「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「沈丁花の季節」

2020年02月25日 | 思い出話

             

庭の一角に佇む沈丁花。時季を得て見事に花開いた。
あの、たおやかな女性の白粉を思わせるほのかな香り。幾つになっても、この季節ならではの芳醇な香りはハナの奥をくすぐる。

この沈丁花の香りに乗って、不特定多数の人の目にさらす随筆なるものに手を染めたのはいつだったろう。
誰の目にもさらさない、自分だけの日記や、随想、随筆といったものは、中学時代から勝手に書き殴ってきた。
それが、ひょんなことから、勤務先の工場ニュース編集担当者の勧めに乗っかって、怖いもの知らずの若者が、臆面も無く書き始めたのが、ちょうど沈丁花真っ盛りのころだった。

思い起こせばあれから43年の歳月が流れたことになる。
沈丁花にことよせて、大学受験合格発表の校庭に見せる、受験生の悲喜こもごもを「春の断面」と題して書いたのを覚えている。
どれほど回数を重ねても、何年たっても、元々の素養がない悲しさはどうしようもなくつきまとう。

書き始めたころに必死になって読んだ、司馬遼太郎「竜馬が行く」の一節。
「世の中の人がなんとも言わば言え、我がなす道は我のみぞ知る」。坂本竜馬の座右の銘とも言うべき言葉を、畏れ多くも勝手に自分の都合のいいように解釈して、今もボチボチ書き続けている。
愚かしくもあり、ホンの少しの生真面目さもあり、同情すべき点多々ある我がエッセイ人生ではある。

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