声を枯らして「おねがいしま~す」
12月14日。本来なら、忠義を尽くした志士たちを讃えたり、慰霊したりする赤穂浪士討ち入りの日である。
今年に限っては、この日、第47回衆議院選挙が行われたことによって、ニュースはほとんどがそちら向き。
今から310年も前の江戸時代に起きた、日本全国を拍手喝采で包んだ忠義の物語も、これからの日本のかじ取りをゆだねる総選挙の前には、影も薄くなったようである。
せめてもの慰めは、今回の衆院選挙が47回目。赤穂浪士討ち入りの人数が47士ということで、こじつけるなら47つながりということになるのだろうか。
いずれにしても、「解散総選挙の大義名分ありやなしや」とか「総理大臣の推進する経済政策の是非を問う」とか言われる中でスタートした総選挙。
ふたを開けて間もなく、保守勢力圧勝か・・・ 300議席超も、などの報道がまかり通っていた。
我が住む町の小選挙区でも、スタート前から勝敗は決まっている・・・という声を多く耳にした。
そうはいっても選挙は水物、結果を見るまでは分からない。ということで、選挙民の一人として我が意中の人に確かな一票を投じてきた。
そのついでに行われる、最高裁判所判事の国民審査というのがどうにも理解できない。
「ダメと思う人に×を記入する」ようになっている。何を以て×を付けるのか、白紙投票なのか。
一人一人の過去1年の判決裁定結果を示すくらいの判断材料がなければ、これほど無意味なことはない気がしている。
「あんたの無知よ」とお叱りあるな。そういうあんたは、全てがわかって投票したの?という議論になる。
もう一つ言えば、今回の国民審査の結果、全員が×が多かったとしたら、最高裁の判事は不在になるのか、誰かが推薦するのか、はたまた今一度国民審査投票をやり直すのか??
こんな愚問に答えられるように法整備してあるのは解っている。だったら、何のための国民審査?? きりがないな~(苦笑)
今夜半には体勢が判明する選挙結果。
選挙戦さなかの個人的な見解としては、どこの党などとは言わないが、ただただ政権与党を批判することに必死で、それも一撃を加える力強さに欠けた、ただの遠吠えみたいに空しく聞こえるばかりの演説は何としても淋しかったね~。
経済政策が失敗というなら、もっともっと「我が党はこうする。ああする」と、積極的な方針を打ち出すべきではないか。国民にウソをつかない確かな政策を。
まあとにかく闘い済んで日が暮れて・・・ 夜に入ればさてどんな開票速報や中間報告を新聞社集票センターに送ることになるのだろう。
確かに最高裁判所判事の国民審査だけは何のことやら、
×をつけようにもさっぱり意味がわかりませんものね。
「突然の選挙で準備不足でした」???
それを言うなら、条件は皆さん一緒のはずではありませんか。
それより、批判するなら「自分ならこうする」と言う意見が聞きたかったですよね。
どっちが勝ったのしても、なんかしら不満がくすぶるし、負け惜しみがあったり。
これはどこの国も同じかもね。
大企業が普通通りに稼働しなければ、従業員はもちろん、協力会社も流通業界も、収益は停滞し、給与やボーナスまですべてに影響を与えるような気がします。
大企業が収益を上げられないから雇用が安定しない。可処分所得が減る。そんな悪循環が今の不況感に反映されているような気がしています。
駅前の寂しさも、シャッター通りの多いことも、経済に建て直しにかかっているのでは?などと・・・。