先月11日、大震災の追悼式典で読まれた菅原彩加さんの言葉には心うたれた。
宮城県石巻市で被災した菅原さんは、津波にのみ込まれ流された後、運良く瓦礫の山の上にたどり着いた。
すると、足下から自分の名前をよぶ声がする。かき分けて見ると、お母さんの姿があった。木や釘がささり、足も折れている。瓦礫を取り除こうとしたが、一人の力ではどうすることもできなかった。
このままでは、二人とも死んでしまう――。
そう思った菅原さんは「ありがとう、大好きだよ」と伝えると、近くにあった小学校へと一人で泳いで渡り、命をとどめることができた。
~ あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。
… 被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。 ~
「行かないで」と言った母親も、彩加さんの判断を正しいと思い、きっと見守っていることだろう。
悲しみを乗り越えて一生懸命に生きたいと言いながら、4年経ってまだ夢のようだと述べる彩加さんの気持ちもまた真実だ。
死は例外なく誰にもおとずれるものだが、その訪れ方があまりに理不尽なものであったとき、私達はどう悲しんでいいかさえわからなくなる。
自分が生きていることが罪深いものであるかのようにさえ感じてしまう。
彩加さんの胸にも、そんな思いが去来した日はあったのではないか。
震災の直前に喧嘩別れして、それきり会えなくなった例もあるだろう。
生き残った方の後悔の念は想像に難くない。なぜ最後にあんな言葉をかけてしまっのかとか、別れる瞬間だけでもいいからやり直したいとか。
なぜ死ぬのが自分ではなかったのか、なぜ純粋に悲しませてくれないのかと、神様を怨んだ人もいるのではないか。
西川美和『永い言い訳』は、タイトル通り「永い言い訳」だった。
むさぼるように一読して、なぜ「永い言い訳」なのかわからず、もう一度読み直してみてやっと、主人公が亡くなった妻を思って泣くために、これだけの「言い訳」が必要だったのだと理解できた。
主人公の衣笠幸夫は、売れっ子の小説家だ。
友人とスキーに出かけた妻の夏子が、交通事故で亡くなったという連絡を受ける。
現地に出かけた衣笠は、涙をみせることもなく、淡々と事後処理をする。
もう一人の被害者の家族とは違って、感情を露わにしない幸夫の態度を、あまりにも悲しみが深いせいだと周囲は理解した。
しかし、衣笠自身、ほんとうに悲しみの感情がわいてこなかったのだ。
夫婦関係は冷え切っていた。事故の連絡を受けた時には若い愛人を自宅に連れ込んでいた。
自分の妻の死を悲しむ資格があるのかという思いが、感情の発露にふたをしていた。
もちろん、最初から冷え込んでいたわけではない。
美容師の夏子、はじめて頭を洗ってもらった時の指の感触は今でも覚えているほどだ。
大学を出て出版社に勤めたものの、小説家になると言って会社をやめてしまった幸夫を支えたのは、夏子だった。
そんな二人の関係性の変化を表現した部分は、凝縮された濃密な文体で表現されていて見事だ。
スキーに出かける直前の、夏子の述懐。
~ 出版社を辞めた後しばらくは、書いても書いても、何の賞にも引っかからず、か細いコネをたぐって、先につながる見込みもなさそうなタウン誌や、旅行雑誌でコラムを書かせてもらうのがせいぜいだった。ごくたまに、気にかけてくれる編集者が出て来たと思ったら、とたんに営業職に異動になったり、出版社が倒産したり、ものの巡りの悪いのは私の厄年のせいじゃないかと、近所の神社にふたりでお祓いに出掛けたこともあった。あの頃未来は不安の霧にかすんでいたけれど、毎日は、かけがえがなく、輝いていた。幸夫くんは完全に私の手中にあって、私のことを頼り切り、首輪もつけていないのに、側について離れない、可愛い小さな犬のようだった。私は私の生きている意味を、ふるえるほどに感じていた。
いつからか作品が少しずつ人々の目に留まり始めて、私でも名前を知っているようなひとが褒めてくれたりもして、そこからはもう、早かった。幸夫くんの世界は、ぱあっと広がって、収入も、付き合うひとの数も、あっという間に私のを超えた。幸夫くんは、寄せては来る波に怖じ気づくことなく、がむしゃらに迎え撃った。思ったより意気地があり、思ったより器用で、思ったより、波に乗るのがうまかった。私が家計を支える必要はなくなり、四年前にはついに自分の店も開いたし、将来をキリキリと案じることもなくなった。見回せば幸夫くんの周りは、彼の能力を信じるひとや、それに賭けてみようというひとや、手取り足取り世話を焼くひとやらで、人垣が出来ていた。安堵という感情と引き換えに、私は私の生きている意味を、すっかり見失った。 (西川美和『永い言い訳』文藝春秋社) ~
十数行で、数年分の人生と二人の関係性を一気に表現するばかりか、男と女の真実にまでせまっていくようで、高村薫の文章を想起させる。
「そこからはもう、早かった」「思ったより、波に乗るのがうまかった」の読点の付け方も絶妙だ。