トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

破砕機や巣ごもり蹴散らす大騒音

2019-06-05 | 小人閑居して憮然
 五月下旬の楽しみはサンコウチョウの鳴き声を聞く事にある。棚田の田植えの頃にはさえずりを聞きながら田植えをする事も多かったのだが今季はまだ聞いていない。月末に鳴いた情報は異なる日にちで二人から入手しているが、どちらも隣沢だ。
 隣沢取水部の手入れが残っているけれど腰痛が出て赤信号点滅状態、そこで泥水地の刈り払いを軽く行う事にした。家で座っていても動き始めが一層痛みが増すので動いていた方がストレスが無い。

 それでフイールドに出かけ威之志士様のお休み処になりかけている草地を見通し良く刈り払う。刈り払いも適度に行わないと威之志士様を引き寄せ定着させてしまいかねない。そんなこんなで部分部分をチョコチョコと刈っていたのだがオオルリやキビタキなどのご近所様の高らかな縄張り宣言も歌い上げも皆無だった。猛禽類の飛来でパッタリと静寂になってしまうほどでもないけれどノー天気でフーテンのホトトギスの声くらいしか届いてこない。

 その理由は明白だった。かの環境教育NPOのスタッフが竹破砕機を稼働させているからで、この破砕機の騒音は広範囲に小鳥など寄りつかせない迫力がある。「またか!」と思われようと良好な関係を保つ認識は捨てた小生なのでスタッフに一言申した。
 内なる小生は「野鳥の繁殖期なのに迷惑が分からんのか!」と怒鳴りつけたいところを「破砕作業を今行う必要もないだろうから繁殖期が終わるまで中止してくれない」と苦々しくも紳士的に申したのだ。こういう言い方は自己否定しているようでストレスが増す。
 
 我が本音は「何が環境教育NPOだ。スタッフでさえ折々の環境に対する気付きも配慮も無い」を付けたしたかった。独りよがりだとしても、実態も独り作業の小生に対して環境教育NPOは多くの有識者やマネ蔓と繋がり,教育や講座を行っている社会資源のひとつとさえずっている。
 それなのに自分たちの活動が及ぼす身近で直接的な弊害に全く無関心なところに腹が立つのだ。人とのつながりは取り結んでも環境とのつながりや影響は省みもしない「環境教育」は小生の理解が及ばない。
 あの阿呆丸出しの公僕様らに同じく「そこのけ、そこのけ偉い様が通る…」なのだろう。あるいは「私たちは佳い事を行っている!」自負自慢傲慢欺瞞散漫。

 まあ、頑迷化・一刻者のそしりは免れないどころか進行しているのだがさて、耄碌とどっちが良いかと考えてみると、もう禄を食んではいないし頑迷の方が「生きている」実感がする。こういうのを「遠吠え」とでも言うのだろうがオオラリやキブンタキの「さえずり」と言って欲しい・・・。

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