今日12月9日は、誰もが一度は手にしたことがあるであろうあの、日本を代表する文豪「夏目漱石」の祥月命日『漱石忌』だそうな。
1867年1月生まれというから、まさに徳川幕府崩壊、というか大政奉還の前年、慶応3年という激動期に誕生したことになる。
そして明治を一気に駆け抜け、大正5年12月9日没とある。1916年のことだから、98年前の話。
その生涯は50年に満たない、まさに「人間50年 化天のうちをくらぶれば ゆめまぼろしの如くなり」と謡った織田信長に似た短い一生であったことに、今さらながら驚く。
その短い生涯の中で、数々の名作。歴史に残る小説の数々を著わした業績。おこがましくて称賛の言葉も持たない。
若いころに、いっぱしの漱石ファンを気取って書いた「吾輩は〇〇〇である」と題した随筆が、図らずも工場長表彰を受けるに至った嬉しさが、いまだに気持ちの奥の拠り所みたいに残っていて、相変わらずの駄文ではあるが、書くことをやめられない自分がいることに、厚かましさと驚きの気持ちでいる。
そして、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」などと『草枕』の冒頭フレーズを拝借して書いた『やぶにらみ随筆その2』は1977年5月号とあるから、なんと37年前の昔話である。
その当時は「坊ちゃん」「吾輩は猫である」など、名作と呼ばれる漱石集や、『雪国』・『新書太閤記』などをむさぼった記憶もある。
あーそれなのに、「その割には一向に進歩しないね~。むしろ退化だね~ 」などの厳しい声も聞こえそうであるが、弁解の余地はない。ただひたすら現実の楽しみに目を向けて、読書という楽しさを遠ざけた生き方にあるのだろう。
漱石は若いころ、正岡子規と出会ったことから、俳句にも興味を示し、多くの傑作が残されているという。
累々と 徳孤ならずの 蜜柑かな (るいるいと とくこならずの みかんかな) 漱石
道義を貫く者は孤立しない、必ず仲間がいる。という意味らしい。
論語にある「徳は孤ならず必ず隣有り」を漱石は身を以て会得していたのであろう。
漱石は自立、すなわち自己本位を重んじたが、それだけに逆に他者とのよい関係を熱望していた、と坪内稔典さんがおっしゃる。
ちょっと何かを知ったら、このように厚かましくも知ったらしい顔をしてひけらかすようでは、徳孤をなして、誰もついてはこないのだろう。 ま、それがこれまでの生き方と言ってしまえばそれまでだが・・・。
武ちゃんも健康第一にね。