年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

御一新

2015年07月27日 | 宅老のグチ

 

前田愛著(幻影の明治)から

今では御一新という言葉は明治のころにあって、夏目漱石もこの言葉にこだわっていたことを書いてあった。鳥羽伏見の戦い後、西軍の優勢が確認されつつある時から変わったという。

 前に都立中央図書館で岐阜県史を読んでいたとき、東征軍が大垣のところで、進軍を止めている時間が長かった。このときの情勢は歴史家やマニアしか注目しないと思うが必要な長期大垣滞在だったかもしれない。この間にどちら側につくか付くかそれぞれの藩内で抗争していた時期だった。

 長谷川伸は何処から『相楽総三とその同志』の小説の構想を得たのだろうか。

東征軍の大垣滞在が長引き、岩倉具視の信任を得た大垣藩は岩倉の娘を嫁としたようだ。伊藤博文のレイプ未遂事件にここで繋がる。

前田愛著の本から、レイプ事件の報道弾圧に団団珍聞は入っていなかった。伊藤博文を散々風刺していた團珍はどうして風刺しなかったのだろうか。大垣戸田家から團珍は本当の情報を得ていた気がする。

 

コメント
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