ウリパパの日記

自由気ままに・・・

新国立劇場 トゥ-ランドット公演初日

2008-10-02 00:11:37 | オペラ
いよいよ芸術の秋です。今日は仕事も一息ついたので、午後からフェルメール展を見学。夕方からは新国立劇場の2008/2009シーズンオープニング公演を飾る、プッチーニのトゥーランドット(初日)を観てきました。若干の空席もあり、直前にもかかわらず2階4列目(A席)を購入できました。

トゥーランドットといえば、古代中国を舞台にした荘厳なグランドオペラというイメージがありますが、今回のヘニング・ブロックハウスの演出は、時代背景をこのオペラが作曲された1920年代に移し、イタリアのトスカーナ地方に中国の雑技団がやってくるという設定。プッチーニが作曲した3幕のリューの死までを劇中劇で演じるというもので、なかなか考えられたものです。しかし期待した幻想的な舞台ではなく、おとぎ話のような演出に最初は戸惑いを感じました。

会場に入ると緞帳の手前には既に屋台が左右に2つ。公演直前になるといきなり煙が立ち込めます。おや?と思っているうちに指揮者が現れ場内は闇に。そして幕が開くと、音楽抜きでのパントマイムが延々と5分以上続きます。雑技団の劇が始まる前の様子が演じられこれがプロローグなのです。そして不協和音でダンッ、ダンッと音楽が始まると、劇中劇の登場人物に変身。以降3幕途中のリューの死まで舞台に大きな変化がなく、視覚的には物足りなさを感じました。

余談ですが、1幕、2幕終了後も緞帳は降りません。幕間の休憩中に出演者が舞台上の屋台でスイカ?をもらって食べているのには笑ってしまいました。

そして、3幕のリューの死後、つまりアルファーノの補作部分はエピローグ。劇中劇が終りプロローグの場面に戻るのですが、ティムール王がコックさん?(そのように見えた)に変身したり、王子カラフが新聞を広げる紳士(プッチーニ)、トゥーランドット姫が手紙を読む婦人(エルヴィーラ)に変身したり・・・補作部分をどのように解釈するかは演出家の腕の見せ処かもしれませをが、トゥーランドットとカラフは姫と王子であり続けてほしいですね。なので、私は目を瞑って美しい音楽を聴いていました。そして最後の市民同士の抱擁、これはどう見てもワーグナでした。

インパクトの大きかった演出はこれくらいにして、音楽はいつもながら合唱が素晴らしかった。そしてトゥーランドット姫を演じたイレーネ・テオリン。声量があり決して絶叫せず、良かったです。これからが楽しみなドラマティコ・ソプラノです。カラフを歌ったヴァルテル・フラッカーロは始め心配しましたが、トゥーランドットが登場した2幕後半からエンジン全開。とても素敵なイタリアの声を聴かせてくれました。リューの浜田理恵、ティムールの妻屋秀和も好演。でもティムールは若すぎたかな?児童合唱にも拍手です。

ところで、私にとってトゥーランドットといえば、1988年のミラノスカラ座の日本公演が忘れられません。マゼール指揮、ゼッフィレルリの豪華絢爛な舞台、デミトローヴァ、マルチィヌッチ、デッシー、それにスカラ座の合唱。特にNHKホールに轟き渡る人間離れしたデミトローヴァの声の力に圧倒されたことが思い出されます。今回の公演はそこまでの感激は味わえませんでしたが・・・
隣に座っていたおばさんは、イナバウアーを話題にしていました。トゥーランドットの誰も寝てはならぬ!で荒川さんが金メダルを獲得したのでしたね。



コメント
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