3学年だより№24(何のため6)
「時に海を見よ」 … 立教新座高校の渡辺憲司校長先生が、震災で卒業式を行いなかった卒業生に送ったメッセージがある。
雑誌に紹介されたり、ネット上で話題になったりし、後に先生のその他のお言葉もあつめた本が出版されたので、知っている人もいるだろう。
渡辺校長は「大学に行く意味」についてこう語り出す。
~ 卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。 ~
何のために大学に行くのか。
「大学でしっかり勉強して、世のため人のためになる人間になってほしい」ということを先日ここには書いた。
渡辺先生は、「大学に行くのは学ぶため」と目的に疑問を呈していらっしゃる。
~ 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。 ~
学ぶのは一生必要で、大学だけでやるべきことではないとおっしゃる。
また「友人を得るために」行くという者に対しては、「大学で得る友人がすぐれたものである保証はない」「社会人になった方が友人は得やすい」と言う。
さらに「楽しむために」行くという者に対しては「ふざけるな」と一喝する。
では、何のため? 大学に行くのは何のためか。
~ 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。 ~