学年だより「幕が上がる(1)~(3)」
GW中に「何か本を読んでみよう」と考えている人に、是非お薦めしたい一冊を紹介する。
平田オリザ作『幕が上がる』(講談社文庫)、高校の演劇部を舞台にした小説だ。
主人公は、北関東のとある高校に通う高橋さおり。
高校2年の秋大会が終わり、3年生たちが引退したあと、演劇部の部長を務めることになった。
他の4人の部員と話し合って「地区大会突破、県大会出場」を目標に掲げ、新体制での活動をはじめる。とは言え、顧問は演劇については専門外の先生で、自分たちでなんとかしていかねばならない。
新体制になってからの寒い季節、みんなで基礎練習などにとりくんでみたものの、運動部のように練習試合があるわけではなく、実力がついているのかどうかの実感がわかない。
日が経つにつれて、部員のモチベーションも目標を決めた時ほどのものではなくなってくる。
新年度を迎える。
さしあたり新入部員を確保しなければ … 、5人のままでは出来ることがあまりに限られていた。
同時に、三年生になった3人は、自分たちの進路についても考えなければならない状況になっていた … 。勉強と部活の両立を考える高校生にとっては切実な話だ。
そんな彼女たち(男子部員は2年の1名だけ)に転機がおとずれた。
新任の美術の先生は大学で演劇をやっていたという話を耳にしたのだった。
「副顧問になってほしい」と頼みに行ったさおり達を、吉岡先生はコーヒーをいれて迎えてくれた。新入生オリエンテーションでの、演劇部のパフォーマンスを、吉岡先生も興味をもって見てくれていたようだった。
毎日じゃなくてもいいから練習を見てほしいと言うさおり達にこう答える。
~ 「美術部のこともあるし、新人だから、いろいろ研修とかもあるのね。 … まず、私も高校演劇のこと、少し勉強してみるよ」
「ありがとうございます」
「大会があるんでしょう?」
「秋です。秋までに、頑張りたいんです。地区大会で三番以内になって、県大会が目標です」
「何だ、小っちゃいな、目標」
「え?」
「行こうよ、全国大会」 ~
美術部も任され、初任者研修もある吉岡先生が演劇部に来られるのは、週に一回ぐらいだった。
それでも、来てくれた時の部員の上達ぶりは目を見張るものがある。
身体の動かし方、変な顔のアドバイスなど、芝居の本筋とは関係なさそうな一言を口にし、しかし言われた子はそのあと上手くなる。
「上手くなったって言うか、自由になっ」ていくのだった。
新入部員も含め12人になった演劇部の面々はめきめき成長していく。
6月の学校公演を成功させたあと、吉岡先生は部員達を集め、改まった表情で「いまのみんなの実力だったら、県大会どころか、関東大会を狙える」と話しはじめる。
~ 「 … 私は、みんなもちょっとは知ってると思うけど、大学でずっと芝居やってて、けっこうのめり込んで、いま思うと、よく単位も教職も取れたと思うけど、五年かかって卒業して、 … 後悔はしてないけど、でも怖い世界だっていうのは、よく知ってるつもりです。
楽しいうちはいいけど、やっぱり大変だし、いややっぱり楽しいんだけど、楽しすぎて人生変えちゃうかもしれないし、そんなの責任持てないしね。
だからブロック大会まで行くっていうのは、私のエゴみたいなもんで、でも、こんな素材を前にして、私が少しだけ手伝わせてもらったら、って言うか、これからは少しだけじゃなくて、手伝いでもなくて、本気で指導させてほしいんだけど。いままでは、片手間でやっていてごめんなさい。本気でやらせてください、演劇部。本気でやって、ブロック大会まで行こう」 ~
夏休み。初めての校外合宿は、東京に出て代々木の青少年センターに行くことになった。
昼間はその施設のスタジオで大会のための「銀河鉄道の夜」を練習する。
夜は下北沢や池袋へ芝居を見にでかける。
ぎゅうぎゅう詰めの小屋で汗をかきながら芝居を観た帰り路、駅を降りると「ちょっとだけ回り道するね」と彼女たちを歩道橋に連れて行く。
「ほら」と指さされて見上げた部員たちの目に飛び込んできたのは、せまるようにそびえ立つ新宿副都心の高層ビル群だった。大都会だ。
「きれいですね … 」と涙ぐむ一年生を、さおりは笑いながらも、気持ちはわかる気がした。
部員たちが一瞬暑さを忘れ、肩を寄せ合ってビルを見上げる。
「東京で銀河は見えないから、そのかわりだよ」と空に手をひろげた吉岡先生は美しかった。
役者ではなく作・演出を担当することになったさおりは、合宿までに台本を完成させていた。
自分の書いたセリフが声になっていくのを聞きながら、ああずっと演劇をやっていたいなと思う。
なかなか寝付かれず、夜も小さな灯りのついている談話コーナーにふらっと行ってみると、ユッコがソファに寝転んで台本を読んでいるのに気づき、驚いた。ユッコもさおりに気づく。
~ 私はユッコの横に座った。ユッコはそのままの変な姿勢で、
「ありがとう」
と言った。
「え、なにが?」
「言いたい台詞ばっかりだよ」 ~
「高校時代という貴重な時間を大切にしてほしい」的な話を、入学式なんかで聞いたりするものだが、それを語る大人ほどには、みなさんは本気で感じてないと思う。
でも、部活の試合で負けたあとの帰り道や、友達と馬鹿話してるだけの放課後の教室や、あまり接点のなかったクラスメイトと急に意気投合したときや、帰りに食べたラーメンがなぜかいつもよりおいしかった時や、文化祭のあと突然風が冷たく感じた瞬間やら、なんでもない具体的なその瞬間が、かけがえのないものに思えた時はないだろうか。
ちなみに「かけがえのない」は「掛け替えのない」と書く。そこに掛けてあるものを失ったなら、他に掛けるものが見つからない、つまりかわりになるものが存在しないほど大切だという意味だ。
別に高校時代だけが大事ってわけじゃないでしょ、とみなさんは思うかもしれない。
しかし、何十年も生きたわれわれから見ると、わずか十数年しか生きていない今のみんなにとっての一年、一ヶ月、一週間、一日は、やはりまぶしいほど大切に見える。
そのかけがえのなさは、当事者には自覚しにくいのも事実だ。
しかし、何かやりたいことを見つけたとき、やるべきことをやろうとしたとき、仮にそんなにやりたくないことであったとしても、何かにのめり込み打ち込んだ時には、費やした時間への愛おしさを感じることができるものだ。
みなさんにもそんな時を過ごしてほしいと思う。
最初からムダなものはない。最初から効率の良さを求めるべきではない。
~ 私は、何ものにもなれない自分に苛立っていた。
本当は何かを表現したいのに、その表現の方法が見つからない自分を持て余していた。
もう少し勉強すれば、地域で一番の進学校にも行けたのに、通学の長さを理由に、行きやすいいまの学校を選んだ自分が嫌いだった。
演劇は、そんな私が、やっと見つけた宝物だった。 ~
なんとか地区大会を勝ち抜き、県大会に臨むにあたり、さおりは台本を書き換えた。
映画やドラマで描かれる「高校生らしい高校生」なんて、現実にはいないと思った。
いっしょに芝居に取り組んできた目の前の仲間達こそが現実の姿だとの思いをこめた。
~ 私たちは、舞台の上でなら、どこまでも行ける。どこまででも行ける切符をもっている。私たちの頭の中は、銀河と同じ大きさだ。 … どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。その不安だけが現実だ。誰か、他人が作ったちっぽけな「現実」なんて、私たちの現実じゃない。 (平田オリザ『幕が上がる』講談社) ~
書き換えた台詞、そこに込めた思いは客席に十分伝わっていると思えた。
県大会の舞台が終わる。幕が降りた瞬間、今まで聞いたことのないような拍手が聞こえてくる。
反対側の部隊袖でガッツポーズをする役者が見える。ユッコと中西さんが抱き合うのが見える。
後輩の男子部員が、自分のとなりで泣いている。
かけがえのない時間だった。