GITANESから書き始めるのがもう至難の業。
それとは無関係に・・・。
もう少しそこにとどまりたい。
そう感じた経験が誰にもあるだろう。
もう一応のピークや区切りを迎えたのだが
まだ名残惜しい。そしてはそれは
この後も何事か、肯定的な何事かが起きるの
ではないかという予感のせいだ。
充足しているのに、どこかしら落ち着かない
状態でもある。
いいものを読んだときの余韻のせいで
次の本に移れなかったり、
いいものを聴いた後で、次の曲に移るのが
もったいない時がそうだ。
パーティーや宴会が終わっても、なかなか
そこを去る踏ん切りがつかないときも
同じく。
余韻に戸惑って残っているだけなら構わないが、
なかなか大勢が帰ろうとしないので
場を見過ぎて帰りづらくなっている人もいる。
私などもう、不本意ながら職場では古株なので
全ての余韻、お礼やあいさつなども断ち切って
「じゃあ。」と声をかけて足早に立ち去るように
している。
他者の余韻に冷水を浴びせることになる可能性も
あるが、それで助かる者もいるだろう。
部活が終わったが、夏場はまだまだ明るい。
そんな時間についつい長居してしまうのも
同じような現象だろう。
そういえば、放課後の教室に時折
立ち去りがたい空気が満ちていることもあった
ような気がする。
バレンタインデーの放課後など、いつもより
ウロウロしている奴が多い気がしたものだ。
これはちょっと違うか。もっとダイレクトな問題か。
散歩が予期せず長時間になるのもこれだ。
遠回りして帰るのも、もう少しどこかに
とどまりたいからだろう。
さて、そそくさと宴席・パーティーの場を
立ち去った後どうしているのか。
たった一人で別の店で飲み直す、という人も
多いだろう。羨ましいものだ。
酒が飲めない私はクルマで走る。
結構遠方まで走り、そしてまっすぐ帰ってくる。
ただそれだけなのだが、階段の踊り場のように
余韻と現実の間の、もう少しそこにとどまるため
の場所になっている。
どうも夕べは意味不明の不思議な夢を
みたもんだから、書く内容もよくわからんが
それもSGCであるから許されよ。
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