たまたま見る事になった韓国製ドラマ。日本製のドラマは予告編だけでも判るように押しなべて「泣き喚き・いがみ罵り・喧嘩暴力」で構成されている感覚なので小生はほぼ視聴しない。大昔、ある賢人が「だから素人でも出来る」とかなんとかおっしゃいましたのちじれっけ、と記憶しているが未だにそうなので人材は薄いのであろう。
さてそれはともかくドラマの中で度々食べる場面がでてきた「トッポギ」とは何ぞや⁉と興味が湧いて調べてみた。小生の痴性ではキムチとナムルくらいしか理解していないし食べた事も無いのだ。まあ、分かったのはご飯を潰して作った現代ではごく普通の食品と言う事であった。早く言えば「キリタンポ」の類いに見えた。別の時代劇では串にさして焙っているのもあったのでほぼキリタンポの同類と観て差し支えないだろう。そんなことから「一度は食したい」と思ったのだが並べてあるショーケースは思い出せないしとりあえずは棚上げしていたのだったが…。
たまたまタイマーで炊き上がった炊飯器の前に立ったら突然と脳裏に閃いたのは「そうだ、このまま試食に走ろう」と言う事で、早速すり鉢と竹串を用意してご飯を潰す。しかしそこは初心者の哀しさ、ぶっつけ本番の情けなさ、棚や冷蔵庫を眺めまわしてもトッポギの類いに使える素材など皆無だったのだ。せめてキムチでもあればと思ったところである訳もなく、毛髪を抜き息を吹きかけようとも毛髪も無い、無いない尽くしでは何ともならずツクシンボも出る訳も無い寒の内ではタチンボするだけであって、そうあって欲しいのは沈没して既に長い。それでも回路を繋ぎショート寸前でポロネーゼの一袋が目に留まった。「よし!いくぞー、これで晩飯にありつける」と一膳落着したのである。
こういう構成で膳を作るなど薄幸食の極みでもあるものの、一方ではコスモポリタンでなければ到達しえない境地でもあろう。とは言え小生、市街に出る事さえままならない身の上ではコスモポリタンとの自称は出来ず踏ん張ったら「ボヘミアン」に変換できたのだった。これなら納得の自称だ。で、今日の薄幸食は主皿が「キリタッポギ ボロデッセ」、小鉢は菜の花と花かつおの佃煮・梅肉和え、汁はキノコの納豆汁で、常識的にはありえない取り合わせなのだろうがそこはそこ、ボヘミアンである小生であるからして食のコスモスを実現させたのである。☆三つはとても無理だけれど「よし」二つは十分自称できよう。こんな風に食べ物で遊んでしまった夕食…被災地の皆様には申し訳なし。番組でみた「スープに浮いたトッポギ風」にはとても遠いものの、半殺しご飯を焙った食感は素晴らしい。そんな事で本物のトッポギを求めてショーケース巡りもせにゃならん・・・。既に枯山水の境地とばかり思っていたのに不生不滅いいえ、不肖不滅だった。