年齢は?と聞かれると、「71歳」と答えられるのは残りわずかな日数となった。
だからまた一つ年を取る・・・とか、冥土の旅の一里塚が一つ減った・・・などと考えるわけでは決してない。
それどころか、まだ見ぬ次なる年齢の生活がどう変わるのか、全く何も変わらないのか、興味がわく。
ただ、74歳で逝った父の年に近づくことで、なんかしら緊張する気持ちもないわけではない。
母は100歳7ヶ月を生きた。母より4つ下の妹、つまり我々の叔母さんは、正月3日に満102歳の誕生日を迎え、特別養護老人ホームでの生活ではあるが、個室に入って、文字通り悠々自適の生活を楽しんでいるように見える。
認知症の症状も見られず、頭の回転は鋭くて速い。記憶力も確かなものである。そういった意味では、足腰こそ年なりに弱ってはいるが、新聞も読めるし、世界のニュースを追いかける元気な102歳である。
ひとり息子が遠くに住んでいるため、長年の独り暮らしの習慣が身についている。そんな生活の中で培った旺盛な生活力が今の元気さを支えているのであろう。
しかし、いつまでも独りっきりの生活を強いるのも危なっかしい、ということで一昨年秋、特別養護老人ホームに入所して今に至っている。
私たち夫婦がたまに顔を出すと、それはそれはこぼれんばかりの笑顔で迎え、時事ネタや世間話で大いに盛り上がる。
もちろん耳は少し遠い。それでも聞く力 も解釈する力も十分備わっているので、当意即妙のやり取りができる楽しさがある。
お見舞いの品は、私たち仲間の書いたエッセイ集や、軽めの文庫本などを喜ぶ読書好きでもある。
これまでの長き人生の諸々を優しい笑顔に包み、「ようきておくれたねー、ありがとう、ありがとう」と何度も手を合わせて拝まれると、一瞬仏に祀り上げられたような優越感を味あわせてもらう。
どうかすると、見舞いに行ったはずの私たちが、102歳の叔母さんの元気をもらい、若さと勇気を授けられて帰る始末。
できるならこのような老いの道をたどりたい。そうはいってもね~。
書いたり読んだりの、せめて活字とともに過ごす余生が送れたら最高であろう。
「生きるお手本」ここにあり。母の姿がダブる叔母さんを大切に見守っていけたらいいな・・・と。
母や叔母さんの年まで30年。これは無理としても、せめて喜寿まで・・・ちょっと欲が少なすぎるかな?
その背景がよく理解できました。
生きるならこうありたい、そんな姿に思えます。
きっと「人も羨む・・・」、というふうに賢ちゃんもなること間違いないですね。
「生きたように老いる」だと思います。
私もがんばらなくっちゃ。
今、詩吟で一緒にしている人90歳で朗々たる声を出しています。
当面その方が目標です。
いやいやそれだけではなさそう。
とにかく、のんびり行くのはよさそうですよ。
独りでなにかもやってのける生活、つまり他に多くを頼らない生き方がいいのかもしれません。
そして、気持ちを大らかに持つのも大切なようです。
でもやはり最後は、持って生まれたいのちの長さは影響するようです。
どこに行っても、私たちより遥かに先輩なのに、元気に活躍されている方はおおいですよね。
先ずは身近な目標を設定して、その方に近づけるよう、ゆっくり地道な努力を・・・ですね。
ただただ、尊敬してしまいます。
そうありたいと願っているのですが、これだけはどうにもなりませんしね。
「老い」という文字がやたらと目に入ります。
2冊の本を求めました。
1冊は「おちゃめな老後」(田村セツコ著)です。73歳だそうです。申し訳ないですがひとつだけ印象に残ったのは「毎日お化粧すること」だそうです。お化粧してると鏡に映る顔で元気をもらえるというのです。
確かに。これは実行できそうです。
もう一冊は今年のノーベル文学賞をいただいたアリス・マンローの「ディア・ライフ」です。
82才の女性作家のノーベル賞受賞ってなんて素晴らしいことでしょう。短編小説集です。この年齢になって書けるのだろうと思われるいろいろな人間模様が淡々とした言葉の中に濃密に書かれています。
yattaro-さんの叔母様、田村セツコさん、アリス・マンボーと素晴らしいお方に出会いました。
有難うございました。
絶対に避けられないのなら、いっそ迎え撃つというのも楽しそうですよ。
迎え撃つ方は、あれこれ多少の準備もできるわけですから、できたら老いを楽しむ、そんな気持ちもいいかもしれませんね。
このたびのように、田村セツコさん、アリス・マンボーさんなどの本に目を通して、matsuさんご自身の今を比べてみる・・・。
決して見劣りなどしない今を生きておられると思います。
102歳の叔母を見舞うと、まだまだこれから・・・とついつい思ってしまいます。