![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/a1/f78b854a3a5405bc8b5955a88e3a5aba.jpg)
母さま、
裏の木のかげに、
蝉のおべべが
ありました。
蝉も暑くて
脱いだのよ、
脱いで、忘れて
行ったのよ。
晩になったら
さむかろに
どこへ届けて
やりましよか。 (蝉のおべべ)
「若き童謡詩人の巨星…」と、西条八十氏に絶賛されたことでも有名な、郷土の詩人「金子みすずの世界」。
つたないながら、こうしてブログのひとつも書いてみよう…と思う私にとって、少なからず心に留め置きたい、いつも意識していたい一人である。
ひょんなことから、彼女の生誕地である長門市を通る用件に恵まれた。
かねてより、是非訪れてみたかった「金子みすず記念館」見学。思いが叶うことと相成った。
進路はカーナビ任せ。ETC1000円制度の初利用。我が家から160㎞の位置にある。
JR仙崎駅から直線に延びる“みすず通り”。折良く“みすず七夕笹祭り” に出くわし、商店街あちこちに飾られた華やかな笹の葉飾りの歓迎を受けた。(1ヶ月遅れ、旧暦の七夕)
商店街ほぼ真ん中に位置する「金子文英堂」と、大書された看板を掲げるレトロな書籍店。
それもそのはず、大正末期から昭和初期にかけて彼女が過ごした少女時代の金子家を再現したものだという。
入り口はともかく、中に入って驚いた。それはそれは立派な現代建築による素晴らしい記念館が建てられている。(2003年建築)当然ながら彼女にまつわる数々の名品・逸品が揃えてある。
長門市を上げての観光資源として、行政が目一杯の応援をし、歴史に名を残す詩人の功績を後世に伝えようとする意図が見て取れる。そんな意味からもとっても清々しいひとときに浸れたのは、大げさに言えば、人生の小休止をさせてもらったような心持ちであった。
もちろんそれは、26歳という若さで燃え尽きた薄命を惜しむ気持ちと、その短い生涯に遺した、これほどまでに誰からも愛され・親しまれる「詩の世界」。おざなりに扱っては、ペンを持つ資格さえ危ういかな…などと感じるとっても効果的な刺激を与えられた思い。 これからも、大いに金子みすずの世界に思いを馳せながら、優しい・分かりやすい・肩の凝らない文章に挑戦したいな……。
記念館見学は、多くの人にお勧めの静かな名所であり、観光スポットである。
( 写真: 長門市仙崎にある、金子みすず記念館 )
裏の木のかげに、
蝉のおべべが
ありました。
蝉も暑くて
脱いだのよ、
脱いで、忘れて
行ったのよ。
晩になったら
さむかろに
どこへ届けて
やりましよか。 (蝉のおべべ)
「若き童謡詩人の巨星…」と、西条八十氏に絶賛されたことでも有名な、郷土の詩人「金子みすずの世界」。
つたないながら、こうしてブログのひとつも書いてみよう…と思う私にとって、少なからず心に留め置きたい、いつも意識していたい一人である。
ひょんなことから、彼女の生誕地である長門市を通る用件に恵まれた。
かねてより、是非訪れてみたかった「金子みすず記念館」見学。思いが叶うことと相成った。
進路はカーナビ任せ。ETC1000円制度の初利用。我が家から160㎞の位置にある。
JR仙崎駅から直線に延びる“みすず通り”。折良く“みすず七夕笹祭り” に出くわし、商店街あちこちに飾られた華やかな笹の葉飾りの歓迎を受けた。(1ヶ月遅れ、旧暦の七夕)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/70/685469792e01bce6c555e9ca701d3ba3.jpg)
商店街ほぼ真ん中に位置する「金子文英堂」と、大書された看板を掲げるレトロな書籍店。
それもそのはず、大正末期から昭和初期にかけて彼女が過ごした少女時代の金子家を再現したものだという。
入り口はともかく、中に入って驚いた。それはそれは立派な現代建築による素晴らしい記念館が建てられている。(2003年建築)当然ながら彼女にまつわる数々の名品・逸品が揃えてある。
長門市を上げての観光資源として、行政が目一杯の応援をし、歴史に名を残す詩人の功績を後世に伝えようとする意図が見て取れる。そんな意味からもとっても清々しいひとときに浸れたのは、大げさに言えば、人生の小休止をさせてもらったような心持ちであった。
もちろんそれは、26歳という若さで燃え尽きた薄命を惜しむ気持ちと、その短い生涯に遺した、これほどまでに誰からも愛され・親しまれる「詩の世界」。おざなりに扱っては、ペンを持つ資格さえ危ういかな…などと感じるとっても効果的な刺激を与えられた思い。 これからも、大いに金子みすずの世界に思いを馳せながら、優しい・分かりやすい・肩の凝らない文章に挑戦したいな……。
記念館見学は、多くの人にお勧めの静かな名所であり、観光スポットである。
( 写真: 長門市仙崎にある、金子みすず記念館 )
憧れますね。
担任の先生が
「私と小鳥とすずと」を朗読して下さいました。
子供にも読みやすい、
リズムのよい詩です。
うちの娘にもときどき読み聞かせてやっています。
大人になって出会ったけど、小学生ぐらいのときに出会いたかったな 金子みすずの詩
題さえわからなくなってる、好きと思っているのに・・・
誰にでも潜むであろう思いを、なんで自分にそうした言葉で紡ぐことができないんでしょー
そりゃあ次元が違う!?
感性が違う、器が違う???
そんなこと考えるのがそもそも?ですが・・
心を広げ、言葉の世界も広げなくては……
大いに参考にするべきなのでしょうが、なかなか…。
「私と小鳥と鈴と」あまりにも有名ですね。最終行の「みんな違って みんないい」ですね。
tenchanさん、既にお気づきと思いますが、この最終行を引き出す前の一行、つまり「鈴と、小鳥と、それから私」。これはタイトルの順番とは違っていますよね。
ここに、みすずの詩の豊かさ、多くの人をとりこにする魅力が、奥行きの深さが秘められているのだそうです。
このたび、初めて、彼女の足跡に直接触れる機会を得て、それこそ初めて知ったことですが、言葉の世界って奥行きが深くて楽しいですね。
理屈っぽくてすみません。
「見えないけれどあるんだよ…」のタイトル・内容、チョット時間がなくて出来ませんでしたが、またいつか探してみますね。
このように彼女のことについてあれこれ述べることさえ憚られる感じなんですよ。
「おこがましい」という言葉がピッタシでしょうか。
ただ彼女の頭に描かれた状況・詩となって著された言葉を・行間を感じ取る訓練には、やはり何かを感じながら、じっくり付き合っていきたい…。
そんな意味で、あえてyattaro-の思いを、ホンノ少し書いてみました。
でも本音は、言葉を紡ぐことの難しさを味わうばかりです。またしてもkei眼に敬服です。