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それとは無関係に・・・。
 



GITANESは、挟んだ指が熱くなるまで吸うのが作法。
それとは無関係に・・・。

セクハラとかパワハラなど、単語だけでもすぐに何のことか想像が
つくものだが、ここ最近では「マルハラ」というのもあると聞いた。
ハラ というのだからハラスメントなんだろうけど、と思っていたら
なんと「マル(句点)ハラスメント」だという。
「文章に句読点が入っていたら冷たく感じる・威圧感がある」から
嫌だ、という「ハラスメント」らしい。
野坂昭如の書く文章のように、文字がどんどん並んでいくのが
いいのだろうかというと、それとも違うらしい。
とにかく 、 や 。 は冷たいと。
そもそも読点(、)は文章が読みやすいように打つもので
一文字空けと同じ。句点(。)は文章の区切りをわかりやすく
するものである。マルハラなどと言う種類の人は、すべて
一文字空けで表現できると思っているのだろうが、そういう
バカは放っておくのがいい。
そういう文章が読みたくないのなら読まなければいいのであって
その不利益も本人が被ればいいだけのことである。
。が冷たい・威圧感がある と言っても、そうするために
文章を冷たく終わらせることも多い。通達の類はみなそうだ。
。 で終わってその次に「以上」で〆ている文章など
「議論の余地はない」というニュアンスを醸し出しているからこその
「。」であり「以上」なのだから、そういう文章を読んで
「冷たく感じる」「威圧感がある」と感じたのなら実は正解で、
その感覚を持っているということは間違いではないのだ。
要は「文章が冷たいからって、何の問題があるのだ?」という点である。
お友達になりましょうという文章でもあるまいに、特にビジネス
とりわけ内部の文章ならば、内容や言外のニュアンスがくっきり
わかるその(句読点を打つという)方法が適しているのだ。
苦手なら苦手と思っていればそれでいい。
書く側が「マルハラ」と言い募る側の機嫌を取って迎合したいなら
そうするのも自由である。句読点を完全に取っ払って通じる世界を
作ればいいと思う。私はその世界に足を踏み入れることはない。

ついでに、
仕事上の文章、とくに社内での文章を書くときに、やたら難しい
表現をしようとする人がいる。難しい表現ではない。難しい表現を
しようと頑張っているという意味である。
知ってる限りの一番難しい単語や言い回しを使い、漢字もたくさん
たくさん使い、自分が考え得る最も「難しそうな立派そうな文章」
を書こうとして悪戦苦闘する人がいるものだ。
そういう人の文章をたまに「これでいいか添削してくれ」と頼まれる
こともあって、添削してくれというから本気で添削した結果、
A4で2枚程度の作文が、用紙に半分程度になってしまうことがある。
これも無駄あれも無駄、これは言い換える、もっと簡単に言い換える
と添削するうちに、「文章の難しそうな脂肪分」は取り払われ
すっきりスリムになってしまうのである。こうなると作文者は
結構がっかりするかも知れないが、文章が読みやすくなるための添削
なのだから、それでいいではないか。しかし、あまりにも別物になって
しまうのも申し訳ないからひとつふたつ、「難しそうな単語」をわざと
残すこともあるが。

またついでに、「報告書」や「提案書」、「予算編成時の要点」という
種類の文章なのに「・・・」を使う人もいる。
例えば「~昨年度対比では●●%ということになっているが、
これはコロナ騒ぎという面もあったので・・・。」
というような使い方である。
私信、ラブレター、日記の類ではないし、口頭説明の書き起こし
でもないのだ。どうして「・・・」が使えると思うのか。
やはり「読まない人は書けない。書かない人は読めない。」
ということなのだろうか。

というような感じで、組織内で私に寄せられる文章には日々
イライラすることもある。
だが、私が差し出す文章は「マルハラ」満載で、文末が「以上」
になっていることに「威圧感」というストレスを感じている者も
いるのだろう。

つまり、引き分けか。






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