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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.2.2.教皇権 確保の試み

2010年04月10日 | ルフェーブル大司教の伝記
教皇権 確保の試み

 聖ピオ十世会会員たちの入籍に関する問題を解決するに当たり、創立者は間もなく、聖ピオ十世会それ自体への聖職者たちの入籍を可能にする教皇権の獲得のために、ローマの省庁との交渉を始めた。彼は、修道者聖省(the Sacred Congregation for Religious and Secular Institutes:現在の奉献・使徒的生活会省)だけではなく、聖ピオ十世会の使徒職には一切のテリトリー的な制限がないという理由で布教聖省と、そして司祭の使徒職を支援し、聖職者の任地配属の均衡を保つために設立された団体として聖職者聖省などの管轄内に置かれるという形態をとる聖ピオ十世会を想定していた。

 先ごろ、聖職者聖省は、(リヨンの)プラド司祭会のような誓願宣立のないいくつかの司祭会の監督をと要求して来た。

 大司教は言った:「この計画は目下のところ調査中ですが、修道者聖省はそれをためらっているようです。」

 1971年2月に、彼は聖職者聖省に対して聖ピオ十世会のために申請を立てた。当聖省秘書のパラッツィーニ大司教は彼に対し好意的で、役に立つ忠告を与えてくれた。それから2月11日、ルフェーブル大司教はローマから聖職者聖省長官ジョン・ライト(John Wright)枢機卿宛に聖ピオ十世会を紹介する手紙を書き、“司祭叙階候補者たちを呼ぶ権限”と、聖ピオ十世会を推薦する手紙を依頼した。この枢機卿は、おそらくパラッツィーニ自身によって書かれたものであろうが、ライトとパラッツィーニの2月18日付けの署名を添えて、依頼されていた推薦状を彼に渡した。この手紙の中では、世界中いたる所への聖職者の配属を担当するこの省庁(ここでは聖職者聖省)の計画実現に、大きな支援を差し伸べる事が出来ると言及し、“聖ピオ十世会を治めるサピエンテス・ノルメ”つまり「聡明な諸会則」が称賛されている。

 しかし、ライト枢機卿は、聖職者の聖ピオ十世会入籍に関しての言及を一切しなかった。大司教は再度試みた。それは5月11日のことであり、ライト枢機卿と会見した彼は、“聖ピオ十世会入籍の特権”を口頭で依頼する。二日後再びその依頼を書面で繰り返した。

 5月15日のこのポルポラート(porporato=緋の衣を着た男=枢機卿)からの返事は、「今までやって来たように、いくつかの司教区に会員を入籍させ続けなさい」であった。そんなことにはへこたれない! 1971年11月に大司教は再度試みる。ライト枢機卿は彼と会うと激励した。

「大司教様、あなたがなさっている仕事は、現在、カトリック教会における最重要計画の一つです。」

 1972年2月11日の手紙の中で、大司教は再び念を押して、事は素早く進展していることや、自分にはシオンとアオスト(Aoste)の司教たちからの支持があることなどを伝えた。

 これら一連の道程は、普通ではなかった。教会法によればピア・ウニオを設立した司教区のマミ司教こそ、ピア・ウニオ所属聖職者の暫定的入籍のその全ての責任を負うべきだったのだ。

 パラッツィーニ大司教は、フリブールの司教の強い反対を知っていたので、1972年3月10日、聖ピオ十世会の神学校創立を受け入れたシオンの司教に手紙を書いて聖ピオ十世会への教皇権授与についての彼の意見を尋ねた。3月18日と、さらに4月15日の二度に渡り、ネストール・アダムは、大司教の依頼を温かく後押しした。

 実際には、シオンの司教にとって、ローマ直轄の聖ピオ十世会とその神学校を見ることに不満はなかったであろう。1971年の9月7日、スイスのロマンス語圏での使徒職に携わるグループの18名の司祭と2名の修道士たちがヴァレー州のモンタナで会合し教育聖省長官のガロンヌ(Garonne)枢機卿に手紙を書いた。彼らはエコンの神学校についての不平を伝えた。

「隣接する諸教区内で完璧主義の種をまき、聖職者たちの間では分裂を、そして信徒たちの間では不穏な状態を作ろうとしています。」

 自らもその一員であった司教会議の会議中、アダム司教はローマでライト枢機卿と会い、“このゲリラ攻撃”に対してルフェーブル大司教を勇敢に弁護した。しかし、司教は、ガブリエル・ガロンヌと会うようにとマルセル・ルフェーブルにしきりに要求した。

 1971年11月22日、“とても親切な”ガロンヌ枢機卿は、サンタ・キアラ出身で、神学生時代の同僚と会見したのだが、彼はただ、自分がその長である省庁(聖職者聖省)により発行された司祭養成のためのラツィオ・フンダメンターリス(the Ratio fundamentalis=基本理念)をどのように実行しているのかについて尋ねただけであった。

 ルフェーブル大司教は、「枢機卿閣下、おそらく御省庁の規範に従っているのは、私たちだけです!」と言う事が出来た。

 この会談の後、ガロンヌは、エコンでの“生活、発展、さらに、教育学的及び教義的な傾向をよく見守る”義務をネストール・アダムに確認した。

 この段階では、マミ司教の沈黙と進歩的スイス人聖職者からの反対にも拘わらず、聖職者聖省へのルフェーブル大司教の接触は、1972年4月には教皇権獲得へと向かう途上にあった、ローマにとって、ピア・ウニオと神学校の存在には問題がないと言えるだろう。

 その時である、アメリカ合衆国在住の、いざこざを巻き起こす一人の報道記者ヒューゴ・マリア・ケルナー(Hugo-Maria Kellner)氏が、ライト枢機卿宛に手紙を書いて「潰して」しまった、

「聖職者聖省がルフェーブル大司教の神学校を支援しているのは本当ですか?しかし、彼は教会法の規則を尊重しませんし、あなたの所に行ったのも、他の省庁の方針が気に入らないからです!」

 これにライトは怒り、大司教に対する支持を差し控えてしまった。

 それに怯むことなく、ルフェーブル大司教は、当時まだ顧問役を務めていた布教聖省に赴いた。聖ピオ十世会にとって、“司祭職が非常に危険に晒されているか、でなければ、放棄されている、アフリカや南アメリカなどに見られるような地域において”その使徒職を遂行することは可能である事を彼は説明した。私たちが見てきた様に、当該諸国における聖ピオ十世会による使徒職の将来性は確かに存在していた。それにもかかわらず、布教聖省長官アンジェロ・ロッシ(Angelo Rossi)枢機卿は、当布教聖省には権限がないと説明した。

 ロッシ枢機卿による責任逃れの回答が遅れたことにより、11月6日、ついに大司教は、修道者聖省とそのアントニウッティ枢機卿に---これこそまさに権限を有している聖省ではなかろうか!---に向かった。ところが、残念にもイルデブランド・アントニウッティはこの最後となる依頼に決して答えなかった。そして1974年8月1日、長官職に就いたままで亡くなったのだった。

 こうして、聖ピオ十世会は教皇権を獲得できなかった。ルフェーブル大司教は諦めた。マミ司教は黙っているのか?残念!少なくとも、アダム司教は、時々エコンの神学校を訪問した。アダム司教は、2度ほどエピネ神父によってそこに連れてきたが、エピネ神父はアダム司教の口から溢れ出たという賞賛をその耳で聞いた。

「うわあ!すばらしいですね、これは大仕事ですよ。これを見ることが出来て非常に嬉しく思います。」

 しかし残念ながら、彼の肯定的態度も、間もなく、フランス司教らの扇動によって動かされたローマからの圧力によって粉砕されてしまう。


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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.2.1.問題を孕んだ司教区への入籍

2010年04月09日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅱ.エコンに対する攻撃


問題を孕んだ司教区への入籍(incardination)

 「シャリエール司教様の補佐であるマミ司教様は、聖ピオ十世会の創立に反対していました。」とルフェーブル大司教は述べている。フランソワ・シャリエールの辞職前でさえ、聖ピオ十世会会員たちのこの司教区への入籍をこのフリブールの司教に大司教が依頼した時、シャリエール司教は統轄司教区において聖ピオ十世会を、ピア・ウニオ(Pia Unio)として創立する事にとても満足していたが、しかし“彼は、それにもかかわらず、聖ピオ十世会会員たちの入籍を約束する事は出来なかった”と司教区の司教総代理、モンシニョール・ペルー(Msgr.Perroud)は答えて説明した。

 事実、この拒否はシェリエール司教の補佐であるマミ司教から来ていた。後日マミ司教は言った:「当時、あの決定を下したのはこの私であり、聖ピオ十世会会員たちの司教区入籍に私は反対していました。」

 ルフェーブル大司教は、シャリエール司教に抗議して言った:「ローマのフィリップ司教閣下が、私たちの踏むべき手順を私に確認してくださったのです。聖ピオ十世会の会員たちは、“ピア・ウニオ を築いた司教区に暫定的に入籍する”と。つまり、私たちに対するこの入籍の拒否は、このピア・ウニオ の存続と発展を阻止する事になります。」

 別の解決策としては、フリブールの司教が、例えば、王たるキリストの小教区協力者(CPCR)の司祭たちが恩典に与っていた教会法964条4項に記載された特典(indult)に従って、自分の栽治権下にある者たちが(他教区において)叙階を受ける事を承認する受品許可状を与える権利をルフェーブル大司教に譲渡するというものがあった。もしそうしなければ、 “殆ど誕生して間もないのに、このピア・ウニオ は死に絶えるだろう。”

 この依頼に対する答えはなかった。それにはシャリエール司教がその地位を去る準備をしていたという背景がある。彼を引き継いだマミ司教は、1971年1月20日にルフェーブル大司教と会見し、“フリブール司教区外の人間”の入籍の拒否をルフェーブル大司教に伝えた。つまり「教会法上は無効であり、道徳的見地から見て不正な拒否だった。」同じ依頼をやはり受けていたアダム司教は、控え目ではありながらも否定的であった。

 その時以来、ルフェーブル大司教はスイス国外で、自分に共感してくれる司教たちを見つけ出すことを余儀なくされた。間もなくして、彼は、ダカール在職当時、自分の補佐を勤め、現在はレユニオン島(La Réunion)のサン・ドゥニ(Saint Denis)で司教を務めるギベール(Guibert)司教のことを思い出し、1971年1月21日、彼に手紙を書き、マミ司教による拒否について説明すると共に、叙階を受ける準備の整った聖ピオ十世会会員たちの、レユニオン島司教区への入籍を依頼したのだ。2月初めのローマ訪問の際、自分がとったこの行為が非常に正しい事であると彼は確信した。

 1971年2月14日に、彼はギベール司教に手紙を書いた:「パラッツィーニ(Palazzini)大司教様が、暫定的に入籍者を受け入れてくれる司教を見つけるようにと、私を励ましてくださいました。」

 3月4日、レユニオン島のこの司教は、入籍者受け入れを承諾する旨の手紙を書いて遣した。

 ルフェーブル大司教にとって、何という安堵であったろうか!しかしながら、彼はまた、3月に面会した、彼に共感を示す別の友人司教たちにも依頼をした。スペインはシグエンサ(Sigüenza)の、カスタン・ラコマ(Castán Lacoma)司教は快く承諾した。それに比べて、アメリカ合衆国のコヴィングトンのアカーマン(Ackerman)司教は、回避的だった。

 クレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand)のド・ラ・シャノニー(de La Chanonie)司教に関して言えば、彼はそれでも、自分の司教区の成員であるオラニエ神父を入籍させた。1974年、ギベール司教は辞職を間近に控えて、レユニオン島に入籍を予定している会員たちの資料を返却して来た。こうなったら最後の救いとして、ルフェーブル大司教は、(ブラジルの)カンポス教区長を務める友人、デ・カストロ・マイヤー司教に期待を寄せることになった。

 このように、様々な司教区を統轄する司教たちから、ルフェーブル大司教に譲渡された受品許可状のファイルが立証するように、大司教は1976年の前は、教会法の条項に抵触して下級並びに上級品級を授ける事など決してなかった。


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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.1.7.サタンが収めた大成功

2010年04月08日 | ルフェーブル大司教の伝記
サタンが収めた大成功

 その結果、真実の従順と誤りの従順との狭間にあって、どちらかを選ばなければならないと、大司教は考えた。誤った従順とは、“一連の矛盾した命令や、回書、憲章、さらに、画策あるいは修正された命令などを通して広められた”二重の意味にとれる典礼、もしくは曖昧な公教要理などへの従順をさす。“どんな権威からこれらは来るのか?聖座からだろうか?公会議からか?それとも委員会からか?司教協議会からなのか?私たちには余り良く分からない。”

 2つのローマがある。信仰、教義、さらにミサの犠牲の概念において、「永遠に変わる事のないローマ」と、近代世界の思想により影響を受けた「世俗のローマ」である。その上、教皇は自身がその行動をもって奨励した事を非難する訓話さえしてしまっている。“永遠のローマこそが世俗のローマを排斥する 。私たちは永遠の方を選ぶのが良いと考える。”これが真実の従順である。

 事実、“サタンによる大成功とは、カトリック教会を「従順」という名目で、教会の聖伝に対して不従順を犯させる事だった。”カトリック教会は、教会当局により、教会内部にもたらされた革命的原理に従順たる事で、自ら滅びに瀕している。

 1968年には、パウロ六世が“カトリック教会の自己破壊”について、自ら言及しなかっただろうか?1972年6月29日、パウロ六世はこう認めている。

「何らかの亀裂を通って、サタンの煙が天主の神殿に入り込んでしまった。 サタンは 、第二バチカン公会議の成果を損ない、傷つけるためにやって来た」と。

 パウロは、その亀裂が何処にあるのかを見つけることを望まなかった。マルセルの方は、この亀裂の箇所を調べ告発した。その亀裂とは、聖伝との断絶にある。しかし、既に大司教は、自身の洞察力ゆえに、非難を受けるであろうと直観していた。」
「サタンは大成功を収めました。信仰を守る人々が、それを本来擁護し広める人々によって排斥されているからです!」

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.1.6.罠を仕掛けられた叙階と堅振の秘蹟

2010年04月07日 | ルフェーブル大司教の伝記
罠を仕掛けられた叙階と堅振の秘蹟

 1968年6月18日には既に、司祭叙階の儀式は、同じ毒が盛られていた。叙階の秘蹟の形相を明快にする、聖職授階候補者がカリスに触れる時に唱えられる祈りは、“犠牲を捧げ、ミサを執行するための権能”にもはや言及し表現していない。この祈りは、「聖なる民の供え物を、天主に捧げるために受け取りなさい」という命令と置き換えられてしまった。そうなると、叙階の秘蹟授与者である司教の意向は歪曲され得るのだ。さらに「聖霊を受けよ、あなたが赦す人には、その罪が赦されるように. . .」という聖主の御言葉を復唱しつつ、罪を赦す権能の譲渡を意味する儀式(rite)の削除は、次のような疑念を増した。

「何故この御言葉を削除したのだろうか?確かに、ピオ十二世が定義したように、叙階授任者聖別の序唱を唱えながらの按手という本質的な儀式において、罪を赦す権能は授与されてはいる。しかしこの教皇は、叙階式に付加されていたこれらの儀式への変更など、決して要求しなかった。聖主のこの御言葉を削除したと言う事実だけで、第二バチカン公会議の教会(l’Eglise conciliare)を排斥するのに十分である。」

 叙階式の儀式に含まれる本質的な意味は、付け加えられたものらによって(ex adjunctis)損なわれてはいないだろうか?ルフェーブル大司教は、第二バチカン公会議以前の司教用定式書を司祭叙階式には使用し続け、さらに、新しい叙階式により叙階され、その有効性が疑わしい或る司祭たちを、条件付で叙階することさえもした。

 同様に、大司教は、神学生たちを聖職者に加える剃髪式や、四つの下級品級(守門、読師、払魔師、侍祭)と、副助祭 の品級を授与し続けた。これは、1972年8月15日にパウロ六世により廃止され、平信徒による「聖書朗読係」と「侍者」という二つの“奉仕職”によって取り替えられたにもかかわらずである。

 大司教は、251年に教皇聖コルネリウスによって証言されているこれらの品級の持つ歴史の太古性に基づくと共に、「それを通して司祭志願者が、徐々に司祭職に向かって進んでいくところの、司祭職以外の諸品級、つまり下級品級と上級品級」の存在を、第23総会(規定<canon>2)において定義したトリエント公会議の権威に、自分の行動の基礎を置いた。彼は、この漸進的な司祭職への進行こそ、公会議後の陰気な平等主義により破壊された聖職位階制の生活と熱烈な典礼生活とを神学校に提供すると考えた。

 大司教はさらに、堅振の秘蹟の有効性は、1971年8月15日発行の堅振の秘蹟の新しい“形相”によって冒されたと判断した。この新しい「形相」は東方教会の堅振(chrismation)の形式文から来ていた。とりわけ自国語への翻訳文においては、時折なされる全く空想に基づく翻訳など、堅振特有の性格をそれ程明確に表現していない。

 1972年11月30日にパウロ六世が、カトリック教会の全歴史を通じて一致している聖伝に反して、唯一オリーヴ油だけをこの秘蹟の質料として使用することにもはや限定せず、全ての植物油の使用を質料として認可すると、(この秘蹟の有効性に対する)疑念はより深刻なものとなった。「信徒たちには、教会の秘蹟を有効に授かる権利があります。」と大司教は、1975年に、自分のことを、様々な司教区において、教区司教たちの許可なく堅振を授けたとか、条件付の堅振さえ授けたとか言って非難して来た枢機卿たちに対して述べた。

「私には賢明からくる(新しい堅振の秘蹟に対する)疑いがあるのです」と大司教は主張した。ところが、フランス人神学校時代からの親友で、トゥール大司教であるフェラン(Ferrand)大司教は、このようなことを容赦しなかった。「よくも私が授ける堅振の有効性に疑いを持つなどという事が出来ますね!」
こうして、この大司教はルフェーブル大司教との親交を絶ってしまった。

 ルフェーブル大司教はこう言う。
「なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです 。」


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天主様に感謝!2010年3月19日聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校で16名の副助祭などが誕生

2010年04月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2010年3月19日、エコンにて、16名の副助祭などが誕生しました


2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

2010年3月19日、聖ピオ十世会(SSPX)のエコン神学校にて、16名の副助祭などが誕生しました

愛する兄弟姉妹の皆様の多くの聖なる司祭召命のためのお祈りをお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:最終的に415456環のロザリオが集まりました

2010年04月06日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 Surrexit Dominus et apparuit Petro!
 私たちの主イエズス・キリストの御復活のお喜びを申し上げます。

 第3回ロザリオの十字軍は終了しました。今回は私たちの呼びかけに答えてくださったまだお会いしたこともない愛する兄弟姉妹の皆様からもご報告をたくさん頂きました!本当にありがたいことです! 深く感謝しております。

 2010年4月5日現在、最終総計は415456環となりました。念願の12万環を大きく上回り、聖母の汚れなき御心にたくさんのロザリオを捧げることが出来ました!346%の達成率でした! 天主様に感謝!

 愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご理解とすばらしいご協力に心から感謝いたします!日本の複数の修道会の方々が、大変寛大にご協力下さったことを深く感謝します。

 アジア管区からは、総計 2,565,564環のロザリオが集まり、これが聖ピオ十世会の総長フェレー司教様に報告されました。

 アジア管区の中では、ロザリオの一位はインドで 1,462,947 環でした。
その次が日本で 414,000 環(4月1日現在での総計)、
その次がフィリピンの 336,531 環でした。
何と、中国からは、109,925 環のロザリオが集まりました。





At Econe, during the Pontifical Mass on Easter Sunday, Bishop Fellay announced that the 12 million rosaries have been "greatly exceeded." He also invited all the faithful to pray for the Holy Father who suffers from the media's attacks.

エコンでの復活の主日の司教荘厳ミサにおいて、フェレー司教はロザリオの十字軍のロザリオは、1200万環をはるかに超えて集計されたと述べ、マス・メディアからの攻撃を受けている教皇様のために祈ってほしいと全ての信徒の皆様を招きました。




 教皇様が、ロシアを聖母の汚れなき御心に世界中のカトリック司祭たちと一致して聖別・奉献して下さいますように!聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

 【報告】
小野田神父様

お世話になります。
先月の妻の分抜けておりましたが、かみさんからレポートありましたので
一緒に付け加えさせていただきます。
よろしいでしょうか?宜しくお願い致します。

先月の妻の分 53環

3月分家族総計 1,403環

【報告】
Ave Maria!
小野田神父様
 また追加があります。マリア・クララさんから1環です。
皆様の上に主のお恵みが豊かにありますように。

マリア



+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.1.5.カトリック教会の危機と司祭職の危機

2010年04月06日 | ルフェーブル大司教の伝記
カトリック教会の危機と司祭職の危機

 到る所で行った講演を通して、ルフェーブル大司教は、信仰を守る戦いの先駆けとなった。トルクワン(Tourcoing)では、市長の前でこう述べた。
「私が講演依頼に同意するのは、一時に四方八方から、いやそれどころか、カトリック教会内からさえも攻撃を受けている私たちの信仰を、守り、防御し、さらに覚醒させる為です。」

 彼は、フランス司教団に結びついた、公式、非公式の様々な発行された出版物を引用した。ジャン・バール・センター(Centre Jean-Bart)によって発行された要理のページには、救いに関する聖伝的概念(つまり「私たち人間は恩寵を失ったが、キリストによって贖われた」)から外れて、“救いの契約(salvation-covenant)”という新たな思想であった。それによれば「人類の将来は、御復活の日にイエズスにおいて刻印された天主の契約である。」

 典礼に関するジャン・バール・センターの詳解の中で、ミサは次のように解説されている:
「ミサの中心には、叙述(物語形式の陳述)がある。― “記念” とは、出来事を新たに実現させること ではない。― 記念とは、 私たちが、救いの歴史で起こった偉大な出来事の中に、天主の働きを認識する事である。」

 ストラスブール大学の夕の神学コースに関して言えば、この大学は、
「その昔は或る宗教世界と結びついていたが、今では現代の宗教世界ではなくなってしまっている主の記念を祝うやり方、つまり、旧約のレヴィの書と周辺的宗教のいけにえの儀式から借りてきた「聖なる」服」を拒絶する。何故なら、それは実に、「それは象徴的行為であり、何も奇跡的な現存などではないからである。栄光あるキリストから始めて、さらに、秘蹟的現存の中に、イエズス・キリストの復活の現存の特権的な場を見なければならない。この現存は、言葉の最も強い意味において、霊的現存と呼ばれるべきである。」

 教理聖省長官のセペール枢機卿に、これらの文書が送付された。セペール枢機卿の答えはこれでしかなかった。
「あなたが送ってくださったものにはぞっとさせられました。カトリック教義の中に何か残されたものがあるでしょうか?地方にいる教会の当局が、何故反応しないのか私には理解出来ません。ローマには、どこへでも介入するなどという事は出来ませんし、特にすぐに介入することは出来ません。」

 これは無能と無知の露見そのものであった。つまり、セペールは、この逸脱した説こそが、まさに新しいミサであるということを知らないのだ!ルフェーブル大司教は、この二者が同一であることを疑うことが出来ない。

ルフェーブル大司教は神学生たちに言った。
「新しいミサを用いて、神学校を作ることがどうして出来るのか私には理解できません。最も良い善意を持っていたとしても、私には新しいミサにその力を見いだすことが出来ないでしょう。真実のミサとは、神学校、司祭、カトリック教会と、聖福音、さらに聖主の核心です。聖ピオ五世はこれを鮮明に悟りました。つまり、ミサこそが異端に対する防護壁であるということを 。」

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.1.4.毒を盛られた典礼

2010年04月05日 | ルフェーブル大司教の伝記
毒を盛られた典礼

 すぐにルフェーブル大司教は、例えば葬儀などへの消極的参列は除いては、もはや新しい典礼様式で執行されるミサに与ることに対して、黙認しなくなる。大司教は、何かが内在的に邪悪だと言われる意味で 、新しいミサが内在的に悪であると宣言することを望まなかった。ただし、このミサがそれ自体で有害であり、それは新しいミサの典礼様式が執り行われている状況(例:祭壇代わりのテーブル、又は手による聖体拝領など)に起因するものだけではないと考えた。

 しかし、教皇は、そのようなミサをどうして公布する事が出来たのか?というのも、原則として、見かけ上カトリック教会の普遍法である、このミサは、神学者たちの共通見解によれば、教皇の教導職が有する不可謬権によって、信仰に対する一切の誤謬、又は危険から免れる事が保障されているからである。そこで1981年、大司教は、この異論に答えた。

「新しいミサの外的要素から判断しても(その制定に伴う諸状況)、内的要素から判断しても(典礼様式の分析)、さらに新しいミサの実りを見ても、このミサは、異端ではないが、信仰の喪失に至らしめるものであり、真の法ではあり得ないことを示しています。何故ならドン・ジュゼッペ・パーチェ(Don Giuseppe Pace)が言うように:「この(新しいミサという)新しい法は、それが命じているように、共通善のため(ad bonum commune)ではない、つまり、この新しい法は、共通善を確保していない」からです。」

「このミサは、単に外部的、あるいは非本質的な面で悪なのではありません。それ自体に、本当に悪い何かがあるのです。それは、クランマー(Cranmer )や、テゼ共同体(Taizé-1959年)が考案したミサを原型に基づいて創られました。ローマ滞在中、(新しいミサについて)私を尋問した人々に言ったように「あれは、毒を盛られたミサです!」と言わなければなりません。」

「これは誰の責任になのでしょうか?一体誰が私たちの霊性を変えようと望んだのでしょう?私たちの典礼は、毒を盛られているのです。ある者はこう言います:「その通りですよ。でも、効き目がゆっくりとしている毒じゃないですか!」そうです。しかし、効き目の遅い毒ではあっても、やはり毒である事には変わりはないのです! 


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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.1.3.新しいミサに与るという問題

2010年04月04日 | ルフェーブル大司教の伝記
新しいミサに与るという問題

 相当数の司祭たちは、聖伝のミサにより表現される信仰維持の義務と、彼らなりに判断しているところの、従順でありたいという望みとの板ばさみになってしまい、どうすべきか迷っていた。典礼改革の初め頃、ルフェーブル大司教は、このような司祭らに対して、少なくとも聖伝の奉献文とミサ典文(Canon)は維持し、それをラテン語で唱えるようにと勧めていた。彼が信徒たちや神学生たちに与えた助言には、新しいミサを最初に拒絶する者と名乗りを上げた者が言うにしては、驚くほどの著しい穏健さがあった。

 彼はこう促した。
「聖ピオ五世のミサに与るために、あらゆる努力をしてください。しかし、もしも40キロ以内でそれを見つけることが出来ないのなら、また、もしある敬虔な司祭が、出来るかぎり聖伝のミサに近づけて新しいミサを捧げているなら、主日の義務を果たすために、皆様がそれに与る事は良い事です。」

 堅実な公教要理を学ぶことによって、(新しいミサに与ることから生じる)信仰を脅かす様々な危険に対抗する事ができる。
「世界中の教会を無人化させるべきだろうか?そのような事を口にする勇気はない。私は、無神論を奨励することを望まない。」

 従って、大司教は、コアッシュ神父やバルバラ神父ほどの見解には至らなかった。この二人の司祭らは、1971年と1973年の聖霊降臨祭に実行した“ローマ行進”の最中、巡礼者たちや子供たちに“聖ピオ五世のミサに対する忠誠の誓い”を立てさせていた。

 それにもかかわらず、1973年に大司教は言い加えた。
「確かに、時が経つにつれて、異端とともにミサの無効性が広がるにつれて、私たちの態度は益々過激になるのは同然です。」

 その間ずっと、大司教は、ドミニコ会のトマス・カルメル(Thomas Calmel)神父の立場の変化に注目していた。カルメル神父は先ず、大司教のように、相当の司牧的慎重さを示していたのだが、後日、より断定的になり、ついにはエコンの神学校で1974年度復活祭の黙想会を指導して、神学校を揺り動かした。

 「聖ピオ十世会を、新しい宗教のミサへと引きずって行かないでください!もしも殉教者の精神をもっていなかったとしたら、私たちの立場を取ることができません。おかしくありません。天主への愛が、私たちにこれを要求するのです。権威と従順に関する誤った解釈から生じる問題とともに、厳しい疲れさせる信仰の証です。天主への愛が、殉教者たち並びに、証聖者たちを生み出しました。私たちの戦い、私たちの信仰の証しは、忠実に典礼様式を存続させる事です。現代における信仰の証聖者であること、それは天主が私たちに下さる大いなる栄誉です。村八分にされるとか、見捨てられることで、私たちが何を感じようが、私たちは守り続けましょう!」

 大司教はその立場をすこしずつ堅固にしていった。つまり、エキュメニカルな典礼様式を持つこのミサは、ひどく曖昧で、カトリック信仰にとって有害であり、「そういうわけで、私たちは主日の義務を果たすためにという理由で、このミサへの参列するようにと強要され得ません」と。

 1975年、彼は、長い間、信徒たちが聖体拝領なしでいることに懸念を抱く場合には、新しいミサに“時折与る”ことは許されると依然として認めていた。しかし、1977年、大司教はほとんど疑いの余地のない境地に達した。

「司祭たちの精神の中でゆっくりと起こっている進化に合わせて私たちは --- 私は、殆どラディカルな言い方で言います --- 新しいミサへの全ての参列を避けなければなりません。」  

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記17.1.2.新しいミサの正統性および有効性

2010年04月03日 | ルフェーブル大司教の伝記
新しいミサの正統性および有効性

 パウロ六世によるミサの正統性及び有効性に関して、ルフェーブル大司教は公に講演することをためらわなかった。“一般的に言って、新しいミサが無効であり、異端的であると断定することは私たちには出来ない”しかしながら“新しいミサはゆっくりと異端へと導く”と彼は考えた。

 この話題に関して「ゲラール・デ・ロリエ神父、コアッシュ(Coache)神父の過激な見解」には大司教は賛同しなかったのだが、“無効であるミサの数は増加している”という事は認めた。何故なら、ミサを“記念”として見做すように、ミサの新しい概念によって養成されている若い司祭たちは、この概念によりますます限定された意向を持つからである。

 この意向は、トリエント公会議で定義されたそれとは完全に異質のものである。この定義上の対立に気付いていないにせよ、そうである。何故なら彼らはドグマの「相対的かつ進化論的発想の影響下にある」からだ。

 1975年に、ルフェーブル大司教はこう付け加えた。新しいミサは、
「二重の意味を持ち、曖昧である。何故なら、或る司祭が、ミサの聖なる犠牲等々に対する完全なカトリック信仰を持ってこのミサを捧げる事も出来るかと思うと、別の司祭は、発音する言葉と、身振りは、もはや[カトリック教義とは異なる他のことを信じていても]と矛盾しないから 、異なる意向を持ってそれを捧げる事が出来る。」

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記17.1.1.二つのミサ:ノヴス・オルドの拒絶

2010年04月02日 | ルフェーブル大司教の伝記
第十七章 私は永遠のローマに固執する


Ⅰ. 永遠のミサへの忠誠


二つのミサ ― ノヴス・オルド(新しいミサ通常文)の拒絶

 ルフェーブル大司教が聖ピオ十世会を創立したのは、新しいミサへの反対からではなく、司祭職の存続のためであった。そしてこの司祭職に対する懸念が、今や彼をして新しいミサ式次第の拒絶に到らしめた。

 1971年6月9日、大司教はパリから戻った。ルコント(Lecomte)将軍とパンファンタニョ総督により運営される組織、ROC(Rassemblement de l’Occident chrétien: キリスト教西欧連合)の友人たちが組織した講演会から講演を終えて帰ってきたのだ。エコンでは、教授陣と神学生たちを呼び集め、既に1970年11月25日に書いていた自分の講演の概要をタイプした用紙を配り始めた。このようなことはルフェーブル大司教にとって稀にしかなかった。それまで、彼は依然として許されていた、“古いミサ”を守り続けていた。しかしながら、これから彼は、ノヴス・オルドを拒絶するであろう。
 「これは、カトリック教会にとって重要な意義をもつ歴史的瞬間でした。」オラニエ神父は続ける。
「大司教様は、選択をしていたのです。その確信を私たちに伝えました。それは、良い選択であり、変えられないものでした。つまりそれは教義に基づく選択でした。」

 この選択は、ある個人的な好みによるものではなく、トリエント公会議によって定義されたドグマに基づいていた。
「定義されたカトリック信仰の三つの真理 --- fide divina catholica --- は」と、彼は強調した。「ミサの聖なる犠牲の現実にとって本質的である。つまり、その司祭的霊印によって信徒とは区別され、この同じ霊的刻印により聖体の秘蹟を聖別する権能を有する唯一の役務者とされる司祭、さらに、聖なるミサの犠牲的本性と、ミサ聖祭が持つ(人類の罪に対する御父の怒りを)なだめるという役割、--- 聖体拝領とはいけにえを食すことにおける単なる結果でしかない --- そして最後に、全実体変化を通しての、カルワリオと同じいけにえ、つまり、このいけにえの現実かつ実体的な現存などの三点です。」

 ところが、第二バチカン公会議の典礼改革は、「これら三つの重要な真理を直接的に、あるいは間接的にむしばんでおり」、共同体的行動の中でこれら三つの真理は薄められている。十字架はミサから姿を消すと共に、それと付随して犠牲の精神も消えて行く。それ故に司祭召命も枯渇している。決定的で実際的な結論がのしかかっていた。

「もし、これまでに “新しいミサ通常文” を受け入れていたとしたら、私たちにはもう召命などなかったでしょう。まるで根元に大鉈を振るわれた様に、木は枯れ果てていたことでしょう。」

 大司教がした教義的かつ司牧的理由による新しいミサの拒絶は、教会法に基づいている:
「この改革の概念や、継続的に不当な変更を受けてきた様々な版によって公布されたやり方、この改革が公布されたやり方、時にはイタリアの事例のように圧政的に強制されてそれが強制された方法、典礼様式自体への如何なる変更も加えないでの、典礼総則第2章7項におけるの定義変更など、これらの全ては、賢慮と上智をもって(cum consilio et sapientia) 常に行動するローマ・カトリック教会の聖伝において先例がない。これらの事実は、この法律制定の有効性に疑いを抱かせる故に、教会法23条の発動を可能にする。「前法が廃止されたか否かにつき疑いがある場合には、前法の廃止は推定されない。この場合には後法は前法の範囲内に置かれ、しかも出来る限りそれと協調させなければならない。」

 ルフェーブル大司教は、友好的な雑誌であるイティネレール誌やクリエ・ド・ローム誌に寄稿する思想家たちと密に連絡を取り合い、「見事で、説得力のある、司教ならびに司祭たちの誰もが手に持たなければならない」論考の幾つかを見いだした。

 彼は、パウロ六世のしたことと聖ピオ五世とが成し遂げた業績の間にある違いを強調した。両者は完全に反対方向にある、と。この聖なる教皇は、590年から604年まで在位した教皇大聖グレゴリオが法定化したままのローマ・ミサ典書ををのまま保持した。このミサ典書が間違いなく大聖グレゴリオの創作品などではなく、彼が聖伝より受け継いだに違いないからだ。よって、ピオ五世は、少なくとも十世紀の歴史を有する古き聖伝を再確認した。それに比べて、パウロ六世は人工的に新しいミサを創作したのだ。

 さらには、聖ピオ五世の行為には、列聖の価値がある。この聖なる教皇は、ローマ典礼を、それが有する歴史の古代さ、その継続的な使用、権能、教義上の正統性の保証、聖性、さらに成果などを指摘しながらミサ聖祭を列聖した。これはちょうどある人間についてその徳の数々が英雄的であると宣言される列聖式の時と同じである。従って、彼の行為は、決定的であると共に、不可謬である。このミサは、永遠にカトリック教会に有益であり、教会を教化するであろうし、誰一人としてそれを禁じる事は出来ないだろう。何故なら、或る教皇が列聖したものを禁じたり、破壊したりする事はあり得ないからだ。そんな事は起きるはずが無いのである!聖ピオ五世の後継者の一教皇が、新しい典礼様式を創作し、それを使用するよう奨励することは出来ようが、この聖伝の典礼様式を排除する事は決して許されない。言い換えれば、この聖なる教皇の行為は、いつでも覆しうる単なる規律上の措置などではない。それは本来、教義上の行為であって、聖ピオ五世の後継者たちは全て、この行為を擁護しなければならないのである。

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スタバト・マーテル(Stabat Mater)の日本語訳をご紹介します

2010年04月01日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖木曜日ですね。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 聖ピオ十世会日本のウェブ・サイトでは、2010年3月27日土曜日の大阪での聖伝のミサの説教がアップされました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 また、スタバト・マーテルの日本語訳をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

***

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。
嘆き憂い悲しめるその御魂は、鋭き刃もて貫かれ給えり。
天主の御独り子の尊き御母は、いかばかり憂い悲しみ給いしぞ。
優しき御母は、いともすぐれし生まれの方の刑罰を見て、悩み悲しみ給いし。
キリストの御母がかくも苦悩の内におられるのを見て、誰か泣かざるものあらんや?
キリストの御母が御子と共に苦しみ給うのを観て、誰か共に悲しまらざる者あらんや。
人類の罪のためにイエズスが拷問とむち打ちを受け給うのを見給いし。
ご自分の甘美なる聖子が息絶えて苦悩の内に死ぬのを見給いし。
さあ、御母よ、愛の泉よ、御身と共に我が涙せんがために、悲しみの力を我に感ぜしめ給え。
我が心を我が喜びとせんがために天主なるキリストを愛するにおいて燃え立たせ給え。
聖母よ、十字架に付けられた御子の傷を我が心に深く刻み込み給え。
傷つき、我がためにかくも苦しむをかたじけのうし給いし御身から生まれ給うた御子の罰を我と共に分け給え。
我が生くる間、御身と共に敬虔に涙し、十字架に付けられた方と共に悲しむを得しめ給え。
われ十字架の側に御身と立ちて、相共に嘆かんことを望む。
童貞のうちにていとも勝れたる童貞、願わくは、われを排け給わずして、共に嘆くを得しめ給え。
われにキリストの死を負わしめ、その御苦難を共にせしめ、その御傷を深くしのばしめ給え。
御子の御傷をもってわれに傷つけ、その十字架と御血とをもって、われを酔わしめ給え。
聖なる童貞女よ、われに地獄の火に焼かれざらんため、審判の日にわれを守り給え。
ああ、キリストよ、われこの世を去らんとき、御母によりて勝利の報いを得しめ給え。
肉身は死して朽つるとも、霊魂には、天国の永福をこうむらしめ給え。アーメン

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

STABAT Mater dolorosa iuxta Crucem lacrimosa, dum pendebat Filius.
Cuius animam gementem, contristatam et dolentem pertransivit gladius.
O quam tristis et afflicta fuit illa benedicta, mater Unigeniti!
Quae maerebat et dolebat, pia Mater, dum videbat nati poenas inclyti.
Quis est homo qui non fleret, matrem Christi si videret in tanto supplicio?
Quis non posset contristari Christi Matrem contemplari dolentem cum Filio?
Pro peccatis suae gentis vidit Iesum in tormentis, et flagellis subditum.
Vidit suum dulcem Natum moriendo desolatum, dum emisit spiritum.
Eia, Mater, fons amoris me sentire vim doloris fac, ut tecum lugeam.
Fac, ut ardeat cor meum in amando Christum Deum ut sibi complaceam.
Sancta Mater, istud agas, crucifixi fige plagas cordi meo valide.
Tui Nati vulnerati, tam dignati pro me pati, poenas mecum divide.
Fac me tecum pie flere, crucifixo condolere, donec ego vixero.
Iuxta Crucem tecum stare, et me tibi sociare in planctu desidero.
Virgo virginum praeclara, mihi iam non sis amara, fac me tecum plangere.
Fac, ut portem Christi mortem, passionis fac consortem, et plagas recolere.
Fac me plagis vulnerari, fac me Cruce inebriari, et cruore Filii.
Flammis ne urar succensus, per te, Virgo, sim defensus in die iudicii.
Christe, cum sit hinc exire, da per Matrem me venire ad palmam victoriae.
Quando corpus morietur, fac, ut animae donetur paradisi gloria. Amen.

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.8.4.聖ピオ十世会第三会

2010年04月01日 | ルフェーブル大司教の伝記
聖ピオ十世会第三会

 1971年5月28日、聖霊降臨の大祝日の前日、一般信徒たちが数人、エコンまでルフェーブル大司教に会いに来て言った。

「大司教様、御会には修道会第三会のようなものはないのでしょうか?一般信徒たちは、あなたの仕事に参加出来ないのですか?」

「なるほどそうですね、本会会則は『聖ピオ十世会はまた、当会の目的達成のための仕事に協力する事と、自身の聖化の為に与えられる恩寵によって利益を得ることを望む準会員なる人々をも、司祭、一般信徒を問わず歓迎する(Ⅳ.4)』と言っていますね。」

「では、あなたは私たちを、御会最初の第三会会員として見做すべきですよ、大司教様。」

「そうですね!しかしちょっと待って下さい。本会会則の内容にそれとなくほのめかした以外には、私はこれについて何もしていなかったのです。ですから、一息ついて、それについてとくと考えさせて下さい!」

 大司教がついた“一息”は十年間であった。しかしながら、1973年になると、それまで聖ピオ十世会の財政管理の面で彼を手伝って来てくれていた聖霊修道会会員の献身的な有志者たち、つまり、フリブールのクリスチャン・ウィンクラー(Christian Winckler)修道士と、パリのマルセル・ミュラー(Marcel Muller)神父をそれぞれの修道院に送り返すことを考えた。各々長上たちがそれを願ったからである。その時、大司教は言った。「一般信徒からなる第三会は、この種の仕事に役立つだろう」と。

 しかしながら、霊的目標こそが、依然として彼ら第三会会員たちにとっての最重要事項である。彼らは、“ミサの聖なる屠り(immolation)に基礎を置く私たちの霊性”を生き、さらに、“常に、全く真実で変わることのない愛の源であるイエズスの聖心の宝庫である、私たちの信仰の偉大な神秘にますます深く入る”だろう。

 それにもかかわらず、聖ピオ十世会第三会 は、1981年1月29日になってようやく創立された。これは、聖ピオ十世会顧問会が、大司教によって1980年の末に書かれた第三会会則を公布した日であった。聖ピオ十世会第三会会員たちは、“犠牲と共贖(聖主の贖罪の業に共に協力する)”からなるキリスト教的生活を送ると共に、不可謬な教導権や、トレント公会議の公教要理、ヴルガタ訳聖書、天使的博士(聖トマス)の教え、さらに永遠の典礼などによって表現されている聖伝に忠実でなければならない。

 第三会会員たちの義務は要求が多く難しいのだろうか?そうでもない!これはバランスがとれており、熱心な信徒たちから期待出来る事の範囲を超えることがない。非常な困難を伴うような事は一切なく、テレビ視聴を止める事でさえ、それ程辛い事ではない。しかし、第三会会員たちが共有する会則は、個人主義を克服し、良い励み合いを刺激し、何よりも愛徳と献身の水準を最大限に高める。従って、聖ピオ十世会第三会は、聖ピオ十世会の各修道院において修練する献身的な霊的精鋭を養成するのである。

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