たった一日の中で、今日は一年の四季を味わったほどの思いがする。朝は冬並みの寒さ冷たさ。午前中は春3月下旬の陽気。午後は夏を思わせる暖かさ、そして日暮れが近付くと季節通りの秋となった。
羽織ったり脱いだりまた着たり…体温調節など体調管理がややこしい。
身のまわりには、色づいたピラカンサスが真っ赤な実を付け、目の前にある冬を手招きしているように見える。
いろづく……なんとなくいい言葉だなーと一人悦に入る。完全に実りきる一歩手前、熟しきる前の未だ頼りなさが少し残っている状態。これがたまらなく興味をそそる。人間で言うと、どのあたりを言うのだろうか。 これに毛がはえて「いろけづく…」となると、とたんに下世話な話になりそうだ。しかしみんなそうやって成長してきたのではある。
いろづいた程度の今の状態では、小鳥も餌として認めないのか、ついばみもしない。
六十路半ばの秋が行きかかってはいるが、出来れば今のピラカンサスのように、いろづいた状態でいられたらいいな…などと欲を起こす。 熟してしまえば後は小鳥に食べられるか、枯れ落ちるだけである。
人生もう少し先があるのだろうから、熟すのはもっともっと先でいい。と言ってもこれ以上熟しようがないのかも知れない、あるのかも知れない。いずれにしても「まあ!いい色だねー…」なんて評価される完熟前でいたい。
そして黄泉路の川の渡し船から此岸をふり返ったとき、熟していたよーという一声が聞かれたら嬉しいだろうな。
ちなみにピラカンサはギリシャ語で「火のトゲ」という意味だそうな。幹が変形したトゲが無数にあることから、スが付いてピラカンサス。たちばなもどき・ときわさんざし などとの総称となっている。花言葉は「慈悲」これも好きな言葉のひとつである。ないものねだりかもね。
( 写真:幹や葉っぱを覆い尽くすように赤くいろづいたピラカンサス )
羽織ったり脱いだりまた着たり…体温調節など体調管理がややこしい。
身のまわりには、色づいたピラカンサスが真っ赤な実を付け、目の前にある冬を手招きしているように見える。
いろづく……なんとなくいい言葉だなーと一人悦に入る。完全に実りきる一歩手前、熟しきる前の未だ頼りなさが少し残っている状態。これがたまらなく興味をそそる。人間で言うと、どのあたりを言うのだろうか。 これに毛がはえて「いろけづく…」となると、とたんに下世話な話になりそうだ。しかしみんなそうやって成長してきたのではある。
いろづいた程度の今の状態では、小鳥も餌として認めないのか、ついばみもしない。
六十路半ばの秋が行きかかってはいるが、出来れば今のピラカンサスのように、いろづいた状態でいられたらいいな…などと欲を起こす。 熟してしまえば後は小鳥に食べられるか、枯れ落ちるだけである。
人生もう少し先があるのだろうから、熟すのはもっともっと先でいい。と言ってもこれ以上熟しようがないのかも知れない、あるのかも知れない。いずれにしても「まあ!いい色だねー…」なんて評価される完熟前でいたい。
そして黄泉路の川の渡し船から此岸をふり返ったとき、熟していたよーという一声が聞かれたら嬉しいだろうな。
ちなみにピラカンサはギリシャ語で「火のトゲ」という意味だそうな。幹が変形したトゲが無数にあることから、スが付いてピラカンサス。たちばなもどき・ときわさんざし などとの総称となっている。花言葉は「慈悲」これも好きな言葉のひとつである。ないものねだりかもね。
( 写真:幹や葉っぱを覆い尽くすように赤くいろづいたピラカンサス )
「色づく」「いろけづく」思わず「くすっ」っとしました。
「色づく」で心をよぎったもの。
「我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」
茨木のり子「倚りかからず」より抜粋
(柿の書き間違いなんですが、この季節になると 思い出す一節です。)
心よ 八木重吉
ほのかに いろづいてゆく こころ
われながら あいらしい こころよ
ながれゆくものよ
さあそれなれば ゆくがいい
・
・
・ 。
(yattaro-のあこがれる「色づく」でしょうか。)
(yattaro-さんのあこがれる・・・・・)
こんなにたくさんの実を、見事なピラカンサスですね。本当に見事です。
こうした一粒一粒、もしかしたらどこぞのどなたか…。
「慈悲」の心で、人間のエゴや愚かさを抱え込み、一粒の赤い実として順番に色づかせてくれているのでしょうか。もういいかなと仏さまが思われたら、小さな生き物の命を支え、新しい実と交代していく。
まだ私などはこうした一粒にもなりえない、と思っていても、こればかりはどういう順番かわかりません。となると、よくお聞きしますように、「今日という日を精一杯生きる」ことが求められるのでしょうか。
(こじつけ…みたい?)
ちょっと「ホ」の字で「ポッ」と色づくっていいですね。かわいいですよねー。
世界全体が住みやすくなることを期待したいね。
いろづく前とまでは行かないけど、完熟には少し間があるのが、今の我々なんでしょうね。たとえ中古でも少し・たまに、ムチを入れてがんばろうね。
ゆっくりゆっくり、いろづいていく。そして完熟までにタップリ時間をかける…そんな生き方を望んではいるのですが…。
あの頃はよかったですねー…などとは言わないんですよ。今もちっとも変わっていませんから。気持ちは。
ときめく気持ちだって未だ衰えを知りません。但し、ときめく場面に出会う機会がなくなったといっていい状態です。
それでも、いろづいたままで生きて行けたら…などと身の程知らずに欲張っています。