Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.2.3.司祭の連合の激励

2009年12月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
II. 抵抗運動と再建を組織する

司祭の連合の激励

 1969年3月8日を“聖伝主義者運動(traditionalist movement)”の創立日として語るのは誤りだろう。実際そのような運動はまったくなかった。しかしながら、創意に富んだその知性がアイデアでみなぎるルフェーブル大司教は、“聖伝の傾向を持つ信徒たちの様々な運動を擁護するための国際事務局をローマで開局すること”についてしばらく思案していた。デ・サヴェンテム博士 (Dr. de Saventem) は、フォルテス・イン・フィデ誌が秘めている何か別の発展性を大司教が考案してくれるようにと促し、信仰と聖職者規律の防衛戦の中で司祭たちのグループ作りのためにここかしこで設立されているこれら司祭連合を援助する「国際的な事務局の、霊的かつ運営上の骨組みをお与えください」と頼んだ。

 既に大司教は、コアッシュ神父と、カトリック信者の必携書(Vade Mecum)にその名を登録している司祭たちを支援していた。 ルフェーブル大司教は「カトリック信仰と、カトリック倫理と、カトリックの礼拝(これはカトリック信仰の表現であり実りである)を保全するために彼らが従事している良い戦いにおいて」司祭たちを激励していた。ルフェーブル大司教はこう書いている。「願わくは天主が彼らの活動を祝福し給わんことを!」

 さらにルフェーブル大司教は、バルセロナでアソシアシオン・デ・サセルドーテス・イ・レリヒオーソス・デ・サン・アントニオ・マリア・クラレット(Asociacion de sacerdotes y religious de San Antonio Maria Claret = 聖アントニオ・マリア・クラレの司祭・修道士連合 )と接触した。彼はこのような7つの連合のリストを作成した。その中には、“教皇の教えを強調する事により誤った教義の拡散を防ぐ”ことを目的としてイギリスのポールゲート(Polegate)で創立されたJ.W.フラナガン神父のケファス(Cephas)連合と、フランスのカノン・エチエン・カッタ(Chanoine Etienne Catta)により創立されたオプス・サチェルドターレ(Opus Sacerdotale)があった。

 何百という司祭たちが1969年にセゴヴィア(Segovia)で開催された会議に集まり、11月11日には、バルセロナのあるグループが新しいミサを通して「善良な人々を異端の中に放り込むという責務」を拒絶する6千名の同グループ司祭メンバーらにより署名された嘆願書をブニー二(Bugnini)神父とパウロ六世に送った。

 しかしながら、この6千名のうち、この決意に忠実だったのは極僅かであった。さらに、国際司祭連合会議が、国際的な連盟という案について検討するため、1970年2月にマドリッドで開催されたとき、典礼刷新を拒否すること対する満場一致と根気強さの欠落により、この案は同意に至ることが出来なかった。

 良心との苦しい論争の後、多くの司祭らは刷新されたミサを取り入れたが、それは霊魂の死であった。そのうちの一人がフィレンツェの大司教区所属の司祭で、この司祭は1969年6月、チェラダ(Celada)司教宛に手紙を書いている。

「私は描写不可能な霊魂の状態に生きています。私は苦しみ、時折、苦い涙を流しています。あの日付【新しいミサを捧げなければならなくなる日のこと】が近づくにつれ、私は恐怖のうちにその日を思い身震いします。私は、この“ミサ”を捧げるのことからの免除を嘆願するために、パウロ六世に手紙を書く、又は教皇の足元に馳せ参じてこの身を投げ出したいと思います。」

ルフェーブル大司教はこう言うだろう。
「私はこの新しいミサを捧げなければならないという悲痛により亡くなった司祭たちを知っていた」と。さらに加えて、永久のミサ(la Messe de toujours)に忠実に留まったがために司教たちから迫害され、小教区からは追放され、長上からは左遷されたが、まれに見る気性の強さと、英雄的徳がもたらす耐久力によって、これらの試練を乗り越えた司祭たちを知っている、と。

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Dars

2009年12月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年は、司祭聖年で、アルスの聖司祭を模範にしています。告解室にほとんどいらして秘跡を与え続けた聖ビアンネー神父様。ミサ聖祭と悔しゅんの秘跡と要理に人生の全てを使った聖なる司祭。

 知的生活の模倣さんのご指摘にありますように、愛する兄弟姉妹の皆様の告解が増えて大変嬉しく思います。一昨日の主日は、有志の方々の協力で祭壇がすでに8時50分には完成していました!愛する兄弟姉妹の皆様がたくさん告解をすればするほど、私も聖なるビアンネー神父様にあやかることができます。ご協力を感謝いたします。アルスの聖司祭。Saint Cure d'Ars

 そんなとき、JRの山手線の車体に広告がありました。DARS と。司祭聖年にぴったり?

 今日は冬至、あと少しで私たちの主イエズス・キリストのご降誕です!!告解で清められた私たちの心に、幼子イエズス様が御生まれになって、太陽の日が伸びるように、私たちの中でイエズス・キリストが大きくなりますように! ABCDEFGHI !.A から始まって、徐々に、天主と人との前で成長しますように!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.2.2.聖伝定期刊行物の一致

2009年12月22日 | ルフェーブル大司教の伝記
II. 抵抗運動と再建を組織する

聖伝定期刊行物の一致

 ルフェーブル大司教が結んだ、世界中の主たる聖伝関係誌の管理者たちとの絆は、フォルテス・イン・フィデ誌を聖伝関係の定期刊行雑誌作成に役立つ国際情報誌に変えようというアイデアをルフェーブル大司教に与えた。たった30名の司教たちだけが、フォルテス・イン・フィデ誌に関心を持ち続ける一方で、総長職を辞任していた大司教には、もはや自分のために記事を翻訳してくれる聖霊修道会士たちの援助はなかった。

 カサルモンフェッラート街道(Via Casalmonferrato)の新しいアパートに移って後、ルフェーブル大司教はヨーロッパの様々な場所を訪問した。「私は信仰維持のためにいよいよもって働きたい」という彼の言葉がその理由を示している。

 すばらしい雑誌が既に存在していた。フランスには、Ch.P. ドナザンの発行で、ドン・エドゥアール・ギユー(Dom Edouard Guillou)神父によって編集されていたヌヴェル・ドゥ・クレチアンテ(Nouvells de Chrétienté=キリスト教世界のニュース)誌、さらにジル・ドゥ・クサン(Gile de Couessin)の会報CICESの会報の中で発行されていた、アンドレ・リュック(André Lucq)のルヴュ・ドゥ・ラ・プレス・アンテルナシオナル(Revue de la Press Internationale=国際出版誌)があった。またルフェーブル大司教は自分の雑誌であるフォルテス・イン・フィデの名称をそのままに保ったままで、1969年3月から、公文書をそのまま伝えるコピーの週刊誌となり、毎週世界中の40に及ぶ全ての雑誌社に送られるようになった。これにより、論争的文書を、大司教は自由に供給できるようになった。例えば、ルイ・コアッシュ(Louis Coache) 神父(新たに創設されたコンバ・ドゥ・ラ・フワ(Combat de la Foi = 信仰の闘い)誌の編集主幹)が1968年6月16日の御聖体の大祝日の式典への次のような招待状:「私は、司祭と信徒たちこのヴェクセン(Vexin)地方に群れをなして来て、天主への愛と、近代の異端に反対し、永久のへの忠実を宣言するように招待します」、或いは、コアッシュ神父のパンフレット『私たちの教会を浄めよう』の引用で、これは各自が所属する地元の教会のパンフレットの棚から「カトリックと言われているが、実を言えば反カトリックである、いわゆるカトリック定期刊行物」を撤去するように信徒たちに訴えていた。このコアッシュ神父は説明した。「この刊行物は無料で提供されているし、寄付をそこの献金箱に入れるのは共犯となるだろう。カトリック信徒らよ、良心に従って行動するように!」
 さらに、1964年から、当時総長だった大司教は、「“卑猥で非道徳”である自称カトリック誌が、小神学校や宣教校(econles apostoliquesの訳、例えばサン・チラン Saint-Ilan にあった)に浸透しないように対抗策をとった。

 不安になった家族の或る母親の為に、大司教は書簡を送った。
「残念ながら、これらの刊行物は権威を横回りして導入され得るのです。実際に、それは全ての教区や学校に置かれています。これは正気とは言えません! 私はこれらの雑誌に反対する運動を支援するため、可能な限りの事は全てしていると保障します。これらの雑誌が司教たちによって認可されているという考えに私は憤慨しています。もはや自分がフランスの司教ではなくなることを遺憾に思います。何故なら、私は疑う余地もなく公然と抗議していたことでしょうから。抗議は私にとって難しくなりました。裁治権がここフランスにはないからです。」

 他方で、1968年に、自称カトリックの極めて有害な内容の定期刊行物に反対する戦いを公然と支援するために、大司教は再びその全自由を取り戻した。

 フォルテス・イン・フィデ誌が提供する協働は、もっと一致した戦いのために強調を必要としていた。そのためにルフェーブル大司教は、1969年3月8日にローマにおいて、新聞や定期刊行物の編集長たちのために会議を開いた。このささやかな聖伝の出版者の会議は成功した。その中には、例えばレーゲンスブルクから来たインゲ・ケーック(Dr. Inge Köck)博士がいる。彼女はフォルテス・イン・フィデ誌の翻訳者で、イティネレール誌の読者であり、さらにヌンク・エト・センペール(Nunc et Semper)誌の共同創立者でもあり、大司教に宛てて「非常に有益で励みとなったローマでの記憶に残る数日」を感謝する手紙を書いた。
 大司教の一つにまとめる活動は14カ国における37誌の活動編成にまで広がった。ルフェーブル大司教の精神的権威は確立し、司教たちの警告によって排除された 聖伝の定期刊行物部門の勇気を奮い立たせた。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.2.1.再建覚悟の司教たちのグループを作る

2009年12月21日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅱ. レジスタンスと再建を組織する


再建覚悟の司教たちのグループを作る
 ルフェーブル大司教は思い出をこう語っている。
「公会議の終わりに、私たちは、もっとも活動的で熱心で、かつ堅固なチェトゥスのメンバーたち--30人程いたのですが--と一緒に、解散前の慎ましい懇親会、兄弟的な食事会を催しました。記念撮影をし、聖伝のための闘争を続けていけるように、私たちは、自分たちの間で会報を出版するという約束を交わしました。」

 これはルフェーブル大司教自身のアイデアであった。つまりローマの精神を共有する司教たちの間で、大司教の友人であるフランチェスコ・レオニ教授(Francesco Leoni)が、自分の雑誌レラツィオーニ(Relazioni)誌を通して、聖伝カトリック精神をもって政治、経済学の分野においてなしていたことを実現することであった。

 御自分の約束を忠実に守り、大司教は、1966年2月20日、多言語による司教間の情報と批判と戦いの情報紙の発行プロジェクトを通知した。これは、司教たちが“進歩主義に対抗し且つ公会議の健全な解釈のために役立つ実用的な対策を取る”手助けとなるだろうし、司教たちが“好機を逃さずに世界規模で一斉行動を取る”ように準備し、いずれにせよ“真理の防衛と促進というローマの責務遂行を容易にする”だろう。

 シンナダの大司教であったシガウド大司教に手紙を書く際、大司教はこう正確に加筆した。
「御自分が信頼を置いた人々が公教会をその滅亡に導いているという事を理解する時、教皇様は、世界中に存在する、(公教会)再建の準備が出来ている司教たちのグループに気づかれるだろう。残念ながら、その時は未だ今日ではない。なぜなら教皇様ご自身、御自分が方針を変えなければならないし、このような転換は苦しみを伴うであろう。」

 当初、ノティツィエ・ポストコンチリアーレス(Notitiae Postconciliares)と呼ばれるはずだったこの雑誌は、決してその名称をもって出版されることはなかった。事実、地域の優れた寄稿者たちを発掘するには時間が掛かり、御摂理がこの任務開始の合図を大司教に与えたのは1966年7月の事であった。

 ロモン通り (Rue Lhomond) の本部を訪問した際に、電話がなり、大司教はローマに飛び立つ準備をした。時間切れで、総長はオルリー空港での面会に同意したようである。スピーカから自分の名前が呼ばれるのを耳にして、大司教はフロントに行き、クロード・キヌ―ル(Lady Claude Kinnoull)卿夫人と面会した。彼女はフランスで教育を受け、現在はカルフォルニアで生活するスコットランド系伯爵夫人であり、レオン・ドゥ・ポンセン(Leon de Poncins)氏の親友だった。

「これは大司教様のお仕事のために持ってきた寄付です」と彼女は言った、「私は喜んで何度でもこういたします。」

 実にその通りに、彼女が自分の右腕であるイギリス人法律家ヴェルノール・マイルズ(Vernor Miles)氏を通して何度も行うことだろう。

 この予想外の贈与と、さらにオッタヴィアーニ枢機卿とシリ枢機卿との両枢機卿からの激励を得て、ルフェーブル大司教はIBMのタイプライターと、オフセット印刷機、そして“念入りで見栄えの良い仕事”を確保するためのコピー機を購入した。レラツィオーニ誌は雑誌作成の為の事務所を大司教に提供した。この雑誌は、最終的に1967年8月、フォルテス・イン・フィデ(Fortes in Fide=信仰における強者)という、より好戦的な名称で出版された。
カスタン・ラコマ(Castan Lacoma)司教は、自分の司教区の司祭たちの一人で、ローマに留学中のパドレ・ルイス・ビエジョ・モントリオ(Luis Viejo Montolio)神父がこの雑誌の出版事務所の任務に着くのを許可した。他方で、カルメル会修道司祭のフィリップ・ドゥ・ラ・トゥリ二テ(Philippe de la Trinité=聖三位一体のフィリップ)神父も出版事務所で共に働いた。

 フォルテス・イン・フィデ誌の創刊号は、カルリ(Carli)司教の司教書簡や、グラベール(Graber)大司教の説教、さらにピエール・ヴィリオン(Pierre Virion)氏の著書『世界統一政府の前に超対立教会が?(Avant le gouvernement mondial, une super contre-Eglise?)』の書評を掲載した。しかしながら、司教たちの協力、しかも最も優れた司教たちまでが参加したことは、これがデリケートであることを明らかにした。ルフェーブル大司教がカンポスまで行って訪問することを提案していたカストロ・マイヤー司教は、ルフェーブル大司教にこう返事をした。
「私たち― 貴方や、シガウド大司教、そして私 ―にとって、匿名でいられる別のもっと大きい街で会合する方が好ましい。・・・さらに、もしサン・パウロ州の都会から車で2時間行ったところにある農家で・・・会合する事ができるならばもっと都合がいい。」
加えて、カストロ・マイヤー司教によれば、ディアマンティーナ(Diamantina)にいるシガウド大司教の下にいる聖職者は“数人の例外を除けば、刷新に賛成であり、さらに残念ながら、シガウド大司教は、特に彼の最近の病気以後、このような状況に立ち向かう勇気をもはや持ち合わせていない。”

 石橋を叩いて渡るようなシオンのノストル・アダム(Nostor Adam)司教は、一年前、この会報立ち上げに心からの歓迎を表明していたが、この雑誌を自ら定期購読せずまたそこに自分の司牧書簡を掲載させないのが良いだろうと判断するとし、その理解を求めてきた。

 後援者たちのお陰で、この雑誌は数百名の講読者だけで細々と生き延びた。しかし、司教間の絆というアイデアは実現不可能であることが分かってきた。そうこうするうちに大司教はローマに土地を賃借し、良質な書籍を販売する国際書店を開いた。それは1968年と1969年の間営業されていた。 

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天主様に感謝

2009年12月20日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 待降節第四主日です。今月はミサ聖祭参加は、大阪の土曜日に19名(20名?)、東京で35名の愛する兄弟姉妹の皆様が聖伝のミサ聖祭の恵みに与りました。懐かしいお友達もいらして大変幸福でした。今回は、健康状態のためにミサ聖祭に与れない愛する兄弟姉妹の皆様も数名おられました。お大事にお願いいたします!!

 また、約2年の要理の勉強を終えて、ヨゼフさんが受洗の恵みを受けられました。天主様に感謝いたします!!

 ところで、伊東半島では地震が17日から続いています。富士山に何もないことを祈ります。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.1.3.知的独裁を粉砕して

2009年12月20日 | ルフェーブル大司教の伝記
第15章 レジスタンス憲章(1965-69年)
I. イデオロギー的抑圧との戦い


知的独裁を粉砕して
 公会議はまだ閉会していなかったが、新近代主義派は、教会の司法制度や行政、さらにマスメディアを支配していた。1965年の5月、年の終わりにまでに、「公会議の決定に反発して、独立心の強い一部のグループが離教」を引き起こし、信教の自由と概要XIIIの発布後に「彼らの混乱は増すだろう」と彼らは既に断言していた。

 イティネレール誌上で、カルメル(Calmel)神父は、支配的な進歩主義諸勢力の過激で陰険なものに成りつつあった、“社会学的追放”の実践を非難した。彼らは人々を完全に排除するために、離教と呼んでいたのである。しかしながら、フランス(そしてその他の場所)におけるカトリック・レジスタンスの“指導的人物”の誰一人としてこの公会議の決定に疑問視する些細な意図も現さなかった。ルフェーブル大司教も、その解説の中に、ジャン・マディランのような著名な信徒もイティネレール誌に、ジャン・ウセー(Jean Ousset)氏もヴェルブ(Verb) 誌に、またマルセル・クレマン(Marcel Clément)氏も、ロム・ヌーヴォー(L’Homme Nouveau)誌の中に、その疑問を現さなかった。

 ジャン・マディラン氏は、1965年7月にそのことを説明していた。
 同じイティネレール誌1965年7月号の中で、ルフェーブル大司教は、“新しい教導権たる世論”というものを、何時もの率直な方法で告発した。

 この記事の結びに、ルフェーブル大司教は、それぞれの司教たちのために、“指導”となる傾向があった司教団の奉仕に対して、各司教が自由でいられるよう要求した。
 大司教は言った。
「大多数の司教が少数の司教に対して、投票のゲームだけでもって無理強いするのはあってはならないことである。それは司教の権威の終焉となるだろう . . .司教は自分の司教区では完全に自由に留まらなければならない。さもなければ、司教は単なる公務員に、そして未成年に他ならなくなる。」

 フランスの司教たちの指導中核は自分たちが非難されていると感じたと結論を下さなければならない。何故なら、彼らがルフェーブル枢機卿を、その余りにも騒がしい従兄弟(ルフェーブル大司教)に警告させるために送ったからである。
「6月6日のあなたの記事と復活の火曜日にオゾン(Ozon)のベネディクト会士たちになされた講話で、あなたが行ったフランス司教団への攻撃の後、司教団は聖座に助力を求めようとする意向を持った。しかしながら大司教様の行いに関して、司教団はその苦しみと非難をあなたに知らせるように私に依頼した。」

 大司教は鋭く答えた。
「全司教たちに自分たちの考え方を押し付けようとする、司教団のある有力なメンバーの主張は認められない。それは、まさに司教の本性と、思想への最も基本的かつ合法的な自由に反している。思想支配を望む意志は、司教団事務局からのメモや、司教たちの司教の公式機関により公に支援されている定期刊行物、特にラ・クルワ(La Croix)誌を見ても、さらに司教事務局で働く神学者らの選考から見てもますます明確になっている。この方針と同調しない司教たちに反対してなされるのが絶対的な排他主義である。
 現在、司教団のこれら有力メンバーたちが強要したいと望む思想の傾向は、間違いなくリベラルであり、一般的に言えばそれは聖伝によるカトリック神学に背いている。. .. 多くの司教たちは、個人的には、同調主義者では全くない。しかし叱責と定期刊行物による批評を恐れるあまり、あえて公然と行動しない。司教らを掌握するこの知的独裁は容認することが出ない。」


 このイデオロギーによる抑圧を粉砕し、誤謬の侵略を撃退するために、ルフェーブル大司教には、これから御覧になるように、チェトゥス(Coetus)のメンバーだった司教たちとの絆を確立するというアイデアがあった。

 結末としてこのことを付け加えよう。3年後、例の“義務的基礎”に基づいて作成された最新の公教要理が出版された際、ルフェーブル大司教は個人的にこの闘争に深く関わった。デファンス・デュ・フワィェ(=家族の防衛 Defense du Foyer)の理事、ピエール・ルメール(Pierre Lemaire)によって出版されたパンフレットには『新しい公教要理についてどう考えるべきか?』という題がついていた。この小冊子を、1968年11月のルルドにおける司教会議前日、フランスの司教たちは受け取った。そこにはルフェーブル大司教が次のように書いて署名していた。
「フランスの教会は天主の呪いを自らの上に招いている。子供たちはパンを求めていたのに、サソリを与えてしまった。」

 ブルジュ(Bourges)の従兄弟であるルフェーブル枢機卿は怒り、ルフェーブル大司教が“疑いと不信”を投げる“全ての司教たち”が、“悲しみ驚いて”いる、と何度目になるのか、大司教に手紙を書いた。しかしながら、異端の疑いがある公教要理を何度も著したこの枢機卿こそが、ベルト神父から正しくも次のような称号を受けることになった。「圧政の歩兵」と。

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アッジョルナメントとは

2009年12月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 大阪での聖伝のミサ聖祭は大変幸福に捧げることが出来ました。天主様に感謝します。
 愛する兄弟姉妹の皆様とお会い出来たのも幸福です。

 さて、アッジョルナメント(aggiornamento)、あるいはアジョルナメントとは、イタリア語で、今日化とか現代化とかアップデート化とかという意味です。.Aggiornamento の ag は、ラテン語の ad (英語の Up to に相当)から由来しました。次の giorno はラテン語の diurnum (英語の Day に相当)から来ています。

 第二バチカン公会議のモットーとしてアッジョルナメントという言葉が有名になりました。現実は、現代化(アッジョルナメント)の名前で、世俗化(非神聖化)、民主化(万民司祭化)、人民民主主義化(共産化)、人間中心化してしまいました。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

今日、豪州の神学校で

2009年12月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日、豪州の聖ピオ十世会、聖十字架神学校で、二名の司祭が誕生します。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

 また今回、来年のカレンダーをお持ちしました。ミサ聖祭で、お会いいたしましょう!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.1.2.自然主義的グノーシス

2009年12月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
第15章 レジスタンス憲章(1965-69年)
I. イデオロギー的抑圧との戦い

自然主義的グノーシス
 しかしながら、権威の危機は、信仰そのものの危機の媒介でしかなかった。大司教は友人であるリュク・J・ルフェーブル(Luc J. Lefevbre)神父によって出版されている雑誌の数ページの中で、それの本性を暴露している。

 彼は、“天主の権威に絶えず背く人間の傾向”を非難し、新近代主義者たちの著作の中で、“永遠の上智が私たちに旅路を歩ませることを嘉された、救いに至る道を啓示してくださる天主の権威に、理性が如何に対立するのか”を立証した。彼は、根本的な第一原理を、つまり贖罪の原初に横たわる現実を誤らせる事から始まった様々な異端の祖たちに対して、聖ピオ十世が行った非難から引用した。
「原罪、人間の堕落【が否定され】・・・信仰の全構造は完全に破壊されている。」

 人類に必要とされる断続的な進歩に関する合理主義者の第一原理は、次のように「現代世界憲章」の中で公会議において言わせたのではなかったか。
「人類は、静止的世界観から動的・進化的世界観に移行したのである。そこから膨大で複雑な、新しい課題が生じ、それは新たな分析と総合とを要求している。」

 20世紀初頭、レッシング(Lessing)、ヘルダー(Herder)、さらにヘーゲル(Hegel)の後継者らによってこの命題が宗教に応用されると、これは「リベラルで近代主義的なキリスト論」を生み出した。この新しいキリスト論はその当時、レオンス・ドゥ・グランメゾン(Léonce de Grandmaison)神父によって専門的に批評された。

 しかしながら、1967年になると、テイヤール・ドゥ・シャルデン(Teilhard de Chardin)とラーナー(Rahner)らの思想の相続者は、(フランス語で教会認可 imprimaturもなく発行された)「オランダ公教要理」の出版と、フランス公教要理の“義務的基礎(fonds obligatoire)”を出版することを通して、彼らの進化論的かつ合理主義者的グノーシスで当時普及していた一般の公教要理を汚染した。このフランス公教要理の「義務的基礎」は、原罪や小罪、無原罪の御宿りの称号、悪魔、天使、さらに地獄などについて一切言及していないにもかかわらず、1966年に開催されたフランス司教総会によって認可された。その上、メス(Metz)司教区の司教がサンタヴォル(Saint-Avold)でなした宣言は、ジャン・マディラン(Jean Madiran)氏の雑誌イティネレール誌(118、119号)の【これを通してそれを知るに至った】購読者たちを憤慨させた。

 この司教は大胆にもこう言っていた。
「私たちが目にする文明社会で起きているこの変動は、単に私たちの品行においてだけではなく、さらに私たちが抱いている創造の概念や、イエズス・キリストによって成し遂げられた救いについての概念においても変化をもたらしている。もっとも深いところにまで及ぶ疑問視は、新しい司牧だけではなく、さらに、世界に対する天主の御計画の、より福音的-同時により個人的で共同体的な-概念をより深めることになる。」

 集団的な救いと人類の進化に関する知的エリート的な原理に基づいて信仰の与件を再解釈することをルフェーブル大司教は告発していたが、何と当を得た事だろうか! 

 二十世紀のこの異端に反撃するために、教皇パウロ六世は「信仰の年」を強調した。これは、そのメンタリティーに従って“キリスト教に新しい解釈を与えるという希望を無益にも流布している”ことをパウロ六世が非難していた“公会議後のメンタリティー”により明確な対処を講じるために起こされたのだった。1969年6月29日、「信仰の年」の終了に当たり、教皇は、自分の「ペトロの信仰宣言」を行なった。その時、ルフェーブル大司教は希望に満たされて言った。
「これこそ、私たちが楽観主義を取る深い根拠だ。」

 至る所から人々は教皇に視線を向けていた。残念ながら、教皇の行動はしばしばその発言と矛盾していた。例えばローマはあの新しい公教要理を非難せず、奨励さえ与え、他方では、政治(国務聖省)が信仰(教理聖省)の優位に立つという改革によってローマ・クリアはその秩序が覆された。同時に、かつての検邪聖省は単なる“教義普及”のための聖省に還元された。

 教理聖省長官、セペール(Seper)枢機卿は説明した。
「自発教令、『インテグレ・セルヴァンデ』(motu proprio, Integre servande)は、信仰に関する教義に反する誤謬の非難に言及しているが、教理聖省の主な職務が、神学的探求の促進に携わることを強調している。それゆえ、今ではより積極的で動的な観点に強調点が置かれ、その主眼点が移り変わった。」

 ルフェーブル大司教は、元検邪聖省勤務の、ブラウン枢機卿に尋ねた。
「この名義と職務の変更は、取るに足りない表面的な変更ですか、あるいは本質的な変更なのですか?」
「オォ!」枢機卿は答えた「本質的な変更です。それは明らかです!」
大司教はこのように結論を下していた。
「そうです、それはもはや信仰の法廷ではなく、常に‘真理を探究している’世界中から集まった神学者たちからなる委員会を持つ神学研究所です。状況は極めて深刻です。」

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.1.1.公会議後の危機、それは権威の危機

2009年12月18日 | ルフェーブル大司教の伝記
第15章 レジスタンス憲章(1965-69年)

Ⅰ. イデオロギー的圧制との戦い


 マルセル・ルフェーブルにとって公会議の終わりとは、過去4年間に渡るこの激しい戦闘の終わりを意味しなかった。困難ではあったが彼を夢中にさせた聖霊修道会の刷新の責務も、大司教の全熱情を吸収するのに充分ではなかった。公会議と、教会を冒し始めていた危機を思い巡らしながら、彼は残存している聖職者たちの健全な部分によるレジスタンスを組織しようとした。

公会議後の危機、それは権威の危機

 大司教はまだ公会議の権威に疑問を挟む事は相変わらず拒否したが、次のように自問自答した。
「公会議公文書で、特に「現代世界憲章」と信教の自由に関する公文書は、教皇と司教たちによってサインされてしまった。よって私たちはこれらの文書の内容を疑うことは出来ない . . . それにもかかわらず、私たちはどう解釈したらいいのだろうか、例えば、その内側に矛盾をはらんでいる信教の自由に関する公文書はどうやって解釈するのか? この公文書は、聖伝の一点一画も変更されない、と言明して始まるが、実際には、聖伝と何一つ一致していないのである!」

 個人と個人が所有する良心を称賛するこれら公会議公文書の中に、大司教は公会議後にすばやく蔓延している、権威に関しては一般となった危機の原因を悟る事が出来た。

「パーソナリティや、家族の権威を傷つけてまでの子供の個人的良心を高揚させることは、子供たちを不幸にさせ、彼らを、自分たちの両親に対する反抗に至らせる事になる。子供は非常に弱くあまりにも未完全な状態で、不完全でとさえ言うことが出来る状態で生まれて来る。家庭と環境とが教育に及ぼす影響は、御摂理であり、これは天主によって望まれている。真理が、その自分の力によって、人間に真の宗教を指し示すべきであると主張するなら、私たちは天主によって定められた道から脱線しているのである。現実は、天主は、両親によって、さらに信頼に値する証人たちによって宗教の伝達をあらかじめ望み給うたのである。」

 ある人々が信教の自由を通して政教分離を望んでいる国家権力の役割もまた、国民の宗教教育のためにある摂理的なものである。
「カトリック諸国の歴史、カトリック信仰への回心の歴史は、国家によって演じられる摂理的役割を十分に示している。・・・人類の永遠の救いへの到達における国家の貢献は、最重要、さもなければ極めて優勢である。・・・もし国家のあらゆる構造と社会的条件が非宗教的で、無神論的で、無宗教的なら、さらによりひどい事は、もし国家が迫害するのであるなら、「非カトリック教徒たちが改宗し、さらにカトリック教徒たちが信仰に留まるのが容易だ」などと敢えて言うものがいるだろうか? ・・・カトリック諸国家に対して、それらが政教分離し、非キリスト教化し、誤謬と不道徳とが自由に広まるのを無関心に放任し、人間の尊厳という偽りの口実の下で、共通善に損害を与えても個人の良心を高揚しながら、社会を解消させる毒素を持ち込むように励ますことは犯罪的だろう。

 そこからルフェーブル大司教は、具体的な適応に富む聡明な見解の高見に上がった。大司教は結論を下した。権威とは、究極的に、自らの拡散と天主なる最高善へと人間を愛させ、天主に反対する人間を制裁することを切望する天主の愛への参与なのである。従って、国家権力が、宗教に関する事柄において、立法と制裁とを拒否するとき、それは天主の愛を広めることを天主に拒絶することである。


聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.6.3.ホームレスになった司教

2009年12月17日 | ルフェーブル大司教の伝記
VI. 特別総会--辞任

ホームレスになった司教

 大司教は修道会本部を去った。手には質素なスーツケースが一つあった。フランス人神学生が彼を見つけ、そして尋ねた。
「そうやってどこへ行かれるのですか、大司教様?」
「わかりません . . . 」
「お手伝いしましょうか?」
「ありがとう。でも大丈夫ですよ。」

 彼は先ず、11月1日、マキアヴェッリ通り(Via Machiavelli)にある聖霊会館に避難所を見つけた。その少し後で、ヴィッラ・・リトゥアニアにあるカサルモンフェッラート通り(Via Casalmonferrato)にあるリトアニア人神学校に属する修道女たちにより維持されていた小さな寄宿舎に移った。彼は机、衣類戸棚、さらに幾つかの棚を購入した。そして家賃としてやっと支払える9万リラを持っていた。これは、顧問役としての、さらにはアフリカにおける公教要理を担当する委員会の委員長としての肩書きゆえに、毎月彼が布教聖省から受領していたものである。これが、1972年まで大司教が維持された任務であった。

 非キリスト者のための事務局の創設が、事実上、布教を没落させたにもかかわらず、彼は喜んで、アフリカに関して持っている知識を布教聖省が利用できるようにした。しようと思えば彼はアフリカに渡り、自分がかくも大きな重要だと考えていた伝道師(カテキスタ)たちを養成するセンターを訪問することも出来ただろう。しかしこの考えは彼を惹きつけなかった。63才という歳で、さらに実際、“出世の終わり”と言う時に、彼はこのような軽い責務に満足することは出来なかった。彼は内側から自分が押され、しつこく他の仕事をするように強いられるのを感じていた。

 一方で、シガウド枢機卿に打ち明けていたように、彼は1966年以降実現して来たような、刊行物を通しての“進歩主義に反対する戦いに、全面的に専念”したかった。もう一方では、依然として彼は、友人であるモリロ(Morilleau)司教や、親友の相談相手であるミシェル・オカロル神父に打ち明けていた「国際神学校」という着想を常に持っていた。

「オカロル神父様」と大司教はある日、彼に言った。「もしも万が一、修道会を去らなければならなくなったら、私は聖伝の神学校を創立して、三年以内には、150名の神学生を有するようになっているでしょう。」

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【参考資料】温暖化データねつ造疑惑のニュース

2009年12月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「地球温暖化」の話題ですが、そのデータがねつ造されていた疑惑があります。すこし遅くなりましたが、幾つかニュースをお知らせします。もし本当なら「温室ガス25%削減」など見直さなければなりません。ご参考までにどうぞ。


温暖化データねつ造疑惑 衝撃強く、欧米で大騒ぎ
http://www.j-cast.com/2009/12/09055808.html



地球温暖化は捏造か、英大学から流出したメールが問題に
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2671098/4994431


過去150年の 「地球温暖化」 にデータ捏造の疑い―"Climategate"
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/1347921/


「温暖化は捏造」論争が過熱:メール流出で
http://wiredvision.jp/news/200911/2009113022.html


環話Q題 [急]地球温暖化データにねつ造疑惑(09/11/26)
http://eco.nikkei.co.jp/column/kanwaqdai/article.aspx?id=MMECzh000025112009


温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多)
過去1000年の気温変動の虚実(09/11/27)
http://eco.nikkei.co.jp/column/emori_seita/article.aspx?id=MMECza000024112009


太陽黒点100年に1度の低水準 温暖化どころか「寒冷化」?
http://www.j-cast.com/2009/06/09042859.html


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


メシアに関する旧約聖書の黙想(続き)

2009年12月16日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちの主イエズス・キリストの御降誕が近づいてきました。そこでメシアに関する旧約聖書を続けて黙想することを提案します。

 預言者イザヤ(9:6-7)によると、メシアは小さな赤児の姿で私たちに与えられることでしょう。

「私たちのために一人のみどりごが生まれ、子が与えられ、その方には王のしるしがある。
その名は、巧妙な顧問、力ある天主、永遠の父、平和の君ととなえられる。
彼の治めるところは広大、限りなき平和のうちに、ダヴィドの座を、その国を
法と正義をもって今もいつまでも堅め強められる。」


 預言者イザヤ(29:14)によると、メシアは学問のない人々に囲まれ、彼らによって知恵者の智恵を辱めるでしょう。

「見よ、私は不思議なしるしを豊かに与え続けよう。その知恵者の智恵は滅び、賢者の賢さは消える。」

 預言者イザヤ(29:14、61:1)によると、メシアは苦しむ人々や傷ついた人々に教え、慰めるでしょう。

「天主なる主の霊は、私の上にある、主は私に油を注がれた。
苦しむものによい便りを告げ、砕かれた心の傷を巻き、奴隷に自由を、囚人に出獄を告げるために。」


 預言者イザヤ(53:2-3)また智恵の書(2:12-25)によると、メシアは謙遜であり、貧しく、軽蔑されるでしょう。メシアは私たちの罪のために突き刺されるでしょう。

「彼には私たちの目をひくほどの美しさも輝きもなく、楽しめるほどの姿形もない。
彼は、人から軽蔑され、捨てられた。
苦しみの人、苦しみになれた人。
その前では、顔を覆いたくなる、そんな人のように、見下され、無視された人。
実に彼は私たちの労苦を背負い、私たちの苦しみを担った。
私たちは彼を天主に罰せられたもの、打ちのめされ、さげすまれたものと考えた。
彼は私たちの罪のために突き刺され、悪のために押しつぶされ、
私たちを救う罰が彼の上に襲いかかり、その傷のお陰で私たちは癒された。」

「正しいものを陥れよう、彼は邪魔者で、我々の行為を非難し、
律法を批判するわれわれを責め、教育の裏切り者と非難するからだ。
彼は天主を知っていると誇り、自ら「主の子」と名乗っている。
彼は、われわれの考えの生きている非難で、見るだに息苦しい。
その生活は、他の人々と違うし、その行為は一風変わっている。
彼の考えではわれわれは不純物で、汚れたもののように、われわれとはつきあわない。
正しい人の最期は幸せだといい、天主を父にしていると誇っている。
彼の言うことが事実かどうか、やってみよう。
彼がどんな最期を遂げるか見よう。
正しい人が天主の子なら、天主は彼を支え、敵の手から守るだろう。
彼を侮り、苦しめて、試してみよう。そうすればその柔和が分かるだろう。
忍耐が本物かどうかを見よう。
恥ずかしい死の宣告を下してやろう。彼は援軍が来ると言っているのだから。」



 預言者イザヤ(53:7、16:1)によると、メシアは柔和な子羊のようであるでしょう。

「非道に扱われた彼は身を低くし、口を開かず、屠所に引かれる子羊のように、毛を刈る人の前で黙す羊のように、口を開かなかった。」

「地のかしらに子羊を送れ、荒れ野の地の道を通ってシオンの娘の山に送れ。」



 預言者イザヤ(35:4-5)によると、メシアは盲人を癒し、耳しいを癒し、奇跡を行うでしょう。

「元気を出せ、恐れるな、天主を見よ、仇討ちと天主の報いが来る。主は救いに来られる。
その時、盲人は目を開け、耳しいは耳を開く。
その時、足なえはしかのように飛び、おしの舌は喜び叫ぶ。」



 預言者ザカリア(9:9)によると、メシアはロバに乗ってエルサレムに凱旋入城することでしょう。

「シオンの娘よ、喜びいさめ、エルサレムの娘よ、喜び踊れ。
見よ、王が来られる、正しいもの、勝利のものが。
彼は謙虚で、ロバに乗って来られる。子ロバ、雌ロバの子に乗って。」


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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【関連記事】

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.6.2.辞任

2009年12月16日 | ルフェーブル大司教の伝記
VI. 特別総会--辞任

辞任

 翌日9月12日、ルフェーブル大司教は、修道会聖省長官、アントニウッティ(Antoniutti)枢機卿に手紙を書き、総会で起きた事と自分が下した決断について知らせた。それから9月16日に、彼はあの総会で実施された投票の有効性に関する疑念を同聖省に提出した。それはこの投票が会憲に反していたからである。エクレズィエ・サンクテ(Ecclesiae Sanctae)の中で、パウロ六世が会憲の幾つかの規則を ad experimentum (実験的に) 変更することを、刷新に関わる諸総会に対して権能を与えたにしても、教皇は“修道的会の本性そのもの、そしてその基本的構造に手を付けること”は容認していなかった。ところが、総会に対して総長が持つ権威の除去によってそれに手を付けたと言った。

 大司教は、側近の同僚たちに打ち明けた“様々な計画について、心中思い巡らした。”その一つは、聖フランシスコの町の平和において、アシジで、この投票中に大司教を支持して来た総会のメンバーたちと総会を開くことであった。それは聖霊修道会の刷新を、その創立者の精神において成し遂げるためであった。この総会の前、分裂の予見が大司教に来ていた。

 8月15日に彼はこう書いている。
「既に、確かに苦しいが必要とされるこの浄めが、公教会と修道会において決められている。ある修道会は分裂しており、あるところはこれから分裂するだろう。公教会とその聖伝の教えに忠実に留まる修道会には召命があるだろう。それ以外の修道会は、ばらばらになって消えていくだろう。」

 ミシェル・オカロル神父によると、大司教はよく考えると、
「そのような総会を開くことは、あり得なかった。彼は、それが聖霊修道会における分裂の印になると考えた。さらにどのくらいの人が自分に従ってくるだろうか?」

 最終的に、彼はアシジで数日を静沈に過ごし、9月28日の総会への短い出席の間に読むことになる文書を作成した。それは尊者リベルマン(Libermann)の精神に忠実に留まるようにとの厳粛な警告だった。この尊者は見捨てられた霊魂たちの中での使徒職は、“常に、宣教師たちの霊魂に現存する私たちの聖主の聖性の輝きと広がりにある”ということを明確に悟った。大司教は、尊者リベルマンが“使徒職、特に、尊者がその息子たちに提昌する使徒職、しかし聖性とはまったく区別されえる使徒職を考えつく事は出来ない、・・・彼にとって聖性とは本質的に使徒的である”、と言った。尊者は自分の子(修道会士)らに聖性への手段を与えている。
「この手段とは、つまり修道生活と共同生活、これは自己否定の生活、祈りの生活、さらに兄弟愛(これら全ては聖性の発達に必要である)と使徒的熱意、あるいは聖性の拡がりを実現させる私たちの聖主との実践的な一致を実現させる。」

 ところで、ルフェーブル大司教は気づいた:
「あなた方の多くは、もはやこの修道生活、この共同生活を望んでいない。何故このことを私たちに隠蔽するのか? . . . 従順の生活に反対し、世俗に関する用心深さの生活に反対し、この世の所有物や慰めからの真の離脱の生活に反対し、私たちに苦行を与え愛徳の実践を義務づけ祈りと黙想との生活に駆り立てる共同体生活の現実に反対し、彼らの個人主義、利己主義、そして自由と独立への渇きは、より大きくなってしまった。」「彼らの個人主義は、寄生虫のように生きることしか出来ない。」

 総会のメンバーたちに、彼らの決意を導き出したインスピレーションを尊者リベルマンの著書に見出るようにと訴えながら、大司教は聖霊修道会士たちの正確な身分に関するこの創立者の見事な一ページを抜粋引用した。

「宣教師になるために故国を離れたかわいそうな子供達は、この観念をいつも念頭に置いている。私は何よりもまず宣教師である! したがって、それを悟るらない限りは、彼らは修道生活に如何なる重要性も見出さず、私が思うに、外的な活動にあまりにも熱心に身を委ねてしまっている。 . . . 実際に、宣教は目的ではあるが、修道生活は、必要不可欠な手段なのである。 . . . もし、彼らが聖なる修道士であれば、霊魂たちを救うだろう。もしそうでなければ、彼らは何もしないだろう。なぜなら、天主の祝福は彼らの聖性に付着しているからである。」

 10月4日にようやく大司教は修道会聖省の新しい事務長、モンスィニョ-ル・アントニオ・マウロ(Antonio Mauro)と会見した。アントニウッティ枢機卿は南アメリカへ行って不在だった。ルフェーブル大司教は後にこう言うだろう。
「もしも、この枢機卿と面会していたとしたら、事は違う方向に進行していただろう。しかし(そこには御摂理が働いていた)私の対話の相手は、三ヵ月後には能力が無く無知であると判断されて解雇されるこの事務長であった。」

 ルフェーブル大司教は彼に言った。
「総会では革命がありました。私は脇に追いやられ、たった一つの委員会であってもその委員ではありませんでした。しかし総会にいた他のメンバーたちはそうでした。私は単なる傍観者でした。私、総長が!」
モンシニョール・マウロは応じた。「いいですか、公会議の後なのです。理解しなければなりません。 . . . 貴方にあるアドヴァイスをあげようと思います。同じ案件で私に会いに来たもう一人の総長にもちょうどそれを差し上げたところです。」
「どうぞ」と私は彼に言いました。
「アメリカ合衆国にちょっと旅をしたらいいですよ。あなたも気分が優れますよ。」総会については、そして残務整理については補佐たちにその処理を任せなさい、と。

 しかしながらルフェーブル大司教の補佐役たちは、大司教が残務整理に留まるように要求した。彼はその通りにした、こう考えながら。
「総会のメンバーたちは私のところに来て相談することが出来るし、よき関係は残る。たとえこの状況が完全に異常であっても。」

 10月13日、彼は、修道会の目的と本質、修道共同生活、使徒的熱意、修道士たちが顧問の責務を引き受けることが出来るようにすること、などに関する提案に14ページを捧げ、それを総会に提案した。この提案の中でも、2つのプロジェクトは、補佐役たちの新たな役割と、「尊者リベルマンによって創立されたこの修道会を忠実に保ちながら」それと同時に、クロード・プラールの事業の復興に関する“まったく新しい”計画だった。彼の提案の何一つ、あるいは殆ど何一つ理解されなかった。

 10月28日、総長には、ジョゼフ・レキュイエ(Lecuyer)神父が選出された。今や、自らの責務から解かれたルフェーブル大司教は、同日、アガジアニアン(Agagianian)枢機卿にその総会を提出するために現れた。側近の同僚の一人に自分の後継者について大司教はこう打ち明けた。「最悪は免れた 」と。ついに11月11日、彼は、教皇がこの総会に賜った謁見に出席した。

 これらの散発的な機会を除いて、大司教はこの総会が自らの業務を“完璧な自由のうちに”進行するままにさせておいた。1970年に出版された“指令”と“決議”は、この総会によってもたらされた破壊的革命を明示した。

● 権威:共通善への心遣いは、パーソナリティと個人の自由の尊重によって取り替えられた。
● 従順:従順は共同責任となり、対話、天主の聖旨の共同追及、意志決定への参加、チームとして働く、さらにグループ力学になる。
● 修道者養成:修練期間に取って代わる霊的養成の様々な段階によって提供される。 “再養成”課程、さらに“福音的生活の見直し。”
● 宣教:キリストの奉仕者と、公会議に続いて“カトリック教会が尊敬をもって考える”諸宗教を信じる人々との間で“救いの対話”として、エキュメニカル的に宣教は見直され、修正がなされる。


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ノベナの早朝ミサ

2009年12月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日からフィリピンでは毎日早朝の九日間のミサ聖祭が始まります。ミサ・デ・ガロとかミサ・デ・ガリョとか、あるいはミサ・デ・アギナルド、シンバン・ガベとも言います。

 私たちの修道院の教会では毎朝4時半からです。明日が早いので、愛する兄弟姉妹の皆様、お休みなさい!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】