本日、
。
昨日は、先日の
で田んぼが水浸しになり、まだどろどろなので稲刈りをお休みにしました。
そんな矢先、シャロムヒュッテで上映する『TOKYOアイヌ』の試写会を実行委員の友人から教えてもらいましたので行ってきました。
アイヌ=(アイヌ語で人間)という意味です。
一見、自然栽培と関係なさそうな日本の先住民族。といっても2010年8月までは、日本政府は日本を単独民族国家であると主張し、アイヌを先住民族と認めなかった歴史があります。

シャロムヒュッテのオーナーの臼井さん。このフリースペースで来月の11月3日「たねの交換会」が行われます。


今回の映画の森谷監督。
『TOKYOアイヌ』http://www.2kamuymintara.com/film/index.htm
は、「アイヌの映画を作って! 私たちの声を残してほしい!」
と首都圏に暮らす五千人とも一万人ともいわれるアイヌたちのその一人のアイヌのフチ(おばあさんの尊称)の一言が、すべての始まりだったそうです。

彼を知ったのは、彼の撮影したドキュメント番組メイナク族からでした。
この写真展は、シャロムヒュッテの2階で常設しています。
メイナク族には「愛」、「幸せ」や「自然」いう言葉がありません。
日常の生活が「自然」と一体で、「自然」じゃない状態がなく。
「幸せ」に暮らし、「愛」することのない暮らしがないため、言葉にないそうです。
つまり、言葉が生まれる背景には、それを失う背景があるようです。
日本にも以前は自然という言葉はありませんでした。「自然芋」を「じねんじょ」と呼ぶことはありましたが。
Naturという英語が日本に入ってきた明治時代に、このネイチャーという言葉をどのように訳したらいいのかという問題に日本人はぶつかったそうです。
今でこそ、自然という言葉は一般的で、農の世界でも「自然農」「自然農法」「自然栽培」などと多く使われています。
自然と切り離され、自然を意識するからでしょうか?
特別な「自然」を作るのではなく、そこにある「自然の営み」を活かして育むところに自然農や自然農法はあると感じています。
今回、アイヌという異なる体験から改めて日本人としてのアイデンティティーが問われました。
試写会を観た方の中に継承文化の薄い日本人として、しっかりした継承文化のあるアイヌに憧れたと多くの感想がありました。
私個人としては、戦後失われた継承文化を復興させたい気持ちと、固有のアイデンティティー以前の人に備わったアイデンティティーの原石のような大切な何かを今この瞬間から大切に育みながら生きていきたいと思いました。

昨日は、先日の

そんな矢先、シャロムヒュッテで上映する『TOKYOアイヌ』の試写会を実行委員の友人から教えてもらいましたので行ってきました。
アイヌ=(アイヌ語で人間)という意味です。
一見、自然栽培と関係なさそうな日本の先住民族。といっても2010年8月までは、日本政府は日本を単独民族国家であると主張し、アイヌを先住民族と認めなかった歴史があります。

シャロムヒュッテのオーナーの臼井さん。このフリースペースで来月の11月3日「たねの交換会」が行われます。


今回の映画の森谷監督。
『TOKYOアイヌ』http://www.2kamuymintara.com/film/index.htm
は、「アイヌの映画を作って! 私たちの声を残してほしい!」
と首都圏に暮らす五千人とも一万人ともいわれるアイヌたちのその一人のアイヌのフチ(おばあさんの尊称)の一言が、すべての始まりだったそうです。

彼を知ったのは、彼の撮影したドキュメント番組メイナク族からでした。
この写真展は、シャロムヒュッテの2階で常設しています。
メイナク族には「愛」、「幸せ」や「自然」いう言葉がありません。
日常の生活が「自然」と一体で、「自然」じゃない状態がなく。
「幸せ」に暮らし、「愛」することのない暮らしがないため、言葉にないそうです。
つまり、言葉が生まれる背景には、それを失う背景があるようです。
日本にも以前は自然という言葉はありませんでした。「自然芋」を「じねんじょ」と呼ぶことはありましたが。
Naturという英語が日本に入ってきた明治時代に、このネイチャーという言葉をどのように訳したらいいのかという問題に日本人はぶつかったそうです。
今でこそ、自然という言葉は一般的で、農の世界でも「自然農」「自然農法」「自然栽培」などと多く使われています。
自然と切り離され、自然を意識するからでしょうか?
特別な「自然」を作るのではなく、そこにある「自然の営み」を活かして育むところに自然農や自然農法はあると感じています。
今回、アイヌという異なる体験から改めて日本人としてのアイデンティティーが問われました。
試写会を観た方の中に継承文化の薄い日本人として、しっかりした継承文化のあるアイヌに憧れたと多くの感想がありました。
私個人としては、戦後失われた継承文化を復興させたい気持ちと、固有のアイデンティティー以前の人に備わったアイデンティティーの原石のような大切な何かを今この瞬間から大切に育みながら生きていきたいと思いました。