トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ムラサキシジミの日向ぼっこ

2024-01-15 | 小父のお隣さん

 まあ、端的に言うなれば「ボッチぼっこ」なのだが、それは小生も同じなのだ。街中のボッチぼっこは椅子付き手押し車に座しているのを通りすがりにまま見るけれど大抵は大昔ママで大昔パパは少ないのだった。

 写真のムラサキシジミ、先日の個体かどうか知る由も無いのだが腹部が太いのでメスなのか、はてまた越冬に必要な栄養を蓄えているせいなのか小生には判らない。それでも潜在的バイアスがかかるから「メス!」として❤❤❤とする。大きな間違いだったとしても個人内差の範囲だから支障は無い。「越冬中のエネルギーは蓄えてあるから水分だけで大丈夫」とはS先生の解説だったが足元を見ればオオイヌノフグリや寒咲花菜の花が見えている。少しは吸蜜出来る存在なのかどうか不明だけれど春の兆しであることは間違いない。

     

 翅を広げれば金属光沢の輝きが美しいのだが閉じてしまうと一瞬にして見失ってしまう。翅裏は枯葉色なのでシダの葉に止まっていたのだが単なる葉の傷みにしか見えなくなり「どこだったっけ⁉」と探すのが度々だった。決して耄碌や乱視。遠視のせいではない。短期記憶衰退の可能性は・・・高い。


ネザサの抑制

2024-01-15 | 今日は真面目に

 フイールドの大半はネザサと孟宗竹が席巻していたのだから、その痕跡、というよりネザサの末裔はしぶとく残っている。平坦面や緩斜面で草本を優勢に保つためにはネザサの抑制が何より重要になってくるのだが面積があるから刈り払い機の刈り刃を斜めに突っ込んで株元の地下茎まで痛め付けて抑制している。しかし数年前に手を入れたばかりの突端部の崖部下側は動力を用いる訳にはいかず、全て竹切鋸や鎌で処理しなければならない。斜面下から刈り上げなければならなかった当時は竹切鋸と太枝切で処理し、現在は下側が草地、手が届き難い距離からアズマネザサ、というモヒカン刈り状態で維持している。まあ、ネザサの藪と言えどもウグイスやリュウキュウサンショウクイの営巣地に必要だから残してある。当地ではすでにリュウキュウサンショウクイは留鳥であり繁殖種となっている。生活圏がウグイスと被るけれどコントロールできる範囲ではない。

 さて今回のネザサの抑制は高い部分は造林鎌で根元から断ち切り取り除き、手が届く部分はシュートの部分を握り根元に鎌を当てて切り取って終わりだ。自分的には事前事後の様子の違いは判るけれど目が慣れない人にとっては違いなど判ろうはずもない。そもそも「手入れされている」なんて認識も持ってはいないはずだ。草地とネザサの境界付近を観察すると、ネザサを切除した範囲に冬イチゴがまずランナーで進出し追いかけるようにシダ類が群落を広げていくと言う図式が見えて来る。

 この仕立てにしなかった以前は植生も単純だったのだが、ネザサを排除し日当たり良好な斜面を維持してきたことで草本類の種類も増している。この部分は冬至の頃でも日差しが届いている場所なので成虫越冬しているチョウと出会う確率が高い場所だし、トンボがその期の最後まで姿を見せてくれる大事な場所でもある。もう少し経てば地上部はオオイヌノフグリをはじめとした早春のお花畑が出現する。お爺たちの日向ぼっこの場所でもあるが姥捨て山の「春待ちボッチ」の場所でもある。