1年生の授業が始まった。
現代文、漢文ともに、同じネタを使った。
現代文とは何を学ぶのかという説明をし、こんな問題を出す。
現代文の時間。
「評論」という言葉と、同じ構成でできている熟語は、次のうちどれでしょう。
a日没 b流氷 c読書 d平均 e善悪
aだと思う人? b? c? d? e?
漢字は、その訓読みがわかると、意味がわかります。訓読みとは日本語としての意味のことなのです。
「評」の訓読みは? 「論」は?
知らないよね。実は両方とも「あげつらう」と読めるのです。
では、答えは何でしょうか。そうですね、d「平均」と同じで、意味の似た漢字を重ねた熟語です。
「あげつらう」とは問題点を指摘することです。
つまり評論とは、現代の日本の問題点を指摘し、批判する文章のことなのです。
漢文の時間。
最初の単元名は「訓読に親しむ」とありますね。
「訓読」てどういう意味でしょう。
そこで問題です。「訓読」という言葉と、同じ構成でできている熟語は、次のうちどれでしょう。
a日没 b流氷 c読書 d平均 e善悪
aだと思う人? b? c? d? e?
aと同じだとすると、「日が没する」という主語述語の関係だから、「訓が読む」っていうことになるけど、変だよね。
cは「書物を読む」という目的語と動詞の関係だけど、「読」を「訓」するっておかしいよね。
この中ではbが近いのです。
修飾語、被修飾語の関係ですね。
ただし「流れる氷」という連体修飾関係ではなく「訓で読む」というように連用修飾の関係です。
lineで「既読」ていうでしょ。「既に読んだ」と同じですね。
では「訓で読む」の「訓」とは何ですか。
「山」を「サン」と読むのは、中国での発音をそのまままねした読み方で音読み。
「山(サン)」て「やま」のことだから「やま」って読んでもよくない? と昔の人が勝手につくった読みが訓読みです。つまり訓=日本語としての意味なのです。
「訓読」というのは、もともと中国語だった文を、日本語として読んでしまうことなのです。