二階の部屋から瀬戸内海が臨める。その視界を半分遮るように雑木や竹林が生い茂る小高い山がある。
その一角に、「アオサギ」のつがいと思しき2羽が巣を作り、代わる代わる卵を抱いているように見える。
「覗き」という後ろめたさを感じながら、高性能双眼鏡で確認するのだが、素人には確かな生態は掴めない。
成長した竹は10㍍はある。その竹より上にヒョロヒョロっと伸びた雑木の最上部に巣を作っている。
体長90㎝、羽根を広げたら1.8㍍もあろうかという、日本に分布するサギの仲間では最大といわれる大きな身体が、“なんでや…あんな危なっかしい高い木の上で…”とハラハラさせる。風が吹けば右に左に大きく揺れる。手を助けたくなる。雨を避けるすべもない。
それでも、すぐ近くに海があって餌は豊富。産卵・子育てには天敵を避ける高い木の上……彼らの子孫繁栄の条件は整っているのかも知れない。2羽の懸命な姿を、孫達にもしっかり見せてやっている。
小学校で、モルモットやハムスターを校舎で飼育する活動が活発になっているという。小さな命と直に接することで、命の大切さ尊さ、更には失ったときの深い悲しみを味わうことで、人間の持つ本来の優しさを取り戻そうとする運動である。言うなれば「命の尊厳啓蒙活動」というところだろう。
ふた昔くらい前までは、学校の校庭・幼稚園の庭などに、鳥や小動物が飼われていた。子供達もそれらを楽しみ、世話をする時間もあった。先生も生徒も忙しくなり、世話をするのが辛くなった。そして、そのような優雅な時間を惜しんで塾通いの猛烈勉強。人よりいい学校・人よりいい就職をすることに、親の価値観がシフトして行った。
命の重み・命の尊さなどを考える、人間の本質が置き去りにされたのではないのだろうか。
ここ数年、自殺者数は年平均33000人を下らない。この数字は何を物語るのだろう。
「命の重み」今一度考えてみたい。
( 写真: 中央の白い点が、2羽のアオサギ。デジカメのズームで撮影。これが精一杯でした)
その一角に、「アオサギ」のつがいと思しき2羽が巣を作り、代わる代わる卵を抱いているように見える。
「覗き」という後ろめたさを感じながら、高性能双眼鏡で確認するのだが、素人には確かな生態は掴めない。
成長した竹は10㍍はある。その竹より上にヒョロヒョロっと伸びた雑木の最上部に巣を作っている。
体長90㎝、羽根を広げたら1.8㍍もあろうかという、日本に分布するサギの仲間では最大といわれる大きな身体が、“なんでや…あんな危なっかしい高い木の上で…”とハラハラさせる。風が吹けば右に左に大きく揺れる。手を助けたくなる。雨を避けるすべもない。
それでも、すぐ近くに海があって餌は豊富。産卵・子育てには天敵を避ける高い木の上……彼らの子孫繁栄の条件は整っているのかも知れない。2羽の懸命な姿を、孫達にもしっかり見せてやっている。
小学校で、モルモットやハムスターを校舎で飼育する活動が活発になっているという。小さな命と直に接することで、命の大切さ尊さ、更には失ったときの深い悲しみを味わうことで、人間の持つ本来の優しさを取り戻そうとする運動である。言うなれば「命の尊厳啓蒙活動」というところだろう。
ふた昔くらい前までは、学校の校庭・幼稚園の庭などに、鳥や小動物が飼われていた。子供達もそれらを楽しみ、世話をする時間もあった。先生も生徒も忙しくなり、世話をするのが辛くなった。そして、そのような優雅な時間を惜しんで塾通いの猛烈勉強。人よりいい学校・人よりいい就職をすることに、親の価値観がシフトして行った。
命の重み・命の尊さなどを考える、人間の本質が置き去りにされたのではないのだろうか。
ここ数年、自殺者数は年平均33000人を下らない。この数字は何を物語るのだろう。
「命の重み」今一度考えてみたい。
( 写真: 中央の白い点が、2羽のアオサギ。デジカメのズームで撮影。これが精一杯でした)
そんな自然が一杯のここらはいいところですね。
あまり忙しくせんように…、年を早く取らないように…楽しく過ごそうね。
自然はやはり素晴らしいお手本と改めて感じました。