水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

11月5日

2011年11月05日 | 日々のあれこれ

 新人戦で演奏する「エアーズ」を配布し、せっかくだからとちょっとやってみたら、途中で完全に見失う子が減っていた。えらいえらい。
 新人戦。エントリーされた学校さんの一覧を見ると、「そうそうたる」という形容がぴったりの陣容ではないか。
 コンクールでは同じ土俵にのせてもらえなかった学校さんにまじって、なりふりかまわずやっていきたい。
 部活のあと、いろんなことが残っているがなかなか進まない、その原因は空腹にもあると思い、コンビニに行く。
 「夜中にどうしてもいなり寿司が食べたくなるケース」はそんなにないのだが、11月の声を聞くと急に肉まんが食べたくなるので買いに行ったのさ。
 本のコーナーに「danchu」の最新号がおいてあって、ポテトサラダの特集だった。
 長いdanchuの歴史で、初めてではないだろうか。
 普通の料理関係の雑誌でも、ポテトサラダがメインの特集になるのはなかなかない。
 購入し、夜のお酒のおともにすることにする。
 帰りにポテサラ自体も買って帰ろう。
 高橋ソースの中濃をかけたポテサラが、日本酒のあてとして自分のベストなのです。

 
 
 学年だより№16(何のため3)

「次の文章を読み、社会の階層化について、801字以上1000字以内で自分の考えを述べなさい。」

 大学の先生は、この問題を出すことによって、受験生の何を調べたかったのか。
 ふつうの国語や社会では測れない、どういう力を見ようとしているのか。
 まずは、どの程度社会に対する関心があるのか、常識があるのかを見るだろう。
 そして、与えられた素材について自分なりに考えられるか、考えた内容を論理的に表現できるかどうか。
 それは、大学で一緒に学問をする仲間としてふさわしいかどうかを見ると言うことでもある。
 「格差社会について論ぜよ」という問題が出た場合、二つの方向性の答えがあるように見える。
 a「格差社会をなんとかすべきだ」とb「格差社会はしかたない」という二つだ。
 実際に書いてもらったものにも二種類の答案があった。
 しかし大学入試で「格差」「階層化」が問われたときには、答えの基本はaだ。
 もちろんbの方向性で書いた人もいた。
 格差社会の積極的肯定論さえ出てくる。でも考えてみてほしい。
 大学の先生があえて高校生に「格差社会について述べよ」と問題提起をしているのだ。
 「現状を考えるとしかたない」「人それぞれの努力の結果なのだから、格差は必然である」という意見が適当だろうか。
 もちろん意見としてはありうる。
 純粋な意見としてはあり得るが、二つの面から問題を指摘できる。
 一つは、みんなの頭の中の「格差」「階層化」のイメージが、現実とはかけ離れているという面だ。
 「格差」は、たんに収入の差が「ほどよく」ある状態を指す言葉ではない。
 10の努力をした人が1000万円の年収を得、5の努力をした人が500万円であるという状態を指すのではないということだ。
 ほとんどの人は、今まで経済的な不自由をあまり感じたことがないだろうから、このあたりのイメージがわかないかもしれない。
 たとえば、大学を卒業するときに、希望にあった就職ができずに正社員になれなかったとする。
 毎日働けばバイトでも月に20万円くらいは稼げるだろう。
 正社員になれた友達も初任給は同じくらいだから、最初のうちはそれほど不満を感じないかもしれない。
 しかし、5年、10年とそのままの状態だったらどうか。
 月20万円稼げるだけの仕事が常にあるとはかぎらないし、正規雇用の社員とちがって病気で休めばその分だけ収入は減る。
 若いうちは無理もきくが、年をとってくると、不安にかられるであろうことは想像に難くない。
 好きな人ができても結婚をためらう気持ちが生まれるだろう。
 家族を作ることはできても、将来自分の子供を私立の学校に通わせるというのは現実としてかなり厳しい状態になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする