「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

『コスモス一輪」

2016年11月10日 | 思い出話

           

2008年11月10日。人生の中で忘れることのできない日の1日である。
時折一気に寒さが押し寄せたり、またポカポカ陽気が戻ったり。行きつ戻りつしながら、秋から冬へ移り行く季節。
徐々に色濃さを増す紅葉も、黄金色を誇るツワブキの花も、人目を引くには十分な値打ちを持っている。

今を盛りと咲き誇るコスモスも色とりどりで見事である。但しそれは、大きな集団となり寄り添って咲くところにその魅力がある。
そこへいくと、群生から離れてヒョロヒョロっと伸びた一輪のコスモスには、なんかしらものの哀れを感じさせるひ弱さがある。
8年前の11月10日、101歳7か月を一期に永遠の眠りについた母の姿がそこに重なるからであろうか。

「大至急お越しください」という電話で、何はともあれ一目散に駆けつけた母が入院中の介護施設。
静かに横たわる母の額に手を当てると、まだ温もりがあった。それでも「大変お気の毒ですが……」
看護士の言葉を受け入れるしかなかった。そのとき部屋の外に、頼りなさそうに揺れる一輪のコスモスが見えた。
夕闇迫るガラス越しの向こうで、右に左に頼りなく揺れるコスモスは、駆けつける私を待ち望んでいた母の気持ちを見る思いがした。

100歳を過ぎて黄泉路を渡る人に贈られる「天寿を全うした」という言葉にふさわしい大往生である。と思いたいのだが。
あのヒョロヒョロっとした一輪のコスモスが、今も目の奥に焼き付いていて、この季節を迎えると、もっと何かをしてあげられたのではなかろうか……という悔悟の念が湧いてくる。
8回目を迎えた母の祥月命日。姉や妹が訪れた。賑やかな昼食は進むものの、母の回顧話は意外に少ないのに驚いた。

それもそのはず、母が亡くなった後に生まれた二人目の孫が、倅の長女希さん。七五三の宮参りで里帰りしていた。
女の子で、おしゃまでおしゃべり。華やかに着飾った彼女の存在が、祥月命日の食事を一気に明るくしてくれた。
母から生まれた子どもが6人。孫が12人、曾孫が14人。母一人の存在がこれほどの人口増に貢献しているということ。

今一度仏壇に向かって感謝の言葉を述べよう。「あんたはやはりすごかった」と。

 

コメント (4)
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