the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESこそないものの。
それとは無関係に・・・。

やっと坪庭で過ごせる時期になった。
近くに毎年営巣しているらしいウグイスの、まだ
ヘタクソな鳴き声が聞こえてきて、田舎しか知らないが
田舎を満喫している。
セブンイレブンで買ってきたペペロンチーノを(※セブンイレブン
が存在する程度の田舎である)レンジアップして
自前の皿に移し(※なんでそんな面倒くさいことを と
思わんでもない)、本とお茶を用意して、
以前アマゾンで買ったチープこの上ない屋外チェアに
クッションを敷いて座る。

チューリップとこでまり、ハナミズキとジューンベリーが
咲いた。本を読みながらチラチラとそれらを見ていると
飽きることがない。
じっとじっと見ていると、まあそれなりには飽きる。

ちょっとペペロンチーノが冷めつつあったので
急いで食べる。大盛り。
胸やけがすごかった。急ぎ過ぎた。

タオルケットに包まり本を読んでいたが、もうどうでも
よくなってきて昼寝。

陽が落ちてきて屋内に戻り、またウトウトする。

そんなこんなで、夜はなかなか寝付けない。
見事な悪循環である。
我ながら呆れるが、もう慣れた。
そういう人なのだ。







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GITANESの未喫が常に1カートンあった。
それとは無関係に・・・。

未読
というと最近では皆「SNS、特にLINEの着信があるのに
中身を読んでいないこと」を指すものらしい。
しかし私の中で「未読」というと、「まだ読んでいない本」
のことを指す。
もちろん「まだ読んでいない本」なんて星の数ほどあって
それも毎日毎日世界中でそれらは増殖を続けているだろうから
単に「まだ読んでいない本」では範囲が広すぎる。
だから「未読」は「買ったのにまだ読んでいない本」の
ことである。
そしてこういう本は別の表現として「積ん読」と呼ばれるらしい。
うまいこと言う(って書いたのは実は2回目)。

うまいこと言うから自分も使うかというと、まったくそんな
ことはなくて、相変わらず「未読」と認識しており
これは今後も変わることはない。

でこの未読は随分なペースで増え続けるものである。
読めばいいではないか と誰もが思うだろう。しかし
読むスピードよりも読みたい本が増えるペースの方が
圧倒的に速いから仕方ないことなのだ。
「未読」は書斎の棚の一画に集められていて、もう
はみ出すのは時間の問題である。

少し前から「未読は正確には現時点で何冊あるのだろう」
と気になってはいる。
知ったところで何になる? と、数えずにいた。
でも知りたい。知ってしまえば己の愚かさに打ちのめされる
のではなかろうか。

知るべきなのでしょうか?
知らずにやり過ごすのがいいのでしょうか?
無駄遣いに少しでも歯止めがかかるのでしょうか?
書斎が少しでもきれいになるのでしょうか?
海は死にますか?
山は死にますか?







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GITANESが吸える場所も昔はあったのに。
それとは無関係に・・・。

小雨の中(全然関係ないけど)運転免許の
更新に行ってきた。
9時までに受付を済ませ、ちゃんと交通安全協会にも
入り、その後は視力検査とか四肢能力のチェックとか
撮影など、いつも抱いているよりもスムーズに進んだ。
講習時間もゴールド免許なもんだからあっと言う間に
終わるし、「免許更新ってこんなに早かったっけ?」と
思うほど早く終わった。
講習が終わって廊下に出てみると、SD(セーフティド
ライバー?)カード勧誘の人がポツンと寂しそうだったので
それも申し込んだ。まったく要らんのだが、哀愁が
漂うおじさんを放っておくのが難しかった。

いつもよりもっとシビアに交通法規を守りながら
自宅に向かう。
運転しながらあの哀愁漂うおじさんを思い浮かべたが
「で、あのおじさんは実はごっつい豪邸に住んでいて
ええもん食ってたりして・・・」と想像してしまい、
「SDカードなんて要らんかったんや!」と数百円の
後悔を抱きつつ、信号機のない横断歩道をこれ以上
ないほどの徐行で通過した次第である。




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GITANESと合うんだがなあ。
それとは無関係に・・・。

コーヒーをドリップするようになってから
もうすぐ10年になる。
豆はカルディで買ったりいろいろ試行錯誤
した。
某カフェチェーン・なぜか客が大テーブルでみんな
パソコンを広げてなにかやっているというイメージ
のある店・に陳列されている豆を買ったりもしたが、
これは本当に鮮度に問題があって、もう絶対に買わない
と固く心に誓っている。

コーヒーにはまったく酸味を求めていないもんだから
なるべく深煎りを探す。
いろいろな店の深煎りを試した末、自宅からクルマで
10分ほどのところにある喫茶店のオリジナルブレンド
が相性よく、ここ5年ほどはその店で安定的に
ずっと買っていた。
オリジナルブレンドだが豆は黒くでツヤツヤで
熱いうちは酸味がほぼなくて、甘みを探しながら飲む
ような、そんな豆である。

で、この店が今年に入ってからずっと休業している。
貼り紙もない。
もともとこの店のマスターはある種の知り合いで
ずっと以前に身体を壊して入院していたらしいのだが
この休業も体調を崩してのことなのか、心配している。

心配しつつも、コーヒー豆はどこかで調達しなければ
ならない訳で、そう言えばこの喫茶店と反対方向に
行ったところに最近コーヒー豆と雑貨の店ができて
いたので、試しに買ってみた。
一応「深煎りです」と勧められた豆だったが、開封すると
あの喫茶店の豆よりはずっと明るい色だった。
挽いても粉はやっぱり明るい茶色だ。
ああ、これも外れか・・・
と思いながら飲んでみたが、これが色のイメージとは
ちょっと違っていて、ちゃんと苦くで酸味はほぼない。
ああ、これでいいかもな  という納得の仕方で
リピートが始まる気配である。なんといっても
某カフェチェーンや別の某チェーン、大きいコーヒー豆
の店と違うのは新鮮さだった。
湯を投入するとハンバーグほど膨れる。
これがいい。
なにしろ某店に並んでいた豆なんて、挽いて湯を注ぐと
すぐに凹んでいく。ずっと置きっぱなしだったのだろう。

とりあえずこれを飲みながら、また喫茶店のマスターが
復帰する日を待つ。
アイスコーヒーが美味い時期までに、なんとかならんかな。




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GITANES CAPORAL どっちやねん
という人もいるかも知れない。
それとは無関係に・・・。

AMAZON MUSICのオススメにあった。
燃え殻 / 馬の骨

タイトルどっちやねん。





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GITANESならもちろん入る。
それとは無関係に・・・。

家人が10年以上使って、いい加減傷んできた
からと使わなくなった小さいカバンを
「じゃあ自分が使おう」と、15年ほど
使っている。合計25年ほどになろうか。

全体がオリーブ色で肩にかける小さいカバン
である。
小さいながらもそこそこの容量があり
財布、スマホ、サングラス、手帳、ハンカチ
クルマのキーや家の鍵、単行本1冊も余裕で
入る。

かなり汚れてきたが、だからこそ何の気も
使わずに使えるし、ナイロン製だから雨に
降られても平気だ。

生地が破れることはないだろうからまだまだ
使えるが、汚れがこれ以上目立ってくると
少々キツイかなとは思っている。
だからカバン屋の前を通りかかるたびに
「何かよさそうなのがないだろうか」と
のぞくクセがついているし、たまにアマゾン
などでそれっぽいのを探すこともあるが
どの購入候補も決定打に欠ける。
そして物色しているうちに
「いや、まだこれ使えるし・・・」と
購入は延期される。


最近ではこの手の、とくに小さいカバンは
「サコッシュ」と呼ばれるらしい。

そんな呼び名要るか?

「小さいカバン」でよろしい。




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GITANESの匂いがまったくしない車内。
それとは無関係に・・・。

車検。
クルマの悪いところを直してもらうとか
悪い部品を交換してもらうとか、それによって
安全に運行できる安心感を得られるとか、
そういう本来の意義とはかけ離れた「車検」の
イメージとは
「またお金が飛んでいく」
ではなかろうか、ほとんどの人にとって。

少し前まで乗っていたお気に入りのクルマは
ある年の車検時に
「なんやかんやで40万超え」と言われて、
そこからまた何年も乗ろうという気力が萎え、
だからこそ乗り換えたのだが、乗り換えて最初の
車検、つまり3年経っての車検で見積もりが
38万円。
え?

これで「タイヤ交換を含まない」金額となっており
それも含んでいたとすると、前のクルマとまったく
変わらないかそれ以上になる値段だった。

もうなんというか、その金額が衝撃的すぎて
チリひとつない豪華な店内で取り乱さないように
自分を律するのに必死だった。


車検が終わり、代車を返して自分のクルマに
乗って帰ろうとしたが、抜いておいたETCカード
が見当たらない。
それと、新しく営業担当になったというA氏にもらった
名刺も見当たらない。
ひょっとしたら名刺を貰ったその場で落っことして
来たのではないか、それではこの上なく失礼な話では
ないか と色々不具合が生じていた。
ETCは紛失を届け出ればいいとして、名刺の件は
謝罪に行っておいた方が、などと考えた。


結果的に、実はETCカードはちゃんと財布の
カードを入れるところに収まっていた。
そしてA氏の名刺は、自分の名刺入れの中にあった。
別に何も不具合は生じていなかったのである。
つまり、金額があまりにも衝撃的過ぎて
それらの記憶が完全に飛んでしまったのだろう。

店内で取り乱さないようにと自分を律したつもりだったが、
私は十分に取り乱していたのである。

まだまだ修行が足りないのだ。


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GITANESを売ってるコンビニはあるまい。
それとは無関係に・・・。

家人たちが遠方へ遊びに行ったので、昨日は家に
完全一人きり。
そして朝昼晩とコンビニメシだ。

朝はサンドイッチ。
1人きりのときに家で火を使うのがイヤなので
コーヒーもたてるのではなくて買ってしまう。
久しぶりにアルミボトルのコーヒーを買った。
おカネを払ってマシーンを操り自分でコーヒーを
容器に入れるあのコンビニコーヒーは利用したこと
がない。なんとなくバカっぽいからである。
コンビニLの、その店で作っているというサンドイッチ
だったが、どんどん味は退化していってるような
気がした。

朝飯をかうついでにそのコンビニLで昼メシも
買っておいた。
エビの味のカップ麺。
これが濃いばかりでまったく美味くない。
それはコンビニのせいでもないだろう。
というよりそもそも自分の舌のせいだ。
それにおにぎりが二個。
これがまたまた、まったく美味くなかった。
どうなっているんだろう、自分は体調不良なのか
と疑ったぐらいだった。

寝転んで本を読んだりそのまま眠ってしまったり
を繰り返し、暗くなってきてから意識を
はっきりさせるためにエアロバイクにまたがり
45分。
違うコンビニ7へ行き、レンジで温めるお好み焼き
を買う。なんだかビジュアル的に美味しそうだったのだ。
で、これが間違いだった。
とにかく美味しくない。やっぱり本格的に自分は
体調が悪いのだと感じたが、いっしょに買った
ブロッコリーとタコ、枝豆、ジャガイモのサラダ
(バジル味)は美味いし、その後齧った菓子パンも
間違いなく美味かった。
どうも今日は当たりが悪かったのだろう。
いや、選択を誤ったのだろう。
ばんめしも、朝のものより少し多めの容量の
アルミボトルコーヒーを購入。
1日に2本もコーヒー飲料を飲むなんて、過去に
記憶がないぐらいレアなことだった。
ばんめしが終わり、就寝の3時までは
一かけらのチョコレートと白湯のみ。


一夜明けて、朝飯は堅めのパンにハムとチーズが
挟まったやつ。これをオーブンで温めて食べた
(そうしろと包装に書いていたから)。
これがこの24時間でいちばん美味かった。
このときはコーヒーではなくて紙パック入りの
野菜ジュース。味に期待などしていなかったジュース
だから特に感想もなし。


週に2,3度は必ずコンビニで昼飯を調達するが、
あれは週に2,3度だからいいのであって
1日のうちの食事がすべてコンビニ調達というのは
自分には向いていないのかもしれない。
アカンかった。





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GITANES嗜好者のころはすべて現金だったのに。
それとは無関係に・・・。

やっと「d払い」なんて支払い方法に慣れてきた。
と思っていたら
「d払いはどんどん縮小されこれからはd払いタッチに
なっていくのだからd払い(iD)なんてことはやめてもう
dタッチだこれはgooglepayにd払いをああやってこうやって
するのだいやいやgooglepayもそもそもgooglewalletに
なってしまうのだからもうgooglepayじゃないんだけどな
ところでコンビニのレジなんかではこれからは「d払いで」
なんか言っちゃダメで「iDで」と言わないとd払いに
ならないからダメダメその理由は、」
なんて色々言われてもう、せっかくやっと慣れてきた
やっと追いついてきたと思っていたのに。
いや今後もどんどんいろいろなものの使い方はいろいろに
変わっていくのだろうから、もう年がら年中こんな感じに
なっていくのだろう。

宣伝のやり方とかタレントとかが気に入らず、私は
paypayを一切使わないし楽天payも使わない。
もういろいろ手を広げるつもりもない。
だからとにかく、簡単にしてくれないか。
操作のみならず使用時のみならず、
設定とか何だかとか、そういうのも全て含んで
簡単に。






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GITANESを店内で吸ってやるとか。
それとは無関係に・・・。

日本一接客態度の悪い店
というコンセプトは面白いな。
それが受け入れられない人は、そもそもその店に
行かなければいい。

で、
「日本一態度の悪い客です」というスタンスで、
もちろんあくまでもそういうコンセプトで
行ってみたらどうなるんだろうか
と想像もしてみたが、収拾がつかなくなるから
やめたほうがいい。



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GITANESのカートンが入っていないだけマシ。
それとは無関係に・・・。

なにかしらの会議に出席するための出張が
ここ数年増えてきた。
先週の出張・と言っても日帰りなのだが
小雨模様の都心界隈である。
雨天に革のカバンは持たないようにしていて、
しかもジーンズにジャケットという出で立ち
だったから、カバンは黒の帆布。
たしかGAPのアウトレットで20年ほど前
に買ったものだ。
長持ちしている。頑丈だし黒いから汚れてるか
どうかもわからないし、服装に合うも合わないも
ない。
ただ、重い。頑丈なだけに重い。

雨天がわかっていたから折りたたみ傘を
入れるもんだから普段より更に重い。
いくつかのクスリや鍵の束、最小限の手帳と
ペン。眼鏡とハンカチの予備など。
あ、文庫本が2冊。

重い。

本当に本当に必要なものと言えば
財布とスマホと名刺入れだけ。他は言ってしまえば
「あってもなくてもどっちでもいい」
のであって必携品のみジーパンやジャケットの
ポケットに突っ込んでしまえばいい。
わかっているのだが、やっぱりそうもいかないものだ。

頑丈さを犠牲にすれば軽いカバンに替えられる
だろうが「頑丈だ」というのは「心配事が減る」
ことでもある。少々のことではびくともしない
カバンは信頼できるのは間違いない。

結局は雨という悪条件のせいなのだろう。
雨に濡れても気にならない・傘を突っ込んでも
気にならない=帆布 ということになったのだ。

ナイロン系のバッグも要るのかもしれないが
どうも最近買い物が面倒くさいのだ。

いい傾向だ。



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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

「今度メシ行きましょうよ」などと
誘われた際に
「いやちょっとその日は法事があって・・・」
と返事して
「まだ日は言ってないでしょ!」
と言われる
という受け答えは私がいつもやる断り方
なのだが、昨日は正真正銘の
母の3回忌。
早いものでもう2年経った。

いつもは葬儀屋さんの小さい部屋を借りて
法事全般を執り行ってきたのだが
どうせごく少人数にしか知らせないので
今回から自宅でやることにした。
ともかくこれで会場費55000円は不要になる。
葬儀屋さんは一応親戚でもあるが、まあお許しください。


もともと私よりもひとつ年上の坊主に
いつも世話になっていたが、彼が早くに亡くなって
しまい、彼の父上が現役復帰し寺を運営していた。
それでもさすがにもう年齢的にキツイということに
なり、その孫--亡くなった坊主の甥にあたる人で二十歳そこそこ-
にバトンタッチされた。
若い坊主の読経はやはり声に瑞々しさや張りがある。
狭い部屋でそこまでの音量を出さなくても、と
思わないでもなかったが美声だったことは確かである。

ところでお祖父さんはお元気ですか?と
尋ねたら
「職場のOB会という名の宴会(?)に行きました」
と言う。88歳、羨ましいほど元気である。
ちなみにこのお祖父さん坊主は元警察官でもある。
そして私の父と警察で同期だった。

そもそもこの寺は私の祖父宅と隣接していた。
寺のある場所の裏手に引っ越してきたのが縁で
その後祖父は墓をこの寺に移した。
ついでに宗旨替えもした。浄土宗から真言宗に
移籍した訳だ。
強烈に頑固な割には、引っ越ししたからって宗旨替え
をしてしまうほどの柔軟さもあった祖父だから
その周囲の人も柔軟であったらしく、それは仏壇の
中身にも表れていた。
もともと浄土宗バージョンになっていた仏壇内から
浄土宗色を排除するのではなく、浄土宗の仏壇のなかに
真言宗をそのまま持ち込んだのである。
つまり、センターには大日如来(真言宗)がいて
近くに不動明王(真言宗)もいてその他それにちなんだ
仏具も並んでいるところに、法然さんや善導大師もいたり
とにかく何のコラボかはたまたFESか、オールスターか
特番かというような騒ぎになっている。

私はそのあたりに疎いので気にもしていなかったが
前出の葬儀屋社長がうちの仏壇を初めて見るなり
「オマエんところの仏壇は、こりゃあ何じゃい!
えらい賑やかやなあ!」と感嘆した。
「あり得へん並び方になってるぞ!なんでや?」
「ああ、祖父が宗旨替えしたとは聞いてますけど」
「ああ、そうか!まあ宗旨替えはいくらでもあるけど
両方同居してるなんて初めて見たぞ!」
と呆れながらびっくりしていたのを思い出す。

早逝した坊主がまだ元気だった頃、一度
「仏壇内がイレギュラー過ぎてびっくりしたと葬儀屋さん
に言われたが・・・」と話したところ
「別にいいじゃないですか。仏壇の中が賑やかで
不都合なんかないですよ。仏さんは仏さんです。」
という見解だった。
この坊主も柔軟だったようだ。

ちなみに、この柔軟な考えの持ち主の坊主(早逝したほうね)
は、私の祖父の書道の弟子だった。
私も破門されたとはいえ祖父の弟子だったから、兄弟子と言える。


オールスターの仏壇は私の自宅にはない。
長男である兄の家にある。そしてその兄はもう亡くなって
仏壇を見るはずの兄は見られる側に回ってしまった。

母の遺影と派手派手な坊主用の座布団、位牌を運んできての
法事だった。

さてところでこの位牌だが、実は父と母二人合わせての
位牌となっており、

長くなるのでやめよう。

後略







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GITANESとゴロワーズは二大悪臭タバコ。
それとは無関係に・・・。

やっぱりサイゼリヤはすごい。
三人連れでかなり食べて2780円。
千円札三枚しか要らないのにお釣りまでくれるという。
当たり前だけど、プライスは当たり前じゃない。
肉は冷めるまえに素早く切って食べないと
どんどん硬くなる印象はあるが、十分だ。
もう、サイゼリヤと餃子の王将があれば
なんとかなるのではなかろうか。
まさに二大外食チェーンだ。自分にとっては。

年齢とともに、か、
段々趣味や嗜好は変わってくるものかも
知れない。
書斎に置いてある小物を見ても
「腕時計なんて結局Gショック1個あれば
いいよな。電池切れたら電池入れ替えるか
そのときに新しいの買ったらいいし。」
とも思うようになってきた。
ソーラー充電タイプを買っておけば
電池交換すら要らないだろう。
仕事柄さすがに服や靴に対して
「1着、1足あればいい」とは思わんが
どんどんシンプルになっていく。
え、もうそんな時期(年齢)なのか?!
と、心配にならないこともない。

でも、未読の本が書斎に2,3百冊あって
それでもまだ買っているんだから
無駄が若さを測る尺度の一つとするなら
結構大丈夫な気もする。

よくわからん。





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GITANESがひょっとしたら似合うのかも知れん。
それとは無関係に・・・。

見慣れないクルマが会社の車庫にあった。
社用車点検のため、ディーラーさんが乗ってきた
代車だとのこと。
これがまた、


これだった。なんでやねん。

調べたところトヨタの超小型電気自動車だと。
これに乗る機会はなかなかないだろうから、昼メシ
外食のため乗ることにした。
車内にはテプラで「高速道路は走れません」と
注意の掲示。
あとでわかったが、アクセルを踏んでも踏んでも
スピードが出ない。最高速が60キロという設定
とのことだ。だから高速道路を走れない。

電気自動車なのに変な音がずっと鳴っている。
静かなはずの電気自動車なんだが(個体特有なのか)。

これで街をしばらく走ったが、
煽られる煽られる。
60キロ未満しかスピードが出ないので
そりゃあ後ろについたクルマからすると
ストレスになるのかも知れない。
一応制限速度は50、60キロの道路なのだが
とにかく皆後ろぴったりについてくる。

そして信号待ちなどで隣に並び、一体どんな奴が
運転しているんだろうと覗き込んでくるのだが
そこにいるのは私なんだから、すぐに目を逸らされる。

ええ、私はなかなか人相が悪い。
ごめんね、違和感丸出しの車を運転して。




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GITANESが美味いかどうかも、
要は慣れ。
それとは無関係に・・・。

昼や夕方に休憩時間がある。
昼はしばしばコンビニなどで買い物し、休憩室で
食べる。夕方は同じ休憩室で主に白湯を飲むことにしている。
これら休憩時間には漫然とスマホを観ていることが
多いなあという自覚があって、いやいやもちろん
スマホを観ていると言ってもスマホという機械を
「おお、四角いなあ」「黒いですねえ」と眺めて
いる訳ではなくて、動画やいくつかのSNSを
眺めている。
昔はその時間にも持参した本を読んでいたのに
スマホがどんどん進化していった結果、空き時間
と言えばスマホを観ているという、自分的には
非常にバカっぽいことになっていた。
これではイカン(どうしてイカンかはわからん)と、
やっぱり休憩の王道は本を読むことだと考え、
それほど集中・熱中しないぐらいの本を常に
カバンに1冊は入れておくように決めた。

それで休憩時間。
本を読んでいる最中に「今何時何分だろう?」
と気になったので、本を読みながら左上隅に
視線を滑らせた。
当たり前だがそこにはページ数が書いてあった。

なんということだ。
スマホなら画面の左上は小さい時計表示がある
場所なのだ。時刻を知りたいときは眺めている
画面の左上隅に視線を滑らせるだけだった。
それがクセになってしまっていたのだ。

そんな狭いスペースでの動きの中でも
クセというのは必ず存在していて、それに
支配されながら生活しているのだ。
読書がまた習慣となったときにはおそらく
そんなクセなど上書きされてしまい、忘れて
しまうことはわかっているのだが、なんとなく
自分に対して気恥ずかしくて、
いやまあどうでもいいんだけど。











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