3学年だより№25(何のため6)
時間の束縛から逃れられた自分を想像することは楽しい。
何時までにこれをやらなくてはいけない、何日までにこの仕事を仕上げなければならない、1月15日にはセンター試験がきてしまう … 。
こういうものの一切から自由になれたなら、どんなに楽か。
大学とは、人生の中で唯一、時間の束縛から自分を解放できる期間だと渡辺先生は述べられる。
~ 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
… 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。 ~
時間の束縛から解放されたら、何をすべきなのか。
もちろん、自由だから何をやってもいい、時間を空費していいという意味ではない。
~ 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。 ~
自分の時間を自分のものにするのだ。
つきあいとか、しかたなしとか、やむにやまれずとか、そんな形容句を付してやることを廃して、本当に自分のやりたいことを見つけよという意味だ(と思う)。
自分とは何か、自分とはどういう人間か、その現実から逃げてはいけない。
そうやって自分を直視できる貴重な期間が大学生活だ。
そうして真の自分をつくり、人生の大海に漕ぎ出していってほしい。
「巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ」
震災後まもなく発表されたこのメッセージは、多くの人に感動をもって受け入れられた。
直接受け取った立教新座高校の卒業生のみなさんは、ひとしおだっただろう。
まもなく卒業を迎えるみなさんも、ぜひこのメッセージを自分なりに考えてみてほしい。
さらに、と思う。川越東を卒業するみんなには、さらに別種のことを望みたいとも思う。
それはやはり大学は学ぶためにあると考えるからだ。
「海に行く自由」なんて今もあるけど … と思う人もいるような気がするから。