(今更だけどまだまだ続いていた押入物語もいよいよ完結編)
トロフィーの後に出て来たのは紙相撲だった。それもすべて私の手作りである。
小学生の頃、私は相撲に夢中だった。父にお願いして当時まだ蔵前にあった国技館へ連れて行ってもらったものだ。
(トイレに行こうと花道を通ると出番を待つ当時の大横綱北の湖と鉢合わせになった)
そのうち相撲熱はやがて紙相撲へと注がれ、100体近い力士や土俵、番付表、勝星表をすべて作って、ひとりでトントンやっていた。また長年戦っていると紙が破けたり(骨折)、紙が弱くなったり(捻挫)するので「休場」にして、テープで「手術」するのだが、不思議なもので年月を経ると途端に弱くなり、涙ながらの引退となる。
横綱昇進基準も本物に準じていたり、途中から登場した外国人力士は今までの力士より大きくしたり、色を塗ったりと結構リアルに作り、夢中でトントンしていた。
ちなみに今でも顔を見ると四股名が分かるほどである。でもこの日でお別れをした今まで楽しい時間をどうも有り難う
そして今回の押入整理はここまでとしよう!さて次回はいつ?気が向いたら・・・
有限会社やな瀬不動産
トロフィーの後に出て来たのは紙相撲だった。それもすべて私の手作りである。
小学生の頃、私は相撲に夢中だった。父にお願いして当時まだ蔵前にあった国技館へ連れて行ってもらったものだ。
(トイレに行こうと花道を通ると出番を待つ当時の大横綱北の湖と鉢合わせになった)
そのうち相撲熱はやがて紙相撲へと注がれ、100体近い力士や土俵、番付表、勝星表をすべて作って、ひとりでトントンやっていた。また長年戦っていると紙が破けたり(骨折)、紙が弱くなったり(捻挫)するので「休場」にして、テープで「手術」するのだが、不思議なもので年月を経ると途端に弱くなり、涙ながらの引退となる。
横綱昇進基準も本物に準じていたり、途中から登場した外国人力士は今までの力士より大きくしたり、色を塗ったりと結構リアルに作り、夢中でトントンしていた。
ちなみに今でも顔を見ると四股名が分かるほどである。でもこの日でお別れをした今まで楽しい時間をどうも有り難う
そして今回の押入整理はここまでとしよう!さて次回はいつ?気が向いたら・・・
有限会社やな瀬不動産