Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

カトリック教会の危機:約7万人のカトリック司祭が・・

2009年12月09日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今から2年前の記事です。「辞めた」司祭、「戻った」司祭というのが記事のタイトルです。PRETI CHE «ABBANDONANO», PRETI CHE «RITORNANO» - GianPaolo Salvini S.I.

イタリアのラ・チヴィルタ・カットリカ誌に掲載されているイエズス会師ジャンパオロ・サルヴィニ神父の記事によると、姿を消したなどのケースもあり正確な数字は分からないが、バチカンに報告されているだけでも、およそ35年の間に約7万人のカトリック司祭が司祭を辞め、そのうち約57000名の司祭達が結婚して司祭職を放棄したそうです。(司祭職を辞めて後に11213名が司祭職に復帰している。)

参考資料

主よ、我らを憐れみ給え!
天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【関連記事】

聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.4.2.宣教師たちの修道生活を擁護して

2009年12月09日 | ルフェーブル大司教の伝記
IV. 修道生活と使徒職


宣教師たちの修道生活を擁護して

 大司教の聖霊修道会士たちへの書簡をもって、あるいは聖霊会総合会報(Bulletin General これはルフェーブル大司教が英語とフランス語の二ヶ国語で出版させ、この構想は英語圏の人々から評価された)に掲載された「今月の言葉」をもって、ルフェーブル大司教は宣教師たちの修道生活の擁護者となった。自ら発言したように、ルフェーブル大司教は、公教会の聖伝の源泉から汲み取って擁護した。

 聖霊修道会の会員宛の最初の書簡の中で、彼は“教会に属する事”について言及し、「私たち独自の考えには場所を与えないこと、そうではなく、私たちの考え全ては公教会と教皇の考えであること」と語った。

 大司教は、先任の総長のように、“信心の真の源泉と、ミサの聖なる犠牲への信仰の源泉とからそれ汲み出させる”ことに心遣いをしていると表明した。彼は大神学校の校長に対しては、「若きレヴィ人達【訳者注:司祭となるべき神学生達のこと】を真の司祭的な霊魂に養成する」よう依頼した。

 司祭的霊魂とは「キリストの従順、天にまします聖父とのキリストの一致、その謙遜、単純さ、さらに強く自己謙虚の愛徳において、かの最高の大司祭であるキリストの似姿となる」ことを追い求める。

 当初から、大司教は修道生活の価値を理解しない批判精神の態度を攻撃した。
聖霊修道会では、司祭であれ、修道者であれ、全ての会員は三つの修道誓願を立てていたにもかかわらず、創立者である尊者リベルマン(Venerable Libermann)は、もともとは自分の修道会を、修道者たちの会はなく、宣教司祭の会として構想したというのを口実にして、ある会員たちはこう議論した。
「私たちはまず宣教師である。」

 他方で他の会員はこう反論した:「いや違う!私たちは先ず修道者である。」

 ルフェーブル大司教は「この空しい議論は、修道生活と使徒的生活の両方に対する理解の欠如を示している」と無効を宣言した。

 ルフェーブル大司教は「司祭職と修道生活において有り余るほどに与えられる孝愛の賜物によって完全に刻印を押された霊魂は、修道生活に、つまり、礼拝、信心、そして祈りの生活-に飢え乾くだろう。」と説明した。

 使徒職の目的は「人間の霊魂内に、信仰、希望、愛の徳の影響の下で、敬神の徳(vertu de religion)を生き返らせる以外の何物でもない。

 その時、修道生活と使徒的生活の間には如何なる対立も乖離もないのである。「観想的生活は、本質的には活動的なのである。」と大司教は印象に残るほど端的に言った。それは、観想生活と修道生活は、延長上に、活動的で使徒的にもなるのであり、「同じ源泉により養われ、同じ目的を持っている」という事である。

 ルフェーブル大司教は長年、司祭生活と修道的生活との一致をこそ生きて来たのである。しかし1964年に、これを聖霊修道会士たちに教育するために責務を負わされたことまで戻らなければならない。その時大司教は、パウロ六世の

「活動的生活よりも内的生活が卓越していること深く確信しなさい。あなた方は、この世に同一化することなく、・・・この世を霊的に征服するよう召されている。クレルヴォーの聖ベルナルドはあの使徒的な人にこう思い起こさせている:“もしあなたが賢明なら、運河ではなく、貯水池になれ”と。なぜなら、貯水池は自分が水で溢れる前に、水を満たす事から始めるのに対し、運河は一滴も水をとっておかず、ただ自分によって水を通過させるだけだからである。」という言葉を引用した。

 教皇は締めくくった。

「黙想に忠実に留まる事によって、あなた方はこの内的生活を養い、活動がもたらす損害からそれを守るだろう。」

 その年の終わりに総長は再びパウロ六世の言葉を引用して繰り返して力説した。

「重荷であるかのように修道生活を送ってはならない。あるいはそれを使徒的生活に立ちはだかる障害などと見做してはならない!」

 修道者的清貧に忠実であり、大司教は聖霊修道会の司祭たちに“小遣い”を与えようという意見を断固として却下した。

「それは出来ない」と彼は言う。「たしかに司祭たちには相続した所有物を保持する事が許されていているが、特別な許可もなく、収入を彼らの希望通りには使用することは出来ない。」 

 ある司祭たちは修道生活の刷新に関する公会議の教令を誤解し、デマゴギーによって、修道士たちに司祭たちと対等な資格を与えようとした。

 大司教はこう書いている。「いいえ、修道士たちは修道会の一般の目的においては司祭たちと対等である。つまり天主の栄光とその会員の聖化という会の目的である。しかしながら“黒い肌の異教徒たちを宣教する”という特殊な目的に関して、修道士たちは司祭たちを助けることにとどまる。実際、彼らは修道士としての身分に属しており、聖職者になることを望んでいない。彼らは修道士独特の目的である自分の仕事あるいは専門的知識を用いて司祭たちを助けることを高く評価している。」

 この発言は、修道士たちに下級品級を与えるのが望ましいという大司教のお考えを阻むものではなかった。ただし、それは全く別の理由からであった。つまり彼は宣教地で遂行できるようにと、修道士たちに侍祭と伝道師の任務に相当する恩寵を与える事を望まれたのである。

第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革


III. より優れた組織編成


Rorate Cæli 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ

2009年12月08日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 待降節の有名なグレゴリオ聖歌、ロラテ・チェリをご紹介します。

 ラテン語と日本語との対訳は次にあります。RORATE CAELI 対訳

Rorate Cæli desuper, et nubes pluant justum.

 ここで繰り返される、「Rorate caeli desuper, et nubes pluant justum.」という言葉は、イザヤの45:8から来ています。

"Roráte, cæli, désuper, et nubes pluant justum ;
aperiátur terra, et gérminet Salvatórem, et justítia oriátur simul : ego Dóminus creávi eum.

「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
 地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを、主なる私がそれを創った。」

「露」は、新鮮ですがすがしく、昼の熱を感じさせないところから、肉欲の炎の無い童貞女の懐妊が暗示されています。

「雲」は、旧約では天主の現存と天主の聖寵のシンボルです。御托身の時には、聖霊が雲のように聖母マリアを覆った。聖ルカはこう記しています。「聖霊があなたにくだり、いと高きものの影があなたを覆うのです。」

生きる水を与えるキリスト、義人なるキリストが、人類未踏の大地なる聖母マリアから生まれるのです。キリストは同時に正義の太陽です。

天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。

 イザヤの預言の有名な40章は、こう始まります。キリストの到来を待望していた旧約の人々は、この預言を黙想していました。


Consolámini, consolámini, pópule meus,
dicit Deus vester.
2 Loquímini ad cor Jerúsalem,
et advocáte eam,
quóniam compléta est malítia ejus,
dimíssa est iníquitas illíus :
suscépit de manu Dómini duplícia
pro ómnibus peccátis suis.


「慰められよ、慰められよ、私の民よ」と
あなたたちの主は言われる。

「エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」


 そして、次にこうあります。


3 Vox clamántis in desérto :
Paráte viam Dómini,
rectas fácite in solitúdine sémitas Dei nostri.
4 Omnis vallis exaltábitur,
et omnis mons et collis humiliábitur,
et erunt prava in dirécta,
et áspera in vias planas :
5 et revelábitur glória Dómini,
et vidébit omnis caro páriter
quod os Dómini locútum est.

 砂漠に叫ぶものの声
「主の道を整えよ、私たちの天主の小道を荒れ野で真っ直ぐにせよ。
 全ての谷は高くなり、全ての山と丘は低くされる、
 凹凸の地は平らになり、道の険しいところは平野となる。
 そして主の栄光が見られるだろう、そして全ての人間は
 等しく主の口が語ったことを見るだろう。」


6 Vox dicéntis : Clama.
Et dixi : Quid clamábo ?
Omnis caro fœnum,
et omnis glória ejus quasi flos agri.
7 Exsiccátum est fœnum, et cécidit flos,
quia spíritus Dómini sufflávit in eo.
Vere fœnum est pópulus :
8 exsiccátum est fœnum, et cécidit flos ;
verbum autem Dómini nostri manet in ætérnum.
9 Super montem excélsum ascénde,
tu qui evangelízas Sion ;
exálta in fortitúdine vocem tuam,
qui evangelízas Jerúsalem :
exálta, noli timére.
Dic civitátibus Juda :
Ecce Deus vester :

 言うものの声「叫べ」
 私は言った。「何を叫ぼう?」
 全ての肉は草、全ての肉の栄光は畑の花のようだ。
 草は枯れた、花は萎れた、何故なら主の息吹がそれに吹きかかったからだ。
 民は実に草である。
 草は枯れた、花は萎れた、
 しかし私たちの主の御言葉は永遠に留まる。
 高い山の上に上れ、シオンに良い便りをもたらすあなたよ、
 力強さにおいてあなたの声を上げよ、エルサレムに良い便りをもたらすものよ、
 声を上げよ、恐れるな、ユダの町々に言え、
 あなたたちの天主を見よ、と。


 平らにならされた道を通って伝令が来ます。伝令は王の到来を告げます。
王ご自身が、天主ご自身が来られる、と。


10 ecce Dóminus Deus in fortitúdine véniet,
et bráchium ejus dominábitur :
ecce merces ejus cum eo,
et opus illíus coram illo.
11 Sicut pastor gregem suum pascet,
in bráchio suo congregábit agnos,
et in sinu suo levábit ;
fœtas ipse portábit.

見よ、天主なる主は力において来たり給うだろう、
その腕は支配するだろう、
見よ、天主とともにその報いがある、
主の御業は主の御前にある。
主は、牧者のように、群れを養い給うだろう、
その腕において子羊たちを集めるだろう、
その懐において主は高めるだろう、
主ご自身が母羊を抱き運ぶだろう。


「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」

「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」


 旧約の義人たちはこの言葉を黙想していたのです。それがロラテ・チェリの歌にも現れています。

 そこで、ルカの言葉が光り輝くのです。

ティベリオ・チェザル在位の第十五年目、
ポンツィオ・ピラトがユダヤの総督、
ヘロデがガリラヤ分国王、
その兄弟フィリッポがイトゥラヤとトラコニティス分国王、
リザニアがアビレネ分国王、
アンナとカヤファが大司祭だったとき、
荒れ野で、ザカリアの子ヨハネの上に、
天主のみことばがくだった。
そこでヨハネは、ヨルダンの全地方に行き、
罪のゆるしのためのくいあらための洗礼を教えた。
それは、預言者イザヤのことばの書に、
「"主の道を準備し、その小道を正しくせよ。
すべての谷はうめられ、山と丘とはみなならされ、
曲りくねった道はまっすぐに、でこぼこ道は平らにされ、
人はみな天主の救いを見るであろう"と荒れ野に叫ぶ声がする」
と書かれているとおりである。


「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」

「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
天主様の祝福が豊かにありますように!

天主の聖母の御保護によりすがり奉る Sub Tuum praesidiium

2009年12月08日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖母マリア無原罪の御宿りの大祝日のお慶びを申し上げます。
 この栄えある天主の聖母、終生童貞なる聖マリアの祝日において「終業の祈」として有名なお祈りをご紹介します。

天主の聖母の御保護によりすがり奉る。
いと尊く祝せられ給う童貞、
必要なる時に呼ばわるを軽んじ給わず、
かえってすべての危うきより、
常にわれらを救い給え。アーメン。



 この祈りは、原文はギリシア語です。太古から存在していたことが確認されています。
 そこからいろいろな言葉に翻訳されました。シリア語、シロ・カルデア語、アルメニア語などです。

 私たちが今、確認できる証拠としては、3世紀のものと考えられているパピルスがあります。これはエジプトのアレクサンドリアで発見され1938年に初めて発表されました。これには次のような文字がギリシア語で書かれています。




[...]πὸ[...]
εὐσπλ[...]
καταφε[...]
Θεοτόκετ[...]
ἱκεσίαςμὴπαρ
ίδῃςἐνπεριστάσει[...]
ἀλλἐκκινδύνων
[...]ρωσαιἡμᾶς
μόνη[...]
[...]ηεὐλογημένη[...]

 これを、復元すると次のようになると考えられています。

πὸ τὴν σὴν
εὐσπλαγχνίαν,
καταφεύγομεν,
Θεοτόκε. Τὰς ἡμῶν
ἱκεσίας,
μὴ παρίδῃς ἐν περιστάσει,
ἀλλ᾽ ἐκ κινδύνων

λύτρωσαι ἡμᾶς,
μόνη
Ἁγνή,
μόνη εὐλογημένη.

 これを翻訳すると、次の通りです。

御身の憐れみの下に
我らは寄りすがり奉る、
天主の御母よ
我らの祈りを
困難なるときに軽んじ給わず、
かえって、危うきより

我らを救い給え
唯一聖にして、
一祝せられたる方よ

 これが、ラテン典礼では次のようにラテン語に訳されました。

Sub tuum praesidium confugimus,
Sancta Dei Genetrix.
Nostras deprecationes ne despicias
in necessitatibus,
sed a periculis cunctis
libera nos semper,
Virgo gloriosa et benedicta.


 ミラノのアンブロジオ典礼では次のように訳されました。(ギリシア語のより逐語訳のようになっています。)

Sub tuam misericordiam
confugimus, Dei Genitrix
nostram deprecationem ne inducas in tentationem
sed de periculo libera nos
sola casta et benedicta


 これが日本語に次のように訳されたわけです。

天主の聖母の御保護によりすがり奉る。
いと尊く祝せられ給う童貞、
必要なる時に呼ばわるを軽んじ給わず、
かえってすべての危うきより、
常にわれらを救い給え。アーメン。


 グレゴリオ聖歌では、次の動画のように歌います。



(次のは、ローマ典礼式というよりは、ベネディクト会式と思われます。)



天主の聖母、終生童貞なる聖マリアが、日本において、世界において、全ての方々から正しく知られ、愛されますように!

天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.4.1.スータンの着用

2009年12月08日 | ルフェーブル大司教の伝記
第14章 総長 防御の最後の試み
IV. 修道生活と使徒職


スータンの着用

 修道生活に関する総長の最初の立場は、修道的で司祭的な衣服の着用というとても実践的なことに焦点を絞った。“石頭”ではなかったルフェーブル大司教は、しばしば完全に対照的に、フェーブル大司教はスータンでも “聖職服” でも、もしもただ単に十字架を一つ人目につくように聖職服に取り付け、どこへ行ってもカトリック司祭の印として周囲に分かってもらえる限り「どちらにも異存はない」とタルディニ枢機卿に書き送り、さらにブッサール(Bussard)神父に述べた。

【ここで言う “聖職服” とは、背広にローマン・カラーを付けるという司祭服のこと】

 しかしながら1962年、チュールの司教を勤める間、大司教は南西フランス司教団の会議に出席し、多くの出席者同様、リショ(Richaud)枢機卿によって読み上げられたパリからの提議にあきれてしまった。その提議とは、“スータンを撤廃しよう”とし、その理由はスータンが“邪魔”と考えられるからで、それを司祭たちい少しずつ理解させるべきであるとうものだった。

 国際的な修道会総長として、大司教は旅行と、一般的にスータンの着用が通常の服装でなはいアングロ・サクソン系の諸国では聖職服の着用を認めていた。1962年6月、フランス司教団は聖職服着用に一般的な許可を与える事に決定した。その後、数ヶ月もたたないうちに司祭たちはこの許可の“はるか彼方に”行っていう事にルフェーブル大司教は気づいた。「多くの司教区で、聖職者であることを示す印となるものを全て放棄し」、一般服の着用にこの許可が誘導した事に気づいたのである。従って、聖霊司祭修道会士の中には一部これを全く無視するだろうということを十分知りつつも、大司教は“スータン着用に関して”修道会宛に回覧書簡を書くことを決意した。

 この書簡は、それがもつ深く霊的な議論ゆえに注目に値するものである。

「『“聖職服” は、最低限の明らかな印を伴って、天主に奉献された人であると識別する服装である。』しかし、キリストが「あなたたちはこの世のものではない(ヨハネ第15章19節)」とおっしゃったは修道者たち、また「ex hominibus assumpti、全ての人間の中から選ばれて(ヘブライ人第5章1節)」と仰った司祭たちにとって、あるいは、「あなたたちは私の証人となるであろう(使徒第1章8節)」、という聖主の聖言葉により世界に送られた使徒たちにとって、この最低限の外的印なるもので十分なのだろうか! 正に、世俗からの別離を果たし、私たちの聖主の証人にしてくれるながらスータンは、これらの二つの目的を私たちに達成させてくれる。」

 そこで総長は鋭く司教の権威をもって嘆いた。
「信徒の服装をすること、服装による外面的な証を消し去る事は、明らかに司祭職への信仰の欠落、隣人における修道者の意味の誤解、さらには、己の信念における臆病さと勇気の不足を表している。」

 これら三つの問題点を調査し、大司教は「政教分離し、非キリスト教化されたこの世に歩み寄ろうとする欲求」を告発し、「霊的事柄や天的な事柄に対する望みには霊魂が無関心であると思うことは、方々の霊魂をよく知らないことである」と証明し、「司祭たちは、スータンによって生きた説教になる」また「特に大都市において(目に見える)司祭の不在は、福音宣教の重大な退歩」である、と言明した。

 この書簡原文からの長い引用文は4月19日発行のル・モンド(Le Monde)紙と5月9日発行の リヴァロル(Rivarol)誌などによって公表された。書簡は広く知れ渡り、大司教はそれを印刷させ、数多くの司祭と信徒、そしてこの印刷を要求する各出版社に送った。5月9日、オッタヴィアーニ枢機卿は、ルフェーブル大司教に賛辞の手紙を送った。

 この立場がルフェーブル大司教にとって多くの友人だけではなく、多くの敵もまた生み出した事は加筆する必要はない。彼にとって重要な事とは、悪と戦い、聖パウロが勧告するように(ティモテオへの第2の手紙第4章1-2節)、よい折があろうとなかろうと真理を言うことだったである。

第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革



III. より優れた組織編成


聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在31392環のロザリオが集まりました

2009年12月07日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ロザリオの十字軍の報告をご紹介いたします。

 2009年11月までの分で、12月07日現在の報告の総計はついに31392環です。寛大なご理解とすばらしいご協力に心から感謝いたします!
 ご報告を下さった愛する兄弟姉妹の皆様のお一人ずつに心からのお礼のメールを差し上げたいのですが、それも出来ずに失礼しております。ご容赦をお願いいたします。

 ある日本のシスターは、11月の間に90環のロザリオを捧げてくださいました。
 また、或るご家族は、エクセル・ファイルで、1335環のロザリオを捧げてくださいました!ありがとうございます!

 また、愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力とご援助をもって、ロザリオの十字軍のロザリオの数が、次のように月ごとに増加することが出来ております。深く感謝しております。

 2010年3月25日まで、108日しか残っていません。私たちの目標の12万環までは、約25%が達成しましたが、あと88608環が必要です。(ということは、毎日820環です!是非、お知り合いの方々にご協力をお願いしてください。よろしくお願いいたします。)

【報告】
小野田神父様
おはようございます。
先月は、10環です。
始めから累計して、計13環になります。
宜しくお願いいたします。


【報告】
Dear Fr;
thank you for your e-mail.
I'm sorry I didn't give you the number of rosary. I started to say
in Apr. everyday 7, so monthly 210,
Now 8 months total 1680.

【報告】
That is how I counted up for a total of 44.

【報告】
トマス小野田神父様
休日出勤の帰りです。さて、ロザリオの報告ですが、先週日曜日から本日(12月5日)まで5環のみです。すみません。

【報告】
ave maria !!

小野田神父様こんにちは。
今日(11/23~12/3)まで唱えたロザリオの数を報告します。
37環でした。
(それ以外に)私の祖母が2環唱えてくれました。
神父様に伝えるには数が少ないと祖母は申しておりました。

【報告】
Father,
Thank you very much for the information.
Over the last three months, I have said about 90 Rosaries.
Very Respectfully,

【報告】
トマス小野田圭志神父様

十主の平安
アヴェ・マリア
聖なるロザリオの御報告です

マリア    6環
テレジア  61環
ステファ二 15環

以上です、どうぞ宜しくお願い致します!

+ + +


よき無原罪の御宿りの祝日をお迎えください!

無原罪の聖母、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【関連記事】ファチマとロザリオの十字軍


聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.3.4.総長の旅

2009年12月07日 | ルフェーブル大司教の伝記
第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅲ. より優れた組織編成


総長の旅

 このような “メッセージ” を書くことに加えて、総長は地域と地区を視察するための地域長を送り、自分自身でも訪問している。その間、多忙にもかかわらず彼は聖霊司祭修道会の運営と、公会議中予定される様々な会期に向けての準備を怠らなかった。絶えることのない多岐にわたる仕事は驚くべきものだった。それは持っている時間と、協力者たちの事業を完璧にやり繰りすることを要求するものだった。

 これらの訪問の旅のリストは、大司教が成し遂げた事について私たちに想像させるだろう。

-- 1962年9月 ポルトガル歴訪

-- 1963年1-3月 フランス歴訪:神学校と修練院、チュールで、後継者であるアンリ・ドンス(Henri Donze)司教の司教聖別

-- 4月 スペイン歴訪(神学校の再創設)

-- 5-6月 アメリカ合衆国:ピッツバーグのデュケイン大学(Duquesne University)、ジョン・ライト司教訪問、リッチフィールドの修練院、ファーンデイル(Ferndale)の神学校、コーンウエルズ(Cornwells)のハイスクールの訪問。そこには80軒の聖霊司祭修道会の修道院があり、そのうち22の小教区は黒人のために従事。そこから、1964年1月1日にはアメリカ合衆国の地域をの二分割化の決定。それからトリニダード(Trinidad)の高校創立百周年記念、ギアナ、アンティル諸島、そして英国歴訪

-- 1963年7月 ケニア:聖霊司祭修道会の東アフリカ宣教百周年記念

-- 1964年2-3月 ナイジェリア歴訪。その後アイルランド歴訪:ロックウェル・スクールの創立百周年記念。そこでブラウン(Browne)枢機卿の列席する司教荘厳ミサを司式する。マッケイド大司教、グリフィン神父、さらに(ある機会に大司教のミサに仕える)エイモン・デ・ヴァレラ(Eamon de Valera)大統領に会う。スコットランド歴訪:マザーウェル神学校訪問

-- 12月 南アフリカのベトレヘム歴訪。そこで大司教は書いている。「聖霊司祭修道会士たちは愉快で、よく働いている。しかしながら革新の精神が、数名の若い会士の中に見受けられる。」モーリシャス歴訪:ラヴァル神父の生誕百周年記念、さらにレユニオン(Réunion)歴訪
【レユニオンは、マダガスカル島東方のインド洋上に位置する島で、フランスの海外県の一つ。県都はサン・ドニ。】

-- 1965年12月 アンゴラ歴訪。そこでこのように書いている。「都市部のヨーロッパ人専用の教区において、黒人たちは自分の子供たちに洗礼を授けさせる事ができない . . .これはまさに黙認する事ができない。」 カビンダ(Cabinda)歴訪。スィエッラ・レオーネ(Sierra Leone)歴訪:百周年記念;聖霊司祭修道会支部および教区創設、さらに小神学校開設のため現地司教認可の取得。カーボベルデ(Cape Verde)諸島歴訪

-- 1965年6月 ナイジェリア:邦人司祭叙階式

-- 1966年 カメルーン歴訪

-- 1967年6-8月 トリニダード歴訪:新神学校創設;ブラジル歴訪、とりわけアマゾンと南部都市:マナウス(Manaus)の小教区、べレム(Belem)の会計部事務所、テフェ(Tefe)オランダ人聖霊司祭修道会士に委託されていたprelatura、このテフェの最長上はマナウスに住んでいて、テフェをないがしろにしていた。ジョアキム・デ・ランジュ(Joaquim De Lange)司教は、オランダ人によって誤って「あまり近代的ではない」とその訪問が非難される。カロアリ(Carauary);イタマリティー(Itamarity);クルゼイオール・ド・スル(Cruzeior do Sul‐ドイツ人聖霊司祭修道会の宣教師たちが配属された6宣教地区)を訪問。アシェ司教はルートゥ(Rüth)大司教にジュルア(Jurua)の prefecturaの司教区を手渡した。ルフェーブルは書き留めている。「もし長上が小神学校の開校を考慮に入れてくれれば、私たちは沢山の召命を獲得することが出来ただろう。」

その後、ブラジルの南西地方への歴訪:フロリダ・パウリスタ(Florida Paulista)、この地域にはアイルランド人聖霊司祭修道会士たちが経営するエミリアノポリスの神学校があるが、残念ながら非常に孤立していた):サン・パウロ(Sao Paulo)とサンタ・カタリナの歴訪(ここはドイツ人司祭たちがブルメノ(Blumeno)の小教区と、サレーテの神学校と修道士のための修練院、これも新しくはあるが非常に人里はなれていた)。より合理的でより宣教的な新たな配分を協議。そこからベロ・オリゾンテ、イタウナ(Itauna)、そしてディビノポリスの歴訪。ここでルフェーブル大司教はオランダ人聖霊司祭修道会士の下でしどうされていた修練院の弛緩した態度に衝撃を受けた。彼はこれを直すように要求するのだが拒否される。

この旅はコロンビアへの短い訪問と、パラグアイ(リマの村に3日間滞在し、アレキパ(Arequipa)、アスンション(Asuncion)、とコンセプション(Concepcion)での優れた宣教の活動によりルフェーブル大司教は感銘を受けた)。
行く先々で、大司教は聖霊司祭修道会士たちに霊的講話と修道会に関するニュースを提供した。彼は簡単に修道会の事業を見渡し、それに要する何らかの手段を提案した。同時に超自然的手段が何よりも優先される事を彼は強調した。秘蹟を受けるために霊魂を十分準備すること、個人または共同での祈りを大切にすること、修道服をいつも着ていること。残念ながら、2名の宣教師が既に還俗を要求している!

-- 1967年12月 ポルトガル歴訪

-- 1968年3月 トリニダード歴訪

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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.3.3.迫害される宣教師たちを勇気づけながら

2009年12月06日 | ルフェーブル大司教の伝記
第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅲ. より優れた組織編成


迫害される宣教師たちを勇気づけながら

 ルフェーブル大司教の総長時代、聖霊司祭修道会の司祭たちが働いていた多くの国で、教会に対する新たな迫害が起きていた。1964年9月発行の“月の言葉”(Avis du mois)誌の中で、共産主義者の陰謀のもとにあるアフリカの誕生間もない諸共和国が独立する前に予見した状況について大司教は言及した。

 彼はこのように書いた。

「親愛なる同僚の皆様、
ミュレリスト(Mulélistes)たちにより占領された地方にとどまっているベルギーの同僚たちは、迫害に苦しんでいる。これはコンゴロ(Kongolo)にいた同僚たちを襲った虐殺が髣髴としてよみがえらせる状況である。しばらくしてポーランドにいる同僚たちは、科学的に計画されていると言ってもいい絶え間ない迫害を受けている。多くの国で、宣教師たちは、屈辱を忍び、追放の脅威にさらされている。そんな今、私たちが、与えられた召命への信仰を新たにする事は優れたことである。」

【訳注:ミュレリストというのは、コンゴ・キンシャサ(コンゴ民主共和国、旧ザイール)出身のコンゴ人の革命家ピエール・ミュルル(Pierre Mulele)を支持する人々のことで、ミュルルは1961年アントワン・ジザンガを首相として反乱政府の頭となった。1963年にはクウィリュ(Kwilu)地域でマイマイの反乱(rébellion Maï-Maï)を起こした。反乱に失敗するとコンゴ・ブラザヴィル(今のコンゴ共和国)に逃亡した。反乱においては、ミュレリストたちはヨーロッパからの入植者、宣教師たちを多く殺害し、子供や孤児も容赦しなかった。ミュルルは1968年コンゴ・キンシャシャに帰国し拷問を受けて死亡。】

【1960年から1967年の間のコンゴ民主共和国の正式名称は、西のコンゴ共和国と同じ「コンゴ共和国」であったため、区別のために、コンゴ・キンシャサと呼ばれ、西のコンゴ共和国をコンゴ・ブラザヴィルと呼んだ。1967年にコンゴ民主共和国と改名する。1971年 - 1997年には「ザイール共和国」と名称を改めたが、1997年から再びコンゴ民主共和国となった。】

【ベルギー領コンゴでのカタンガ戦争(Guerre du Katanga)では、1962年1月1日に政府軍によってベルギー人の聖霊修道会司祭らが20名殺害された。】

 聖霊司祭修道会は、コンゴ共和国(コンゴ・ブラザヴィル)で経営していた学校を没収され(1965年8月)、さらには、ハイチとギニアから追放された。

【ハイチでは、フランソワ・ドュヴァリエ(François Duvalier)の独裁の下で1961年に迫害を開始した。】

 ギニアからの追放の際には、1967年5月に追放された宣教師が飛行機から降りてくるのを迎えるために、ルフェーブル大司教は、特別にローマからパリに行った。間もなく、ビアフラ戦争(1967-1970)で苦しんだ。

【訳注:ナイジェリアのイボ族がビアフラ共和国として分離させ独立を宣言したことにより起こった戦争。ナイジェリア内戦とも言う。】

 1964年に総長は書簡を書いてこう言った。
「過去と現在に渡って同僚たちの耐え忍んできた苦難は、私たちの聖主との一体化と主に似たものにさせてくれるということの直線上にあることは、信仰の目には明らかな事である。」

 宣教師たちが、「もし外国から来たという理由だけで迫害されるなら、彼らは殉教者と呼ばれるにふさわしい」何故なら「私たちの聖主とその教会に対する信仰だけのゆえに、彼らが宣教の地に存在するからである。」

 このメッセージは、これらの大変動の中で苦しんでいる聖霊司祭修道会の司祭たちから歓迎された。こうしてコンゴ・ブラザヴィルのプワント・ノワール(Pointe-Noire)にある同会修道院長、ブルンベック(Brombeck)神父は、1965年1月8日、全面的な国有化の衝撃により、依然として混乱している目下たちに書簡を書いた。

「これらの事件に直面して、あなた方の中の多くは取るべき態度を理解しました。私たちの義務とは、平静に留まり、労働し、そして志気を保つことです。そこであなた方の一人が私にこう書き寄こしてきました。「私たちは、肉体を失った、全く霊的になった司牧職を継続します。私たちは、生活を通して示す模範と、さらに祈りと沈潜の実践により、証人としての役割を果たします。それもまた使徒職の一つです。少なくともこの使徒職に関しては、迫害者たちも攻撃する事は出来ません。
 皆さんの実践的な身の立ち振る舞いに関しては、1964年10月発行の コル・ウヌム(Cor Unum:聖霊司祭修道会の内部誌)に掲載された“宣教戦略”の記事を読むように勧めます。勇気付けの補足を必要とする方々のためには、総長様の先月の゜
月の言葉」をじっくりと黙想する事を勧めます。(総会報N.717参照のこと) 各段落の内容は、現在の状況に密接な関係があります。」

【訳注:「私たちは、肉体を失った、全く霊的になった司牧職を継続します。」と言われているのは、宣教活動にとって最重要で本質的であった学校経営が不可能になってしまったことをさす。】

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われは聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ給うた主イエズス・キリストを信じ奉る

2009年12月05日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 待降節に入りました。しかし例のスペイン人司祭はまた自分のブログで異端をしつこく述べ続けています。

 彼の「手作りの考え方」によると、「マタイ福音書とルカ福音書におけるイエスの誕生物語は史的事実でもなければ、子供向けのおとぎばなしでもありません。それは信仰の立場からの創作です」となっています。

 しかしこれはウソです。

 何故なら、四聖福音書は歴史的事実が書かれている歴史書であるからです。

 何故なら、マテオの聖福音書については、すでに近代主義の誤謬に対して、1911年に聖書委員会が次のように解答しているからです。

【質問6】:第1の福音書の著者の目的は、ユダヤ人たちにイエズスが預言者たちによって予告され、ダビドの家系から生れたメシアであることを証明するための特に教理的で護教的な目的であった、そしてまた、叙述し言及する事実と言われたことの配列においては、常に年代順になっているわけではなく、従って、この福音書を真実のものとして受入れるべきではないと結論される。これについては?
 或いは、この福音書において読まれるキリストの行ったこと、話したことの記録は、旧約聖書の予言と発展した教会の現状による影響を受けて、ある程度変更されたり改作されたりし、そしてそのために歴史的真実とかけはなれている、これはどうなのか?

【解答】二つの部分とも否定する。

【質問7】:キリストの系図と幼少時代を書き記しているはじめの2章の歴史的真実性(historica authenticitas)を疑い、教義上重要な箇所、たとえばペトロの首位権に関するところ(16:17-19)、使徒たちに与えられた洗礼の形式と全世界に福音を伝える使命についてのところ(28:19, 20)、使徒たちがキリストの天主性を信仰宣言するところ(14:33)、その他のマテオだけにある特別の箇所の歴史的真実性を疑う者の意見を、特にしっかりとした根拠に欠くものであると考えるべきか。

【解答】肯定する。


 また、ルカの聖福音書については、すでに近代主義の誤謬に対して、1912年に聖書委員会が次のように解答しているからです。

【質問9】:マルコがペトロの説教に従って、正確にそしてほとんど絵に描くように書き、ルカが「はじめからの目撃者で、みことばの奉仕者となった」十分に信頼できる証人を通して「すべてのことをはじめから詳しく調べた」(ルカ1:2以下)上で、きわめて誠実に表現した、(私たちの主の)言葉や行いは、教会がそれらの福音書に常に与えている歴史的信憑性を充分に持っていると言えるか。
 反対に、同じ(私たちの主の)言葉や行いは、少なくとも一部分は歴史的真実性がないと考えなければならないか。
それは、或いは、著者が目撃者でもなことから、
或いは、2人の福音記者に事件の経緯の順序がないことや相違があるのはほとんどまれではないことから、
或いは彼らは年月が経ってからやって来て書いたため、キリストや使徒たちの考えと違う概念やすでに民衆の想像によって多少ゆがめられたことを書いたのは当然でことから、
或いは、最後に、前もって持っていた教義的概念によって、それぞれ自分の目的に合わせて書いたことから、である。

【解答】第1部については肯定する、第2部については否定する。

 
 彼の「手作りの考え方」は明らかに異端です。

 何故なら、彼はこう言って言うからです。「この話しをきれいごとにしてしまうと、マリアの妊娠は奇跡的な出来事であるかのように扱われ、イエスの誕生は例外的なことのように描かれてしまいます。・・・ある伝承によるとマリアは性的虐待の被害者だったのではないかといわれていますが、それは確かめられません。しかし、そうだったとしても、イエスにおいて神が決定的に現れ、イエスこそ我々の間に現れた神ご自身であるという信仰を否定することにはなりません。」

 何故なら、聖母マリア様については、天主の聖母、終生童貞であることがカトリックの信仰であるからです。

 何故なら、イザヤの預言にあるとおり「童貞女が身ごもって子供を産む」これが本当のメシアのしるしとして与えられたからです。もしも、聖母マリアが童貞ではなく、性的虐待の被害者であったとしたら(主よ!このようなことを言う我らを憐れみ給え!)、もはやイエズス・キリストはメシアではなくなるからです。


 聖ピオ十世は、近代主義を排斥する「パッシェンディ」の中で次のように近代主義を描写しています。 まさにこの描写は、この「手作りの考え方」そのままです。

=========引用開始==========


聖書

22.聖書の本性と起源については、すでにふれました。近代主義者の原理に従えば、聖書は体験の集大成と呼んでさしつかえのないものです。

 しかるに、ここで言う体験とは、誰にでも時として起こり得る種類のそれではなく、「あらゆる宗教が有している並外れた顕著な体験」のことです。そして、これこそ近代主義者が旧・新約聖書に含まれる諸書典について教えるところなのです。しかし、自分たちの理論に適合させるために、彼らはたぐいまれな巧知をもって、こう指摘するのです。「たしかに体験は現在に属する事柄であるが、信仰者が記憶によって現在と同様の仕方で過去を再び生き、未来をすでに期待によって生きる限りにおいて、その素材を過去および未来からも同様に汲み取ることができる」のだと。こう考えることによって、歴史的ならびに黙示的な書が正典の中に含まれているという事実の説明がつきます。天主は事実、これらの著作において信仰者を通して語られるのですが、しかるにそれは近代主義神学に基づき、ただ内在と生命的永在によってのみ、そうされるのです。

 それでは一体、天主的霊感はどうなるのでしょうか。彼らは答えて、「天主的霊感とは信仰者が自らの内にある信仰を著述を通して啓示するようにつき動かすところの衝動と、おそらくその激しさの他は全く変わるところがないものである」と言います。「これは詩的な霊感において起こることと同様のものです。さて、この詩的な霊感については、次のように言われてきました。『私たちの中には天主がいて、天主が動くとき、私たちは炎で燃え立たされる』と。この意味においてのみ、天主が聖書の霊感の起源であると言われる」のです。近代主義者はさらに、この天主的霊感ということについて、聖書の中にはそれに欠くものは一切ない、と断言しています。この点に関して、ある人たちは、彼らが天主的霊感[の及ぶ範囲]をいささか限定する ───例えば、いわゆる暗黙の引用と称されるものに限ってそれを認める─── 近年のある著作家たちに比して、より正統であると考えてしまうかもしれません。しかし、こういったことすべては単なる言葉上の作り事に過ぎません。なぜなら、もし聖書を不可知論の基準にしたがって、つまり人々によって人々のためにつくられた人間の所作として ───もっとも[近代主義の]神学者はそれが内在によって天主的なるものであると述べることが許されますが─── 見なすならば、一体、天主的霊感の余地はどこにあるでしょうか。近代主義者たちは聖書に一般的なかたちで及ぶ霊感が存在するとは言うのですが、カトリック的な意味での天主的霊感は一切認めないのです。・・・

カトリックの教えと矛盾する近代主義

真理の単純さ

 尊敬する兄弟たちよ、一つの、ただ一つの真理のみ存在すると信じ、また聖書が「聖霊の霊感を受けて書かれ、天主をその著者とする」と信じる私たちは、このような教説は天主ご自身が便宜上の嘘をつかれた、と言うことに等しいと断言します。そして、聖アウグスチヌスと共に、こう述べるのです。「かくも崇高な権威において、ただ一つでも便宜上の嘘[の存在]を認めるならば、一見実践あるいは信じることが困難に見える命題の中で、その同じこの上なく有害な原則に基づいて、その書の著者が故意に、ある目的のためについた嘘であると説明しおおせない、ただ一つの文もなくなるでしょう。」そして、このようにして、この聖なる博士が続けて述べているような事態が生じるのです。つまり、「誰もが自分の好む、好まないに応じて、これらの文章───すなわち聖典───に記されていることを信じ、あるいは信じるのを拒むようになる」のです。しかし、近代主義者たちは自分たちの定めた方向に邁進してゆきます。彼らはまた「ある特定の教理の証明として持ち出されるある種の議論、例えば預言に基づいた議論は、何らの理知的根拠も有していない」と認めます。しかるに、彼らはこれらさえ宣教のための術策であり、生命[の必要]によって正当化され得るものだとして擁護するのです。それのみならず、彼らは「キリストご自身さえもが天主の御国の到来の時期について明らかな間違いをおかされた」ということを認める、否、声を大にして主張するのです。そして彼らの言うには、これについて驚くにはあたりません。なぜなら、[彼らによれば]「キリストご自身も生命の法則に服されていた」のですから!こうなれば、教会の諸々の教義は一体どうなってしまうでしょうか。近代主義者たちに言わせれば、「これらの教義は甚だしい矛盾に満ちています。しかし、それに何の問題があるでしょうか。なぜなら、生命の論理がそれらを認め、受け容れているという事実はさておき、それらの教義は象徴的真理にそぐわぬものではないからです。問題となっているのは無限なるものであり、しかるに無限なるものは無限に多様な側面をもっているのではないでしょうか。」つまるところ、こうした諸説を主張し、弁護するために、彼らは、「無限なるものに対して捧げることのできる最も気高い礼賛は、互いに相矛盾する命題をこの存在に帰することである」、と憚(はばか)ることなく宣言するのです。しかし、もし彼らが矛盾さえも正当化するのなら、彼らが正当化するのを拒むようなものが、一体何かあるでしょうか。

主観的議論

 37.しかるに、[近代主義に従えば]不信仰者をして信仰を受け入れるよう導くのは、客観的議論によってだけではありません。主観的な議論もまた存在するのであり、このために近代主義の護教論者は内在という教説にその根拠を求めます。彼らは事実、自分たちが関わる当の不信仰者が、自らの本性ならびに生命の奥深いところに、何かある宗教、それもただどんな宗教でもよいのではなく、カトリック教の名で知られている特定の宗教に対する必要および欲求が隠れていることを納得させようと努めます。「この宗教こそが生命の完全な発達のために絶対必要なものとして要請される宗教だから」です。ここでもまた私は、内在を教説としては否定しながら、それを護教論の手法として用いるカトリック者がいることに不服の念を表わす充分な理由をもっています。実際、こうした人々はあまりに賢明さを欠いた仕方でそうするので、カトリックの護教家たちによって常に、しかるべき限度をまもって強調されてきたように、人間には超自然的事柄に対する受容能力ならびに適合性がある、と認めるに止まらず、「人間本性には超自然的次元に対する真の、厳密な意味での必要がある」と認めさえするように見受けられるほどです。実のところ、カトリック宗教に対するこのような[人間本性の根元からの]切迫した必要という論拠を用いるのは、まだ穏健な方の近代主義者たちです。その他の徹頭徹尾のとでもいうべき近代主義者は、不信仰者に、彼の存在の内に、キリストご自身がその意識の中に持っておられ、人類に伝達されたのとまさに同一の芽生えが潜んでいる、ということを示そうとします。尊敬する兄弟たちよ、以上が近代主義たちの用いる、彼らの教説と完全に調和した護教論の手法の概略的な説明です。こういった誤謬にあふれた手法ならびに教説は、建設のためではなく破壊のためのもの、また、カトリック信者をつくるためではなく、すでにカトリック信者である人を異端へと誘い入れるためのものであり、宗教全体の完全な転覆へと導く種類のものです。


近代主義の中に居を構える傲慢

  しかるに、霊魂の上に[好奇心よりも]比較にならないほど大きな影響力を及ぼしてそれを盲目にし、誤謬へと導くのは傲慢です。そして傲慢は近代主義の中に、それが自分の住居であるかのようにあぐらをかきます。傲慢は、近代主義の教えのいたるところに自らを養うものを見出し、そのあらゆる側面に潜みます。実際、近代主義者をして、自分たちが万事の基準[を定める者]であると見なし、かつそのように振る舞うほどに自信で満たすのは、この傲慢です。彼らを虚しい傲りで満たし、知識の唯一の保持者を自認させるのも、また、得心し、僭越心にふくれ上がって「我々は他の者たちとは違う」と言わせるのも、さらに、自分たちが他の人々と同じように見えることのないよう、最も愚昧な新説さえをも採り入れ、また自ら考案するよう導くのも傲慢です。さらに、彼らの心中に不従順の精神をかき立て、権威と自由との間に歩み寄りを要求させるのもまた傲慢です。傲慢のゆえにこそ、彼らは自らを改めることを忘れて他の者たちを矯め直す者となることを欲し、また、権威に対する敬意に、───最高の権威に対してさえも─── 甚だしく欠くようになるのです。まことに傲慢ほど近代主義へと直接に、また速やかに導くものはありません。もしカトリックの一般信徒もしくは司祭が、キリストに従うために己れを捨てるよう強いるキリスト教生活の戒律を忘れてしまい、傲慢を自らの心から引きはがすのを怠るならば、彼は他の誰にもまして近代主義の誤謬の格好の標的となります。それゆえ、尊敬する兄弟たちよ、このように傲慢の餌食となった者たちに対抗し、彼らを最も低い、目立たない役職にのみ用いることがあなた方の第一の義務となります。彼らが高い所に上ろうとすればするほど、それだけいっそう彼らを低い位置に置かなければなりません。それは彼らの地位の低さのゆえに、彼らの及ぼす害悪が制限されるためです。あなた方のもとにある若い聖職者らをあなた方自身で、また神学校の校長を通し、きわめて入念に審査しなさい。もし傲慢の精神を彼らの中に見出したならば、呵責なく彼らに司祭職の道を閉ざしなさい。倦むことのない用心深い警戒によって、今日に至るまでずっとこのことが為されていたならば、どれほどよかったでしょう。

近代主義者たちの無知

 41.近代主義の道徳的原因から知的原因へと視点を移すならば、第一の主要な原因として、無知が見出されます。そうです、教会の教師として目されることを望む近代主義者たち、現代哲学をかくも称揚し、スコラ哲学に対してあれほどの軽蔑を表す当の彼らが前者をその全ての偽りの魅力と共に受け容れたのは、まさに後者についての無知のために、彼らは思考の混乱を識別し、詭弁的論法を論駁する能力を持ち合わせていなかったからです。実に、かくも多くの、かくも甚だしい誤謬を含んだ彼らの体系全体は、信仰と誤った哲学との結合から生まれたものです。

=========引用終了==========


主よ、我らを憐れみ給え!
天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らのために祈り給え!
天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らを憐れみ給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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【関連記事】


初土の信心をして罪の償いを果たすことであたえられる3つの恵み

2009年12月05日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

初土の信心によって受ける恵み

 愛する兄弟姉妹の皆様、今日は初土曜ですから、初土の信心について黙想することを提案します。

 初土の信心をして罪の償いを果たすことで3つの聖寵が与えられます。

1 自分のため
救霊


 1925年12月10日、ルチアはスペインのポンテベドラでドロテア修道女会の志願者でした。聖母マリアは修室にいたシスター・ルチアに現れ、そのそばには幼きイエズスがおられました。聖母マリアは一方の手をルチアの肩に置き、同時に別の手で茨に囲まれたご自分の御心を持ってルチア示しました。

幼子イエズスは言われます。
「あなたのいと聖なる御母の御心に同情しなさい。それは忘恩の人々がいつも突き刺す棘で覆われています。それらの棘を取り除くために誰一人として償いの業をするひとはいません。」

"Tem pena do Coração de tua Mãe Santíssima, que está coberto de espinhos que os Homens ingratos a todos os momentos Lhe cravam, sem haver quem faça um acto de reparação para os tirar."

聖母マリアは言います。
「私の娘よ、棘で取り巻かれている私の御心を見なさい。その棘は恩知らずの人々は冒涜と忘恩によって絶えず私の御心を突き刺しています。少なくともあなたは、私を慰めるよう努めてください。そしてこう伝えなさい。償いの精神で、(連続して)5ヶ月の間、初土曜日に告解をし、御聖体を受け、ロザリオ5連を唱え、ロザリオの15の玄義を黙想しながら 15分間私と共にいるすべての人々に、私はその人々の救いのために必要なすべての恵みをもって臨終のときに助けることを約束します。」

"Olha, Minha filha, o Meu Coração cercado de espinhos que os Homens ingratos a todos os momentos Me cravam com blasfémias e ingratidões. Tu, ao menos, vê de Me consolar e diz que, todos aqueles que durante cinco meses (seguidos) no Primeiro Sábado, se confessarem, recebendo a Sagrada Comunhão, rezarem um Terço e Me fizerem 15 minutos de companhia, meditando nos 15 Mistérios do Rosário com o fim de Me desagravar, Eu prometo assistir-lhes à hora da morte com todas as graças necessárias para a salvação dessas almas."

 この信心によって、聖母マリアは最後まで堅忍する恵みと永遠の救いの聖寵を約束して下さっています。これは、聖母マリアが御子イエズス・キリストを通して至聖三位一体から得て下さる偉大な憐れみの恵みです。私たちにとって永遠の救いこそ重大なものはありません。

 この信心を、熱心と謙遜と単純と信頼と忠孝の愛とをもって実践しなければなりません。救われるのだから、といって罪を犯し続けていてはなりません。罪によって茨を突き刺され苦しめられている聖母マリアに同情し、聖母の汚れなき御心を慰めるように、償いをするように熱烈なる愛を持たなければなりません。

天国での栄光


 1917年6月13日、聖母マリアはこう言われました。
「イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。この信心を実行する人に私は救いを約束します。これらの人々の霊魂は天主の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、天主にとって愛おしい者となるでしょう。」

"Ele quer estabelecer no mundo a devoção ao Meu Imaculado Coração. A quem a abraçar, prometo a salvação; e serão queridas de Deus estas almas, como flores postas por Mim a adornar o Seu Trono."

 聖母の汚れなき御心によって天主の玉座におかれた花となる、何というすばらしい約束でしょうか!

2 隣人たちのため
私たちの隣人にとっての恵み


 この信心は、罪人たちの回心のために極めて有益です。シスター・ルチアは、この初土の信心を生涯繰り返し実践していました。5ヶ月間続けて初土の信心をし終わると、もう一度別の5ヶ月間の信心を始めていました。

 聖母の汚れなき御心は、この信心を全てのカトリック信者たちにお求めです。多くの霊魂の救いは、この信心にかかっているとさえ言われました。

 シスター・ルチアは、1943年5月27日にグルサの司教にこう書いています。
「イエズスとマリアの聖心はこの崇敬(culto)を望み愛しておられます。何故なら二つの聖心はこの崇敬を自分たちへと霊魂を引き寄せるために使うからです。御心の全ての望みは正にこれです。霊魂を救うこと、多くの霊魂、全ての霊魂を救うこと。私たちの主は数日前に私にこう仰いました。『私は聖母の汚れなき御心への崇敬(culto)と信心(devoção)とが広がるのを極めて熱烈に望んでいる。何故ならこの汚れなき御心は霊魂たちを私に引き寄せる愛する心であり、私の光と私の愛の光線を地上に照らし出すかまど(fornalha)、私の憐れみの活ける見ずを地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉(fonte)であるからだ。」

"Os Santíssimos corações de Jesus e Maria amam e desejam este culto [para com o Coração de Maria] porque dele se servem para atrair todas as almas a eles e isto é tudo o que desejam: salvar as almas, muitas almas, todas as almas”. Nosso Senhor me dizia, há alguns dias: “Desejo ardentemente a propagação do culto e da devoção ao Coração de Maria porque este Coração é o ímã que atrai as almas para mim, a fornalha que irradia na terra os raios de minha luz e de meu amor, fonte inesgotável de onde brota na terra a água viva de minha misericórdia".

 この信心は、隣人、友人など他人のためにもかつて聞いたこともなかったほどの力を持っています。他人のために私たちが代理でこの信心を行うなら、私たちはこの霊魂が救われるだろうという「堅い希望」を持つことが出来ると言われています。(Frère Michel de la Sainte Trinité)

 初土の信心は、初金の信心と密接な関係にあるので、聖マルガリタ・マリア・アラコックに言われた言葉を引用します。

「この手段によって、滅びの道から多くを引き離し、霊魂たちの中でイエズスの愛の帝国を築くために、サタンの帝国を滅ぼし、命を再び与える」

« redonner par ce moyen la vie à plusieurs en les retirant du chemin de perdition, en ruinant l'empire de Satan dans les âmes, pour y établir celui de son amour. »

3 謙遜のための恵み
聖母の汚れなき御心の凱旋


1917年7月13日、ファティマの聖母マリアは言われました。
「あなたがたはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇への迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。

"Se fizerem o que Eu vos disser, salvar-se-ão muitas almas e terão paz. A guerra vai acabar. Mas, se não deixarem de ofender a Deus, no reinado de Pio XI começará outra pior. Quando virdes uma noite alumiada por uma luz desconhecida, sabei que é o grande sinal que Deus vos dá de que vai punir o mundo de seus crimes por meio da guerra, da fome e de perseguições à Igreja e ao Santo Padre."

「このこと(戦争、飢饉、教会と教皇への迫害)を避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。」

"Para a impedir, virei pedir a Consagração da Rússia ao Meu Imaculado Coração, e a Comunhão Reparadora nos Primeiros Sábados. Se atenderem a Meus pedidos, a Rússia se converterá e terão paz; se não, espalhará seus erros pelo mundo promovendo guerras e perseguições à Igreja. Os bons serão martirizados; o Santo Padre terá muito que sofrer; várias nações serão aniquiladas."

「最後に、私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。」

"Por fim, o Meu Imaculado Coração triunfará. O Santo Padre consagrar-Me-á a Rússia que se converterá, e será concedido ao mundo algum tempo de paz."

結論

 聖母の汚れなき御心をお慰めし、罪を償わなければなりません。それは、聖母の汚れなき御心の凱旋のため、そして戦争を避け、迫害を避け、人類の滅亡を避けるためです。

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!
聖母の汚れなき御心よ、日本のために祈り給え!
聖母の汚れなき御心よ、世界のために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【参考資料】
ファチマの真実(1)
ファチマの真実(2)

【関連記事】ファチマ


聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.3.2.宣教地区の適切な再編成

2009年12月05日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. より優れた組織編成


宣教地区の適切な再編成

 また、私たちが見てきたように、この元教皇使節は、その前衛的見解により以前アフリカのプレフェクトゥーラ(Prefectures)や使徒座代理(Apostolic Vicariates)などがただ一つの修道会の運営にだけ委ねられているという制度を、本当の司教区が育つために、その中で複数の修道会が働き合いアフリカ出身の邦人聖職者たちが増加するために、ほとんどあっという間に、時代遅れなものに変えたが、ルフェーブル大司教が創設することに貢献した新しい状況に宣教地区は活動を始めた。

 既に話したあの「40人のグループ」が、理論や計画を思いついて足場を造りながら、不可能な事を試みたと信じるのは、間違いである。ルフェーブル大司教は彼らよりも一歩先にそれを考え、彼らがなくとも、現実的で、深く教義に基づいた自分の見解を実行する事を知っていた。

聖霊修道会の“宣教地区において、司教区が複数あるようになると、かつての聖霊修道会のセンターではもはやなくなる。

 総長は、聖霊司祭修道会の司祭たちが、定期的に会合する事が出来るよう、“聖霊司祭修道会の家”を創設することを許可するように司教たちに依頼した。また司教たちは聖霊司祭修道会との契約にサインした。それはルフェーブル大司教により考案され、ランベルトゥス・ヴォゲル(Lambertus Vogel)神父の助けを受けたもので、同契約は、聖霊司祭修道会司祭たちの活動の性質、適応場所、継続期間、さらには融資を明細にし、会員たちに対する“修道会長上”の修道的権威を承認するものだった。

 聖霊司祭修道会の目的により、最も困難な地域にある未開拓地の宣教使命に加えて、少なくとも一つの町中にある小教区教会を、やはり老齢化する宣教師たちのために、聖霊修道会に委託するよう彼は教区長たちに頼んでいる。

 しかしながら、カトリック人口の増加の傍ら、職員数の減少のために、ルフェーブル大司教が非常に強調した会員の共同生活を維持継続するために、司祭たちを再編成した。ある宣教根拠地は邦人聖職者の手に渡った。同様に、聖霊司祭修道会の修道士たちは有効的で移動可能なチームを結成した。

 最後に、同修道会は諸地域から十分な数の宣教師を招来することが出来ないので、当地の司教たちは、聖霊司祭修道会の司祭たちがまさにアフリカの地において修道者宣教師の募集をすることを容認しなければならない。ナイジェリアでは既に聖霊司祭修道会修練院と神学校が完全に作動していたし、そこから巣立った召命は司祭となるや出身国の外にまで宣教師として送られた。ルフェーブル大司教はこのような邦人募集が、邦人神学校の競争相手と考えるのは誤りであると判断した。

 ルフェーブル大司教は言う。
「それはむしろ、生命力があり物惜しみをしないキリスト教共同体の印なのである。」 

 大司教は、結論してこう言う。
「現実を見ましょう。現在の困難に直面して、‘上智と愛徳の霊’、そして‘教会の精神’を求めましょう。」

 大司教はヴォゲル神父に対し、宣教諸国内の各司教区に存在する宣教修道会が存在することは第一バチカン公会議による聖伝の信仰と、基礎のしっかりしている教義に適っていることを思い起こさせるように命じた。宣教修道会の現存が“外国人の進入”ではない。

 何故なら、“教皇によって司教区に派遣される、あるいは教皇の命により維持される、修道士や司祭たちは、その司教区にいる完全な権利を持っている。そこは何よりも司教の教区である前に、教皇様の教区だからである。」

これは強力で時を得た真理である!

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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.3.1.諸地域の編成と新会員募集

2009年12月04日 | ルフェーブル大司教の伝記
第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅲ. より優れた組織編成


 こうしてルフェーブル大司教は“持ちこたえる”ことになり、極めて良く成功することは、聖霊修道会士たちの活動を新しい状況に適応させるために1962年に開かれた総会の決議に従って同修道会を再編成することであった。その当時、立誓願者が5千名以上になると予想されていた。実際はこの数には到達せず、召命数は減退した。

 それゆえに、地域長たちに任命権を与え、さらにまた宣教地域で活動している司祭たちを再分配し、非宣教地域での新会員募集を充実させながら、権威の地方分散化を図る必要があったのである。修道会の目的に忠実でありつつ、総長は自分自身の、しかし常に聖伝に合致した見解を提案し遂行する事が出来た。

諸地域の編成と新会員募集

 各地域には地域長が担当地域を自由に巡る事ができるようにと常設補佐が各自与えられた。独特かつ効果的な部門が各地域(フランス、アイルランド、ポルトガル、ドイツ、アメリカ合衆国、オランダ、ベルギー、カナダ、ポーランドなどの地域、さらにスイスの準地域)に創設された。それは教育部門(学校や小神学校の教師たちの養成)、情報と新会員募集、財務 (“農業経営や工業収益より、後援者の定期的援助に依存する方がよりよい”)、公文書保管所、会報(これは何度か改定され、あるいは他の修道会の会報と合併されるなどした。このことは不安を示している)、最後に、各地域下にある諸々の地区における情報収集責任を担う地域訪問使節などである。

 さらには、前総会の意向に従ってフランス地域の部門は、修道会本部の部門からより区別された。本部の人材は合理的に力が入れられた。フランス地域本部と聖霊司祭修道会本部は、1966年修道会本部がローマに移転するまで、ロモン通り(Rue Lhomond)とピレネー通り(Rue Pyrenees)間を交互に行き来したのである。

 生徒数が僅かの小神学校を閉校する必要があった。それにもかかわらず、ルフェーブル大司教がこの種の教育機関の維持を望まれた。何故なら、修練士達の大半が依然としてそこから来ていたからである。つまりポルトガルやスイスの召命すべてとフランスにおける召命の3分の2がそうである。昔のように若い世代に召命が見られないからと言って「この種の施設で召命を鼓舞しようという解決策は時代遅れであるという反対意見にもかかわらず」、ルフェーブル大司教は「現時点で、小神学校を閉校する事はこの修道会にとって自殺行為に相当する」と考えた。

 会員募集の指導司祭たちの役割は、聖霊司祭修道会の将来にとっては肝心要であった。総長は彼らの義務を詳しく説明している。

「第一に、彼らは超自然的手段を用いる。それは祈り、犠牲、困難を捧げること。」

「召命-本物の召命-は犠牲と祈りによって勝ち取られなければならない。」
その後で次のような手段を使う。

「最も優れた自然的手段は、印刷、ラジオ、映画、宣教師の展示会、しかし特に、説教、説教、講話、司教や司祭たち、さらに学校付司祭たち、そして家族との交流。これは共同体に生きる真の使徒たちによる強い組織を必要とする。」

第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革

今日は聖フランシスコ・ザベリオの祝日

2009年12月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は聖フランシスコ・ザベリオの祝日ですね。日本に来て下さったこの偉大なイエズス会の宣教士なる聖人に心から感謝します。

 聖フランシスコ・ザベリオよ、我らのために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオよ、イエズス会を守り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオよ、日本のために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.2.5.誹謗中傷された指導

2009年12月03日 | ルフェーブル大司教の伝記
第14章 総長 防御の最後の試み
II. 掃除と改革

誹謗中傷された指導

 しかしながらフランス人司祭たちのグループの中では、ルフェーブル大司教に敵対する者は増えるのみだった。彼らの中の数人は、自分たちが了承しない立場をとる上長の権威下に留まるよりは、むしろ修道会を退会することさえもした。8名の司祭であった。大司教は彼らの退会を止めようとあらゆる手を尽くした。なぜなら彼らは周囲のものにとって悪い模範だったからである。

 公会議第一会期の間、聖霊司祭修道会所属の司教のグループが、大司教と話すためにサンタ・マルタ(Santa Marta)に来た。ジャン・ゲ(Jean Gay)司教はこの対話を始めるよう選ばれていた。

「大司教様、修道会総長として大司教様が公会議中に公然と発言されて、気まずく思っています。」

 大司教は耳を傾け彼らに語らせた。彼らは討論か論争を期待していたのだが、そのような事は起きなかった。彼らが話し終わると、大司教はあっさりと言われた。

「皆さんに一つお話します。私は誰にも、私はあなた方の誰一人にもあれこれの方法で投票するようにとか、またはあれこれのやり方で考えるようになどとは強制しません。皆さんはご自分の良心をお持ちですので、それに従ってください。私にも良心があります。」

 分かりきったことだった、ルフェーブル大司教は対話を拒否したのだ。しかし彼らとのギャップはあまりにも大きく、さらに討論は何も得る事もなく関係を台無しにしただけであろう。

 このことについて大司教は隠された内情を明かすような出来事を物語った。

「多くのフランス人司教たちがかつて勉強していたフランス人神学校は、聖霊司祭修道会に属していました。私がそこに行った時、当然のこととして総長として食前後の祈りを唱え、食事時間を主宰しました。それからある日突然、私は別のテーブルに座らせられたのです。それは司教たちの小さなテーブルでした。でも、私は自分の修道会の総長だったのです! それから二度とそこには戻りませんでした。」

 1963年12月、公会議第二会期の終わりに、同じ宣教師の司教たちはアシェ(Hascher)司教のサインのついた承認を携え、4つの論点についてルフェーブル大司教を非難しながら、司祭たちからなる同じグループの苦情を繰り返した。

 つまり、
Verbe誌への支援、
聖霊司祭修道会の司祭でもないベルト神父を公会議中私的顧問神学者として選んだこと、
スータン着用に関する回覧書簡、
“フランスの司教たち”からの孤立である。

 1964年の4月、ヒルツ神父はルフェーブル大司教に手紙を書き、“憂慮と心配”を表明した。さらに1964年5月に、地域長たちと主要な長上たちが、大司教に対し、自分の“個人的意見”を公会議で表明する権利を認めつつも、それを修道会に押し付けないようにと要求した。

 特に大司教の意見が大部分の公会議の教父たちと対立していたからである。1964年8月、シュヴィリでの黙想会に参加していた10名の司祭たちは、同じ黙想会にいた20名の司祭たちの反対があったにもかかわらず、同じ内容の手紙を大司教宛に書いた。

 ジョゼフ・レキュイエ神父はこれらの苦情その他を集積した。権威主義、修道会の規則にしたがって決定の前に参考意見を聞かなかったこと、個人的意見に基づいた指導管理、典礼言語や司教団体主義への個人的意見の強要、フランス人神学校への信頼を損ねる虞がある“フランス司教団の諸決議”に反する立場、など。最後に、ルフェーブル大司教が公会議の決議案を実行しないのではないかという虞もあった。

 “ルフェーブル資料”がパウロ六世に提出され、修道者聖省により調査されることになり、同聖省は、これについて総長に説明を求めた。

 ルフェーブル大司教にとって、この不適当な、時として悪意のある讒言的非難の罠を論破するにはいかなる困難もなかった。モンセニョール・ポール・フィリップ(Paul Philippe)宛で、1965年12月28日に書面で送られた大司教の答弁は、反対に、様々な上長たちの多くの会合を創出し、その機会を増やすことにより同僚たちの見解を聞きたいという大きな気遣いと、また個人的意見ではなく“修道者と司祭養成の根本的原理”を適応させたいという望みがにじみ出ていた。

 最終的に、自分に対する苦情は、前任者の時代の修道会の方針に既に反対していた司祭たちの小さなグループから来た事を指摘した。彼らは公会議の機会を使って自分たちのもはや古くさくなった考えを売り込もうとした。

 この出来事はフロック神父をフランス人神学校から追放した駆け引きの再現に見えた。あの時の様なリベラルで近代主義精神、同じ混ざり合った悪意、聖座に対して行われた同じ依頼。しかしながら、モンセニョール・フィリップは12月28日の手紙でのルフェーブル大司教の答弁にすっかり満足した。加えて大司教は公会議においての自分の行いを正当化した。概要について闘うのが罪なのか? 否、「公会議のテキストを良くすることは肯定的仕事だと私には思える」さらに「数人の司教、最も影響力のありさえする司教の考えに、全ての司教が同調するように何故強制させられるのか、私には分からない。そんなことがあったとしたら、それは信じられないような専制となるだろう」と。

 さらに彼は言う。

「[聖霊司祭修道会の] 司教、司祭の大多数は、修道会で私の行動と、この行動を導いていた考えを全く承認している。彼らは、私のローマへの服従が完全で無条件であること、そして私が公会議の後に公布されることになる方針に従う準備が出来ていることを良く知っている。公会議が開催してから今まで、私はこのことを実証してきた。」

 教皇パウロ六世は大司教の返事に満足していると言い、大司教に謁見を賜いながら、教皇は次のような提案をしている。

「修道会の全メンバー宛に、彼らが従順するようにと求める手紙を書きましょうか?」

大司教はお答えになった。
「いいえ、教皇聖下、聖下がこれらの告発に価値がないと思っているのならば、これが私のお願いの全てです。もし私が自分の権威を維持するために聖下に対して支援を求めたと私の同僚たちが思うならば、私は長くは続かないでしょう。」

第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革

聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在28017環のロザリオが集まりました

2009年12月02日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ロザリオの十字軍の報告をご紹介いたします。

 2009年11月までの分で、12月02日現在の報告の総計はなんと 28017環です。寛大なご理解とすばらしいご協力に心から感謝いたします!
 ご報告を下さった愛する兄弟姉妹の皆様のお一人ずつに心からのお礼のメールを差し上げたいのですが、それも出来ずに失礼しております。ご容赦をお願いいたします。

 今回、ロザリオ以外に次のような犠牲も捧げられています。
11月より3/25まで、ロザリオとともに、水・金・土曜日に、大好物を我慢する犠牲
霊的聖体拝領14回

 また、愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力とご援助をもって、ロザリオの十字軍のロザリオの数が、次のように月ごとに増加することが出来ております。深く感謝しております。

2009年5月1日:     1環
2009年6月16日:  1084環
2009年7月03日:  3690環
2009年8月10日:  7330環
2009年9月08日: 10,673環
2009年10月1日: 12,689環
2009年11月1日: 18,092環
2009年12月1日: 25,070環


 2010年3月25日まで、113日残っていますが、私たちの目標の12万環まではあと91983環が必要です。(ということは、毎日814環です!是非、お知り合いの方々にご協力をお願いしてください。よろしくお願いいたします。)

【報告】
小野田神父様、こんばんは。
日々、ブログを掲載くださいまして、ありがとうございます。
先日は、天主様の御恵みで、東京の御ミサにあずかることができました。
また小野田神父様、東京の信者の方々には大変お世話になり、ありがとうございました。

聖母の汚れなき御心の凱旋のために、ロザリオの十字軍の意向でつなたくも唱えましたロザリオの報告をいたします。
11月分として
テレジア・・・133
マリア・・・242
マリア・・・139
マリア・・・86
ルルド・・・159
ファティマ・・・122
※ルルドちゃんは3/25まで、ロザリオとともに、水・金・土曜日に、大好物を我慢する犠牲も御捧げいたしますとのことです。(11月よりすでに開始しております。)

ルルドちゃんとファティマちゃんは、1日もかかさずロザリオの祈りと公教要理をしに我が家に来てくれています。無原罪の御宿りの準備のノベナも参加してくれています!
早く信者になって「初土曜日の信心」をしたいそうです。
ロザリオの聖母に感謝いたします。

待降節の間、ロザリオを黙想して、天主なる幼きイエズス様をお迎えする準備をいたします。
たくさん、心をこめてお祈りできるようにがんばります!

天主の御母なる聖母マリア様、小野田神父様のご健康・ご活動をお護りください。
無原罪の御宿りなる聖母マリア様、御身の汚れなき御心の凱旋のため、ロザリオと犠牲、徳の花を日々お捧げできますように御力をおあたえください。
また十字軍参加者をお与えください。
私たちの本当の母なる愛する聖母マリア様、弱き罪人なる私達のために祈りたまえ。
聖フランシスコ・ザベリオよ、我らのために祈りたまえ。

PS:12月の大阪の御ミサは、四季の斎日なので金曜・土曜ともお花は「なし」ですね。

【お返事】
 いつもたくさんのロザリオの十字軍のロザリオをありがとうございます。
12月の大阪の御ミサですが、その通りです。お花は無しでお願いいたします。

【報告】
+主の平安、そしてアヴェ・マリア!

小野田神父様、お元気でいらしゃいますか。
ずっとお知らせしておりませんでしたが、私のロザリオの報告です。

2009年
7月=78環
8月=139環
9月=123環
10月=133環
11月=120環
合計=593環

となりました。
早く教皇様が、司教様方と一致して、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献なさいますように。
そして天主の御あわれみと御恵みが地上に下されますように。
今月の御ミサでお会いできるのを楽しみにしております。

【報告】
アヴェ・マリア

十月分と合わせて報告します。
ロザリオ24環と霊的聖体拝領14回です。
あんまり頑張れずにすみません。

無原罪のおん宿りの準備のノヴェナをしています。
聖母の連祷は、神父様からいただいた聖歌集を使って歌いながらやっています。
先月いただいたロザリオアルバムを使って今月は気合いをいれて頑張ります。

【報告】
トマス小野田圭志神父様

十主の平安
アヴェ・マリア

いよいよ、待降節ですね
聖なるロザリオ11月の御報告です(*^_^*)

パウロ夫妻    61環
ヨゼフ     108環
マリア     629環
マリア      10環  
バルナバ      3環
エリザベト    90環
マリア      55環
セシリア      5環
マリア      19環
インマクラータ  29環

どうぞ、宜しくお願い致します!

【報告】
Ave Maria !

小野田神父様、お元気ですか?私達は元気です。

ロザリオ十字軍の報告です。
今月は 237 環お捧げいたします。よろしく御集計くださいませ。


【報告】
アヴェ・マリア

トマス小野田神父様
先月のロザリオは90環です。

【報告】
トマス 小野田 神父様

 お元気でお過ごしでしょうか。
 ロザリオ、11月は113環です。
 待降節、ロザリオを大切に唱えて過ごしたいと思います。

+ + +


本当にありがとうございます。感謝します。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【関連記事】ファチマとロザリオの十字軍

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】