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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日の素労風努「トロ昆はなまめ」

2024-01-16 | 何よりの楽しみ

 1kgのはなまめを4回に分けて賞味する事にして1回目は「生姜糖はなまめ」だったのだが、これがとっても旨い。1kgを生姜糖はなまめにしても満足できたのだがそれはそれ、今回は「出し汁に浸させたはなまめ」にする事にしたのだった。ところがギッチョン、チョイチョイチョイ「旨味充満した美味しいはなまめ」という目論見は2回目の加熱で幻想だった事に気が付いたのである。

 丁寧に本格的出汁を取り吸水させたまでは良かったのだが加熱するに従い灰汁が出て来る。当然、はなまめの外殻を通して成分の出入りはあるのであるから多少は「減る」だろうは幻想だった。端的には「浸透圧」が曲者で3回に渡る加熱冷却の際に水換えするのだから成分は薄い液体の方に流れ出すのが当たり前なのだった。途中で出来上がりを確かめるために試食をしながらだったけれど、確かに食感は初回とは異なる出来栄えで、感じ方では絹ごし豆腐のような食感になっている。けれど、しかし、当然のことながら「出し汁を吸水させたはなまめ」とはなり得なかった。

 3回目に加熱する時、砂糖を加えるのだがこの時にとろろ昆布を鋏で微塵にし投入した。悔しー!何としてでも昆布の旨味を付けてやる!。砂糖はレシピの1割減にしてとろろ昆布の旨味が活きるようにしたのだったが・・・。砂糖は1割減だし風味付けにゴマ油も足したから焦げ付き難さは増したはずだと認識しつつ、とろろ昆布が焦げやすいはずなので火を止めるタイミングを早めた結果とろろ昆布の持つ水分でペッタリした出来上がりになった。とは言え見た目は悪くとも美味しさは単なる砂糖煮のはなまめより個性的な美味しさがある。食膳の箸休めにもお茶の甘味でも十分イケる出来上がりだ。さすがに主夫としてのキャリアは活きているのだった。さて3回目は「生姜バターはなまめ」で行こうか…。生姜は生生姜でなく繊維の目立たないチューブ入りの生姜で試みようぞ!。

     


ムラサキシジミの日向ぼっこ

2024-01-15 | 小父のお隣さん

 まあ、端的に言うなれば「ボッチぼっこ」なのだが、それは小生も同じなのだ。街中のボッチぼっこは椅子付き手押し車に座しているのを通りすがりにまま見るけれど大抵は大昔ママで大昔パパは少ないのだった。

 写真のムラサキシジミ、先日の個体かどうか知る由も無いのだが腹部が太いのでメスなのか、はてまた越冬に必要な栄養を蓄えているせいなのか小生には判らない。それでも潜在的バイアスがかかるから「メス!」として❤❤❤とする。大きな間違いだったとしても個人内差の範囲だから支障は無い。「越冬中のエネルギーは蓄えてあるから水分だけで大丈夫」とはS先生の解説だったが足元を見ればオオイヌノフグリや寒咲花菜の花が見えている。少しは吸蜜出来る存在なのかどうか不明だけれど春の兆しであることは間違いない。

     

 翅を広げれば金属光沢の輝きが美しいのだが閉じてしまうと一瞬にして見失ってしまう。翅裏は枯葉色なのでシダの葉に止まっていたのだが単なる葉の傷みにしか見えなくなり「どこだったっけ⁉」と探すのが度々だった。決して耄碌や乱視。遠視のせいではない。短期記憶衰退の可能性は・・・高い。


ネザサの抑制

2024-01-15 | 今日は真面目に

 フイールドの大半はネザサと孟宗竹が席巻していたのだから、その痕跡、というよりネザサの末裔はしぶとく残っている。平坦面や緩斜面で草本を優勢に保つためにはネザサの抑制が何より重要になってくるのだが面積があるから刈り払い機の刈り刃を斜めに突っ込んで株元の地下茎まで痛め付けて抑制している。しかし数年前に手を入れたばかりの突端部の崖部下側は動力を用いる訳にはいかず、全て竹切鋸や鎌で処理しなければならない。斜面下から刈り上げなければならなかった当時は竹切鋸と太枝切で処理し、現在は下側が草地、手が届き難い距離からアズマネザサ、というモヒカン刈り状態で維持している。まあ、ネザサの藪と言えどもウグイスやリュウキュウサンショウクイの営巣地に必要だから残してある。当地ではすでにリュウキュウサンショウクイは留鳥であり繁殖種となっている。生活圏がウグイスと被るけれどコントロールできる範囲ではない。

 さて今回のネザサの抑制は高い部分は造林鎌で根元から断ち切り取り除き、手が届く部分はシュートの部分を握り根元に鎌を当てて切り取って終わりだ。自分的には事前事後の様子の違いは判るけれど目が慣れない人にとっては違いなど判ろうはずもない。そもそも「手入れされている」なんて認識も持ってはいないはずだ。草地とネザサの境界付近を観察すると、ネザサを切除した範囲に冬イチゴがまずランナーで進出し追いかけるようにシダ類が群落を広げていくと言う図式が見えて来る。

 この仕立てにしなかった以前は植生も単純だったのだが、ネザサを排除し日当たり良好な斜面を維持してきたことで草本類の種類も増している。この部分は冬至の頃でも日差しが届いている場所なので成虫越冬しているチョウと出会う確率が高い場所だし、トンボがその期の最後まで姿を見せてくれる大事な場所でもある。もう少し経てば地上部はオオイヌノフグリをはじめとした早春のお花畑が出現する。お爺たちの日向ぼっこの場所でもあるが姥捨て山の「春待ちボッチ」の場所でもある。


キジョランの莢

2024-01-14 | 蝶の食草園

 直ぐ上の兄が「数個、結実したから…」とその中のひと莢を送ってくれた。莢が青かったし割れていたけれど熟したと言うには時間が不足している段階かも知れないなあ、と思いつつ水切りネットに入れてカーテンレールにぶら下げた。乾燥が進みはじけて溢れ出ても部屋中「なんてこったい!」なんて事態にはならない。

 もともと結実したキジョランは小生が育成した苗なので、端的には「里帰り」の種子になるのだが当地で育てている兄弟姉妹、はてまた大先輩のキジョラン達は未だに結実してくれないのが小生のフイールドの現実である。「キジョランは気難しい、育てにくいい、生育不良のまま」なんて心証は小生だけでなくS先生も同意してくれるほどのキジョランの扱い難さであるが「鬼女蘭」と漢字で書けば生易しい植物ではないと言うのが窺い知れる。写真のキジョランに発芽能力が備わっているかどうかは播種して見なければ判明しないけれど、数本でも発芽してくれれば願ったり叶ったりだ。

 年明けの4日、フイールドのキジョランを見回ってみたが観察できる高さの葉には既にアサギマダラの幼虫は発見できなかった。ただトチノキの梢にまで上ったキジョランには食痕は見えているので1頭くらいは生存しているかも知れない。ここはまあ、生存していると思って眺める事にした。

 莢ごと送ってもらいそのまま水切りネットに入れてカーテンレールにぶら下げて置いたらモコモコと大冠毛付きで溢れ出て来た。この大冠毛、タンポポの冠毛の比ではなく大きいものは40mmほどに達する。それだけに捕縛から逃せば屋外では僅かな風に乗って行方不明になるし、室内では千切れた冠毛が室内を漂い、呼吸もしたくなくなる惨事となる。

 播種までネットの中という訳にもいかないので45リットルのゴミ袋の口を二折りほどしてからその中で種子と大冠毛を外した。屋外ならばネットから摘まんで取り出すだけで済むけれど、何せこの日は寒さ厳しい曇天では庭に出る気にもならず暖かな室内でと横着を決め込んだのだ。取り外した種子はおおよそ60個、中には明らかに未熟果と見える物もあるから歩留まりは7割程度だ。しかしながら播種して発芽までに至るかどうかは現時点では不明の完熟莢とも思えない実からの採種である。まずはお彼岸ごろに播種して発芽するのは梅雨に入る頃になるから結果が判明するのは半年も先だ。育林だけでなく草本の育成も時間と手間が必要なのだった。


今日の薄幸食「寄せ集め」

2024-01-13 | 何よりの楽しみ

 冬至を目前にして風邪症状が出て来た。自宅謹慎・閉門扱いにして様子見をしていたのだが鼻水は出るし咳も痰も出てくるようになって夜間の咳で胸部が痛みを感じる程だったから発熱は無かったのだが土曜日、この日に受診しなければ月曜まで待たねばならず経過が不安でホームドクターに電話して診察していただいたのだった。駐車場車内で待っての診察で小生、生まれて初めて両鼻腔に綿棒を差し込まれグリグリネジネジさせられたのである。それでなくとも不調なのに更に童貞を奪われた気分である。結果は両方とも陰性で「事なきを得た」ともいえるが風邪症状に変りはなく薬を頂き帰宅で自宅謹慎・閉門は続く。結局、薬を飲み切ってその日は様子見して再受診しなかったけれど翌日に考え直して受診しようとしたものの午後は休診。ここで万事休診いや窮したのであった。

 ともかく四日分の抗生剤は飲み切ったし「後は養生するだけ!」と腹をくくりグダグダの日々。風邪症状など何年ぶりなのか記憶にも無いのだった。溜まりに溜まった届け出等の役所窓口事務に奔走したのがストレスで発症したのは間違いない。この日は仕事納めの28日、クリニックは開業していたので受診も出来たけれど「年末年始は養生する」と腹をくくって自己回復力を確認しよう。そうなると食と休養が基本になる。寝床はベッドだからいつでも潜り込めるが食は口を開けていても入っては来ない。身体慣らしに台所に立って冷蔵庫を覗いたらご馳走になるほどの物は無し。とりあえずペースト状にした「ごどAI小雪」をイギリス食パンに塗ってみた。イギリス食パンたるもの何たるかは知らないけれど1本買いが出来るので購入したのだがやはり固くなる。

 「ごどAI小雪」を塗りトッピングに「生姜糖はなまめ」を載せた。もう一枚は薄焼き卵に萎びキュウリ、つまりは古漬けであるが載せてみた。ピクルスといきたかったが用意は無いのだった。フルーツは長野の弟からの蜜入りリンゴ、カップはモロコシスープである。野菜物も欲しくてこの時点でコンロには白菜とキノコ、手羽先の煮物を仕掛けていたのだが煮込み中で盛れない。結局は火加減を確かめつつコンロ脇の立食となったのである。写真のセットを食べ終えてから煮込みは完成したのだが白菜の鍋は養生には口に良い。白菜の代わりにキャベツや青菜ではそうはいくまい。まあ、とにもかくにも低年金高齢者の窮乏薄幸食はここに成ったのであった。つらつら眺めて想ったのは「今時、こんなもの食べる人は居らん…」だったが病み衰えている身であるとは言え「薄幸食」の矜持と大義は守った!。小生、孤爺と言えど南魚沼のやんごとなき雅な水飲み百姓の生まれと育ちだ、ゴミ屋敷で埃にまみれても誇りをもって生きなければ・・・。と思いつつも、これでも寒空の下、被災されて避難所や車内で過ごし摂る食事よりは随分と良いだろう。薄幸食と言えど有難く頂く。

     


チョウは何処へ行った⁉

2024-01-12 | 小父のお隣さん

 春になって羽化するのを心待ちにしていた越冬蛹、それが年末に確認したら1体は既に羽化して飛び去っている。年が明けてから写真をS先生に観て頂いたら「数多くの蛹の中からは時期を失して羽化する個体も出て来る」との事だった。孵化や羽化等々、生物の営みの中はランダムな部分があり、これが生存戦略の一画を成す、とも言われるけれど、さすがに吸蜜する花も途絶えた師走では低温も相まって生存はおぼつかないだろう。それはともかく冬の間に羽化するなんて青天の霹靂、でもあるけれど小生自身は低年金のボロボロ、とは言え元旦の霹靂に晒された人々に比べればうらぶれなぞ蚊の屁のようなものである。

 さて小生だけでなく、低年金高齢者の範疇に入ってしまえば「来る」のはご来迎の阿弥陀三尊様以外は無く、他は全て「去る」ものばかりが現実である。「この世の朝 早も過ぎて 黄昏る頃となれば・・・」と歌い出すフォスターの民謡にある主人公には愛犬が寄ってくるけれど孤爺に寄るのはアブや蚊、蚋などが主な物であって、時折はオオスズメバチが睨みを効かせて「プイ!」と行ってしまうのが通例である。安心して越冬できるように苦心して設えた保護器から挨拶もせず飛び去ってしまうアゲハにとってはきっと「どうしても嫌だ」だった場所だったかも知れない。民話にもたくさんある「決して姿を見ないでください…」その類いなのである。

 ちなみに羽化した種はナガサキアゲハで右側がカラスアゲハ、左側がモンキアゲハだ。上側左からキアゲハ、カラスアゲハ、モンキアゲハ、中段モンキアゲハとなる。モンキアゲハとカラスアゲハの蛹に茶色と緑色がある事になる。端的に言えば小生には種の違いは判らない。記憶にあるのは「背中が直角に反り返っているのが・・・」どっちだっけ⁉。実物では「なるほど!」と思えたのだが写真では判然としないし、わざわざ寒風の庭に出て確認する手間はしない。

 


新年は新調した衣で・・・

2024-01-11 | 何よりの楽しみ

 大晦日は夕刻まで掛かり利休帽と言うか和帽子を生地を変えて揃えてみた。これで当分の間はキャップに困らないだろう。それだけではない、小生のイメージも大幅アップ間違いなく、いわゆる痴識人から名実と共に知識人に格上げされるはずだ。悪くしても棚上げ程度で済むだろうし、まかり間違ってもつるし上げ、なんて事態にはならないはずである。

 もともとが和服用の生地なので幅が不足しており作務衣の上着を作ろうにも身幅が足りない。そこで前身頃は別布をあてがいお洒落にしてみた。後ろ身頃は端切れ4枚を合わせて間に合わせた。そこまでしなくても生地はあったのだが4枚合わせで丁度身幅になるから使いきってしまう事にしたのだ。だからいつもより断ち目かがりの量は半端ではなくアイロン掛けも当然増えたのだ。何回かソーイングをしてみると断ち目かがりやアイロン当て、はてまた待ち針やしつけ糸を面倒くさがらず使う事が綺麗な結果を生む事になるのが理解できて骨惜しみはしなかったけれど、1台のミシンで直線縫いや篝縫いステッチを切り替えるのは面倒に思え、直線縫い専用の安いミシン1台欲しい、なんて贅沢な思いがよぎる。購入したとてそうそう使うものでも無いし「購入します!」なんて事にはならないのだが「あれば便利!」程度の横着気分だ。

 作務衣は上着だけでズボンは不要なので最初から予定にないけれど作務衣の袖が長いのは邪魔で、小生の作務衣は全て半袖仕立てだから見ようによっては甚平に見えるだろう。本体を縫い終わって胸ポケットとしてスマホと財布用を左右取りつけた。スマホ用はマジックテープ止めで財布用はボタン止めである。スマホ用は取り出し易さ優先し財布用は確実収納を優先した結果だ。ついでに共布で利休帽も用意したから、これで名実と共にお洒落で粋筋になった小生が新年発進できるのであった。

 低年金高齢者の仲間入りしてもまだまだ生き恥を晒す小生であるけれど、主夫であった過去を振り返れば「しょうもない」のであって、まあ、つまらない年末年始特番を見るよりは楽しめて健康的、お財布にも優しい選択なのである。まあ、話は違うのだが二度童なのにお年玉は入っては来ず、暮の役所周りで風邪ひき爺さんになってから喉のイガイガが改善せずお年玉ならぬ喉飴玉だけは自前で入ってきた。

     


萌芽前の手入

2024-01-10 | 蝶の食草園

 突端台地のインセクトガーデン、既に地上部は枯れ色一色だけれど落ち葉下にはノアザミや在来種タンポポのロゼットが展開している。入り込むと踏み潰す格好になるから立ち入りは控えてきたのだがいかにせん、ネザサやクサイチゴの侵入が進み枯色の中で目立っている。この期間で多少とも排除しておかないと萌芽後では多くの新芽を傷める事にもなるし、そもそも色合いが似たようになり判断がつき難い。

 ネザサは小型のツルハシで地下茎ごと抜き上げる。クサイチゴは表層をランナーで展開していくので要所要所の根付いた箇所を引き抜けばよいのだがランナーが千切れ易くその意味ではしぶとい植物だ。クサイチゴは赤い実をつけるからスケベ心をおこして抜かないでいたらフジバカマが生存競争に負け一坪ほどの面積を絶滅させてしまった。それからはスケベ心は起こさず二又はせずフジバカマ様一筋だ。まあ、たいていの場合、群落を形成するタイプの植物は何らかの排他因子を有していると思って良いだろう。抜き取り最中に虫が出て来た。恐らくはクビキリギスではないかと思ったけれど鑑定眼のない小生だから別種かもしれない。バッタ類はチョウ類にくらべ痛みが少ないのは運動が穏やかだからだろう。

 中腰作業をすると腰に痛みを感じるから片膝付きで抜き取り作業をしたのだが、今度は膝が冷えて痛みが出てこないかと心配になる。そろそろ膝の保温サポーター装着もしなければならない。高齢者ともなると自分の身支度や身じまいに手間暇留意を要する様になって、それが原因でヨタヨタもするのだった。まあ、情けないわが身の現実を観るより萌芽し開花しインセクトキッチンとなった暁には「やってよかった貼膏薬」となるのであるわい。抜き取った量はほぼ一輪車1杯分程度になった。刈り払いでは抑制できない場所で相手だから時を選んで抜き取る作業は必須なのである。


今日の薄幸食「ごどAI小雪とキムチの連携」

2024-01-09 | 何よりの楽しみ

 最初の試作品を半分ほど腹に納めてから容器の半分が空いたのでキムチを投じた。これは「キムチ糀漬け」がパンチの効いた美味しさとご飯のお供に良かったからに他ならない。今回はキムチと糀の双璧ではなく更に発展強化された薄幸食になっている。キムチも辛みの少なめな商品を調達して混ぜ合わせた結果、辛さが苦手な小生もアフアフと食する事が出来る。

 出来上がった色合いを見ながら思いついたのはキムチを混ぜない段階は「小雪」、キムチを入れた段階からは「さくら」と呼ぶことにした。あくまで自分自身の範疇であるけれど呼称を決めておけば楽だとも言えよう。しかしながら昨秋から変化させながらもであるが3回ほど作り続けて食べているといささか飽きが来たように感じる。特に納豆の臭いが鼻につくようになってひと頃の「美味しい美味い!」という感覚は薄れてしまった。まあ、食べ続けても飽きの来ない米飯の様に行かない物もある。ましてや満漢全席やフルコースとは全く異なるバッカリ食ともなれば、その上に薄幸食では胃腸は喜んでも背後が五月蝿い・・・。


ハリガネムシ、大漁でもねえー

2024-01-08 | 感じるままの回り道

 4日、自宅でソーイング中にSさんから「ハリガネムシがいる」とお誘いがあったので出かけた。トンボ池を覗き込めば見慣れた太いハリガネムシでは無くて細くて長いのが水底に見える。長さは40cmを越えている。更に水底を見渡すと数匹が見えたから容器を取りに戻り池内で採取してみた。太い種は1匹もおらず細長い個体ばかりだった。この形態のハリガネムシは初めて観察した。通常はカマキリの生息期間内で発見する事ばかりで、今回のように冬の真っただ中で見るのも初めてである。

 ハリガネムシに種類があるかどうかは知らないけれど夏場に見る太く短い個体とはあからさまに異なる姿だ。池の底から拾い上げた数は10匹はあっただろうか。後から数を数えようとしても絡まってしまい数など数えられる状態では無かった。撮影して池に戻し1件落着す。祖父母、父母らの子ども時代には回虫などのいわゆる虫塊を観る機会があったと記憶しているが写真のような塊だったのだろうか…。小生の小学生の頃はマッチ箱に検体を入れて提出したものだったけれど最近は学校での検便は実施していないのだそうな。

 一説には「寄生虫が排斥された結果、免疫暴走が始りアレルギーが増加した」という説もあり、その書物には「東南アジアの流域に住む子どもたちは糞尿を流れる川で水浴びしているがアレルギー患者はいない」という指摘もあったり、ドイツでの研究でも家畜と同居している農家の子ども等にはアレルギー発症は少ない」との指摘もある。小生も家畜同居群だけれどなんでも喰えるのは家畜様のお蔭か⁉、それとも喰えるのは何でも喰わなければ空きっ腹になってしまう貧乏のお蔭なのだろうか⁉。老いたベルテルは今日も悩むのだった「そうなのか⁉、そうでないのか⁉」。この疑問、若きベルテルの時代からの難問で、だから若禿げの人生でもあったのだろう。思考があまりにもインテリジェンスで持続させると毛根は衰退するらしい・・・。そうなのか、そうでないのか、疑問の泉は尽きる事が無いわい。仮説だけれど「あまりにも脳内でエネルギーを消費すると頭頂部まで栄養が届かない」と実体験として想えてきた。


立つ鳥は跡を濁してから・・・

2024-01-07 | 小父のお隣さん

 何時の頃からか夜間の塒に水鳥が飛来するようになった。落ちている羽毛から冬場はコガモ、夏場はヤマシギらしいのだが時間的にも確認し易い頃合いでも場所でも無く推定しているだけである。夏場の塒にしている鳥が水域を濁らす事は少ないのだが冬場の場合はいわゆる「ゴタ濁り」になっている事が多いので飛来していたことは明白なのである。

 既に年末ともなれば水面を覆うほどにまで繁殖していたシャジクモの類いは一掃されて姿が無い。それでも泥中に嘴を入れ探り食べ濁らす行為は食料の少なさを彷彿とさせるのである。小松菜を微塵にし米ぬかとオートミールなど混ぜ合わせた物でも置いて置きたくなるが、逆に警戒して立ち寄らなくなるかも。田んぼに張り出た長い囲みの部分は昨季はミズアオイの保護域だったが二度にわたるハスモンヨトウの大食害でついに全滅した。その後、10cmほどの花径を伸ばし開花させた株も出たのだが結実まで行ったかどうかは不明だ。まあ、今期は絶望だろうし根気はもうない、婚期はとうの昔の話になった。

 この突き出た部分は一昨年まではエコトーンであったのだが稲作を許したばっかりに田植えと稲刈り時に坊主刈りされ踏踏み荒らされ植生復活が出来ず、結果的に堤の部分削り取ったのだがでっぱり構造だけは残したのだ。このでっぱりの役割は水域全体にU字型に水流を創る事で、これにより水域全体への水の流れが保たれているはずである。簡単にするには丸太1本を横たえれば済む事ではあるのだがそこはそこ、いたずら心も動機維持のためには必要なのである。孤爺、遊びをせんと生まれけむ・・・。

    


今日の素労風努「生姜糖はなまめ」

2024-01-06 | 何よりの楽しみ

 慣れない事ややりたくない事などやるものではない、というのが学びである。とはいうものの否応なく着手しなければならない片付け作業もあるのであった。年の瀬を迎え急な冷え込みでフイールド作業は腰の為にも休業としたのだが、いかにせん冬至を過ぎたとは言え一陽来復を感じる程でも無い。それでも「年内に…」とついつい先送りしていたお役所の窓口に出かけたのだった。溜まりに溜まった手続きや届け出は市役所、保健所、税務署等々、とても一日で済む時間ではなく一週間の間に4日を消費してしまったのである。そういうストレスに弱い雅な家系と育ちの小生であるから風邪気味になったのも致し方なしというのは理解している。

 とは言えご時世がご時世、ホームドクターても電話予約してから車内待機で、まずは両鼻腔に綿棒をグリグリ突っ込まれての検査からである。結果的にはコロナもインフルもマイナスだったのだが一旦調子を崩すと回復は遅い。発熱する様な事態は避けられたけれど自宅謹慎するしかなかったのであった。テレビも読書も起床時から就寝時までともいかないし、ここは素労風努に手を染める機会だろうと「はなまめ」を久しぶりに作ろうと思い立ったのである。このはなまめは長野の弟が1kg送ってくれたのだが1回で全量炊く訳にもいかず250gだけ浸水させて二晩待った。レシピには「1日半」程度とあったけれど次姉のアドバイスは「エゴとはなまめは急いでは駄目!」が鉄則らしいのでそこは最初から十分に時間を与える。

 炊き上げるのも二回に分けてだし、それも中火でなおかつ冷えてから再加熱すると言う方法なのでやはり時間は必要なのである。二回目の炊き上げも満足のいく軟らかさに出来上がって「さて次は砂糖だ!」とレシピ確認するとはなまめと同量の数字だった。これではジャムや餡と同じではないか!「こんな糖分過多の食品は避けなければ…」と思ったものの次案に欠ける。結局はレシピ通りの砂糖を用意したのだがこれも二回に分けて炊くのだった。外も台所も寒いし風邪気味だし、そこでビビビッと降臨したのが「生姜糖」なのだった。「そうだ!京都へ、いいえ生姜を加える!」とその場で決めて100gをすりおろして炊き上げたのである。

 見た目は生姜の繊維が絡まって見てくれは悪いけれどスイーツでも行けそうな出来上がりとなったのだ。今回のトラブル、というほどでもなかったが最後に加えるべき塩を忘れて火を止める直前の味見では郷里の表現で「どうのへ」で今一つ不納得の出来上がりだったけれど、一晩味を馴染ませる工程があるからそのまま朝までキッチンに置いた。未明に「塩を加えてない!」事に気が付き起床していの一番は塩を加えて再加熱する事だった。これで味の締まりが感じられ「どうのへ」脱出となる。「糖分が多いから避けたいはなまめ」であるのだが生姜が入った事で風邪気味のおやつに丁度良いと逃げ口上も見出したし・・・。

     


**深川どぶ板長屋店子初夢之惨照

2024-01-05 | 感じるままの回り道

   孫子を搾取先取り喜々と手足喰いゆく蛸の民 ハアコリャコリャ

   ふところ痛まぬ国債増々半分飴玉あとぽっぽ ハアコリャコリャ

   海の向こうは戦禍に災禍代官越後屋喜々の国 ハアコリャコリャ

   まつりごとには君子は居らぬ吸血動物極楽園 ハアコリャコリャ

   開けパーティー立法腐員ヘビ舌猫撫で手前膳 ハアコリャコリャ

   立法するのは己のために情け余のため立法腐 ハアコリャコリャ

   夢も見れないその日の暮らし一無事二あし三寄る辺 ハアコリャコリャ

   除衆除衆と戦車は進む除衆つぎつぎ弾の的 ハアコリャコリャ

   陰漢統領湿漢統領ゲヘナの蛇蝎その所業 ハアコリャコリャ

   戦禍に災禍この世の地獄浮世ためいき年の明け ハアコリャコリャ

   


御年始事始め

2024-01-04 | 小父のお隣さん

 年末年始、特に予定も無し。師走も押し詰まってから和服の生地を次姉から頂いたから結果的にはソーイング三昧だったのだ。この日四日、世間的には仕事始めで温かい日差しもあるから「フイールドに出かける日和」と思ったものの未明までの降雨で濡れているはず。見回りしてもスリップ事故など御免だからソーイングの仕掛け途中の作務衣を片付ける事にし、お針子中にSさんから電話があった。「ハリガネムシがいる」と言う電話でフイールド初観察に出かけたようなのだった。そこで小生も気分転換に出かける事にしたのだがハリガネムシは後回しにして新年初見のチョウが4種、目の当たりに出来たのだった。

 S先生曰く「7種は視認できる可能性はある」との話だったけれど、そうなればそれで宝くじ当選と同じ程度、七福神がカーペンターズの歌に乗って来たようなもんだろう。まあ、妄想初めはともかくとして4種の写真を撮れなかったのは小生がハリガネムシ採集で池の中に入ってしまったためである。それでも今期初の昆虫写真だ。キタテハは撮りっぱぐれたが残りの3種は撮影できた。

 成虫越冬している個体で完全な姿を保っているのはめったに見ない。ほぼみんな「尾羽打ち枯らした姿」である。吸蜜出来るような花も無い時期なので栄養源は何だろうとS先生に問うたところ「体内に蓄積したエネルギー源を使うからほぼ水分だけ摂取出来れば大丈夫」との事だった。渡り鳥でシギの仲間だったか海上を渡るのに水に浮かぶ身体では無いので長ければ1週間ほどは飛行し続ける時もあり、体内に蓄積した栄養源が無くなれば自分の消化管の一部を消費しながら飛行する場合もある、と科学番組で紹介していた。干潟など休憩地の重要性は何物にも代えがたいはずである。人間社会だけでなく「一寸の虫にも五分の魂」だって大変なのだと言うのをつくづく感じてしまうのだった。

 

 ツバメシジミ    ウラギンシジミ    ムラサキシジミだっけ⁉

 


大晦日、キョン爺になってしもた・・・

2024-01-04 | 何よりの楽しみ

 腹心算は茶人、宗匠、利休風に我が心身容姿をブラッシュアップし新年を迎えようと奮闘努力して漸く年越しそばを喰えるかと出来上がった帽子を被り鏡の前に立ってみた。ああ、難多溜血阿・惨多溜血阿、鏡の中にキョンシーならぬキョン爺がおったのだった。まあ、鏡に映っているので亡霊では無いのは理解したものの父祖の御霊に申し訳が立たぬではないか。布地は次姉が送ってくれた小千谷ちぢみや紬、紗などで入手するなど叶わぬ布地なのだが洗い張りした物や一反丸々でもなく使い残りもあったりしたものの丸々軸巻きの紬や小千谷ちぢみもあるから生活上からは用途が浮かばない。紬はお洒落な作務衣の上着に丁度良いと皮算用中だけれど使った事の無い生地なのでまずは作業を行って見なければならない。そこで和帽を取りそろえてみたと言う事に相成ったのだ。綿生地はともかく麻生地の縫製は初めての事でアイロンの温度さえ知らないのであった。それでも「スチームだから・・・」とお構いなしに充てながら大晦日の朝食後から作業を行い何とか夕食には間に合ったのだった。

 こんな和帽、単なる酔狂でではなくフイールドでの実用品として作った。坊主頭にしているので頭皮の保護のためには手拭い1枚でも必須なので、今までは手拭いを折り縫いして後ろで結ぶ帽子を多用していた。これはこれで「手拭い生地」のデザインが豊富だし鋏を使わず完成させられるから消耗の度に新作を用意していたのだがヘルメットを着用する時に後頭部の結び玉が邪魔なのだった。「何とかこのストレスを解消したい」と思いつつ果たせなかったのである。それが今回、大量に高級生地が届いて惜しげもなく使える環境となって「ジャジャジャーン!」となったのである。

 この和帽は普段使いもそうだけれどヘルメットの汗取りキャップにも装着して違和感が無い。さすがに小千谷ちぢみや紗の生地の帽子、と言う訳には汗取りの役には立たないから遠慮するけれど単体なら通気性抜群、快適そのものだろう。とりあえずは坊主刈りした新年用頭部に載せたらスラスラと句が流れ出て来るではないか。やはり「孫爺にも衣装」なのであってお陰様でブログ三が日分の新作もなったのである。目出度い目出度い執着地獄。費えを出していない反物なのだがさすがに小千谷ちぢみに鋏は入れられんかった…。さーて如何する⁉。