水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

11月17日

2011年11月17日 | 日々のあれこれ

3学年だより№25(何のため6)

 時間の束縛から逃れられた自分を想像することは楽しい。
 何時までにこれをやらなくてはいけない、何日までにこの仕事を仕上げなければならない、1月15日にはセンター試験がきてしまう … 。
 こういうものの一切から自由になれたなら、どんなに楽か。
 大学とは、人生の中で唯一、時間の束縛から自分を解放できる期間だと渡辺先生は述べられる。


 ~ 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
  … 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。 ~


 時間の束縛から解放されたら、何をすべきなのか。
  もちろん、自由だから何をやってもいい、時間を空費していいという意味ではない。


 ~ 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。 ~


 自分の時間を自分のものにするのだ。
 つきあいとか、しかたなしとか、やむにやまれずとか、そんな形容句を付してやることを廃して、本当に自分のやりたいことを見つけよという意味だ(と思う)。
 自分とは何か、自分とはどういう人間か、その現実から逃げてはいけない。
 そうやって自分を直視できる貴重な期間が大学生活だ。
 そうして真の自分をつくり、人生の大海に漕ぎ出していってほしい。
「巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ」
 震災後まもなく発表されたこのメッセージは、多くの人に感動をもって受け入れられた。
 直接受け取った立教新座高校の卒業生のみなさんは、ひとしおだっただろう。
 まもなく卒業を迎えるみなさんも、ぜひこのメッセージを自分なりに考えてみてほしい。
 さらに、と思う。川越東を卒業するみんなには、さらに別種のことを望みたいとも思う。
 それはやはり大学は学ぶためにあると考えるからだ。
 「海に行く自由」なんて今もあるけど … と思う人もいるような気がするから。

コメント
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