我が愛する広島東洋カープ。その歴史に大きく名を刻んだ闘将「ルーツ監督」が83歳の生涯を閉じられた。
まさにカープ黄金時代のルーツでもある。
我が家に長男誕生という最高に嬉しい出来事から5日後、球団創立26年目にして初めて勝ち取ったリーグ優勝。その大きな大きな悲願とも言える歓喜を与えてくれた基礎の基礎を築いた人である。
アメリカ大リーグの選手やコーチを経て、初優勝前年にカープのコーチとして入団した。わずか1年のコーチ経験で翌年監督に就任。その間、我々の目に見えない部分で、選手を激励・闘志を植え付ける・勝つ味を覚えさせるなどなど、文字通り闘う集団としての意識改革がなされていたようである。
残念ながら、監督就任は公式戦15試合の指揮を執っただけに終わった。その時点では6勝8敗1分け。しかし、判定に対する抗議は半端なものではなかった。それが全て良しとは云わないが、抗議の裏にある選手を守るという監督の信念は選手全員に間違いなく浸透していったのだろう。
後を引き継いだ古葉コーチによって見事に花開き、古葉監督誕生となり、その後10年余、カープの黄金時代が続くのである。
もちろん監督1人の功績ではない、その時代の球界を代表する選手がカープに沢山いたという時代背景は当然ある。しかし、持てる力を最大限発揮させるのは監督・コーチの役割である。
会社の中では若手から中堅になりかかった頃だった。ルーツ野球を仕事に置き換えて、兎に角結果を出すためのチームワークの必要性や意識改革ということを、おぼろげながら目標に掲げて、額に汗したあの頃をふと思い出した。
やっぱり強いカープであって欲しい。外人監督4年目、さて来年は……。
( 写真: 審判の判定に激しく抗議する、当時のルーツ監督 )
まさにカープ黄金時代のルーツでもある。
我が家に長男誕生という最高に嬉しい出来事から5日後、球団創立26年目にして初めて勝ち取ったリーグ優勝。その大きな大きな悲願とも言える歓喜を与えてくれた基礎の基礎を築いた人である。
アメリカ大リーグの選手やコーチを経て、初優勝前年にカープのコーチとして入団した。わずか1年のコーチ経験で翌年監督に就任。その間、我々の目に見えない部分で、選手を激励・闘志を植え付ける・勝つ味を覚えさせるなどなど、文字通り闘う集団としての意識改革がなされていたようである。
残念ながら、監督就任は公式戦15試合の指揮を執っただけに終わった。その時点では6勝8敗1分け。しかし、判定に対する抗議は半端なものではなかった。それが全て良しとは云わないが、抗議の裏にある選手を守るという監督の信念は選手全員に間違いなく浸透していったのだろう。
後を引き継いだ古葉コーチによって見事に花開き、古葉監督誕生となり、その後10年余、カープの黄金時代が続くのである。
もちろん監督1人の功績ではない、その時代の球界を代表する選手がカープに沢山いたという時代背景は当然ある。しかし、持てる力を最大限発揮させるのは監督・コーチの役割である。
会社の中では若手から中堅になりかかった頃だった。ルーツ野球を仕事に置き換えて、兎に角結果を出すためのチームワークの必要性や意識改革ということを、おぼろげながら目標に掲げて、額に汗したあの頃をふと思い出した。
やっぱり強いカープであって欲しい。外人監督4年目、さて来年は……。
( 写真: 審判の判定に激しく抗議する、当時のルーツ監督 )
新球場、ぜひ行ってみなければ。
数十年前の事なのに、まるで昨日のことのように覚えていらっしゃる。
古葉監督の名前は聞いたこと事がありますが「ルーツ監督」は残念ながらしりませんでした。
亡くなられた今もブログを通じてこんなに偲んでくださるファンがおられる「ルーツ監督」ってお幸せな方ですね。
来年は是非早いうちに、新球場へ応援に行かなくっちゃ。オニが笑うような話ですね。
忘れようにも忘れられない、嬉しいことが続いた年でした。
若輩でしたが、ルーツ監督の「勝つために何をなすか」という姿勢にあこがれたものです。
yattaro-さんも働き盛りの男ざかり、いい思い出をお持ちですね。忘れられませんね。
「赤ヘル軍団」は言葉として知ってはいますよ。元、衣笠選手、山本コウジ?選手(は法政で田淵選手と一緒だったのでしたよね?)そうした方の活躍は記憶にあります。
監督業も大変です!真面目に。王さんだって福岡へ行かれた当初の扱われ方はお気の毒にも感じるほど。でも、プロの世界ですし。
何からでも学ぼうとされるお姿は、すでにこの頃からにも!!
ところが、昭和50年10月15日。“今、この後楽園球場外野スタンドで、マッチを1本擦れば、たちまちスタンド全体が紅蓮の炎に包まれようかという、まさに赤一色に染められて間もなく試合が開始されようとしております……”というRCC中国放送ラジオ実況アナウンサーの興奮に満ちた語り口を今でもはっきり覚えているんですよ。
その頃からやっとカープがプロ球団として仲間入りした感じがありますね。その基礎を築いたのが、闘将ルーツ監督でした。古ーい話です。