水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

スマホやめますか

2015年04月07日 | 日々のあれこれ

 

 ~ 「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」。信州大の入学式が4日、松本市総合体育館であり、山沢清人学長は、8学部の新入生約2千人に、こう迫った。
  … 山沢学長は、昨今の若者世代がスマートフォン偏重や依存症になっている風潮を憂慮。「スイッチを切って本を読み、友だちと話し、自分で考える習慣をつけ、物事を根本から考えて全力で行動することが独創性豊かな学生を育てる」と語りかけた。 (朝日新聞4月5日) ~


 先日、信州大学の入学式で学長が述べられた言葉で、話題になっていた。
 「スッキリ」という情報番組で、渋谷にいる若者にアンケートをとってみた。
 「スマホやめますか、大学生やめますか?」
 結果は、「大学やめる」10人、「スマホやめる」20人だったという。
 なんて従順な若者たちだろう。
 三分の二がスマホをやめてしまうなんて。
 自分がいま学生だったら、たぶんどっちもやめないって言うだろうな。
 もしくはそんなことを選択させようとする大学に失望するか。

 「いまの若者たちは、スマホ依存症である」という見方は、否定はできない。
 かりにそうだとしても、アルコール依存やパチンコ依存よりはいいではないか。純粋にも何にも依存しないで生きてる人っているのかしら。
 それに、スマホ依存の若者がスマホを取り上げられたといって、かわりに本を読むかといったら疑わしい。

 
 ~ 都内の4年生男子(23)「スマホを選びますね。勉強は自分でやればいい」 ~


 という言葉も、けっこう本質をついていて、勉強は基本自分でできる。
 スマホがあるからできない人は、スマホがなくてもできない。
 やる人はやる。
 スマホ程度に存在を脅かさせる学問しかできない大学なら、「大学をやめる」という選択肢はけっしてとっぴなものではないと思う。


 ~  司会の小倉智昭「怜ちゃん、こう言われたらどうします?」
     キャスターの菊川怜「ちょっと悩んじゃいますよね」
     小倉「エッ、悩んじゃうの!」 ~


 さすが東大卒の菊川さん。
 時代が変わった、世の中が変わった、グローバル化した言いながら、従来のシステムの中でしか生きていない大学の先生に、スマホ捨てろって言われても、はいそうですかとは言えないだろう。
 ヤなガキだった自分なら、「わかりました、ぼくたちはスマホ捨てます。先生は何を捨てますか?」ぐらい、入学式で言ってしまいそうだな。あ、入学式行ってないのか。

コメント (3)
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確信犯

2015年04月07日 | 日々のあれこれ

 

 ~ 「確信犯」の意味、知ってますか?  中学生 小黒聖華(東京都14)
 テレビを見ていて、日本語の乱れに気がつく。その原因は二つあると思う。一つは美しい言葉を使用していないことだ。何げなく使っている「やばい」は美しくない言葉だ。「やばい」は元々、泥棒たちが都合が悪くなったときに使っていた隠語だそうだ。言葉がもつ本来の意味を知る必要がある。
 もう一つは、言葉を正しく使っていない人が多いと思われることだ。例えば、「確信犯」の意味。「悪いこととわかっていながらなされる犯罪」と思っている人が、少なくないのではないか。しかし本来は「宗教的、政治的確信に基づいて行われる犯罪」なのだ。
 日本語の乱れは食い止めなければならないし、正しく使っていきたい。そのためにも、私は本を読んで言葉を知り、辞書を引いて理解を深め、言葉の引き出しを増やしていきたい。(朝日新聞4月7日「声」欄) ~


 この用法(確信犯=悪いこととわかっていながらなされる犯罪)も、認めていいんじゃないかな。
 本来の意味とずれてしまっても、それを多くの人が使用し、支障なくコミュニケーションが成立する状態になったら、もう「誤用」とは言えなくなる。
 言葉はそうやって変化してきたし、本来の意味以外使用禁止になったら、けっこう使えない言葉が出てくるよ。
 言葉の意味は変化するもので、絶対的な正しさは存在しないのだ。
 投稿された方は中学生だから、「用法の変化=乱れ」とする自分の考えは、一面的で、硬直した考え方だったと気づく日がくるかもしれない。
 ただ、こうやって問題意識を文章にして投書しようとする積極性はすばらしいことだ。
 文章自体については、もう少し勉強した方がいいかな。
 たとえば、


 ~ テレビを見ていて、日本語の乱れに気がつく。その原因は二つあると思う。一つは美しい言葉を使用していないことだ。 ~


 という冒頭が理解しづらい。
 「その原因は二つあると思う」の後にくる文は、「一つは、私自身の言葉に対する感覚がすぐれていることだ」「一つは、普通の人よりも言葉に気をつけて注意深くテレビを視聴しているからだ」となるはずだ。
 「その原因」の「その」という指示語の使い方に問題がある。
 コツを彼女に教えるとするなら、指示語は使わないこと。
 指示語、接続語を、極力使わないようにすると、逆にわかりやすくなる。
 ただし、一文一文を短く短く書くことも合わせて必要になる。


 ~ 日本語の乱れは食い止めなければならないし、正しく使っていきたい。 ~


 は、よくない。重大な内容が二つも、一文の中に入っている。
 次元の異なる別種の内容を、つなげないようにしよう。
 本を読んで、勉強して、たくさんの知識を身につけてほしい。
 高校に入ってからでいいので、「書いてあることは本当に正しいのか?」という感覚をもてるようになってほしい。

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全然

2015年04月07日 | 日々のあれこれ

 

 ~ 「全然OK」の表現はOKなの?  会社員 石黒光明(新潟県49)
 このごろ気になる言葉がある。「全然」である。この全然という言葉の使い方が、多様化しているのだ。
 本来なら、全然のあとには否定する言葉が続くはずだ。「全然おもしろくない」「全然おいしくない」などだ。
 ところが、「全然、大丈夫」「全然、平気」などと、肯定する使い方をしている人がいる。「あの映画、全然おもしろかった」「この料理、全然おいしい」などと、何のためらいもない。極めつきは「全然OK」だろう。
 言葉は、時代によって変化するものだということは分かる。しかし、「全然、良い」などと言われると、条件反射のように「おやっ、変だな」と思ってしまう。私の感覚は、現代では通用しないのだろうか。「言葉遣いの乱れは文化の乱れ」などと言ったところで、意味はないのだろうか。(朝日新聞4月7日「声」欄) ~


 今朝の投稿だが、新聞社さんの釣り? と思った。
 いまさらというか、今時というか、しかも自分より年下の方で、「全然大丈夫」に違和感を抱く人がこの世にいるなんて。
 否定を伴わないい「全然」なんて、全然普通使われている。
 さらに玄人筋として言わせてもらうなら、夏目漱石も芥川龍之介も普通に肯定文で使ってる。
 

 ~ これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。(芥川龍之介「羅生門」) ~


 もともと「全」とは「かけたところのない玉」「完全なもの」という意味の文字だ。
 「然」は「~という状態」を表す語で、「全然」ならば「全て、全部、みんな、という状態」を表す。
 むしろ、否定を伴わない言い方の方が正しい用法と言えるくらいだ。
 誰かが昔言ったんだろうね。「犯人」は調べれば判明するような気もするが。
 で、辞書とかに「通常否定を伴って用いる」と表記されて一人歩きしてしまったのだろう。
 投稿された方に悪気はないと思う。
 「本来こうあるべきだ」という固定観念があり、それを疑うこともなく、一般人に教えてあげたいというニュアンスで、新聞に投稿する。
 でも、根拠のない規範に基づいて他人を批判しようとする感覚と同じだ。
 「世間の一般論、常識、通念に疑いをもつことが現代文の勉強の目的だ」
 と昨日、最初の授業で話した。
 自分の頭でものを考えられる若者になってもらうために、この仕事を徹底しないといけないなと感じた。

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