GITANESは一般的にジタンと読みます。
というと「ジターヌでは?」と言う人が
必ずいるようです。
それとは無関係に・・・。
ラジオを聴く習慣は20歳になるころを境に
まったくなくなった。
これは中高生・受験生のころにはラジオでも聴くしか
なかったという、当時は普通の事情の延長で
こういう人はかなり多いのではないかと思う。
また、新聞を毎日読む習慣は20年前にやめて
しまった。これはネットのニュースで事足りる
ことがわかったからである。何よりもほぼ無料
という魅力がある。
その後SNSでそれらのニュースを多くの人が
どのようにとらえているかを眺めながら
自分の立ち位置が確認できるような気がして、
毎日届けられる新聞を、口を開けて待っている
よりも速くて安くて豊富だとわかってしまった。
もう新聞紙を定期購読することはないだろう。
テレビも同じである。
テレビは十数年前から少しずつ視聴時間が減っていき
ここ数か月はもうほぼ観ない状態となっている。
惰性で撮り貯めている番組も、観ないまま消去
ような有様で、しかしながらネットニュースでは
テレビの情報もかなり詳しく扱われていて
例えば先週のナイトスクープの内容もあらすじは
知っている。これで「テレビを観ていない」なんて
言えるのか、とも思うが。
とにかく、テレビ視聴というのは過去いかに受動的
だったのかを最近強く感じるのは
「流行している歌がまったくわからない」という点
である。
昔は家にテレビが一台しかなくて、それは居間
(居間いかないような小さい借家だったけど)に鎮座
しているから、観る気があろうがなかろうが
耳からも目からも情報が入ってくるのが自然だった。
だから大嫌いな流行歌でもメロディーと主要なフレーズ
は知っていたものだ。
例えば「魅せられて」も「北国の春」も大嫌いなのに
それがその曲だと認識はしていた。というよりも
歌えと言われれば歌えたのではないか。
イントロクイズでも結構いいところまでいって
高島忠夫に褒められた可能性もあっただろう。
それが最近ではまったくわからない。
そしてテレビやラジオを使わない限り「知らない」
を通せるし、知らないものは本当に知らないままで
いられる。
「うっせえうっせえ」というフレーズだけネットで
見聞きすることがあった曲も「ああ、盗んだバイクで
走り出す系?」と思いながら、まったく聴く機会が
ないまま過ごせた。
ジャニーズ系のグループがどんどん増えてエグザイル系
も増えていき、娘。や48がどんどん増えて行って
終いには日本人全員がどこかのグループに所属するんじゃ
なかろうかという心配をよそに、結局ほぼ聴かなくて
済んでいる。
それだけじゃなく、お笑いのコンビやグループも
どんどん増えていくのだろうが、私の中では
若手はスギちゃんで止まっている。いや決してその辺に
疎い訳ではない。なにしろ史上最高のコンビ名
「顔色よろし・わろし」の解散が残念だと思っている
ぐらいの造詣はある。
まあしかしとにかく、何が流行っているのかなど
わからない。それが平気になってきた。年齢のせい
かもしれないが、それが平気になってきたこと自体が
平気になってきた。
どこかのネットでみかけた、歌がうまいと思う男性
ボーカリストの1位が玄米法師とか米酢元帥とか
そういう人だったらしいが、声を聴いたこともない。
何はなくともとにかく帰宅したらテレビのスイッチ
をつけて、という習慣のままだったらどこかで曲の
ワンフレーズぐらいは聴いただろう。
いや、この状態でも本当はワンフレーズぐらいは
耳に入ってきていたのかも知れない。
それが何の印象も残っていない。
年末が近づいてくると毎年かならず本屋まで走り
テレビガイドを買って、観たい特番に印をつける。
そういう時代からすると、習慣が本当に変わって
しまったなと痛感する。
当たり前だけど、テレビとの関係は恐ろしいほど
受動的だった。
ネットがいいのだ!とも思わんが、
テレビだけでは顔色よろし・わろしの存在にも
気がつかなかっただろう。よかったよかった。
というえげつない結論に達したので、この辺で。
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