Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

メシアに関する旧約聖書を黙想することを提案します

2009年12月15日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちの主イエズス・キリストの御降誕が近づいてきました。そこでメシアに関する旧約聖書を黙想することを提案します。

 アブラハム(創世12:1-3、22:18)、イサアク(創世26:4)、ヤコブ(創世28:14)によれば、メシアはアブラハム、イサアク、ヤコブを先祖に持たなければなりません。
「主はアブラハムに仰せられた、
『おまえの地と故郷と父の家を去って私が示す地に行け。
私はおまえの民を大いなる民とし、祝福し、おまえの名を高めよう。
その名は祝福となろう。私はおまえを祝する者を祝し、おまえを呪う者を呪おう。
地の全ての民はおまえによって祝される。」
「おまえの子孫によって全ての地の民は祝福されるだろう。」

その時主が(イサアクに)現れてこう仰せられた。
「おまえの子孫によって、地の全ての民は祝福される。」

突如主がヤコブの前に現れてこう仰せられた。・・・
「地の全ての民は、おまえとその子孫とによって祝福されるだろう。」

ヤコブの遺言(創世49:8-12)により、メシアはユダ族から出なければなりません。
「ユダよ、兄弟はおまえをたたえるだろう。
その手は敵の頭を押さえつけ、その父の子らはおまえの前にひれ伏す。
ユダは若獅子だ。我が子よ、おまえは獲物を捕って帰る。
彼は獅子のように身を潜め、女獅子のように伏せる。
誰が彼を引き起こし得ようか。
ユダから杖は奪われず、彼の足の間から指揮の杖は取られることがない。
杖の元の持ち主であるお方が来られるまで。
民はみな、そのお方に服従する。」


8 Juda, te laudábunt fratres tui :
manus tua in cervícibus inimicórum tuórum,
adorábunt te fílii patris tui.
9 Cátulus leónis Juda :
ad prædam, fili mi, ascendísti :
requiéscens accubuísti ut leo,
et quasi leǽna : quis suscitábit eum ?
10 Non auferétur sceptrum de Juda,
et dux de fémore ejus,
donec véniat qui mitténdus est,
et ipse erit expectátio géntium.
(8 Juda, thee shall thy brethren praise: thy hands shall be on the necks of thy enemies: the sons of thy father shall bow down to thee. 9 Juda is a lion's whelp: to the prey, my son, thou art gone up: resting thou hast couched as a lion, and as a lioness, who shall rouse him? 10 The sceptre shall not be taken away from Juda, nor a ruler from his thigh, till he come that is to be sent, and he shall be the expectation of nations.)


 預言者ナタン(サムエル下7:12)によれば、メシアは、ダヴィドの家からでるだろう。

「私はおまえの子孫に跡を継がせ国のもとを固めさせよう。その子孫は私の名のために家を建て、私は彼の王座を永久に堅いものにしよう。私はそのものの父となり、そのものは私の子となる。」

 ミカヤの預言(5:1)によれば、メシアはベトレヘムで生まれなければなりませんでした。

「そしてエフラタの地ベトレヘムよ、おまえはユダの家族のうちで最も小さいものだが、
イスラエルを治める者がおまえから生まれねばならぬ、
その出では、ずっと以前、昔の日々にさかのぼる。
それで、主は、生む者が生むときまで、彼らをうち捨てておかれる。
その後、兄弟の残りの者が、イスラエルの子らのもとに立ち戻る。」

【ミカヤは、紀元前721年サマリア陥落の前後に預言を行っていた。】

 預言者イザヤ(7:14)によると、メシアの母は童貞女でなければなりません。ヘブライ語のアルマーは、聖書には七回(創世24:43、脱出2:8、詩編68:26(ブルガタ67:26)、雅歌1:3、雅歌6:8、格言30:19、イザヤ7:14)だけ使われていますが童貞女という意味以外では使われたことがありません。

「主自らしるしをお与え下さる。見よ、処女が身ごもり、一人の子を産み、それをエンマヌエルと呼ぶだろう。」

 預言者イザヤ(2:2-4)によると、時の終わり、すなわちメシアの時代には諸国は真の天主を知ることになるでしょう。

「時の終わりにはこうなる。
主の家の山は、山々の峰の上にそびえ、幾多の丘よりも高くそばだち、全ての民がそこに流れより、おびただしい民がこう言いつつ集まり来る。
『おいで、主の山に、ヤコブの天主の家に上ろう、
我らにその道を教え、その小道をあけよ。』
法はシオンから発し、主の御言葉はエルサレムから出る。
天主は国々を統べ、多くの民の裁き人となられる。」


 預言者ダニエル(2)によると、メシアが来る時代は、純金の王国と銀の王国と青銅の王国との3つの王国が続いた後に、鉄(しかし一部は粘土)の王国の時代でなければなりません。ダニエル自身の解釈によれば、金の頭の国とはナブコドノゾル王のカルデア・バビロンの王国のことです。銀の胸と腕の国は、バビロン大帝国に続いたメド・ペルシア大帝国のこと。第3の青銅の国は、アレキサンドロ大王のギリシア・マケドニア大帝国です。第4の国は鉄のように全ての国々を打ち壊して粉々にする強いローマ帝国のことです。そしてその第4の王の時、永遠に滅びない国が興るのです。

「その王たちの時に、天の天主は他の王国を起こされます。
その王国は永遠に滅びず、その主権は他の民に移ることなく、先の全ての国々を打ち砕き、壊し去ります。しかしその国だけは永遠に続きます。人手を借りずに山から離れた石が、鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたことはあなたがご覧になったことです。偉大な天主は将来起こることを王にお告げになりました。」



 ヤコブの遺言(創世49:8-12)によれば、メシアの到来の時期が近づくとユダ族から統治権(王笏)が奪われ、外国の支配下に置かれるようになるでしょう。

「ユダから杖は奪われず、彼の足の間から指揮の杖は取られることがない。
杖の元の持ち主であるお方が来られるまで。
民はみな、そのお方に服従する。」


【ここでヘブライ語の "シロー" は所有者の意であり、つまり「杖の持ち主である人」の意味である。ここではユダ族がその首位権を失うときが来ることも預言されている。ユダが首位権を失うようなときメシアは来るだろう。】

 預言者ダニエル(9:21-27)によると、メシアの到来の時間は70週年が終わったときでなければなりません。ダニエルはエルサレムが廃墟となって何年の後にまたエルサレムを復興できるかを知りたく、天主に祈ると、「70週が定められている」という答えを得ました。ここでの70週とは、70年後にはバビロンから解放されてエルサレムに戻ることが出来るという預言であると同時に、罪と地獄の支配から解放されるためにメシアが到来するということをも預言していました。

「民と聖都については、70週が定められた。それは罪悪を閉じ込め、罪を封じ、悪を除き、永遠の正義を招き、幻と預言を証し、至聖のものに油を注ぐまでである。
帰国とエルサレム再建の御言葉が出てから、油を注がれたかしらまで7週、それから62週にわたり困難な時を経て、城壁と堀が築かれる。62週の後、油を注がれたものが取り去られる。
彼はどんな物も奪われた。いつかくるかしらの民は、町と聖所を打ち壊す。
その最後は大事変である。終わりの時まで、戦いと定められた破壊がある。
彼は人々と、一週の間、堅い契約を結び、半周の間、いけにえと供え物をやめさせる。
神殿のところにある、荒らすもののいとわしいもの、定めの破壊が荒らすものに襲いかかるときまで。」


24 Septuagínta hebdómades abbreviátæ sunt super pópulum tuum et super urbem sanctam tuam, ut consummétur prævaricátio, et finem accípiat peccátum, et deleátur iníquitas, et adducátur justítia sempitérna, et impleátur vísio et prophetía, et ungátur Sanctus sanctórum. 25 Scito ergo, et animadvérte : ab éxitu sermónis, ut íterum ædificétur Jerúsalem, usque ad christum ducem, hebdómades septem, et hebdómades sexagínta duæ erunt : et rursum ædificábitur platéa, et muri in angústia témporum. 26 Et post hebdómades sexagínta duas occidétur christus : et non erit ejus pópulus qui eum negatúrus est. Et civitátem et sanctuárium dissipábit pópulus cum duce ventúro : et finis ejus vástitas, et post finem belli statúta desolátio. 27 Confirmábit autem pactum multis hebdómada una : et in dimídio hebdómadis defíciet hóstia et sacrifícium : et erit in templo abominátio desolatiónis : et usque ad consummatiónem et finem perseverábit desolátio.

【神殿再建の許可の勅令が出てから70週年、1週年が7年であるから490週年の後にメシアが到来することになる。実にアルタクセルセスは神殿許可の勅令を紀元前445年頃に出している。】


 預言者ハガイ(2:8)によると、ブルガタ訳によれば、ゾロバベルが再建を手がける神殿には「万民のあこがれるものが来る」、再建された神殿にメシアが現れるので「主はこの神殿を栄光で満たす、この神殿の栄光は以前の栄光に勝るだろう」と預言された。

8 Et movébo omnes gentes,
et véniet desiderátus cunctis géntibus :
et implébo domum istam glória,
dicit Dóminus exercítuum.
9 Meum est argéntum, et meum est aurum,
dicit Dóminus exercítuum.
10 Magna erit glória domus istíus novíssimæ plus quam primæ,
dicit Dóminus exercítuum :
et in loco isto dabo pacem,
dicit Dóminus exercítuum.

8 And I will move all nations: AND THE DESIRED OF ALL NATIONS SHALL COME: and I will fill this house with glory: saith the Lord of hosts. 9 The silver is mine, and the gold is mine, saith the Lord of hosts. 10 Great shall be the glory of this last house more than of the first, saith the Lord of hosts: and in this place I will give peace, saith the Lord of hosts.

【預言者ハガイは、紀元前520年に預言した。】

 荒野の書(24:17)によれば、将来メシアの到来の時に星がヤコブから上がることになっています。

「私は彼を見る、だが今ではない。彼を眺める、だがまだ遠い。
一つの星がヤコブから上がり、一つの笏がイスラエルから立つ。
彼はモアブの君主(duces)を打ち据え、セトの全ての息子たちを打ち砕く。」


17 Vidébo eum, sed non modo :
intuébor illum, sed non prope.
Oriétur stella ex Jacob,
et consúrget virga de Israël :
et percútiet duces Moab,
vastabítque omnes fílios Seth.
( 17 I shall see him, but not now: I shall behold him, but not near. A STAR SHALL RISE out of Jacob and a sceptre shall spring up from Israel: and shall strike the chiefs of Moab, and shall waste all the children of Seth. )

 預言者イザヤ(60:6)また詩編(71:10)によると、王はメシアに贈り物をもってアラビアから来るはずです。

「らくだの大軍と、マディアンとエファとの若いラクダが押し寄せ、
それは皆、サバからくる、黄金と香を運び、主も光栄を歌いつつ。」

「タルシスと島々の王は贈り物を、シェバとサバの王たちは貢ぎを献ずる。」



 預言者イザヤ(40:3-4)また預言者マラキア(4:5 ヘブライ語聖書3:23)によると、メシアには先駆者があることでしょう。

「砂漠に叫ぶものの声
 主の道を整えよ、私たちの天主の小道を荒れ野で真っ直ぐにせよ。
 全ての谷は高くなり、全ての山と丘は低くされる、
 凹凸の地は平らになり、道の険しいところは平野となる。
 そして主の栄光が見られるだろう、そして全ての人間は
 等しく主の口が語ったことを見るだろう。」

「見よ、主の日、その偉大な恐ろしい日が来る前に、私は預言者エリアを送る。」


5 Ecce ego mittam vobis Elíam prophétam, ántequam véniat dies Dómini magnus et horríbilis.
( 5 Behold I will send you Elias the prophet, before the coming of the great and dreadful day of the Lord. )

 預言者ホセア(11:1)によれば、メシアはエジプトに逃げなければならず、のちにエジプトから呼び出されるでしょう。

「イスラエルが幼かったとき、私は彼を愛し、エジプトから私の子を連れ出した。」


 預言者イザヤ(9:1 或いはヘブライ語聖書8:23)によると、メシアはネフタリとザブロンの地で福音の光を照らし始めることでしょう。

「先に、主はザブロンの地とネフタリの地をいやしめ、
これからは、ヨルダンの彼方の海の道、異邦人の地に栄光を与えられる。
闇を歩む民は、大いなる光を見た。闇に包まれた地に住むものに光が輝いた。」


1 Primo témpore alleviáta est
terra Zábulon et terra Nephtháli :
et novíssimo aggraváta est via maris
trans Jordánem Galilǽæ géntium.
2 Pópulus qui ambulábat in ténebris,
vidit lucem magnam ;
habitántibus in regióne umbræ mortis,
lux orta est eis.

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

良き御降誕祭をお迎え下さい。


聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.6.1.公会議革命のミニチュア版

2009年12月15日 | ルフェーブル大司教の伝記
VI. 特別総会―辞任


公会議革命のミニチュア版

 1967年になるやいなや、ルフェーブル大司教には、“自分のことをもはや聞く耳を持たず、実際上自分をもはや欲しない聖霊修道会の指導を継続する事は不可能である”と悟った。

 彼は友人のシガウド(Sigaud)司教に総長職を辞任するつもりであることを伝えた。しかしながら、修道会の改革に向けたこの特別総会の準備は、修道会聖省から与えられた認可と、公会議教書「修道生活の刷新・適応に関する教令」(ペルフェクテ・カリターティス)の実行のためにパウロ六世が1966年8月6日に発行した規範に従って、ルフェーブル大司教により任命された総会準備委員会の内部で続けられた。

 総長はこの委員会に、修道会の諸地域から様々な提案を集約するために全くの自由を与えた。同様に、中央準備委員会は、これらの集められた提案に関する全般的な総合をする作業に妨げられることはなかった。この作業の結果は、修道会とは関係のない独立した専門家によって詳しく調べられた。彼は賞賛する:
「この総会は私が調査してきた他の総会の中で、最高に良く準備されている。」

 この刷新の根本原理に関して、ルフェーブル大司教様はこう言うだろう。
「その展開を考慮にいれながら、しかし、私たちの修道生活の根本的な諸原則を簡潔に再確認しながら、私はこの修道会の徹底的な刷新を準備した。」

 1968年5月のこの総会を前に、ルフェーブル大司教と、任期が1974年まで継続する事になっている彼の総顧問とは、
“重大な総会の期間中に、健全で真の刷新のことについて、個人的問題が入り込む余地を阻止することを望み”、総会初日に総員辞表を提出する旨決定した。

 しかしながら、彼らの総辞職は、総会がもう一つ別の指導層を選出して初めて効果を持つこととなることは共通理解のことであった。その時まで、総長は修道会会憲に従い、総会の議長を務めることになっていた。

 1967年の復活の月曜日(3月27日)に、大司教はサン・ジョヴァンニ・ロトンドにパドレ・ピオを訪ね、総会の為に祈ってくれるように依頼した。彼は悪いときに到着した。というのもカプチン会の総長が、カプチン会の総会の為に同じ依頼をする目的で来ていたのである。
「新しい会憲を作成するために開かれるカプチン会総会のためにお祈りください。」 
 この言葉に対し、パドレ・ピオは憤慨し叫んで言った。
「それはまったく役に立たないおしゃべりで、破壊行為です!」

 17週間後、パウロ六世がカプチン会総会で引見することになっていた時、パドレ・ピオは1968年9月12日に教皇パウロ六世宛の手紙を書いた。

「私はこの会[カプチン会修道会]が、熱心な修道的厳格さや、福音的清貧、さらに会則と会憲の遵守というカプチン会の聖伝(tradition)を、それがもつ生命力と内的精神を刷新しながら、第二バチカン公会議の指令に従い、継続するように私たちの聖主に祈ります。」 

 新しい会憲が発表されたとき、パドレ・ピオは前にも似て鋭い反応を示したと言われる。
「あなた方はローマで何をしようとしているのか?何を計画しているのか?聖フランシスコの会則を変えようと望んでいるのか!」

 しかしながら、バルバラ(Barbara)神父と別の司祭に伴われたルフェーブル大司教と、2名のカプチン会士に付き添われたパドレ・ピオとの会話は、簡単で短かった。聖痕を持つこの司祭は、聖霊修道会総会の為に祈る事を約束した。大司教は尊敬の念に動かされ、彼に祝福をお願いした。パドレ・ピオは答えた。
「とんでもない、大司教閣下、あなたこそ私を祝福する方です!」

 こうしてルフェーブル大司教は、パドレ・ピオの上に天からの祝福を哀願した。

 総会は1968年9月8日、ローマのドムス・マリエ(Domus Mariae:マリアの家)で始まった。総長は、作成した一般報告の中で、完遂された事業と直面した困難に言及し、さらにまた、幾つかの刷新を提案した。つまり補佐たちと総顧問たちに新たな役目とより大きな責任を与える事、主要な地域の再編成、さらに、プラール・デ・プラースの事業の精神に従って、修道誓願の時期を延期させ、三つの修道誓願を立てて修道者となることを望まないが宣教師になることを志願する若者たちの受け入ること、などに関する提案であった。最終的に彼は、既に公表していた総顧問団の辞表を提出した。

 彼は総会のメンバーたちに、新たな総顧問団を、1962年にすでに決定していたように総会の終わりに選出するのか、或いは、以前に行われたように総会の初めから選出するのか、または、“誰かによって提案された第三の解決策”を取り入れて、総会の会議が“総会の議長職を保ちながらも、総長以外の誰かによって誘導される”ために、一人ないしは数名のモデラトール(議長)たちを指名するのか、を決議させた。

 ルフェーブル大司教はこの第三の解決策の却下を試み、この第三の場合、総長と補佐、そして総顧問団の職は空位となること、従って聖霊修道会は指導者たる頭を持たなくなることをつけ加えて言った。

 ルフェーブル大司教は極めてよく知っていた。総会メンバーたちの中の進歩派が、特にルフェーブル大司教が総会の指導権を完全に保有し、彼らが望んでいる刷新の実現を妨げることを恐れている事を。如才ない指導者として、大司教は彼らの提案を公表し、それがもたらす大きな不利、つまり、聖霊修道会の最も重要な集会において、総長を脇に除外してしまうという不利を示そうと努力した。この提案は、総会のレベルにおいて、教皇によって指名された公会議の議長に代って、選出された議長たちが登場する第二バチカン公会議の政変の繰り返しとなってしまうだろう。

 進歩的な司祭たちによる計画との一致のうちに、この総会は新しい総顧問団の選出を延期したのであるが、しかしながら、会議の議長を務め、総会委員会のメンバーたちを選べる総長の権限に関する会憲91条の効力を一時停止にするようにとさっそく票を投じた。 回答されるべき問いがある。つまり会憲により総会の議長を務める権利をもつ総長は、さらに、総顧問団により定められた会則に従って、中央委員会の議長をも務める資格があるのか?」

 まもなく大司教の敵たちは議論を作り上げた。
「立法権である総会は、総長によって代表される行政権の権威の下に置かれえない。中央委員会のメンバーたちは、一人残らず選出されなければならないはずである。」

 このもっともらしい主張に反論して、ミシェル・オカロル(Michael O’Carrol)神父は尋ねた。
「もし、私たちが真っ先に行う事が、自分たちの総長をその地位から引きずりおろすことであると知ったならば、修道会地域と宣教地区にいるメンバーたちは私たちの事をどう思うだろうか?」

 ルフェーブル大司教は中央委員会のメンバーの選挙に反対の立場を取り、こう締めくくった。
「各自、自分の意見を表明し、自分の良心に従って投票することは自由です。私は、この投票の結果によって示される決定に委ねます。」

 この投票が即時に行われていたならば、おそらく大司教支持の結果に終わっていただろう。しかしながら、疑いなく御摂理的な、ある知られざる理由により、刷新派たちに秘密の会合を開き、総会に圧力をかけるための一夜を残して、彼は翌日までこの投票を延期したのである。大司教は9月11日に、63票対40票という結果で敗れ、“理論上の肩書だけの議長”という容認できない役割に引き下ろされた。冷静さを保ちながら、彼はただこう言った。
「総長が置かれた状況は、間違いなく、公教会の精神に反しており、教会法の精神に反対し、さらに私たちの伝統と会憲に矛盾している。」

 彼は翌朝の総会の議長を務めたが、約束通り、正午に総会を退席した。第一補佐のハック(Hack)神父に、会議では自分の代理を務めるように頼み、ルフェーブル大司教は“後任が来るまでの日常業務を行う”だけに身を委ねて、修道会本部に帰った。この総会は、ほんのしばらく驚いたが、その後3名の議長が選出され、不合理な提案と数え切れない事務書類で息詰まらせる彼らのやり方で継続された。この総会は、1968年ローマでの2ヶ月と、1969年シュヴィリにおける2ヶ月で、4ヶ月間続いた。

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第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革

III. より優れた組織編成

IV. 修道生活と使徒職

V. 真のアッジョナルナメントに向けて


ルフェーブル大司教様の伝記

2009年12月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 まだ、こちらマニラでのインターネット接続は不安定ですが、ルフェーブル大司教様の伝記は訳が済んでいる分だけ予約公開の設定をしてあります。そこで、12月24日までは毎日ルフェーブル大司教様の伝記が掲載される予定です。
 愛する兄弟姉妹の皆様のご愛読とご愛顧を感謝しております。
 私もルフェーブル大司教様の伝記の訳に関わり、ルフェーブル大司教様を改めて深く知ることが出来て天主様に感謝しております。私が今、校正に取りかかりつつあるのは新しいミサの出現とルフェーブル大司教様の反応のところです。大変、興味深いところです。

愛する兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.5.4.“聖霊の侍従会”の復興

2009年12月14日 | ルフェーブル大司教の伝記
V. 真のアッジョナルナメントに向けて


“聖霊の侍従会”の復興

 大司教は、の聖霊修道会の修練期を損なうような刷新に対しては徹底的に反対していたが、司祭叙階の後に修練期を置くような養成の再構成には極めてオープンな用意が出来ていた。私たちがここで理解するのは、ルフェーブル大司教は、頑固などということからはかけ離れ、修道会創立者が敷いた路線に忠実である限り、大胆な刷新に理解があった器量の大きさである。

“誓願を立てた多くの修道司祭たちが、自分たちの修道生活にあまり愛着がなく、誓願免除の要望の数が着々と増加する”一方で、”多くの若き修道士たちが自ら宣立した誓願を免除してもらったという事実に鑑みて、多くの召命が、“信念からではなく、貧困が原因であったり、宣教のためにとメンバーたちを送るその送り先である世間に単に属しているだけであったりとか、または修道会の精神に対する何らかの魅力を感じることによって”修道生活に入っている事は明らかである。

 1967年1月25日、彼は聖霊修道会のメンバーたちに心を打ち明けた。それは将来見込まれるメンバーたちの受け入れに関して提案された改革と一緒に、“クロード・プラール・デ・プラス(Claude Poullart des Places)神父の事業復興のための提案”の出版により行われた。小神学校は幼年期から捜し求められる召命に生徒たちを強いることなく、宣教師の理想的人物を目指して彼らを指導するために維持されていた。大神学校は“司祭生活と誓願を立てた宣教師の生活の為の聖職者養成のための研究に要する予備学年”で始まっていた。この一年間、大神学生たちは、ラテン語と護教学を学び、さらには聖書学、教父学、そして神学の初歩を学んでいた。興味深い事に、霊的な教義に関する授業(霊性学)は初学年度の教育課程にはなかった。

 そのとき総長は、聖書学、教父学、教導学、さらに教会法の短期課程と合わせて、聖トマスの神学大全に則った教会学研究の5年間があるべきだとして提案した。これは唯一無二の根源を提供し、
“大神学校生は天主、イエズス・キリスト、霊魂、そして天主に至る道に関する知識の、偉大で深遠なることを見出して感動するだろう。彼は自らの発見に魅了され、さらに彼の霊魂は熱意、孝愛、信仰、そして天主に関する正確で深い知識を他の人々にも知らしめたいという偉大な願望に満たされるだろう。”

 健全な哲学は、“社会、政治の両学問に関する厳密な諸原則“と同様、この統合の中に適所を見出すだろう。

 最後に、“教会の下僕という名義で(ad titulum servitii Ecclesiae)” 執行される叙階式の後で始めて、新司祭は、一年の修練期間を伴う聖霊修道会に入会し、終生誓願を立てるか、或いは、又は宣教司教区、又は司祭の不足している司教区に所属するかを選ぶことになったはずであった。

 後者のケースにおいては、これらの司祭たちは、ルフェーブル大司教によれば、“私たちの初代創立者、クロード・プラール・デ・プラスが創立した聖霊の侍従会の事業が新たに生まれ、あるいは復活する”ことだった。これは、それとの間に既に存在している“霊的きずな”と共に、固有の意味での聖霊修道会士の身分を害するものでは全くなかった。

 大司教はこの再導入から生ずる利点を強調した。司教区での会員募集の試みはより良く受け止められ、在俗聖職者と修道聖職者との間は近づき、富める司教区と貧しい司教区の間で、司祭たちのより適切な配置が行われる。“聖霊の侍従会は一つの会(association)、つまり、聖霊修道会によって組織され、支援されるだろう兄弟会(fraternité)を結成することが出来るだろう”と大司教は付け加えて言った。聖霊の侍従たちと聖霊修道会の司祭たちとに共通の司祭養成のための施設は、“司祭たちを送り出す国際神学校”となるだろう。

 全く新しい可能性を開花し、単なる原初の模範への復帰にまさるキーワードを二つ私たちは強調してきた。残念ながら、ルフェーブル大司教の抱いた非常に聖伝的で、あまりにも刷新的な計画は、聖霊修道会の最も聖伝主義のメンバーたち、あるいは最も進歩主義的なメンバーたちの関心を惹きつける時間がなかった。しかしながら、この修道会の外で、彼の計画は予期せぬ共鳴を得ることになったのである。

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第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革

III. より優れた組織編成

IV. 修道生活と使徒職

V. 真のアッジョナルナメントに向けて

復旧しました

2009年12月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私どものマニラでのインターネット接続は、ただ今復旧しました。天主様に感謝します。愛する兄弟姉妹の皆様にはご不便をおかけしたかもしれません。御忍耐をありがとうございます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

待降節第三主日

2009年12月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 もう待降節第三主日ですね。
洗者聖ヨハネは尋ねられます。「あなたは、キリストなのか?」
 洗者聖ヨハネは自分がキリストではないことを告白し、自分がキリストではないことを否定せず、自分がキリストではないことを告白しました。
 自分は、砂漠に叫ぶものの声がある、と。

 ヨハネは、イエズス・キリストを証明し「私の後に来るお方は、私より優れた方で、私より前に存在しておられた」と言ったのは、このイエズス・キリストのことだと宣告しました。

 「モーゼは、僕として、管理者として、天主の全ての家に忠実であったが、キリストは子として天主の家に忠実であった」のです。

 洗者ヨハネは、イエズス・キリストが通りかかるのを目にとめ、「天主の子羊を見よ」と言います。

 洗者ヨハネは、「この方こそ、天主の御子であると証明した」のです。

 「御子を信じる者には永遠の命があり、信じようとしない者は命を知らず、その人の上には天主の怒りがとどまる」のです。

 願わくは愛する兄弟姉妹の皆全てに私たちの主イエズス・キリストを信じる恵みが与えられますように!
 願わくは愛する兄弟姉妹の皆様が良き待降節を過ごしますように!

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ロラテ・チェリ

2009年12月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 グレゴリオ聖歌の『ロラテ・チェリ』のように、私たちは罪を犯し罰を受けるに値するものです、そのため旧約のように聖所が汚され、エルサレムが荒廃してしまったよう(教会の危機)です。
 が、しかし、主から「慰められよ」という言葉を遂に聞き、すぐに私たちに救い主が送られる、私たちに聖伝のミサ聖祭が送られる、日本中に聖伝のミサ聖祭が普通に行われるようになる、「私は、主だ、おまえたちのあがない主だ」という言葉が早く聞かれるように、と願うばかりです。このロラテチェリを歌うと、そのことを考えます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@携帯から

グァダルーペの聖母よ

2009年12月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ただ今、グァダルーペの聖母マリアの教会までの巡礼を終えて、無事マニラの修道院に到着しました。巡礼のお恵みを感謝します。グァダルーペの聖母マリア様がたくさんの恵みを私たちにくださったと信じています。天主様に感謝!聖母マリア様に感謝!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ラグナにて

2009年12月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちは朝5時にミサ聖祭をして、バス3台とその他の車でマニラの教会を6時30分に出発しました。私の乗車しているバス2号には49名の巡礼者が乗っています。

 そろそろラグナのパキルに到着し、そこからグァダルーペの聖母マリアの教会まで15キロを歩く予定です。

 (ところで、一昨日からマニラの修道院のインターネットが不調なので愛する兄弟姉妹の皆様にはご不便をおかけしているかもしれません。よろしくお願いいたします。)

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

12月12日、グァダルーペの聖母

2009年12月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日の12月12日のグァダルーペの聖母マリアの祝日には、マニラの私たちはラグナというところに巡礼に行きます。愛する兄弟姉妹の皆様のご意向のために祈ってきます。

グァダルーペの聖母マリアよ、我らを憐れみ給え!
グァダルーペの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.5.3.使徒的な修道生活

2009年12月11日 | ルフェーブル大司教の伝記
V. 真のアッジョナルナメントに向けて


使徒的な修道生活

 安易さから熱意は生まれないとよく言われている。1967年ごろ、聖霊修道会は、第二バチカン公会議の後で、その厳格さを失う方向に向かっていた。彼らは、時折4時50分の代わりに6時に起床した。宣教師である司祭たちがキリストとの親密な交流ができる朝の個人の御ミサは共同司式に取って代わられた。共同の祈りの時間はもはや決められていなかった。

 1968年、2月20日から4月9日まで、ルフェーブル大司教によってポワント・ノワール(Pointe-Noire)地域に送られた訪問者(最近ギニアから追放された)クドゥレ(Coudray)司教は指摘した。

「誰も祈りを断念したとは言えないが、怠慢になったとは言える。司祭たちは先ずそれを認識し、どうにかしようと望んでいる。したがって、多くの小教区では、司祭らは【同僚の司祭たちとではなく】シスターたちと聖務日課を共唱している。彼らはシスターたちが自分たちよりもっと規則正しい事を知っていて、それが良い刺激になっている。その上、それはキリスト教共同体にとっても良い模範である。」

 確かに聖務日課の時課のどれかをシスターたちと共唱する事は良い事ではあるのだが、この訪問者は、土着の旋律を使いながら詩篇を歌えるように聖務日課を自国語に翻訳する事について既に言及していたのである。何よりも先ず、彼は放棄されてつつある慣習への復帰を目指していない。それが天主との一致をするために最も聖伝に基づいた手段であるにもかかわらず。

 同じく1967年には、修道生活志願者たちの不安定で未熟な気質の増加は、養成期間中に断念する人数を見れば明らかであった。この事実は修道会総長連盟を動かし、
「修練期間の間の使徒職体験期間を設置すること、志願期の延長、さらに修道誓願のほかに別の性格を持った暫定的な誓約を立てること」
などの要求を盛り込んだ嘆願書が教皇聖下宛に書かれた。

 さらにルフェーブル大司教は、自分の修道会の中に、「修練院を “現代化する” ための新たな試みが余りにも行き過ぎている」ことに気づいた。彼はここに隠されている精神に立ち向かった。この精神は「修練院とは、修練士たちが将来の修道生活というものがはたして自分に適しているかどうかを知るためにあるであるが、今の修練院の様式が、将来あるだろう生活とは違いすぎている」と考えていた。

 ルフェーブル大司教は、もう一度、司祭たちの使徒的生活に対して、修道生活と固有な意味で修道的な修練期間の特権的な地位を指摘しつつこう対応した。

「修道生活は、使徒的生活に対して、単なる一手段にすぎないと人々は言っている」手段、つまり、絶対に必要なものではないものである、と。総長はこれをむしろ視野の狭い見解だと答えた。

「私たちの修練期間と修道生活とは、天主との一致や、[観想の]経験を通して私たちの聖主イエズス・キリストを知るという、特権的な手段であり、隣人愛の源であるがゆえに、極めて使徒的なことである。幸いなるかな、修練院時代に知性と、心と、霊魂とをつくしてキリストに近づいた者は幸いなるかな! 彼は、使徒的潜在能力を十倍に、さもなければ百倍に増やしたことだろう。」

 簡素ではあるがすばらしいこの教えは、オルリ(Orly)にて修練士だった、マルセル・ルフェーブルの経験を反映している。またそれは、聖トマス・アクィナスの教えを反響させているのである。それはこの当時、修道会聖省の事務総長で彼の友人である、モンセニョール・ポール・フィリップによって、聖トマス・アクィナスによる修道生活の目的 という題の著作において解説された教えであった。この天使的博士は明確に説明する。

「仕事に忙しく身を委ねる人々の多くにとって、彼らをそれにと動かしているのは天主に対する超自然の愛徳ではなく、むしろ観想への嫌気である。」

 この著者は締めくくってこう言う。
「観想を批判する人々は、その行為自体、彼らにおける愛徳の不在、あるいは大きな欠乏を証明している。完全なる愛徳とは、聖トマスによれば、その人が与える説教が観想の深みから流れ出す時、存在しているのである。
  
 したがってモンセニョール・フィリップは、“外的活動の効果だけを心配して修道会規則をそれに合わせて変更すること”を望む人々が如何に誤っているかを立証したのだ。ルフェーブル大司教が同僚たちに向かってその実現を訴えていた“真のアッジョナルナメント”とは、コレン(Koren)神父が書いたような、“過ぎ去った昔を懐かしむ郷愁の嘆願”でも、“過去への逆戻り”でもなく、ただ司祭的かつ修道者的生活の真正な起源への帰還であった。アフリカにおける新たな状況と公会議後の危機を郷愁にひたって昔を夢見て生きることからは程遠く、ルフェーブル大司教は公教会の聖伝という源泉から、宣教活動に必要とされる変革を行う勇気と、新近代主義のもたらした致命的な伝染病に対して聖霊修道会士たちの生活を擁護する力を引き出すことが出来たのである。  

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.5.2.“私は警告の叫びをあげた”(2)

2009年12月10日 | ルフェーブル大司教の伝記
V. 真のアッジョナルナメントに向けて


14.5.2.“私は警告の叫びをあげた”(2)

 ローマが否応なしに開いた扉は、総長の権威をもってしても殆ど閉じることは出来なかった。目下たちの典礼実験と卑劣な放埒、又は長上のリベラルな臆病の間に彼は板ばさみになっていたから。

 他の会員が“各自による独自の研究”や“各自の自己養成”について公然と論られる一方で、総長は “権威がその役割の固有の領域において、それを放棄すること”に反対し、さらに“大混乱と無規律に帰結する現実主義の欠如、そしてあつかましく頑固な人を正当化し、従って、善良で謙遜で従順なものが軽蔑されるこの現実主義の欠如”に力強く反対した。

 ルフェーブル大司教は同じ養成の指導者たちにこう言った。
「あなたたちには、躓きを追い払う義務があります。躓きは共通善の正反対であり、・・・傲慢の精神、不従順の精神、従順を理解しない誤った精神の躓きに気をつけなさい。」

 三年後、「権威とは奉仕である」と言いながら議論する不平分子たちに面した時、大司教はこう言い加えた。
そうだ、権威とは奉仕であり、皆のための善という共通善のための奉仕であって、個々の善のための奉仕ではない。そのためにこそ、権威は
「共通善に深刻な損害を与える躓き(つまり、修道会の規律に反する公衆の面前での過失、蔓延しかねない悪い模範)に断固たる処置をとらなければならないのである。」


 彼は権威に関して、ダカールでそう言ったように、つまり権威は行使され尊重されるために、権威は先ず自分自身を尊重しなければならない繰り返した。

 大司教は、目下たちとあまりにも馴れ親しく接する事で「自分たちの地位が赦されるべきであっると思っている人たち」と「本当の簡素さと尊厳とがもたらす適度なバランスを見出す事のできない人たち」との二重の暗礁を避けよ、と求めた。

 大量に引用してきたこの1965年に書かれた書簡の中で、権威の無気力によって権威が自己否定しそれによって生じる損害を彼は非難した。

 権威の放任は、司祭や神学生たちをカジュアルな服装に導いた。イエズス・キリストの模倣を放棄した事は、
「節度の欠如、自尊心の欠如、そして隣人に対する尊敬の欠如につながる。これは、克己と天主が望まれる秩序に敵対し、不道徳と肉欲に導く。」


ルフェーブル大司教はこう結論する。
「私たちは、私たちのアッジョルナメントをしよう、聖性の根源を台なしにする破壊的新プロテスタント主義の精神においてではなく、刷新と改革に関わった全聖人たちを鼓舞していた聖なる望みにより燃え立った精神において、私たちのアッジョナルナメントをしよう。何故なら、彼らは十字架上の聖主を愛し、さらに従順、清貧、貞潔を実践したからである。そこで、彼らは犠牲、奉献、そして彼らを使徒にする祈りの精神を獲得したのだから。」    

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オッタヴィアーニ枢機卿が、新しいミサの出来たときに警告したとおりに

2009年12月09日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

第二バチカン公会議の「典礼憲章」にはこうあります。

 7(典礼におけるキリストの現存) このような偉大なわざを成就するためにキリストは、常に自分の教会とともに、特に典礼行為に現存している。キリストはミサの犠牲のうちに現存している。「かつて十字架上で自身をささげた同じキリストが、今、司祭の奉仕によって奉献者として」司祭のうちに現存するとともに、また特に、聖体の両形態のもとに現存している。キリストは、自身の力をもって諸秘跡のうちに現存している。すなわち、だれかが洗礼を授けるとき、キリスト自身が洗礼を授けるのである。キリストは自身のことばのうちに現存している。聖書が教会で読まれるとき、キリスト自身が語るのである。なお、「わたしの名によって、2・3人が集まるところに、わたしもその中にいる」(マタイ 18・20)と約束したキリストは、教会が懇願し、賛美を歌うときにも現存している。


 具 正謨(イエズス会司祭 上智大学神学部准教授)著『典礼と秘蹟のハンドブックI』はこれを解説して、こう言います。

「第二バチカン公会議は、宗教改革者たちの洞察を幅広く受け入れながら、典礼におけるキリストの現存説を展開している。すなわち公会議は、キリストは「常に自分の教会とともに、特に典礼行為(全体)に現存する」と言い、すれは具体的には、「(1)聖体の両形態のもとに、(2)司祭の奉仕のうちに、(3)諸秘跡のうちに、(4)聖書朗読のときに、(5)共同体の懇願と賛美のうちに現存する」ことを意味するとした。

 典礼におけるキリストの現存を理解するために、まず理解しておくべきことがある。それは「典礼」とは、二千年前に生きたナザレのイエスと、歴史的、物理的に出会う場所ではなく、復活によって存在の様態を変えられ宇宙に満ちているキリストに出会う場所である」ということである。それゆえ、典礼において復活されたキリストに出会うということは、霊的かつ内面的な性質を持つ。このような体験はシンボルを通して起きる秘蹟的な体験である。」

(ここで筆者の友人の逸話を持ち出して、この友人の修道士が召し出しを感じてつきあっていた彼女に「別れよう」と告げようとするが、緊張してたばこを吸おうとしてポケットに手を入れたが、その時その場所に赤い色でマークされている「禁煙」の標識を目の前に見た、その瞬間、彼女の方から「言いたいことは分かっている」と言われた。この修士にとって「禁煙」の印は、ただの「たばこを吸ってはいけない」ではなく、人生にとって一番重要であったその時を思い起こさせる、自分を導く天主の恵みを思い起こさせ、それを確認するシンボルとして働くという。)

「キリストの教会が、イエスの最後の晩餐の再現として典礼を行うのも同じである。それは言葉やしるし(パン、ぶどう酒、水、油)などを使って、二千年前に神がイエス・キリストを通して示された恵みを思い起こし(アナムネシス)、同じ恵みが今もなお聖霊によって与えられていることを、体験をもって確認するプロセスだからである。キリストの教会にとって、典礼とは、記憶とともに生きておられる神様に出会う、禁煙の標識のようなものである(ママ!)。実体変化は、その標識が、信仰者にとって真の神のシンボルとして働くことを表す。」(64-66ページ)


 このことは、オッタヴィアーニ枢機卿は、新しいミサが出来たときにこう警告したとおりです。オッタヴィアーニ枢機卿がサインしてパウロ六世に提出した「新しいミサを研究書」によると新しいミサによる「ミサ」の定義の分析があります。

 ミサの定義は「ミサの一般的構造」と題された「ローマ・ミサ典書の総則」の第2章の冒頭、第7番段落にあります。

 これが新しい式次第によるミサの定義(1969年版)です。

「主の晩さん、またはミサは、聖なる集会の義、すなわち『主の記念』を祝うために、司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会である。したがって、『わたしの名において、2、3人が集まるところには、その中にわたしもいる』(マテオ18:20)というキリストの約束は、特に教会がそれぞれの地域で集まるときに実現される。」

 1970年版では第二バチカン公会議の内容に従う次のような言葉も付け加えられました。

「ミサの祭儀において、キリストはその名のもとに集まっている集会の中、奉仕者の中、御言葉の中に、現実に、またパンとぶどう酒の形態のもとに本体のまま現存される」

 これを見ても明らかなように、御聖体におけるイエズス・キリストの真実の現実の実体的な現存と、霊的な現存とが混同されています。

 2002年の第3版によれば「新しいミサ」の定義は次のようになっています。

Institutio Generalis Missalis Romani 2002

Caput II DE STRUCTURA MISSÆ EIUSQUE ELEMENTIS ET PARTIBUS
I. DE GENERALI STRUCTURA MISSÆ

27. In Missa seu Cena dominica populus Dei in unum convocatur, sacerdote præside personamque Christi gerente, ad memoriale Domini seu sacrificium eucharisticum celebrandum. Quare de huiusmodi sanctæ Ecclesiæ coadunatione locali eminenter valet promissio Christi: « Ubi sunt duo vel tres congregati in nomine meo, ibi sum in medio eorum » (Mt 18, 20). In Missæ enim celebratione, in qua sacrificium crucis perpetuatur, Christus realiter præsens adest in ipso coetu in suo nomine congregato, in persona ministri, in verbo suo, et quidem substantialiter et continenter sub speciebus eucharisticis.

「ミサ、または主の晩さんにおいて、キリストを代理する司祭を座長として、主の記念、または聖体のいけにえを祝うために、神の民は一つに招集される。したがって、このような聖なる教会の場所的な集合について、『わたしの名において、2、3人が集まるところには、その中にわたしもいる』(マテオ18:20)というキリストの約束が、特に、実現される。実にミサの祭儀において、十字架のいけにえが永続され、キリストはその名のもとに集まっている集会の中、奉仕者の中、御言葉の中に、現実に、またパンとぶどう酒の形態のもとに実体的に内在的に現存される」

 この定義は、一言で言えば、ミサの本当の定義が言及しなければならないはずの、贖罪のいけにえであること、御聖体におけるキリストの現存が単なる霊的なものではなく本当の現実的な実体的な現存であることについて一切言及していません。これらの教義的な価値を故意に省略することによって、事実上否定されるに至っているのです。

 この定義の後半部分は、この既に非常に曖昧な表現をもっとひどく曖昧にさせるかのごとくこう挿入されています。

「『私の名において、2、3人が集まるところには、その中にわたしもいる』(マテオ18:20)というキリストの約束は、特に教会がそれぞれの地域で集まるときに実現される。」

 この霊的現存の約束が、キリストの御聖体の秘蹟における現存、すなわち、実体的で物理的な現存と、度合いの違いこそはあるものの、全く同じ次元に置かれてしまっています。

 だから、新しいミサにおいては、ルターやツヴィングリやカルヴァンなどの洞察(!)を幅広く受け入れて、全実体変化という言葉はもはやこっそりと忘却の彼方に捨て去ろうとしたのです。

 そのもう一つの例として、現在の信仰教義聖省長官であるレヴァダ枢機卿は、以前、アメリカの大司教だったとき、ハイト神父(Fr Eugene Heidt)との面会の中で「全実体変化」についてこう言っています。

「ええっと、それはあまりにも長い難しい言葉で、私たちはその言葉をもう使いません。」

「それはあまりにも混乱をもたらす言葉です!」

"Well, that's such a long and difficult term anyway, and we don't use that term anymore."

"That's such a confusing term!"

(Priest where is thy Mass? Mass where is thy Priest? Expanded edition p.68)

 つまり、第二バチカン公会議による新しい理解によれば、聖体とは「禁煙」のサインと全く同じ意味における想起のきっかけに過ぎず、むしろ「聖体」ではなく「典礼」に注目すべきであり、典礼とは復活したキリストと出会うこと、霊的かつ内面的な体験にすぎないのです。

 しかしトリエント公会議はこう言います。

1条。もしも誰かが、聖体の秘跡の中に、真に、現実に、そして実体的に私たちの主イエズス・キリストの御体と御血とがその霊魂と神性とともに、さらにキリスト全部が含まれていることを否定し、そうではなく、この中には、しるしまたは象徴として、または効力においてあるだけであると言う者は排斥される。

 それにもかかわらず、典礼憲章と新しいミサの総則を見る限り、もはや新しいミサにおいて、第二バチカン公会議後の教会において、全実体変化というトリエント公会議の教えは暗黙のうちに否定されているのです。

主よ、我らを憐れみ給え!
天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【参考資料】
 カトリック教会は、ミサ聖祭について次のように教えています。

Sessio XIII, 11 octobre 1551; Decretum de ss. Eucharistia

トレント公会議 第13総会:聖体についての教令(1551年10月11日)

第1章 いとも聖なる聖体の秘跡における私たちの主イエズス・キリストの実在

Principio docet sancta Synodus et aperte ac simpliciter profitetur, in almo sanctae Eucharistiae sacramento post panis et vini consecrationem Dominum nostrum lesum Christum verum Deum atque hominem vere, realiter ac substantialiter sub specie illarum rerum sensibilium contineri. Neque enim haec inter se pugnant, ut ipse Salvator noster semper ad dextram Patris in caelis assideat iuxta modum exsistendi naturalem, et ut multis nihilominus aliis in locis sacramentaliter praesens sua substantia nobis adsit, ea exsistendi ratlone quam etsi verbis exprimere vix possumus possibilem tamen esse Deo, cogitatione per fidem illustrata assequi possumus et constantissime credere debemus.

 第一に、聖なる公会議は次のことを教え、明らかに簡単に表明する。養う聖なる聖体の秘跡において、パンとブドー酒の聖変化の後、まことの天主であり(まことの)人である私たちの主イエズス・キリストが、真に、現実に、実体的に、(パンとブドー酒という)かの可感覚的な形色のもとに含まれていることを。事実、私たちの救い主ご自身が自然な存在の仕方で、天において常に聖父の右に座しておられることと、しかしながら、私たちが言葉で表わすことはほとんど不可能ではあるが、天主には可能である存在の仕方によって、信仰に照らされた認識によって私たちが同意することができ、また私たちが固く信じなければならない存在の仕方によって、秘跡的に他の多くの場所にご自分の実体によって現存して私たちに臨在しておられることとは互いに矛盾しない。

第4章 全実体変化について

Quoniam autem Christus redemptor noster corpus suum id, quod sub specie panis offerebat (cf Mt 26.26ss; Mc 14.22ss; Lc 22.19s; 1 Co 11.24ss), vere esse dixit, ideo persuasum semper in Ecclesia Dei fuit, idque nunc denuo sancta haec Synodus declarat: per consecrationem panis et vini conversionem fieri totius substantiae panis in substantiam corporis Christi Domini nostri, et totius substantiae vini in substantiam sanguinis ejus. quae conversio convenienter et proprie a sancta catholica Ecclesia transsubstantiatio est appellata.

 私たちの贖い主キリストは、パンの形色のもとにささげ給うていたものを本当にご自分の身体であると仰せられたので(マテオ26・26以下、マルコ14・22以下、ルカ22・19以下、1コリント11・24以下参照)、その通りに、天主の教会において常に信じてきた、そしてそのことを、今再び、この聖なる公会議は宣言する。すなわち、パンとブドー酒の聖変化を通して、パンの実体はことごとく私たちの主キリストの実体となり、ブドー酒の実体はことごとくその血の実体に変化する。この変化は、聖なるカトリック教会によって、適切に固有の意味で全実体変化と言い表わされた。


至聖なる聖体の秘跡に関する規定(Canones de ss. Eucharistiae sacramento)

Can. l. Si quis negaverit, in sanctissimae Eucharistiae sacramento contineri vere, realiter et substantialiter, corpus et sanguinem una cum anima et divinitate Domini nostri Jesu Christi ac proinde totum Christum; sed dixerit, tantummodo esse in eo ut in signo vel figura, aut virtute: anathema sit (cf. DS 1636 1640).

1条。もしも誰かが、聖体の秘跡の中に、真に、現実に、そして実体的に私たちの主イエズス・キリストの御体と御血とがその霊魂と神性とともに、さらにキリスト全部が含まれていることを否定し、そうではなく、この中には、しるしまたは象徴として、または効力においてあるだけであると言う者は排斥される。

Can. 2. Si quis dixerit, in sacrosancto Eucharistiae sacramento remanere substantiam panis et vini una cum corpore et sanguine Domini nostri Jesu Christi, negaveritque mirabilem illam et singularem conversionem totius substantiae panis in corpus et totius substantiae vini in sanguinem, manentibus dumtaxat speciebus panis et vini, quam quidem conversionem catholica Ecclesia aptissime transsubstantiationem appellat: an. s. (cf. DS 1642).

2条。もしも誰かが「神聖にして犯すべからざる聖体の秘跡において、パンとブドー酒との実体が私たちの主イエズス・キリストの体と血とともに残る」と言い、パンとプド一酒の形色だけは残りつつもパンの全実体が御体に、プドー酒の全実体が御血にかの驚くべきかつ特別の変化をすること(この変化をカトリック教会ほ全実体変化という極めて適切な表現で呼ぶ)を否定する者は排斥される。

【関連記事】

【お祈りのお願い】「事業仕分け」で難しい立場に置かされつつある芸術家の方々

2009年12月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 もうご存じの方々もたくさんおられるとは思いますが、私は先ほど教えてもらいました。
 例の「事業仕分け」で今までのように、科学関係の予算が削減されるのみならず、芸術には税金が使われなくなるようです。「伝統文化子ども教室、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成:国の事業として行わない」ということになるそうです。「芸能は国がやる仕事ではない」のかもしれません。芸術は「どうせやりたかったら、勝手にやりなさい」ということになるそうです。

 主に次の二つの点が挙げられています。
(1)日本芸術文化振興会への文化庁交付金への圧倒的な縮減
(2)本物の舞台芸術体験事業からの国の撤退

 芸術家の方々のブログをご紹介します。難しい立場に置かされつつあるこのような芸術家の方々のために愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

「事業仕分け」で能楽公演廃止に!!!!

例の事業仕分けで日本のオーケストラが大変なことに・・・

札響チェロ奏者:荒木均のブログ 「事業仕分け」と道の予算削減

事業仕分けとオーケストラの危機

聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.5.1.“私は警告の叫びをあげた”(1)

2009年12月09日 | ルフェーブル大司教の伝記
V. 真のアッジョナルナメントに向けて


“私は警告の叫びをあげた”(1)

 1965年に公会議がペルフェクテ・カリターティス(Perfectae Caritatis)という修道生活の刷新・適応に関する教令をもって、修道会の近代化またはアッジョルナメントを推進するさなか、ルフェーブル大司教はご自身の修道会の会員たちに向けてこのことに関する書簡を準備した。1966年1月6日付けの書簡は、現地の長上たちに、公会議公文書を研究させ、聖霊修道会の会憲について会員たちの提案を集約するよう要請した。これはローマで開催されることになる運営上の総会の準備のためだった。

 大司教は、この提案が「簡素な、客観的、現実的、平和の精神において」行われように依頼した。

 彼は、革新のための四委員会を自分が立ち上げることを報告した。それは聖霊修道会会則、養成、修道会規律、修道者の使徒職に渡る。

 しかしながらあらかじめ、地域長、修練院と神学校の校長宛の手紙の中で、大司教は、後に彼が言うように、“修道者の諸徳に関して、さらには知性と意志の養成に関して、真の修道会のアッジョナルナメント”を要求する“警告の叫び”をあげた。

 もしそこから二年後に明らかな立ち戻りがなければ、 . . . 私たちはこの修道会を絶滅に導いてしまうだろう。”

 大司教は念を押して、神学校の長上たちが教義に関して警戒を怠らないようにとその義務を思い起こさせた。

“進化論、唯物主義、自然と超自然的の混同の誤謬に対して、さらに個人責任を軽視しする誤謬、人間性の誇張という誤謬に対して”の警戒である。

 これに対する対策は、“聖トマスが説く諸原理に従う哲学”であり、特に「家族、社会、政治倫理」において「実証神学のみならず、思弁神学である。それは聖トマスとともに、理性と信仰の両立性を立証するためである。」

 典礼の領域で、ルフェーブル大司教は総会の決定を適応させた。共同の祈りを整備し、“聖霊修道会の祈り” に代わって、司祭たちの大満足を得て、教会法において教会が推薦する習慣に従って朝には賛課、夜には晩課或いは終課を用いることを個人の自由に任せて(ad libitum)提案した。

 しかしながら、典礼実験への渇望がフランスとオランダの聖霊修道会地域に拡がったので、総長は“典礼的適応に正しい場所と適切な機会を与える”のを許す原則を思い起こさせた。ところで、この原則が公会議の典礼憲章とあまり関係がないと言わなければならない。こういうわけで、大司教が公会議に忠実ではないと非難するささやきが日増しに聞かれた。

 さらに不満分子たちは、公会議の名によって刷新を奨励していたので、ルフェーブル大司教は新規な逸脱にすばやく介入して訂正することをためらわなかった。

 ルフェーブル大司教はこう求めた。
「私たちは、主祭壇の中心という御聖体の秘蹟に相応しい名誉ある地位を、聖体のために残し続ける」そして「乱用的に共同司式の数を増やすことや、一人で捧げる読誦ミサを過小評価することを避ける。」

 彼は「自国語によるミサの挙行を週に二回だけ」許可した。

(つづく)

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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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