the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESって、どんな味?
と彼は訊いた。
吸わなきゃわかりません。と
私は答えた。
それとは無関係に・・・。



仕事が終わり自宅に到着して、郵便ポストをチェック。

毎年この時期になると届くのが喪中ハガキである。
例外なく不幸事には違いないのだが、
「祖母が100歳で永眠した」とか
「祖父が98歳で亡くなった」という内容ならばまだ
「それはご長命で、大往生でしたね・・・」と
どことなく『やり遂げましたねえ』と感心するような
気持ちも覚えるものだ。

しかし、数日前に届いた喪中はがきは
そうはいかなかった。




日本各地の同業者(洋服関係・最大9社、広告代理店1社)で結成された組織があり、
私が勤める会社もそれに属していて、私はその組織の担当者だった。
各社の宣伝担当者が集まって運営する共同宣伝プロジェクト
なのだが、それぞれの担当者たちは軒並みキャリア20年以上という人
ばかりだったので、わが社の前任担当と引継ぎ業務もまったくないまま
徒手空拳で参加するようになった私は、まさしく戦々恐々としていたものだった。


その関係で、私には全国に「兄貴分」と認める人物がいる。
たまに登場する、名古屋の元Y社・Ascot氏や、カーマニアの元G社・Oさん、
戦うコピーライターの広島・O兄 たちがそうである。

山形にも兄貴分がいて、I氏という人物である。
N社の取締役だけあって、なんでもズバズバ意見を表明する人物で
会の運営にも多大な影響力を持っていた。


いくら引っ込み思案で人見知りがちで臆病かつ人付き合いが苦手な
私でも、何回も会って一緒に話しているうちに、それなりにほぐれてくる
ものだ。

出会ってから1年ほどしてからI氏にも
「SGCちゃんさあ、あんたずっと黙って座ってるだけだった頃は
『ヤな感じだなあ』と思ってたけど、喋るとずいぶん面白いじゃん!」
と評された。
多分直前に話をした『選挙券11枚つづり』のネタが効いたのだろう。

それからは(ほとんどバカ話であるが)よくお話をさせてもらった。



最後は組織と方向性に違いが出てしまい、彼の会社は脱退していき、
ほどなくしてわが社も脱退、それと同時に組織自体が解散してしまって
直接のおつき合いがなくなった。
年賀状のやり取りと、1度きりのメールのやり取りがあったばかりである。





ポストに入っていたのは、そのIさんの奥様からの喪中ハガキだった。

7月に夫○○が亡くなり・・・



いつか機会を見つけて山形へ行って、業界の先輩・兄貴分の
話を聞こうと思いながら数年が経ってしまっていた。

当たり前のことだが、そんな簡単なことももう叶わないのだ
と思うと、この上なく寂しい。


「SGCちゃん、あんたみたいな奴、ウチにいたら面白いなあ!」

「SGCちゃん、もし何かあったら、山形来いよ!」

と、もちろん冗談だろうが、かけて貰った言葉が忘れられない。



ロケハン中に(どういう経緯があったか覚えてないが)大阪の
北の方の野原で二人で全力疾走したことを今でも鮮明に覚えている。



親しくしていただいたのは短い期間でしたが
お世話になりました。


不肖の弟分は、まだ頑張ります。






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