
市街中心部から少し離れた我が家の近くには、古きよき田園風景がふんだんに残っている。
田んぼに水をあてる用水路もある、途中まで海水が上がってくる小川もある。もちろん黄金色に実った水田もあれば、レンコン田もある。小山もあれば竹藪もある。
夏場、日の暮れ前の竹藪には100羽近いシラサギが、自分の巣にもどってくる。それはそれは賑やかな光景である。いずれも、海や田んぼで狩りをして夜を明かすに十分な獲物でお腹を満たしているのだろう、完全に日が暮れるまで大変な喧噪である。
竹藪に近い民家の人は、シラサギの営巣を嫌って、多くが寄りつく前に追い払うところも少なくない。幸いというか、この竹藪は周りを田んぼが囲んでいるので、鳥たちも比較的落ち着いて住まわせてもらっているようだ。
もともとシラサギ(白鷺)という鳥がいるわけではないことはご承知の通りで、ダイサギ・チャウダイサギ・チョウサギ・コサギなど、サギ科の鳥の総称でいずれも羽毛が純白なサギのことである。この中で、コサギだけが我が国全土で見られる留鳥で、他は日本で繁殖し秋に中国南部で越冬する渡り鳥である。
季節を先取りすると言う意味では、感度の鋭さは人間の比ではない。あれほど賑やかだった竹藪が、9月の声を聞いて間もなくすると、たったの数羽しか姿を見せてくれない。大半が越冬地へ渡ったのに違いない。やはり、動物や植物は確実に季節の移ろいを捉えて人間に教えてくれているようだ。
賑わった後の閑散とした竹藪が、確実に深まり行く秋をものの見事に教えてくれる。自然の営みってほんとうに素晴らしい。この自然を大切に残したい。
( 写真:閑散としたシラサギのねぐら )
田んぼに水をあてる用水路もある、途中まで海水が上がってくる小川もある。もちろん黄金色に実った水田もあれば、レンコン田もある。小山もあれば竹藪もある。
夏場、日の暮れ前の竹藪には100羽近いシラサギが、自分の巣にもどってくる。それはそれは賑やかな光景である。いずれも、海や田んぼで狩りをして夜を明かすに十分な獲物でお腹を満たしているのだろう、完全に日が暮れるまで大変な喧噪である。
竹藪に近い民家の人は、シラサギの営巣を嫌って、多くが寄りつく前に追い払うところも少なくない。幸いというか、この竹藪は周りを田んぼが囲んでいるので、鳥たちも比較的落ち着いて住まわせてもらっているようだ。
もともとシラサギ(白鷺)という鳥がいるわけではないことはご承知の通りで、ダイサギ・チャウダイサギ・チョウサギ・コサギなど、サギ科の鳥の総称でいずれも羽毛が純白なサギのことである。この中で、コサギだけが我が国全土で見られる留鳥で、他は日本で繁殖し秋に中国南部で越冬する渡り鳥である。
季節を先取りすると言う意味では、感度の鋭さは人間の比ではない。あれほど賑やかだった竹藪が、9月の声を聞いて間もなくすると、たったの数羽しか姿を見せてくれない。大半が越冬地へ渡ったのに違いない。やはり、動物や植物は確実に季節の移ろいを捉えて人間に教えてくれているようだ。
賑わった後の閑散とした竹藪が、確実に深まり行く秋をものの見事に教えてくれる。自然の営みってほんとうに素晴らしい。この自然を大切に残したい。
( 写真:閑散としたシラサギのねぐら )
こうした自然環境は破壊されることなく残されるべきですよね。月並みですが。
「風土」という言葉を思い浮かべますが、そこで長きにわたって培われてきた様々な意識や習慣など、すべてyattro-さんとは無縁ではないというわけですよね。
となると、岩国は、情感の深い人間を輩出する土地柄ということになるのでしょうかしらね。
30年近く前になりますが、池がシラサギの餌場になり鯉が全滅した経験を持っています。
両立とは難しい課題ですね。
全てが日本で冬を越すものだと思っていました。
昔、家族で珍しい鳥がいると大騒ぎしたことがあったんです。ただの「アオサギ」でした!
岩国の風土に結びつくかどうかは分かりませんが、まるっきりの岩国生まれ岩国育ち。わずか1年あまりを有楽町で過ごした経験を持つ単なる田舎者です。
でも岩国の人間をそのように評価していただけるとしたら、有り難いことです。感謝!!
まさに自然保護と、住環境保護の両立って難しいですね。
「アオサギ」に関してはエッセイ仲間の山本さんにお任せしましょう。