琵琶の実が熟れ始めると、新たな晴耕雨読が待っている。
葉っぱの色と自らの羽の色が同じようなメジロが集団で飛んできて、大きな琵琶の木に群がって、琵琶の花の蜜を吸っていた。
あれはいつごろだったのだろう。家族なのか友人同士なのか、それはそれは一個団体というほどの大きな集団がやって来て、見事に付いていた花を全部ダメにするんじゃないかと心配するほど、花を荒らし回っていた。
なんのなんの、琵琶の木もそれほど軟ではなかった。花の蜜はしっかりメジロに提供しても、その分受粉がうまくいったのか、琵琶の実は大豊作である。
袋掛けという実を護る作業など何もしなくても、鈴なりの実は日に日に黄色味を増して膨らんでいる。隣近所が寄っても食べきれない量である。
その分今度はメジロに代わって、ヒヨやスズメがいい塩梅に入れ替わりながら食い荒らしていく。
この琵琶の実が黄色に色付くと、年中行事の作業が待っている。それが梅ちぎりである。
過去の梅ちぎり作業で、痛い目・痒い目にあって何度皮膚科にお世話になったことか。面の皮と同じように、薄くて繊細な肌を、毛虫や毒蛾の幼虫が容赦なく襲う。オー痒い。
それでも、我が国の食糧自給率が40%に満たない貧困を嘆きつつ、また我が家の保存食品の原料とするべく青い梅をちぎるのである。もう一つ言うなら、カミサンの里にある山や畑の中で、私如き素人でもなんとか手が出せるのが、唯一この小さな梅林を守ることなのである。長年にわたって付き合って来た郷愁や愛おしさがある。ということかな。琵琶の実りすなわち梅ちぎりへと続くこの季節である。