毎年、気後れして出かけなかったが、今日は日中むしむしして曇天のままだったから「好機!」とばかり思い切って出かけた。
到着した時は全くの闇の静寂で「絶滅か」と思いかけたところに薄く光った気がした。期待を込めて近づいたらやっぱり蛍だった。体長は10ミリほどで小ぶりだったからヘイケボタルかと思ったが頭部の筋は中央が膨らんでいるからヘイケボタルだろうと勝手に納得する。
そのうち疎らではあるが光始めて、10匹以上20匹未満の出現というところ。蛍を見たのは四半世紀ぶりで、手に取ったのは半世紀ぶりくらいだ。少々興奮した。しかし暗闇は怖いのだ。
しかし客観的に見れば真っ暗な谷あいの林道で、しゃがみこんで蛍一匹を相手に写真を撮っている姿の、こっちのほうが恐ろしいかも。
棚田からの帰路、ハグロトンボにであった。図鑑のハグロトンボの尾はグリーンのメタリック色だったが、この個体は尾も黒かった。はたしてハグロトンボなんだろうか。どちらにしてもこのタイプは記憶にない。
シジミチョウは奇形だった。左の前羽がやや小さい。それでも飛翔は不自然を感じさせずに元気だ。後羽に突起があるからウラナミシジミかな。現役の頃を思い出した。
さて、三日前のとんでもない落し物を確認にいった。びっくりしたのは元の姿を失っていたことだ。一見、焚き火跡の炭のようでもあるし、周囲に落ちている桑の実を寄せ集めた風にも見える。良く見れば蛆虫がうごめいてはいるが・・・。そう、三日前はギンバエが群がっていたのだ。
垣間見ることの少ない出会いだったが、どこから来てどこに行くのか知らないが命の営みというものには感心させられる。でも自然に後始末を任せて知らん振り、なんてことは多いんだろうなと昨今に想いもはせた次第。
いささかくたびれてきた。今日もドロンコの半日、実は午前で切り上げて拠点の小屋で昼飯を食い、真竹林に黒竹林から「収穫中止」のたて看板を移して、3人で四方山話で一服というわけ。
棚田も田んぼらしく格好がついてきたが、作業者はくたびれて格好が悪くなってきた。泥だらけ、ヨレヨレでは「花の中高年」とはとても言えない。
棚田1は沢からのかけ水を小水路を作って田に入るようにした。これで多少は水温が上がり酸素の溶存度も高まるだろう。何よりも浅い小水路はサワガニの格好の住処になるのだ。
ついでに鍬で起こして代掻き風に作業をし、見た目は田植え前の田んぼらしくなった。6枚とも豆トラで耕転・細土したいのだが、今は運び上げる元気はなし。
2と3の棚田はようやく畦の土盛りが終了した。中の写真は棚田6である。帰路、新しく掘りあげた溜池でモリアオガエルが産卵していた。卵塊は大小3つある。ちょっと顔がほころぶ。
棚田へ出かける途中で、何気なく足元をみたら目に飛び込んできた。「ああ」と思って周囲を見渡すとここかしこと花穂を上げている。
ネジリバナなんて子供の頃は呼んでいたが、社会人になっで施設の芝生を管理している時も咲いているのに出くわして、芝刈りを躊躇させられた思いがある。今は草刈りを躊躇して、花が終わってから刈り払う。
「私はここよ!」なんて言わないが、そんな風に感じた色彩だ。「もしや」と思って斜面に目を転じると、やはり咲いていた。ハナトラノオである。こちらは白一色で地味だが暑い時は一服の清涼剤である。
で、思い出してビワの木まで立ち寄った。今年は何とか熟す直前まで実が残ってくれた。栽培品と比較すると果肉は硬めだが酸味がはっきりしていて初夏の果物に相応しい。
モジズリ、トラノオ、ビワなどは小生が初夏を実感する季節の植物だ。
『鍬打てば泥かかりくるこの身往く牛の鼻取り代掻きの頃』
『泥中に脚をとられて身を崩す悲しくもあり懐かしくもあり』
『谷戸中に出来し水面に飛来する秋津は既にラッキーセブン』
『葦草を刈りて出でたる棚田なりひととせ休めば元の葦原』
『畦消えて堤を浸す水の路痛手の棚田青葉悲しき』
『畦出来て水の溜まりし翌日にはマツモムシ浮きイモリは底に』
『かけ落とすチョロ水の音染み渡るさえずる鳥と和したる如し』
『段差工成したる水路脚を張り身を洗いたる沢のカニ子よ』
昼ごろから雨の予報となって作業はしないことにしたのだが「高齢者のリハビリ用に松ボックリが大量に欲しい」といわれたことを思い出して出かけた。
背負い籠に山盛り拾って、鉄砲百合の咲いたのを確かめ車に積み込んだ。近くの棚田跡に水路を巡らしてビオトープにしているMさんが一角に稲を植えたのを思い出して見に行った。
舗装された林道の真ん中にあったもの「何か」には驚かなかったが「ここに」に仰天した。こういう輩が増えてくる。百メートル先にはレンタルトイレが設置してあるのだ。
車の進入を防ぐのに木馬が二つ並べてあるのだが、その間に鎮座させてあった。路の脇でも草むらでも場所はいくらでもあるが、道路の中央・木馬の間という設定に確信的悪意を感じた。
おぞましくて証拠写真は撮る気にもならなかったが、片付けるのは雨にたのもう。黒竹林の手入れをしていて踏んづけて以来、今年二回目の遭遇だ。
雨模様で二日休んで日曜日、今日は会友と3人で作業となった。ようやく一枚だけ「荒起こし」が出来た。この後、砕いて葦の根を取り泥を均さなければならないが、全身泥だらけになるのだろう。水を抜いて起こせばよかったのだが、水平面の確認をしたくて張ったままの作業となった。
六枚の棚田のうち、下の田ほど生物が多くなっているのが確認できる。二日前には確認できなかったオタマジャクシが大小取り混ぜて泳いでいたし、ミジンコ、ユスリカの幼虫、イトミミズなど群れている。
オタマジャクシはどこから来たのか、卵は確認してなかったがいっぱいいたし、カワニナも数個体確認できた。モリアオガエルも産卵していたが、溜池の卵塊より小さかったのはオスが少なかったのかもしれない。
桑の実ゼリーの品質が不満足な出来栄えだったから、ようやく盛期を迎えたグミを使ったゼリーに挑戦した。
今回はジューサーを使い、ガーゼで濾したので口当たりは滑らかになった。濾しとるのを自然滴下にしたら液が澄んでしまってグミの感じがでない。そこで絞りも入れて色合いを加えるはめになった。
思い起こせば山葡萄やイチイの実、ヤマモモやコウゾの実などジュースを作る時に自然滴下をやって色合いが出なくて絞ったことを思い出した。色合いも味の内だ。
さて出来栄えだが「酸味・渋みがあるが爽やか」な味だった。加糖はしなかった。しかし量を食べるスイーツではなかった。季節の味として味見をして満足、そんな利用の仕方がよろしいようだ。渋さがあるから万人向きでは無いだろうが初夏の爽やかさは感じて好みの味だったと断言できる。次はコウゾの実のゼリーに挑戦しようか。でも、あの変わった甘味がどう影響するのか不安もあるのだが。