水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ごはんとライス

2015年04月28日 | 国語のお勉強(評論)

 

 「水の東西」に続き、樺島忠夫先生の「語と意味」という教材に入った。
 てっきり「ものとことば」をやるつもりで予習してなく、教科書を開いたら教材文が変わってて少しあせった。
 ただ、どちらも主旨は同じで、「ものがあって名前をつけたのが言葉」ではなく、「言葉があるからものがある」という言語論の基本を読み取る文章だ。
 日本語で、米、めし、ごはん、ライス、稲、と区別しているものは、英語だと全部「ライス」になってしまう、それは英語を使う人が区別してみてないからだ、という分かりやすい具体例が述べられている。
 われわれは「めし」と「ライス」という言葉をもっているからこそ、その区別ができるのだ。
 洋食屋さんでお皿に盛られているごはんはを「めし」とは言わない。
 まてよ。山田うどんの御飯は丼に盛られているが、メニューには小ライス120円、中ライス160円て書いてあるような気がする。
 ラーメン屋さんでついてくる御飯茶碗に入ったのも、小ライスとか半ライスって書いてあるな。「小めし」と書いてあるお店もあるが。
 「洋食で出される、皿に盛っためし」という樺島先生のライスの定義は、ずれているのかもしれない。
 じゃ、なんだろ。
 メイン感の差じゃないかな。
 たとえば定食屋さんでは、空腹を満たすための第一の存在がごはん。御飯をたいらげる「ため」におかずがある。 ラーメン屋さんでは、あくまでもメインは本体のラーメンだ。「ごはん」とか「めし」と表現した場合、日本人の意識として存在感が大きくなりすぎる。
 なので、さらっと、「ついでにライスも」とか「ライスおまけね」と表現する。
 洋食屋さんは、もともとステーキとかハンバーグとか、それを食べること自体が第一目標となっている。
 メインは肉、付け合わせ的にパンorライス。
 洋食屋さんであっても、orパンが存在しないお店なら、皿に盛ってあっても「ごはん」が可ではないだろうか。
 うん、そうにちがいない。
 今思いついて書いたけど、ちゃんと書けば大学のレポート一本分の値打ちはあるネタではないだろうか。
 どなたか、試しに深めてみてほしい。

コメント (1)
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