GITANESはどうして臭いのに
一部のモノから好かれるのか。
それとは無関係に・・・。
小さい子が習字教室などで
どんどん字がうまくなるという場面を
見ることがある。
習字・書道教室で一体どのように
習っているのかは、自分にも経験があるから
なんとなくわかってはいる。
お手本を見て、最初は手本と似ても
似つかぬ文字を書いて先生に見せて、
ここはこう、ここはこのように と朱で
直される。
そういうラリーをしているうちに
段々とうまくなっていく というスタイルだろう。
子供のころの私はとうとうこういうシステム
に馴染めなかったからすべてを放棄した。
もちろん師匠(祖父)に破門されたから
というのが最大の理由であるが。
どうして破門を食らったかというと
結局システムに馴染めない・馴染む気も
才能もなかったからだろう。
字がうまかった祖父や父はもう死んでしまった
のだから今更どうしようもないのだが、
生前にもっと尋ねておけばよかったと感じる
のはほとんど「美しい文字はどうやったら
書けるのか」ということだ。
おとなになった今なら、習い方も変わって
いただろう。
今なら私は
「この文字はどうしてこうなるのか?」
と尋ねまくりたい。
『この文字のこの部分はきっとこうなるのが
必然であって、それは漢字の成り立ちや
その後の歴史とともにこうなってきた。
文字については必然こそ美しいのだ』
と私は心の奥底で考えているのだろうと
推察している(自分のことなのに推察なあ)。
書き方と言う実践の積み重ねは最も重要
だが、私は必然が知りたかった。多分。
偶然は妙味ではあるが、それは字がうまい人
が出会えるご褒美みたいなものであって
下手な者は必然を欲しているのだ。
そういう、自分なりの仮説にたどり着くまで
に半世紀かかってしまった。
そしてもう、それを尋ねるべき身近な人は
亡くなってしまった。
なかなかうまくいかないものだ。
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