が激務で、家に帰っても何もする気が起きない人、、
夜勤で朝にごみを出せない人、
いつのまにか認知症になってしまった人などの他、
家族や友人の事故死、病死など、大切な人との死別、
恋人と別離、結婚相手との離婚など、愛する人との別れ、
最愛のペットとの別れ、
仕事上の雇用契約打ち切り、解雇など、
誰にでも起こりうる突然の喪失が、
人を無気力にさせ、
部屋がごみ屋敷となっていく。
そして、孤独死へとつながっていく……



孤独死した人の死因のなかで、
自殺の占める割合は11%で、意外に高い。
世間との接触を絶っている人の自殺は、発見されるまでに時間がかかり、
自殺がそのまま孤独死となってしまうからだ。

自分が死んだあとで他人に迷惑をかけないようにと、床にブルーシートを敷いて、
体液などで床が汚れないようにしている人もいたりするが、
実際にブルーシートで体液の浸出は食い止めることはできても、
腐敗臭や害虫の発生により、特殊清掃やリフォームの費用がかかるし、
部屋が事故物件扱いになってしまったことで、
遺族は、大家や管理会社から多額の賠償金を請求されたりするそうだ。
そういった現実的なリスクもさることながら、
やはり、何より、遺族や発見者の悲痛な想いは計り知れない。


小島美羽さんが勤める会社の社長は、
十代の頃に、恋人の女性を自殺で亡くしている。

独身を貫いている社長といっしょに作業にあたることが多いが、彼が自殺の現場で何を想うのか、わたしはいまだに訊けないでいる。(99頁)



飼い主が孤独死をすると、部屋に残されたペットの行き先は遺族の判断にゆだねられる。
真っ先に「殺処分」という選択肢を選ぶケースも少なくないという。
遺族がペット不可の物件に住んでいたり、
動物が嫌いだったり、
喘息などの持病があったり、
猫より犬が好きだったりと、
引き取って飼うことのできない、やむを得ない事情がそれぞれにあるからだ。
また、傾向として、犬や猫を飼っていて孤独死した人の多くが、多数飼いをしており、
その場合、大抵、家のなかはごみ屋敷化しているそうだ。
こうした孤独死の現場では、床一面にペットの糞尿が山となり、悪臭もひどい。
飼い主の死後、残っていた餌や水は減っていき、運よく生きながらえる場合もあるが、力尽きて死んでしまうペットも多い。
人の遺体は警察などが運び出すが、
動物の死骸はそのまま取り残されているとか。
運よく生きながらえたペットに出会えた場合は、
小島美羽さんは、新しい飼い主を探すそうだ。

こうして、ペットたちが残された現場に出くわすたびに考えてしまう。
当たり前のことだが、飼い主とペットの寿命は同時には終わらない。最愛のペットの幸せを祈るのであれば、自分の死の「先」まで考えておく必要があるのではないかと。
(118頁)



当然のことながら、経済的に豊かな人でも孤独死はする。
高級マンションは防音対策がなされ、密室度が高く、オートロック式で、
暮らすには快適な空間であるが、
こうした設備が整っているからこそ、死後、発見が遅れることがあるそうだ。


隙間風が入ってこないほど密閉された部屋では、死後何ヶ月も経っているにもかかわらず、
死臭が外に漏れ出さないため、なかなか異変に気づいてもらえないのだ。



若者、老人に関係なく、
女性、男性に関係なく、
一人暮らしの者、二世帯住宅に住む者に関係なく、
貧しき者、富める者にも関係なく、
誰にも死は訪れるし、
「絶対に孤独死はしない!」
と言い切れる特別な人間はいない。
誰しも孤独死する可能性があるし、
最期の瞬間に、
傍らに誰か居ようが居まいが、
〈いい人生だった…〉
と思えるよう、
一日一日を、瞬間瞬間を、大切に生きていかなければならない。


小島美羽さんは、すべての作業が終了すると、
玄関先に線香を灯して仏花を飾る。
しかし、部屋に何か残すわけにいかないので、すぐにそれらは撤去する。
たった5分のあいだ供えるためだけに、20分かけて仏花を買いに走るのは、
故人が慣れ親しんだこの部屋の最後を「締めくくる」ため、
そして、突然身内を亡くしてしまった遺族の気持ちに「区切り」をつけるためだ。
依頼人が見ているわけではないし、そもそもそこまでの仕事は求められてはいない。
だが、小島美羽さんは、故人のことを家族のように思いながらいつも作業をしている。
だから、徹底的に部屋をきれいにし、弔う。
私がもし孤独死をした場合、
小島美羽さんのような人に遺品整理をしてもらい、弔ってもらったならば、
どんなにか幸せなことだろうと思った。


本の扉にあった彼女のプロフィールを見ていたら、
今日(8月17日)が(29歳の)誕生日だということが判った。


小島美羽さんの20代最後の一年が素晴らしいものでありますように……

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