GITANESを最後に吸ったときは、強烈に不味かった。
だから休止できたのだろう。
それとは無関係に・・・。
河出文庫の須賀敦子全集(全8巻)を読み進めている
と以前書いたが、現在3巻の真ん中。
途中でペースが劇的に遅くなった。
マルグリット・ユルスナールについての内容が続いている個所
(「ユルスナールの靴」)に差し掛かると、自分に
とってはまったく縁のない話でまったく関係なさ過ぎて、
読んでいることが単純作業のように感じてしまった。
こうなるとまったく無味な煎餅をかじっているような
感覚になり、まとまった時間読むことができなくなって
しまう。
「ユルスナールの靴」と言えば
「きっちり足にあった靴さえあれば、じぶんは
どこまでも歩いていけるはずだ。」
というフレーズで有名なのだが、それに想起されるような
ダイレクトに読みやすい内容ではなく(自分にとっては、だが)
ゆるゆると立ち止まりながら、朝晩の歯磨きの時間にしか
読まないという状況になっていた。
おそらく
「素敵な靴はあなたを素敵な場所へ連れていってくれる」
(出典不明)
というフレーズと混同したことが敗因であろう。
どうやらその小さい峠は越えたようで、また「面白い」
と感じるようになってきたから、ペースは確実に上がっている。
本を読む習慣がある人ならわかるだろうが、自分と本の内容の
関係性には、その両極として
「ぐいぐい惹きつけられて一気に読んでしまう、もったいない本」
と
「わからなさ過ぎて『電話帳の方がマシだ』と思う本」
があると思うが、その間に無数のパターンが存在する。
少なくとも私に(今の私に)とっては概ね
突き放されるほどの難解さはなくて、寝食を忘れるほど
侵されていなくて、ある意味ではバランスがいい具合である。
いいなと思える表現の宝庫ではある。これが目を引っ掛ける。
ツルツルと活字の上を無機質に目が滑っていく過程で
時折この「目を引っ掛ける釘」が現れ、そのたびに立ち止まる
よう促され少量の何物かを脳のどこかに充填されるような
感覚と言うか、それが彼我の関係性の特徴となっている。
まだあと5冊と半分ある。
それが楽しみでもあり憂鬱でもある。
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