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それとは無関係に・・・。
 





GITANES嗜好者とGITANES休止者の違い~
臭いかどうか。
それとは無関係に…。

タウンミーティングの一部(か ほとんどか)応答がやらせだったことが
バレ、話題になっている。驚いたのは、あれをまともに「正真正銘ぶっつけ
本番の真剣勝負の議論の場」だと信じていた人が多かった・あるいは多かった
と仮定したかのような論調のマスコミの論調が賑やかだ・ということである。

以下、毎日新聞の社説
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
社説:やらせ質問 政府説明会と名を変えろ

 教育の改革や再生を訴える政府が見えすいた手口で国民を欺こうと
していた。多くの国民は今、あきれ果てていることだろう。
タウンミーティングの「やらせ質問」である。

 小泉内閣の5年余、開催された政府主催のタウンミーティングは
174回。9日には教育改革に関するものだけでも、8回中5回も
同じような行為があった事実が判明した。政府は他のすべての会合に
ついて実態調査を急ぐ一方、調査がまとまるまでタウンミーティングは
再開しないという。当然の判断である。

 問題の発端となった9月の青森県八戸市での会合は、質問した10人中
6人が事前に政府側から質問を頼まれ、うち2人は文部科学省から渡された
質問案に沿って発言をしたというものだ。

 文科省の質問案は「時代に対応すべく、教育の根本となる教育基本法は
見直すべきだと思います」などと、政府が提出している教育基本法改正案を
支持する内容だ。事前に発言内容の報告を受けたところ、基本法に関する
質問が少なかったため、「やらせ」に走ったらしいが、これは明らかに
世論誘導と呼ぶべき行為である。

 質問者には「棒読みは避けて下さい」「自分の意見を言っている感じで」と
要請し、当日は質問者の着席位置を確認したうえで、無作為に発言者を選んで
いるように演出していたという。頼まれた質問者も気の毒だ。しかも、依頼は
文科省から地元の教育委員会に伝達されて進められたというから、教育行政
担当者ぐるみの「やらせ」だったと言っていい。

 時の内閣が「国民の声を直接聞く」という発想は古くからある。62年に
池田内閣が岡山市で開いた「国政に関する公聴会」がその走りとされ、佐藤
内閣まで計10回開いている。しかし、当時から「政府のPR色が強い」と
批判を浴び、その後の内閣は定期的に開催することはなかった。

 それが小泉内閣で変わった。小泉純一郎前首相にとって、全国各地で
閣僚が出席して開くタウンミーティングは、「小泉劇場」の有効な小道具
だったのだろう。
「国民との対話」を演出し、政治を身近なものにする。それが小泉人気に一役
買ったのは間違いない。

 「国民の声に耳を澄ます」という姿勢は歓迎すべきことだ。しかし、実態は
世論操作の一環ではなかったかと、多くの国民は疑い始めているはずだ。
もはや、制度を存続させるかどうかも含め抜本的に見直すしかなかろう。

 事前に質問者を指定するのは、政府に批判的な勢力のアピールの場に利用
されたくないとの思いからだともいう。だが、公正さを担保したいのなら、
中立的な地元のNGO(非政府組織)など第三者に主催を委ねる方法もある。

 それもできないというのなら、「タウンミーティング」と、あたかも国民と
政権担当者が対等の立場で意見交換するかのような看板は書き換えた方がいい。
「政府説明会」とか「政府広報集会」とでもすればよいのである。

毎日新聞 2006年11月10日 0時14分

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
タウンミーティングなるものが始まる という当初のニュースはそれなりに
インパクトがあり、「お、また何か新しいことを始めるな。」という反応で
世間には好意的に受け入れられたとは思うが、その後174回の内容がきちんと
国民のもとに届けられたとは思わない。、届かないのが政府の責任か新聞社の
怠慢であるのかは知らないが、ニュースが届かないんだから、その届かない
情報によって世論が形成されたとか、間違った方向へ導かれたなんて神業は、
誰にもできるわけがない。
あんなものに「世論誘導される」なんて社説で堂々と言ってしまうということ
はこの新聞社が国民をナメている証拠である。
今になってこんなに批判するほど騒ぐ(あるいは騒がせようとする)
なら、どうしてミーティングの度にその詳細と論説をつけて記事にし続け
なかったのか?


ただ、アレの存在意義と名称の乖離を埋めるための方策として、毎日新聞が
提案する(バカにしているだけだろうけど)、「政府説明会」とか「政府広報
集会」と改名せよ・という主張はまったく正しい。その通りである。

で、本当に改名してしまったらどうするのだろうか?
社説での主張が通ったのだから、その後会合について毎日新聞が批判する
ことはできなくなるが、それでもいいのか?

「名前を変えるだけで済ませるなんて言語道断」なんて書くのだろうけど。

それから、毎日新聞には休刊日があるのだから、名称を変更しなさい。
「ほとんど毎日新聞」とか「ちょいちょい休刊新聞」とか。
朝日新聞はそれほど「朝の日光」というさわやかなイメージもなく、夕刊も
発行しているのだから「朝夕新聞」に改名しなさい。
「読売新聞」は、意味がわからないから、なんでもいいから変えなさい。
「産経新聞」は、まあそのままでも改名しても、どっちでもいいです。

「今まで熱心に内容について報道・論評してきたのに あれがヤラセだったとは
この上ない裏切りだ!」という訳でもなし、
毎日新聞にとっては、タウンミーティングの内容なんかよりも
それがヤラセだったかどうか の方が重大事だったのだ。



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