なんか意外にあたたかくないですか?
車の窓ガラスにお湯をかけるというのを今年まだやってないけど、11月ってこんなだったろうか。
週があけて、放課後は講習の日なので、部活をわたなべ先生におまかせし、講習参加者が書いているのにべったりつきあう。
書けた人から提出して帰る方式なのだが、そのときに、机の上の消しゴムかすを集めてゴミ箱に捨てて、それからイスを入れて、「ありがとうございました」とおれごときに礼を言って教室を出て行く子になんと多いことか。
ぜったい結果がでるんじゃないかな、こういう子は。
こっちがいい人になったみたいな気分になってしまった。
学年だより№17(何のため4)
バブルが終わった後の就職難の時代に、とりあえずフリーターになって生計を立てようとした人たちが多くいた。
その後も続く就職不況の時代、フリーター、派遣社員という道を選ばざるをえなかった人も多い。
自分のやりたい仕事じゃないから、もしくは夢を追うためといった理由で、正規雇用の就職を避けてきた人ももちろんいる。
でも今の日本の経済状況を考えるなら、フリーター・派遣社員の多くは、望まざる結果としてそうなっているはずだ。
そういう人たちが、そのうち正規雇用の社員になる可能性があるならいい。
派遣先の会社でがんばっていたら、求められて正社員になった、という道が普通にひらけているならいい。
しかし、いったんフリーター生活に入ると、なかなかそこからは抜け出せないのが現実だ。
企業からすれば、フリーターの存在は大変貴重であることは言うまでもない。
一番お金がかかるのが人件費だから。
その時々の業務状況に状況に応じて、必要な分、必要な人を雇うことができる。
そういう存在なしには、今の日本の企業はやっていけない。
ちなみに、正社員一人雇うのに、会社は給与の3倍の経費が必要だと言われている。
その社員のための机がいる、保険に入らないといけない、有給休暇を認めないといけない、交通費も住宅手当もいる、社員食堂や社員寮も必要だ … 。
つまり、ある正社員に月20万円を支払うならば、会社はそのために20万円使っているのではなく、60万円かかっているのだ。
だから20万円の給料をもらう人は、60万円分売り上げを上昇させてはじめてチャラになる。
せっかく正社員になったのに、仕事もろくに覚えないうちに転職してしまうのがいかに犯罪的かということでもある(ブラック会社は別ね)。
日本の産業構造は、派遣、フリーターを必要としている。
そういう立場の人が、そのまま経済的、精神的になんの問題もなく一生を終えられるなら、なにも問題もない。
しかし、現実はそうではないし、そういう状態になる可能性はまずないと言っていい。
「階層化」「格差」という言葉の実質の意味は、階層の「固定化」なのだ。
それは個人の努力だけではいかんともしがたい部分が大きい。
そういうことを想像もしないで、「努力の足りない人が下層階級に属することになるのは当然だ」と小論文に書いてしまったのでは、世の中が見えてなさすぎと思われるだろう。
では、「格差」「階層化」の現実を、それなりに努力して理解したとする。
その上でなら、格差肯定論に立ってもいいだろうか。
きちっと論証できるなら、それもありだろう。
実際に「格差肯定論」の立場でものを言う多くの研究者、評論家、そして政治家がいる。
どれも、一定の論拠を持ちうるものであることは認めるが、やはりこれから大学へ進学しようという人は、a側に立ってほしい。