模試に出かける娘を駅まで送ってから登校。
午前中は試験問題をつくり、新河岸に車をおいて東上線で池袋へ。
シアターグリーンで「完璧戦隊ヒレンジャー」というお芝居を観る。
たまたま目についたチラシに「レッドのことが好き!」って書いてあって、幻に終わった去年の二部台本に通じるものがあるのではと思って行ってみたのだ。
どんな劇団さんなのか、終わったあともよくわかんないけど、楽しかった。
終えてGOGOカレーでエネルギーを補給し、学校にもどり学年だよりを書く。
大野勢太郎の番組中のコーナーで読まれるようなのが書けた。
3学年だより№31(ベガルタ仙台)
シーズン当初、浦和レッズがここまでの不振に陥ることを予想した人はいなかったのではないか。
福岡戦の結果に胸をなでおろした新聞のスポーツ欄に、ベガルタ仙台の記事が載っていた。
浦和とは逆の意味で、シーズン当初に仙台の上位進出を予想した人は少なかったと思う。
昨シーズン、今年の浦和と同じように最終節までJ1の残留争いをしていたチームだ。
マルキーニョス選手他かなりの補強をして臨んだ今シーズンの開幕戦、広島とドローに終わり、ホーム開幕戦を翌日に控えた3月11日に震災はおこった。
クラブハウスは半壊する。選手の何人かは避難所暮らしを余儀なくされる。食糧は十分でなく、ホームスタジアムは支援物資の拠点となった。精神的に落ち着いてサッカーに取り組める状態でないことは言うまでもない。
リーグ戦の再開が決まってからは、関東地方での合宿などを行って地元に戻りリーグ戦に臨むこととなった。
ここで手倉森監督は、練習に時間を費やす以上に、あえてチームでボランティア活動に取り組む。 被害が大きかった若林区や石巻市などに出向き、避難所への物資の運搬、壊れた家屋の片づけ、がれきの運びだし、子どもたちを元気づけるためのサッカー交流などを行ったのだ。
~ 周囲が心配し、支援を考えていた震災直後から、手倉森監督は「それでも勝ち点がすべて」と言い切り、プロとして勝敗にこだわっていた。とはいえ最初は、被災でショックを受けた選手たちから、全力を引き出すことさえ難しかった。
「勝つためには今まで以上のパワーが必要」。そのためにしたことは、被災者との触れ合いだった。がれきを片づけたり、子どもたちと球をけったり。「立ち上がろうとする人の姿を見たら、元気をなくしている場合じゃないと思った」と選手たちは口をそろえた。
被災した人たちに元気づけてもらうという発想は、被災地の外では気がつきにくいが、きっと互いが力をつけ合うのだろう。(「朝日新聞」11月27日朝刊) ~
ホーム開幕戦で浦和から初勝利をあげた後、リーグ戦前半を6勝6分けで乗り切り、12試合連続負けなしというJリーグ記録をつくる。
負けなし記録はその後途切れしばらく勝てなくなってしまうものの、夏に名古屋を破ってから再び波に乗り、現時点でリーグ戦5位以上が確定しているという。
仮定の話だし、こんなことを言うと仙台サポーターからはお叱りを受けるかもしれないが、もし震災がなかったら仙台はこんなに上位にいなかったのでないかと思える。
震災後の彼らの行動が、心を強くし、チームを一つにしたと言えるのではないだろうか。
被災地の惨状を目の当たりにし、つらい状況にある被災者とも接し、選手は被災者と悲しみを共有したはずだ。
そして自分たちには何ができるか、何をすべきかを考えたにちがいない。負ける姿を見せたくないと。
選手にそんな思いを抱かせ、力を与えたのが、被災地の人々の頑張りであり笑顔だったのだ。
多くの人々の心が一つになったとき、人はこんなにも力を発揮できるということを教えてくれる。