主婦で漫画家のまんしゅうきつこさんが、自己のアル中体験を赤裸々に綴ったエッセイマンガ。
~ 私は普段、決しておしゃべりなほうではないと思います。例えば居酒屋で4~5人で会話しているとするじゃないですか。酔っていない私は、その間ほぼ無言で、人の話をただヘラヘラ聞いているだけなんです。そうすると家に帰ってから「あ~あ … 。気の利いたこと一つも言えなかったなぁ」ってひどく落ち込むんです。でも、お酒を飲むととっても饒舌です。 (まんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』扶桑社)~
わかるなぁ、これ。
でも、力を借りて饒舌になったまんしゅうさんは、本当のまんしゅうさんではないのだろうか。
いあ、それもまんしゅうさんだ。
お客様の前でクマムシを歌い踊るオレは本当の自分だろうか。それとも一人さびしく海を見つめる孤独なオレが本当の姿だろうか。多くの人は前者を本当の姿を言うかもしれないが、オレのなかでは人見知りで、他人に話しかけるのが苦手で、つい一人で行動してしまう自分の方が本物の気がしている。
それでも、自分という存在を知らしめるために、つい目立つ自分を演じてしまう。
自分の存在を自分だけで確信するのは難しい。
他人に笑ってもらい、よろこんでもらい、ほめてもらい、メールをもらい、役に立つといってもらい、ありがとうと言ってもらい、何らかのつながりを自覚してはじめて自分の存在が確信できる。
誰からもメールがこなかったり、ラインが既読にならないと不安なのは、伝えたい内容や知りたい内容が伝達されないことではなく、存在を意識されていないことが不安になるのだ。
だとしたら、まんしゅうさんがお酒におぼれることと、たとえばブログを更新して誰かコメント書いてくれないかと気にすること、精神の方向性としては同じではないだろうか。
部活や勉強でがんばることも、仕事や趣味に打ち込むことも、他人に認められたいという気持ちがゼロの人はいないはずだから、自己の存在証明としてがんばったり打ち込んだりしてるのだ。
~ キャバクラで女のコたちは、お客の「指名〈料〉」ほしさに、仕事中以外も「営業メール」でお店に誘ったり、「同伴出勤」したり、決してラクな仕事ではないと思います。でも人はキャバクラに限らず、恋愛・結婚にしても、仕事にしても、「指名」を欲して生きているのではないでしょうか? お金以上に、私は「人生の指名」がほしい。 (まんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』扶桑社) ~
「おれを見ろ!」「あたしを見て!」という人たちで、町はあふれている。
地味な格好で目立たないようにしている人も、そういう自分として扱ってほしいという気持ちをアピールしまくっている。
みんな、おそろしいほどの自分依存なんじゃないの。
現代人て、みんな自分依存症なんじゃないの。
スマホ依存、恋愛依存、子供依存、部活依存、仕事依存、趣味依存、努力依存、宗教依存 … 。
どれも、自分依存の一形態だ。
気づいてないけど。
おれは気づいてる分だけ、症状は軽いな。
「超おもしろい! 超笑えない!」という的確な推薦文が帯に書いてあった。
アル中のまんしゅうさんが晒した失態が笑えないのではなく、そこまで自分に依存し、イタいほど自己の存在をアピールしてしまう姿に、みんな自分を重ねてしまい笑えないのだ。
いつか間違いなく現代文や小論文のネタで使える作品だ。