浄土真宗本願寺派「日照山千暁寺(せんぎょうじ)」‥‥‥寺の名は宇品港を建設し宇品新開を干拓した広島県令・千田貞暁(せんださだあき)に由来する。鐘楼門前の道路が御幸通りである。通りを南下して広島高速3号線の手前で右折すると側道緑地帯に石造物が見える。
明治18年(1885)に天皇が広島を訪問したことを記念して松がこの近く(※御幸通りの南端)に植えられた(が、その後枯れてしまう)。御幸松の碑(※被爆建造物)裏面の銅板には【御幸松之記…(中略)…明治四十二年一月 廣島市長高束康一撰】という文字が刻まれていた。碑は道路拡張工事のため昭和45年(1970)に「千田廟公園」に移設され平成22年(2010)に現在地に戻された。
明治18年(1885)に天皇が広島を訪問したことを記念して松がこの近く(※御幸通りの南端)に植えられた(が、その後枯れてしまう)。御幸松の碑(※被爆建造物)裏面の銅板には【御幸松之記…(中略)…明治四十二年一月 廣島市長高束康一撰】という文字が刻まれていた。碑は道路拡張工事のため昭和45年(1970)に「千田廟公園」に移設され平成22年(2010)に現在地に戻された。