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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

土曜のライブ(その2)

2005年06月04日 | 日記
Kishida Kunio氏をまったく知らない私は少し不安であった。20時、バンド登場。ギュイーンというギターの音を聴き、安堵した。アコギの「仙台」という曲は良かったし、「ブルース」での泣きのフレーズてんこ盛りに痺れまくった。

観客が自然にノッてきているのがわかった。キーボードのおっちゃんの熱演もその要因の一つであろう。アンコールで何と(事前の打ち合わせはなかったと思われる)「クロスローズ」のリフが出てくるではないか。


この曲での会場の盛り上がりはほんとに凄かった。Dr.Gen氏のソロも冴えていた。終演は22時10分。『いいコンサートだった。』と心から思えた。外に出ると涼しい風が吹いていた。
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土曜のライブ(その1)

2005年06月04日 | 日記
本通りには露店が出ていた。夜店が始まったようだ。18時半、会場へ。ジントニックを持って2列目の席に座った。

19時、前座のDr.Gen & The Sunsets登場。数曲アコースティックでやった後、エレキに持ち替えた。ブルースを1曲演奏してからクリームのナンバーをたて続けに5曲。

「悪い星の下に」がセットリストに入っていたのは予想外であった。「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」が終わったのは19時50分頃である。
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若かりし頃(その10)

2005年06月04日 | 学生時代
〝ろくでなし〟は兵庫のN田高校出というのが信じられないほどの天然ボケであった。彼はマンドリン部に入っていた。その腕前をほめた者を私は知らぬ。

博多っ子の〝ひでえ〟は、〝元締め〟に冷たくあしらわれると『ひっでえ~』と口癖のように言っていた。痩せの大食いとしても知られていた。

広島時代の写真は皆無に近い、あれほど付き合いがあったにもかかわらず、私達は写真を撮らなかった。卒業間際に元締めの部屋で撮った四人一緒の写真が二枚現存するのみである。
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若かりし頃(その9)

2005年06月04日 | 学生時代
英語の時間に私の近くに座っていた〝元締め〟と話をするようになった。そして〝ろくでなし〟と〝ひでえ〟が加わり、四人組のようなものができた。

リーダーは決断力のある大阪出身の元締めであった。彼は何度か自分の下宿で食事会を開き、貧しい私達を招いてくれた。

ただし、雨の日は必ず中止になった。私はその理由がよく分からなかった。後年、彼の口から『わざわざ雨の中、来てもらうのは申し訳ないというのもあった』と事実が語られた。
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