the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESはかなり下位。
それとは無関係に・・・。

最近柿の種が常備アイテムになっている。
もちろんお菓子の柿の種であって、さらに正確に
言うと「柿ピー」である。
美味い。
美味しさを最近再認識してしまったようだ。
もう、この美味さはおそらく黒毛和牛を
超えたのではなかろうか。
お菓子と牛肉を比べるなんて・・・と思う人
もいるだろうが、例えばボクシングの世界で
階級の垣根を取っ払うとしたら、という
パウンドフォーパウンドのように、
「美味いものの中で究極は?」というような
乱暴な順位があってもいいと思う。
そういう意味で言って、柿ピーは黒毛和牛より
上位だと思う。
第一、手軽だ。
買ってきたらすぐに封を切りパリポリと
食べ始めることができる。
黒毛和牛をもし買えたとして、まずどうやって
連れて来るのか。
連れて来たとして、どこへ繋いでおいたらいいか
想像もつかない。いやどこかへ繋いだとして
そこから口に入るまでには途方もないプロセスが
待っているだろう。
「いやいや、じゃあ柿ピーだって
うるち米とピーナッツをそのまま手渡されたら
困るだろうが!」と理不尽さに憤る人もいるだろう。
どうか冷静になってください。玄関に繋いだ黒毛和牛を
なんとかするよりも、うるち米とピーナッツ、しょうゆ
などを手渡された場合の方が、なんとかなるだろうよ。

という意味でも柿ピー万歳。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





GITANESは一般的にジタンと読みます。
というと「ジターヌでは?」と言う人が
必ずいるようです。
それとは無関係に・・・。

ラジオを聴く習慣は20歳になるころを境に
まったくなくなった。
これは中高生・受験生のころにはラジオでも聴くしか
なかったという、当時は普通の事情の延長で
こういう人はかなり多いのではないかと思う。
また、新聞を毎日読む習慣は20年前にやめて
しまった。これはネットのニュースで事足りる
ことがわかったからである。何よりもほぼ無料
という魅力がある。
その後SNSでそれらのニュースを多くの人が
どのようにとらえているかを眺めながら
自分の立ち位置が確認できるような気がして、
毎日届けられる新聞を、口を開けて待っている
よりも速くて安くて豊富だとわかってしまった。
もう新聞紙を定期購読することはないだろう。

テレビも同じである。
テレビは十数年前から少しずつ視聴時間が減っていき
ここ数か月はもうほぼ観ない状態となっている。
惰性で撮り貯めている番組も、観ないまま消去
ような有様で、しかしながらネットニュースでは
テレビの情報もかなり詳しく扱われていて
例えば先週のナイトスクープの内容もあらすじは
知っている。これで「テレビを観ていない」なんて
言えるのか、とも思うが。

とにかく、テレビ視聴というのは過去いかに受動的
だったのかを最近強く感じるのは
「流行している歌がまったくわからない」という点
である。
昔は家にテレビが一台しかなくて、それは居間
(居間いかないような小さい借家だったけど)に鎮座
しているから、観る気があろうがなかろうが
耳からも目からも情報が入ってくるのが自然だった。
だから大嫌いな流行歌でもメロディーと主要なフレーズ
は知っていたものだ。
例えば「魅せられて」も「北国の春」も大嫌いなのに
それがその曲だと認識はしていた。というよりも
歌えと言われれば歌えたのではないか。
イントロクイズでも結構いいところまでいって
高島忠夫に褒められた可能性もあっただろう。

それが最近ではまったくわからない。
そしてテレビやラジオを使わない限り「知らない」
を通せるし、知らないものは本当に知らないままで
いられる。
「うっせえうっせえ」というフレーズだけネットで
見聞きすることがあった曲も「ああ、盗んだバイクで
走り出す系?」と思いながら、まったく聴く機会が
ないまま過ごせた。
ジャニーズ系のグループがどんどん増えてエグザイル系
も増えていき、娘。や48がどんどん増えて行って
終いには日本人全員がどこかのグループに所属するんじゃ
なかろうかという心配をよそに、結局ほぼ聴かなくて
済んでいる。
それだけじゃなく、お笑いのコンビやグループも
どんどん増えていくのだろうが、私の中では
若手はスギちゃんで止まっている。いや決してその辺に
疎い訳ではない。なにしろ史上最高のコンビ名
「顔色よろし・わろし」の解散が残念だと思っている
ぐらいの造詣はある。

まあしかしとにかく、何が流行っているのかなど
わからない。それが平気になってきた。年齢のせい
かもしれないが、それが平気になってきたこと自体が
平気になってきた。

どこかのネットでみかけた、歌がうまいと思う男性
ボーカリストの1位が玄米法師とか米酢元帥とか
そういう人だったらしいが、声を聴いたこともない。
何はなくともとにかく帰宅したらテレビのスイッチ
をつけて、という習慣のままだったらどこかで曲の
ワンフレーズぐらいは聴いただろう。
いや、この状態でも本当はワンフレーズぐらいは
耳に入ってきていたのかも知れない。
それが何の印象も残っていない。


年末が近づいてくると毎年かならず本屋まで走り
テレビガイドを買って、観たい特番に印をつける。
そういう時代からすると、習慣が本当に変わって
しまったなと痛感する。
当たり前だけど、テレビとの関係は恐ろしいほど
受動的だった。
ネットがいいのだ!とも思わんが、
テレビだけでは顔色よろし・わろしの存在にも
気がつかなかっただろう。よかったよかった。

というえげつない結論に達したので、この辺で。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESのなる木はないのかね。
それとは無関係に・・・。

第2331話で書いたレモンの木は


のように実をつけた。


その後メデューサの髪型みたいにバラバラに
濃い緑色のまま伸びていき、



ついに黄色くなった。いやレモン色か。
明るい人を偲んで植えた木だったが、本当に
明るい色になるとは。


収穫した。
9つの実がなった。
二つはお隣のYさんに差し上げ、またふたつを
誰かにあげるらしい。

紅茶に入れ飲んでみた。
そんな特殊な味はせず、きつくない酸味だった。

黒揚羽の幼虫、つまりイモムシが勢いよく
葉っぱを食べていく。
知人にアゲハ大好きな方がいて、うちの植木鉢を
見た時に狂喜乱舞したとのこと。
アゲハを自宅で孵化させて空に還すのが好きだ
とのことで、幼虫を見つける度に渡し、
合計30匹ほどになった。
直近の2匹は孵化しなかったので越年するらしい。

こうしてレモンの木は
実が成るのか、どんな味なのかということよりも
その木から黒揚羽がどんどん生まれていったことが
重大事となっていた。

黒揚羽のことに触れてから、「葉っぱを食い散らかす
食害のヤツ」という見方がちょっと変わった気がする。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESと手帳はセットだった。
それとは無関係に・・・。

無事来年の手帳も決まった。
既に持っているカバー大中小の
中に決定し、手帳の中身を発注。これが
単なる紙なのにバカ高いのだがまあ仕方ない。
結局は一番使い慣れているものにきまった
訳だ。

ずっと申し送りになっているメモを
今年の予定表から来年の予定表の片隅に書き写す。
それと記念日等。
知り合いの「命日」がどんどん増えていき
当たり前だがまったく減らないことに気づいて
ため息が出る。

いい「予定」が増えるようにと祈っても
なるようにしかならないのはわかっている。
さあ、あと一か月で今年も終わりか。
とにかく短かった。
それぐらい忙しかったような気もする。
仕事がそれなりに忙しいのはありがたいことだ。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESのパッケージデザインも使う。
それとは無関係に・・・。

もし自分が独立国家を建国したとしたら
国歌は「愛は勝つ」にすると
本気で考えている。


またはマツケンサンバ2 。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESは寒いときほどうまい。
それとは無関係に・・・。

急に冬になった。
寒い。
これほど寒さに弱かったのかと思うほど身体が
動かない。ような気がする。
他人様にそう話すと、
「そもそもあなたは薄着だからね」と言われる。
確かに、真冬も室内では長袖Tシャツに
ハイゲージのセーターを着るだけ。外出のときは
その上に防寒着を着ているのだから充分なのだが
見た目からも暖かくは見えないそうだ。

でも厚着嫌いだし、一旦着たものを脱ぐのも面倒だから
布を肩から首までぐるぐる巻きにしてすごせば
なんとかなるんだが、そうか
見た目も重要なのか。

もう11月も半ばだ。
薄着や厚着やという話よりも、来年の手帳を決めないと。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESをまだ吸っていなかった頃。
それとは無関係に・・・。

38年ぶり。
興味がない人にはまったくピンとこない数字だろうが
そうか、そんなに経ったかと感慨深く感じる人も
多いだろう。

その当時は大学一年生。個人的には
いろいろなことがいっぺんに変わった年でもあった。
住まいこそ変わらなかったが、通う学校が変わった。
通学は電車だったのがミニバイクになり、通う先も
高校から大学に変わった。
学生服はもう着られないから私服が増えた。
アルバイトも始めた。
起床時間も就寝時間も変わった。そしてそれまでの
友達が物理的に遠くなり、そのかわり新しい友人が
増えた。

阪神タイガース日本一。
38年前の優勝の瞬間、つまりゲイルがピッチャーゴロ
をさばいた瞬間は、どこのテレビで観ていたのか
判然としない。
あの頃はデーゲームだった。
自宅の居間か、自室だったか。
土曜午後だったから・・・あれ、忘れた。

今回は自宅リビングで観た。

長かった。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





GITANESを吸っていた頃は
使っていなかった手帳ばかり。
それとは無関係に・・・。

さてそろそろ来年の手帳を探すシーズン。
手帳本体を買い替える予定はないが、
すでに手元にある手帳のうち、どれを主に
使おうかという悩ましい問題がある。

あるブランドの手帳が気に入っており、
サイズ違いでいくつか持っているのだが
これらはレフィル自体が高いので、選択は
慎重になってしまう。
携行するのに重くないものを使うか、
少々大きいから書くスペースがたくさんある
ものを使うか、その中間のものを使うか、だ。

久しぶりに一番小さいのを使うか・・・
などと悩みながらもヌフフフと内心にやけている
ことがバレないよう、今日も眉間にしわを寄せ続ける。
ヌフフフ。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANES1カートンというギャラで
文章を書いたことがある。
それとは無関係に・・・。

(前回のつづき風。)

その、暗めの路地にある『ホワン』と明るく浮かんだ店。
入って右にあるカウンターの隅に座る。
いくつかの料理と飲み物を注文する。

近くの席には男女ペア、少し離れた席にも
アベック。
それぞれがそれぞれなりに、静かに笑っていた。
シンプルで落ち着いた造作の店内では
そのようなアベック、とくにオシャレした女性が
華になるのだろう。
華美な店では客の装いが死ぬ。

ごはん、注文を受けてから炊き上げるごはんが
滅法うまいと聞いた。
すこし時間がかかるというから、他の料理が
届く前だが白飯を注文した。


仕事の電話が入る。
応答せずに放置していたら、メールも届いたらしい。
電源を切る。うるさい。
スマホをチラチラ見るのをやめて人間観察でもしようか。

肉豆腐が運ばれてきた。
うまい。予想通りというか、とにかく。
そしてその味で、自分の大失敗に気づいた。


「この店では個室に座らなければならない」

肉豆腐がうまい。
当然ダシもうまい。
そして、白飯がうまいと評判だ。

こういう条件が整っているのだから
白飯にダシをかけて食うのが大正解ではなかろうか。

それなのに、私はカウンターに座っている。
目の前、カウンターの向こうにはにこやかで
寡黙なマスターがぬかりなく店内に目を配っている。
背後には静々・きびきびと動く、妙齢の女性スタッフ
が3人もいて、どんどん増えてきた客の間を
スルスルと縫い、立ち働いている。

そんな中で肉豆腐の余りダシを白飯に回しがけ、
掻き込むことができるのか。
シャンパンを飲む華やかなアベックの隣で。
マスターの前で。スタッフの真ん中でダシめしを?
自分の連れも肉豆腐を食べてから、どうやら同じ
感想を持ったようだ。

「個室にすればよかった」。

問題はもう一つあった。
肉豆腐がうまいことはわかった。
そして、白飯は15分後に炊き上がる。
ということは、肉豆腐のダシを最低15分は
温存しなければならないのだ。
もし肉豆腐を平らげてしまって、ダシだけを
温存しておこうと思っても、最後の豆腐片を
口に入れるや否や、妙齢のスタッフが風の
ように現れて
「こちらお下げします」などと、ダシが厨房
へ戻されてしまうかも知れないのだ。

今、私と連れの目の前にある肉豆腐の鉢に
ほんの小さい肉片が残されているのは
ダシを湛える鉢を持っていかれないよう
死守するためなのである。

しかし、このダシを守り通したとして
そしてやっと白飯が炊き上がって、ゆらゆらと
湯気を立ち上げながら運ばれてきたとしても、
それをそれにジュワッと回しがけて
一心不乱に箸を(ダシが纏わりついた茶色い米粒
をこぼさないほどの高速で)動かせるほどの
度胸があるのか。

ああ、
「個室にしておけばよかった」




ごちそうさまでした、とお金を払い店を出て
駐車場までゆっくり歩く。
さっきよりかなり気温は下がったが
上気したせいか少々寒い方が心地いい。

連れ
「やりましたね」

「やりましたね」

ぽかぽかするような心地のまま
しばらく夜の街を歩いた。





」」」」」」」」」」」」」」」」」」




いや、結局
ダシと白飯を目の前にした我々は同時に
「もう他人様の目などどうでもいい」という結論に
達し、数人の視線を痛いほど感じながら
肉豆腐のごく小さい肉片とダシを飯椀にかけ
もう一度
「いただきます」と宣言して食べきり
好奇の目から逃れるように素早く帰った次第である。

それがどうした文句があるか。











コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESがあればなあ!
それとは無関係に・・・。

目的の場所付近のコインパーキングが満車で、
少し離れているが少し縁のある駐車場へクルマを
停めた。
ここから歩くと言っても数分のこと。
陽は落ちて、暑くもなく寒くもない、
歩くには気持ちよく、ちょうどいい。

精算機の前では男性二人組が話している。
会社の先輩後輩だろうか。
立地や時間帯を考えると、おそらく飲みに行くのだろう。
会話が漏れて聞こえてくる。というか
結構声が大きいから仕方ない。

先輩「いや、そうやねんけど土曜日は日本シリーズ
やろ?」
後輩「あ、そうですね」
先輩「ほんでな、おまけに同窓会やねん。」
後輩「そうなんですね!」
先輩「でな、同窓会っちゅうことは嫁はんも一緒に
  ちゅうことや。同級生やからな!」
後輩「あ、ほんとだ!」

という具合だった。
昼間の、仕事をしているような時間帯での
なんとなくの緊張感がホワンと緩んでしまって、
しかしこれから飲みに行くぞ!という別種類の
緊張感が緩く生まれるような時間、空気が作る
会話なんだろうか。いや、内容は緩いけど。


男たちが会話する駐車場を離れて自分が目指す
めし屋へゆっくり向かう。いや、酒場か?
まあどうせ飲まないからどっちでもいいが。

財布とケータイは上着のポケットに入っている。

裏通りに入っていく。
ポツンポツンとド派手な店や施設があるが
すぐ途切れ、また唐突に派手な店が現れる。
歩いているとそれもすぐ途切れ、すこし暗い
一角を進む。
暗い路地でなにやらホワン と浮かんでいるような
灯かりが点いている。
あれが目指す店なのか。
店の前に見覚えのあるひと
ゆっくり近づく。
腹減ったな。

よう、こんばんは。


(終)





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESも電子マネーで買う時代になったんだろうか。
それとは無関係に・・・。

休日、クルマで出かけるから
免許証を入れている財布だけはちゃんと持っていた。
しばらく走行してから、あスマホ忘れた
と思い出した。
これは都合がいい。なんといっても
どこからも電話もメールもSNSのメッセージも
入らないのだ。
こんな快適なことはない。

飲食店で注文の品が運ばれてくるまで
ただひたすらボーッとしていればいいのだ。
ボーッとする機会はスマホの存在のせいで
ほぼ失われていたのだ。

それほどおいしくないラーメンとチャーハン
の支払いをしようとレジに行ったが、ここで
やっと気づいた。
「え、現金払いになるのか?!」

久しぶりの現金払い。レジはセミセルフレジ。
つまり、計算は店員さんがやってくれるが
支払いの選択や操作はこっち。
セミセルフレジでの現金払いなど初めてだ。

まあ左程難しい作業ではないからすぐに
ミッションクリアしたのだが、その後の書店でも
無印良品でも当然ながら「現金払い」になった。
やっぱり現在では現金払いがいちばん面倒くさい。
随分低いところにある挿入口から札を入れたり
随分低いところから出てきた釣り銭を受け取って
それを札入れや小銭入れに入れたり(実際にはすべて
ジーパンのポケットに詰め込んで、後で財布に
分けるのだが)いろいろと手順があって面倒だ。
恥ずかしながら、どうかはわからないが
もう自分が便利な支払い方法に馴染んでしまって
いるという事実に驚いた。
d払いとID派だから、それらが使えないと不便だ。
やっぱり出歩きにはスマホは要るなあ。

ちなみにペイペイと楽天ペイは使わない。
理由は、
なんかイヤだ。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESとはよく合うのかも知れんが。
それとは無関係に・・・。

仕事場(オフィス)には一日中JAZZが流れている。
とは言っても、売り場で流れているUSENのJAZZ
チャンネルが共用で、スピーカーから流れている
だけのことだから、別にオシャレオフィスを気取って
いる訳でもない。

で、店舗の者がなかなかチャンネルを変えてくれない
ものだから、毎日毎日同じような曲をローテーションで
何度も何度も聴かされている状態である。
その中でも、結構な頻度で流される某女性ボーカルの
曲があるのだが、これがまたなんと「ヘタクソ」なのである。
いやUSENで流れているのだからおそらくかつての「名盤」
に違いないのだが、それでも自分が聴いて「ヘタクソ」
と感じているのだからこれは自分の中では正真正銘
「ヘタクソ」以外のなにものでもない。

たまにチャンネルを変えて欲しいのだが、そっち方面に
知識や素養、興味がある人間が売り場には絶無なので
如何ともし難い。

耳栓する訳にもいかないし自分だけイヤホンを突っ込む
こともできないし、日常的になかなかイラっとする事
である。
いっそのことオフィスの方のボリュームをゼロに
するのはどうだとも考えたが、うちのオフィスが
ほぼ誰も喋らず本当に本当に静かな事務所だから
みんな音のない環境で仕事することができるのか
わからないし、悩ましい問題でもある。

ラジオか何かにしてしまえばいいのにな
とも思うが気が散りそうだし。
日替わりBGMチャンネルにしてくれないだろうか。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESをまだ知らなかった頃。
それとは無関係に・・・。

小学生のいつ頃だったか、ある日父と母が
外出先から帰ってきた。
父は両手で、なにやら箱状のものを持っていた。
心なしか腰がやや下がっているように見えた。
その箱状のものは電子レンジだった。
それもむき出しの。

S「何?電子レンジ買ったの?」
父「ははは」
母「新品やったらなんで裸やねん。」
S「そりゃ、そうか」

むき出しの電子レンジは貰い物。
母の次姉えっちゃんからもらったものだった。
えっちゃんが新しい電子レンジを買ったので
不要になったそれを我が家にくれたのだった。
全体が結構でかい筐体なのだが、扉を開くと
加熱室はそれほど広くない。大きい皿では
入らないだろう。
右側はコントロール部分だ。しかしコントロール
部分といってもドアの「開」という大きくて
(直径約7~8センチもあった)丸いボタンと、
でっかい円形のつまみしかなかった。
円形のつまみはメモリがたくさんついていて
「分」という文字が書いてあったから何分加熱
するかのつまみだろうな とすぐにわかった。
「あと何分」などというようなデジタル表示
なんてない。「分」のつまみがジジジジジジ・・・
と少しずつ回っていきゼロのメモリに達すると
「チン!」と鳴って終了という具合である。
これほどシンプルを極めた機器が
他にあろうかと思うほど簡潔な佇まいだった。
それでも電子レンジがそもそもなかった我が家
としては中古電子レンジがやってくるだけでも
画期的なことで、食生活が変わるほどではなかった
かも知れないが、調理作業には諸々の変化を
もたらしたことは間違いない。

数年後、その電子レンジをまだ使っており
基本的な機能は健在だったものの、「開」の
丸くてでっかいボタンがファンキーになってきた。
「チン!」タイマーゼロ、時間が来ましたよ!の
音が鳴ると同時に、ドア「開」の円形ボタンが
前方に飛び出し床に落下するようになったのだ。
「チン!」と「カラン!」がセットになった。
父はなんとかそれを解消しようと、ボンドで
くっつけたが、しばらくするとまたボタンが
加熱完了とともに飛び出す。
うちにあったボンドで直らないということは
もう世の中に直す術がないということとイコール
だったから、もうえっちゃんにもらった電子レンジは
「飛び出す電子レンジ」であるとして、その後も
調理活動を支え続けた。何しろ温まるのだ。
たとえボタンが飛び出そうと、温め中はしばらく
うるさくて会話ができなくなろうと、とにかく
「温まる」という基本にして最大の機能は損なわれて
いないのだから何の問題もないのだ。
そして家族は「そんなことぐらいはどうでもいい」
とすぐに受け入れるメンバーばかりだったのだろう。

そのうちに、飛び出すボタンを空中でキャッチする
という密かな遊びを思いついた。
何か温めるたびにほぼ毎回飛び出すボタンが
床に着地するまえに捕まえられるかが重要になってきて、
もう食品が温まっているかどうかなど二の次に
なっていきそうだった。
この遊びは兄もやっていたようで、夜中に父が
うまくキャッチした瞬間を目撃したこともある。
母はカランコロンとボタンが落下するに任せていた。
姉は「チン!」と鳴る寸前に指で飛び出すボタンを
押さえていた。まあそれが正解なのだろう。

この、えっちゃんの電子レンジはなかなか壊れず、
言ってしまえば壊れるような機能がまったくついて
いなくて、ただ電波が飛び交うという本来の働きに
特化していたせいなのか、ずっとずっと長持ちした。
えっちゃんの家でもそこそこ使っていたはずで、
その後私の家にやってきてからも10年は使った
だろう。
やがていろんなボタンやデジタル表示の窓がある
ような電子レンジが導入されてからも、その電子レンジ
は相変わらずキッチンにあった。
新規のレンジの上に積み重ねられていた。
同時に2台を使用するとブレイカーが落ちるので
さすがにもう電波を発生させることはなかったが
食べ物を入れてドアを閉めてしまえば保管庫には
なるし、虫よけには十分だったのだろう。


そこからまた10年以上経って、
父と母が何の気なしに行ったスーパーマーケットで
なんとなくもらった福引券で、なんとなくガラガラ
と廻したガラガラ抽選機から「特賞!」の玉が出た。
景品はシャープのヘルシオという電子レンジだった。
なにやら水蒸気がよい働きをするとのことだった。

その頃はもう父と母の二人暮らしになっていた実家
にヘルシオは導入された。
流石に電子レンジを3つ積み上げるようなことは
しなかったようだ。でも、傍らには倉庫になったえっちゃん
の電子レンジがまだ置かれていた。
その間に買った電子レンジは先に廃棄されたようだった。

福引の当選から間もなく父の病気が発覚した。
私が建てた家に父と母、ヘルシオが合流し新しい
生活が始まったが2年後になくなった。
あの電子レンジをくれたえっちゃんもその2,3年後
に亡くなった。小さい小さい葬式で見送った。

母はヘルシオの多機能さについていけず、最も
プレーンな使い方しかできなかった。
その母は1年数か月前に亡くなった。

大活躍したえっちゃんの電子レンジは
引っ越しとか実家解体とかどこかのタイミングで
処分してしまった。
飛び出すボタンが懐かしい。









コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





GITANESはちゃんと火が消えたことを確認してから。
それとは無関係に・・・。

液体はみがきを家でも職場でも使うのだが、
職場で使う方のモノをコンビニで買ったのはいいが
刺激があり過ぎて味もイヤな感じだし、ほとんど
使っていないものの捨てることにした。
あれ、こういうのってどこにどうやって捨てれば
いいんだっけ?

便利な世の中になったもので、歯磨きが液体に
なっただけでも便利なのに、それの捨て方を
誰に訊くまでもなくネットで調べることができるのだ。

「リステリン 捨て方」
で検索してみた。

『普通に水道のところに捨てたらいい。
どうせ口に含んだとしてもそこに吐き出すだろ』

と一刀両断された。
非常に痛快だった。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





GITANES臭がする電話を何度も拭った。
それとは無関係に・・・。

未だに
ある種の契約を結ぶときに必須だとか、
クレジットの審査にも必要だとか
公的書類にも要るのだとか言われるモノがある。
固定電話がそうだ。
本当にいるのだろうか。
ネット回線を敷いている以上電話番号も自動的に
割り当てられているのだから
「番号がそもそも要らない」なんて言っても
ナンセンスのようではあるが、「固定電話」が
本当に必要かどうかには関係ない。
固定電話というのは携帯電話出現までは単に
「電話」と呼ばれていた。
そしてその頃も今も、電話(現・固定電話)
は動かない。当たり前だ。
しかし人間は基本的には「動く」。
動いた先にまで持って行ってる可能性が
高い「携帯電話」は非常に便利である。
固定電話に電話するよりも携帯電話に電話
する方がつかまる確率は圧倒的に高い。
もし携帯電話に電話したのに相手が出ない場合は
A 事情があって電話に出られない
B 電話が入っていることに気づかない
C わざと出ない
などのケースが考えられる。

Aの場合、風呂かトイレに入っているか
眠っているか食事中か、あれやこれの最中だ。
こういう場合は固定電話にも出られない。

Bはマナーモードになっている可能性が高い。

Cはそもそもわざと出ないのだから、携帯であろうと
固定であろうと相手は電話に応答しない。

結局
「連絡を取りたいときに固定電話の方がつながる」
理由はBしかない。
その他の場合は携帯電話の方が、連絡を取る手段としては
優れていると言わざるを得ないのである。
にもかかわらず冒頭のように、契約書作成時に
固定じゃなきゃだめとか、クレジット審査や
公的書類作成時も固定が前提 などと
いまだに訳のわからない状態になっている。
ということはつまり、「固定電話」であることを
求める側は『連絡が取れるかどうか』などには
実は興味がなく、
「なんでもかんでも携帯で済ませるのではなく
固定電話もしっかりと備えている人間であるかどうか」
を査定しているにすぎないのである。

電話を受ける側にとってはどうか。
自宅にかかってくる電話の8割はしょーもない
勧誘や営業の電話である。
ケータイ電話代がお安くなります
電気代がお安くなります
そういう類ばかりだ。
先日など

バカ「こちらなんでも買い取る●●の■■と申します
お電話口はご主人様でいやっしゃいますか?」
私「誰がこの家の主人かどうか意見が分かれる
ところですのでなんとも言えません」
バカ「・・・ご不要になったものの買い取りを
する業者なのですが、ご不要になった貴金属や
ご不要になった家電製品など、」
私「不要に『ご』は要りますかね?それこそ
不要じゃないでしょうか」
バカ「・・・不要な自転車とか、」
私「ないですね。」
バカ「衣服とか、または」
私「ないですね」
バカ「ああ、そうでらっしゃいますか。家電
なんかでも故障していても私どもは、」
私「ないですね」
バカ「バッグや装飾品、あるいは」
私「ないですねないですね、ないですね」
バカ「何か不要のものが少しでも、」
私「ないですねないですね、まったくないです
  私がないと言ってるんだからこれほど
 確かなことはないですよ。とにかく
 なんにもないですよ。 あ!」
バカ「どうされました?」
私「そういえば今使っている固定電話こそ
 常々不要だと思ってたんですよ」
バカ「固定電話機、でいらっしゃいますか」
私「固定電話機に敬語も要らんでしょうけど
  まあこれは要りません。かかってくるのが
  こんな電話ばっかりなので。」
バカ「左様でございましたか。」
私「左様です。さあ固定電話を捨ててくるので
 二度と電話しないでね」

てな有様だった。


他の2割のうちの大半は間違い電話だ。
つまり、固定電話でかかってくる電話はほぼ
間違い電話か勧誘電話である。

つまり要らん。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »